第五章「異端の天使」 11
「…………」
奏夜の視線の先、そこに映るのはまさしく穢れを知らないであろう純白に彩られた天使の翼だった。
しかし、奏夜が口にした言葉の通り、リンネの背に確認出来るのは片方の右翼―――た
だ一つだけ。
世界を守護する者の象徴とも言える天使の存在は太古から大陸全土にまで語り継がれて
いるが、どの古い文献や記録のなかにも『片翼』という不完全な姿を持った天使の情報は記されていない。
まさにそれは長年の研究や歴史のなかで紡がれてきた常識という概念を一瞬にして覆しかねない『異端』と呼べるに値する衝撃的な姿だった。
奏夜が地上で嬉々として肩を震わせるなか、リンネは片翼である右翼をそっと優しく左手で撫でながら、自分の『片翼』を見られてしまった事を悔いるかのように表情を曇らせる。
「ヒヒッ、ヒヒヒヒヒヒヒッ……こいつぁ、たまげたゼェ。激レア中の激レアって、やつじゃネェの。『起源なる天使』様をこうして拝めただけでも一生にあるかネェかの奇跡だってのに、なんとも、なんとも、嬉しいサプライズだ、ネェエエエ! おかげで全身の震えが止まらネェよ! 起源にして異端。益々、面白くなってきやがったナァ、おい!」
地下の研究施設内に鼻息を荒くしながら興奮気味に叫ぶ奏夜の声が響き渡る。
「TODⅢッ!」
「はい。任務を続行します」
TODⅢは奏夜からの合図でふと我に返ると、再び《具現》により、虚空に巨大な岩の塊を形成し始めると、無機質な瞳で片翼の天使を捕捉し、右腕の装甲を軸に《破壊》の術式を展開する。
対して、リンネは敵の出方を警戒しながら、片方の翼で器用にバランスを取り、袖口の式札に手を伸ばしていつでも迎撃できる準備を整えるが――――。
「失策。付け焼刃な作戦では意味を為しません。精霊の加護を失った現在の状態で何処まで防ぎ切れるでしょうか」
「……たしかに、精霊の加護なしで貴方の攻撃を捌き切るには骨が折れそうです。でも、私は絶対に屈しません。これは私が自分で望んだ、運命です……。貴方たちみたいに身勝手に他人を傷付けるような人たちに負けたりなどしません!」
「……そうですか。では、お望み通り、早々に雌雄を決するとしましょう。『起源なる片翼の天使』と『人工的に造られた偽りの天使』、そのどちらが勝っているのか――――ハッキリさせれば、きっと貴方も楽になれます」
TODⅢは表情一つ変えず、淡泊で平坦なお決まりの口調でそうつぶやくと、次の瞬間、右手でそっと岩の塊に触れて、《破壊》の術式を発動させるための祝詞を唱える。
「――《破砕鉄槌》」
刹那。巨大な岩の塊は《破壊》による爆発的な衝撃で弾け、無数に飛び散った岩の礫が再びリンネに襲い掛かった。
「札に宿りし、精霊たちよ、我が身をどうか守り給え――式札《御霊の加護》!」
それに対し、リンネは応戦するかのように袖口から三枚のお札を投擲し祝詞を唱えると、自身の核力を《式札》に集中させて効力を高め、防御に身を徹する。
さすがに《高位精霊》である《九尾》が先程展開した防御壁に比べると少し心許ないが、この攻撃を凌ぎ切らなければ、リンネに後はない。
(――――絶対に、防ぎ切る!)
リンネは襲い来る無数の岩の塊に耐えながら、強い意志を持って相手の出方を窺う。
あれだけの巨大な岩石が粉々に散ったため、TODⅢの動向を把握するにしても、視界が極端に狭まってしまっている。
絶体絶命の窮地ではあるが、敵の持つ『術』が『術』なだけに慎重に気配を辿り、敵の次なる一手に対して順応に対処しなければならない。
リンネは防御に専念しながらも、神経を研ぎ澄まして敵の気配に細心の注意を図る。
視界が塞がった状態で裏を掻くなら、セオリーで言えば『背後を取る』のが一番確実だが――――
(――――そこっ!)
