第二章「アルデュイナ魔術学院」 2
午後十二時零分。
学院の校舎全域に午前終了を知らせるチャイムが鳴り響いた。
アルデュイナ魔術学院では午前の講義が終わると、そこから一時間昼のランチタイムを兼ねた休憩時間になる。
そのため講義が終わった途端クラス中は賑やかな喧騒に包まれていた。友人同士で机を囲い持参した弁当を広げ始めたり、学食で振るわれる定食に一秒でも早くありつこうとそそくさに教室を飛び出す人もいれば、講義の解放感から他愛もない話で盛り上がっている人までその様子は人それぞれである。
アルデュイナ魔術学院の授業方針は、午前が魔術に関する基本や仕組みの記述、簡単な実技や体力作りなど各クラスで行われ、昼の休憩を挟んだ後、午後のカリキュラムとして自由履修制度を採用している。
午後の講義には種類があり全部で三つの科目に分かれる。
一つ目は【実技講習】。
午前に行われた簡単な実技や体力作りとは違い、生徒各々が所有する魔術系統に沿った講師が特別講義を開き、魔術の実技鍛錬、基礎魔術からの応用術の展開、模擬戦を通しての思考の読み合いなど本格的な実技の講義を受けることのできる科目である。
また、生徒の自主性を尊重した学院の方針から、その系統である魔術を使役できなければ受講することができないということはなく、多くの生徒たちが様々な魔術の存在に触れて学習できるようにと細微な配慮も為されているのがなんとも魅力的だ。
二つ目は【課外活動】。
文字通り学院の外、ひいては魔術特区外での活動を主軸とした科目である。他の地方、核術特区を訪問して様々な文献と知識を深め、想像力の幅などの応用性を身に着けるために実施されており、履修をする者は主に想像から【創造】する、平たく言ってイメージを具現化する魔術を持った層が多い。
術の展開には独創的かつ鮮明的なイメージが重要となってくるため、多くの言葉や物質、文明に触れることのできる講義として注目度も高く、そのまま課外活動先での観光を楽しめるという利点もあってか、女子にも絶大な人気を誇っている。
三つ目は【依頼任務】。
【依頼】は他の核術特区から寄せられるものから。特区外の都、小さな集落まで多方面から多種多様に請け負っている。
依頼を受理する際には、クラス担任の許可印と学院長の承認が必要となり、依頼を達成すると依頼主から仕事に見合った報酬を受け取ることができる。
また、依頼の数をこなし実績を積むことで術者としての知名度も上がり、特定の依頼主から【指定依頼】が届くこともある。
中には危険を伴う任務も存在するため、不用意な事故防止のために受理できる依頼にはランク指定されているものもあり、依頼主から【火を扱える術者】と提示してくる場合も同様で、依頼内容から条件まで様々だ。
なお、【依頼任務失敗】の際、既に与えられたランクの降格の対象になることがあり、不名誉な噂が流通してしまうことに為り兼ねないなど、術者人生において相応のペナルティを背負うことにもなる。そのため、慎重な依頼選びが重要とされる。
アルデュイナ魔術学院に通う生徒たちは午後になると、この三つの科目の中から一つを選択して自分自身で予定を組み活動することになっている。
もちろん、午前講義とは違い自由履修制度であることから、受講をしないで午後をプライベートとして有意義に活用することも可能である。
ただ、年間で取得すべき単位が足りない際には、ランクの降格や退学の対象にもなるので最低限の出席には注意が必要である。
まあ、ともかくとして現在は午前の講義が終わった昼時。
時雨は講義が終了するなり大きな欠伸を一つ、腕を真上に伸ばして軽く身体を解して席に立つ。
「よし、講義も終わってようやく昼だな。リンネ、良かったら一緒に学食で飯食べないか? この学院の学食は安い割に中々ボリュームもあってお手頃だぞ」
「学食?」
時雨の右斜め後ろの席に鎮座している空色の長いワンサイドアップが特徴的な少女、リンネに呼び掛けると、彼女は不思議な単語を口にするかのように呟いて、きょとんとした様子で首を傾げていた。
その無垢な可愛い仕草に時雨は思わずドキッと脈を打つ。
「学食っていうのはだな。料理上手なおばちゃんたちが俺たち学院生たちのために、毎朝早起きして丹精を込めて作ってくれた栄養バランスの取れた食事を提供してくれる所だ。簡単に言うと、学院生が共同で使う大きな食堂ってところだ」
「そんなありがたい場所があるのですか! あ、でも私お金とか持ってないですよ」
「そこは安心してくれていい。リンネはこの学院に転校して初日だからな。そのくらい俺が奢ってやるよ」
「本当にいいのですか? なんだか時雨に悪い気がします」
「問題ない。同じクラスメイトだろ。遠慮する必要なんかないって」
時雨が優しい笑みでそう諭すと、リンネはその気持ちを汲んでくれたのか嬉しそうに眼を輝かせる。
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えさせていただきますね」
想像力を膨らませているのか、リンネは頬を緩めて虚空をうっとりとした瞳で見詰める。
天使って意外と食通だったりするんだろうか。
時雨がそんなことを思いながら、リンネの横顔を微笑ましい眼差しで眺めていると、
「いいなぁ。シグレ、私の分も奢って?」
時雨の後ろの席にいたエレナがひょっこりと顔を出して言う。
「いや、お前は普通に金持ってるだろ。集る(たかる)気なら他を当たってくれ」
「えぇ〜! リンネはいいのにワタシはダメなんて。ほら、ワタシもシグレのクラスメイトだよ?」
「……おまえはもう少し遠慮をするってことを覚えた方が良いと思うぞ」
「むぅ。シグレがリンネばっかり贔屓する……」
時雨が素っ気ない態度を取るや否や、エレナは教室の片隅に体育座りという古典的ないじけ方を披露し出した。
人差し指を床に立てて小さな円を描くように動かすなどいかにもな演出で、数秒に一回こちら側にちらりと視線を送っている。
「なぁ、俺はあんなあからさまな演技に付き合ってやる必要はあるのだろうか……」
時雨は隣の席でプラチナ製のヘッドフォンを首から提げながら、こちらのどうしようもない状況を傍観していた雷斗に尋ねる。
「そうだな。時雨の微々たる硬貨の消費でこの場が手っ取り早く収束するなら、乗るしかないんじゃないのか?」
「……ちなみにお前が奢るという選択肢は?」
「悪いが全くもってないな」
雷斗はそう短めにだけ答えると、「これ以上の話は受け付けないからな」とでも言うかのように、深々とヘッドフォンを耳に当ててポケットに忍ばしていた音楽プレーヤーの再生ボタンを押して音楽の世界に逃げ込んだ。
唯一の味方と為り得た友人はきっぱりと戦力外通告を時雨に突きつける形となった。
「あぁ、もうわかったよ! 奢るよっ! 奢ればいいんだろ! だから、機嫌直してくれ」
「やった! ありがとね、シグレ。愛してる~」
エレナは左右不揃いな形で結ばれたツインテールをぴょこんと跳ねて、調子の良い様子で無邪気な笑顔を浮かべる。
おかげですっかり足取りが重くなってしまった時雨だったが、自分は【気前の良い豪快な男】だと無理に言い聞かせて暗示を掛けるが如く平静を保つことにした。
そうして一同は、空腹を満たすため学食に向かい教室を後にするのだった。