第五章「異端の天使」 13
「……リンネ?」
「ここは、私に任せてください」
リンネはそう言って、懐から式札を数枚取り出すと、式札の効力を高めるための詠唱を唱え始める。
また、その様子を影から眺めていたエレナも一時的に時雨の影から浮上して、活気付いた声を上げ始めた。
「リンネ、ワタシも加勢するよ‼」
エレナは自身の核力を高め、自分の得意とする陰影魔術で自身の影を操り、それを自由自在に好きな形へと組み替えていく。
見る見るうちにエレナの影は平面だった状態から無数の枝に分かれるように分岐を始めると、そこから地上に向かって影が伸び、それぞれに立体的なものへと変貌を遂げる。
その容姿はまるで――――
「……か、かわいい」
可愛らしい小動物――――もっと端的に言えば、何処からどう見ても仔犬の群れだった。
戦闘の最中ではあるが、その光景を前にこちらの様子を宙から窺っていたTOD―Ⅲからは意外な言葉が不意を突いたように口から漏れ出す。
「これがエレナさん必殺、《陰影工作》‼ 可愛い見た目だからって、侮らないでよね! 仔犬ちゃんたち、構え~‼」
エレナの呼び掛けを受けると、立体的構造を得たエレナの影である仔犬たちは眼前に迫る霧の津波をキッと睨みつけながら、横一列に整列して陣形を組み上げる。
そして、大きく息を吸い込むようにして仔犬たちが張り裂けそうなくらい沢山の空気を体内に取り込むと、エレナは言葉を続けるように張り切った様子で大声を上げた。
「降り掛かる猛威を薙ぎ払え‼《猛犬らの遠吠え》、放て~‼」
エレナの合図とともに、影から生まれた数体の仔犬の咆哮が解き放たれる。
莫大な質量と質量のぶつかり合いに《霧津波》は瞬間的ではあるものの、その場で動きを止めた。
しかし、付け焼刃かつ即席の技では、さすがに奏夜の放った技に威力で撃ち負けてしまうのは明白である。
ただ、エレナにとっては、それだけの仕事量をこなせれば、十分だった。
「リンネ、後は任せたよ!」
「はい。おかげさまで準備は整っています。聖なる領域、皆を災厄から護り給え《式札―御霊の加護―》連舞‼」
奏夜の《霧津波》がエレナの《陰影工作》で押し留めらている間に核力を数枚の式札に充填させていたリンネは声を上げ、頭上にそれらの式札を勢いよく投擲する。
規則性を保ちながら宙に浮遊し、式札たちが次第に輪を描くようにして回転を始めると、編み込まれた術式が瞬く間に展開され、時雨、エレナ、リンネの三人を包み込むように結界が張り巡らされた。
次の瞬間、動きが拮抗していた《霧津波》は仔犬たちの決死の咆哮を跳ね飛ばし、周囲一帯を暴力的な質量で押し潰すかのように容赦なく襲い掛かってくる。
エレナの《陰影工作》で造られた影の産物たちは結界外で役割を果たすと、造形を変質させながら、霧津波に巻き込まれる前に元のあるべき姿へと返っていく。
エレナの《術》で多少なりとも威力を削ぐことができたのも大きかったためか、式札により展開された結界には微かな綻びが出来てはいたが、なんとかこの場を乗り切ることには成功したようだ。
だが、息を吐く暇などありはしない。
ここは敵の本拠地であり、敵は確実な敵意を持って向かってきている。
この《霧津波》が本当に挨拶替わりの技だとするならば……。
次に奏夜たちが取る行動は――――、
「――――やっぱり、奇襲だよ、なっ……‼」
――キンッ。
時雨は《霧津波》で視界が塞がっていた状態から奏夜の気配を探り出し、背後からの奇襲に対して焔刀を横に構えて、それをしっかりと受け止めた。
「ほう。さすがに、やるじゃネェか。あの一撃で沈んでもらっちゃつまんネェからなァ? その《五行思想》ってやつの神髄とやら、見せてみろヤァァアアアアアア‼」
奏夜は物凄い気迫で声を荒げると、霧の刃を自身の腕に纏わりつけた状態で横薙ぎに腕を大雑把に振るって、強引に時雨を間合いから引き離す。
両者ともに、相手の姿を見失わないように睨み合ったまま、一度態勢を立て直す。
咥え煙草に灯った火の光が妖艶に揺れ動くなか、奏夜は口の端を吊り上げ、不適な笑みを浮かべてこちらを見据えていた。
「(――くっ、相変わらず、寒気のするやつだが、一撃一撃がやっぱり重いな)」
焔刀で攻撃を受け止めたとはいえ、その時の衝撃がまだ腕にじんじんと痺れたような感覚として残っている。
これが《刀剣覚醒》をした《紅焔精霊》の焔刀であるから良かったものの、通常の軟な刀では、簡単にへし折られていたことだろう。
強いて救いがあるとすれば、まだ敵の動きはそう言うほど俊敏ではないところにある。
相方のTOD―Ⅲが持つ《人工翼》による瞬間的加速がない分、幾分かは俊敏さでこちらに武があるわけだが……。
「(一番の問題は、あの《絶対防壁》をどう攻略するかだよな……)」
奏夜の奇襲があったということは、リンネたちの方も例外ではない。
ただでさえ、負傷している二人組だ。
向こうの様子が心配でないと言えば嘘になるが、リンネの決意を目の当たりにした手前、此処は自分のやるべき役割に専念することが先決だろう。
それに、幼馴染で付き合いの長いエレナも一緒だ。
彼女の《陰影魔術》によるサポート能力の高さと、その執念深さだけは長い付き合いの中で時雨も身に染みてよく分かっている。
――そう。やられたら三倍やり返すまでが、彼女の神髄だ。
――心配ない。彼女たちの事を信じよう。
「そんなに見たいなら見せてやるよ。他を犠牲にしても何も感じない、そんなお前に。この――《五行思想》の力でお前の《技術》そのものを否定してやる‼」