「――――《破壊》」
右斜め下方向からの人工翼による急速浮上。
そこから繰り出される不意打ちの《破壊》に対して、リンネはなんとか寸前のタイミングで防御壁に展開していたのとは別の《式札》を取り出し、攻撃を受け止めて見せた。
――――だが、それはあくまでこの一瞬を凌ぐための付け焼刃な手段でしかない。
「……ぐっ、うぅ……! きゃっ!」
攻撃を受け止めた《式札》は瞬く間に効力を失って、無残にも崩れ去る。
リンネの身体は《破壊》の爆発的な衝撃によって勢いよく弾き飛ばされ、後方の壁に強く叩きつけられた。
直後。前後による衝撃で肺が潰され、リンネの口から言葉に鳴らない空気に近い声が漏れる。
「お見事。上手く凌いで見せましたか。しかし、次はどうでしょうか?」
TODⅢは淡々とそう呟くと、間髪入れず、人工翼の加速力で一気に距離を詰めに掛かった。
幾ら、《式札》で致命傷を回避出来たとはいえ、今の状態で《破壊》を受ければ、術による破壊行為自体は多少和らげられたとしても、最悪、衝撃と壁との挟み撃ちで圧迫され、どの道、身体を粉々に砕かれて終わりだ。
リンネは全身を駆け巡る痛みを堪えながら、何か策はないか、と打開策を考える。
しかし、TODⅢは決してその隙を与えようとはしない。
標的を確実に仕留めるため、《破壊》の術を帯びた驚異的な右腕の猛攻が容赦なくリンネに襲い掛かった。
TODⅢの右腕が眼前に迫る瞬間、リンネは思考を諦めるしかなく、咄嗟に片翼で壁を弾き、その反動で身体の軸をずらすことでギリギリ直撃を回避するが――――
「……くっ! がぁっ……!」
これも単なる付け焼刃。
リンネの身体は横薙ぎに払われたかのように、《破壊》の衝撃によって弾き飛ばされてしまう。
また、壁が大きく抉れて粉砕されたことによって《破砕鉄槌》程ではないにしろ、一緒に飛び散った破片がリンネを襲い、身体を切り裂いた。
虚空に投げ出されたリンネは至近距離で受けた衝撃と蓄積したダメージで上手く片翼を操ることが出来ず、そのまま地面に身体を打ち付ける。
二度に渡り、なんとか致命傷を回避することには成功したが、着実にこちらの体力は奪われつつある。
ジリ貧になるのは、もう時間の問題だ。
リンネは負傷した身体の痛みを抱え、息を乱しながらも敵を見据えて、何か打開策はないかと必死に思考を巡らせる。
――――考えろ!
――――考えろ!
――――考えろ!
こうしている間にも、敵は態勢を整えて確実に迫ってきている。
限られた僅かな時間のなかで逡巡するリンネの額には焦燥感からか微かに汗が滲んでいた。
「今度こそ――――終わりです」
TODⅢは冷徹なまでの無表情を浮かべ、淡々とした口調でそう言葉を漏らすと、人工翼の加速力でリンネとの間合いを一気に詰める。
そして、《破壊》の力を帯びた右腕は地面に伏せるリンネに勢いよく突き出された。
絶望的状況――――もはや、リンネにこの状況を打破するための時間は残されていない。
――――もう、ダメ。
TODⅢの右腕が眼前まで差し迫ったところでリンネはぎゅっと目を瞑り、覚悟を決める。
――――時雨、ごめんなさい。
――――また、約束守れなかった。
リンネが最後に胸中で時雨の顔を思い浮かべ、そんなことを囁いていた――――次の瞬間。
「――まだ、諦めんじゃねぇ!」
「――っ!?」
「焔刀重ノ相! 咲き散らせ、《焔上蓮華・焔桜》!」
突如、地下の研究施設内に大きく響き渡る叫び声に、リンネは思わず目を見開く。
すると、何が起こったのか、眼前にまで迫っていたはずのTODⅢの右腕の存在はなく、代わりに膨大な熱量を帯びた無数の焔桜たちが地面から噴き出すように舞い上がっていた。
直後――TODⅢの《破壊》の効果を受けて、リンネの身代わりとなった焔桜たちは無残に散っていく。
物質に触れたことにより効果を発動した《破壊》を帯びた右腕は一時的
に効力を失い、敵に僅かな隙が生まれる。
――――活路が、見えた。
リンネは咄嗟に思考を巡らせると、透かさず袖口から式札を取り出し、その隙を的確に突いた。
「《式札―閃光の裁き―》!」
意表を突かれたTODⅢはリンネの攻撃を真面に受け、直線状に放出された光に飲み込まれながら後方の壁まで勢いよく吹き飛ばされると、身体を強く打ち付けた。
「――か、はっ」
「……はぁ、はぁ……助かった」
間一髪のところで、なんとか反撃することが出来たリンネは息を切らしながらも、ひとまず窮地を間逃れたことに胸をそっと撫で下ろす。
そして、リンネが呼吸を整えて視線をそっと横に移すと、そこには――――
「随分と待たせちまったな……もう、大丈夫だ。リンネは――――必ず俺が守る!」
《焔刀―ヒノカグツチ―》を構えながら、力強く佇む天枷時雨の姿があった。




