第五章「異端の天使」 7
敵本拠地の地下研究施設。
照明も碌に備わっていない薄暗い空間には、どっしりとした重厚感のある研究機材が無数に並べられていた。
また、研究機材のそれぞれから夥しい筒型状の接続菅が伸び、床には欠陥品として廃棄された実験物の塊が乱雑に放置されている。
外部から完全に遮断された地下施設ということもあり、換気用の小窓すら一切なく、重なる研究機材の発熱によって地下内部の温度はとても蒸し暑く感じられた。
それでも、研究機材の熱によるオーバーヒートを防ぐため、お得意の《科技術》で何やら機材に細工を施しているようではあるが、長らく換気されていない地下の空気はどこか埃っぽく、機械特有の鉄臭さも後押しして酷く濁っていた。
研究施設内の壁面に置かれた書棚や作業場らしき机の上には、天使に纏わる参考資料や書籍、他の研究機関が調査したであろう『極秘』の朱印が押された研究記録の紙束がこれまた無造作に放られている。
これら数多の機材や研究データから鑑みても、霧雨奏夜が如何に執念深い人物であるかが窺える――――まさにこの研究施設は『天使を人工的に創り出す』という霧雨奏夜の野望を実現させるためだけに存在する最大の天使実験施設であることは間違いなかった。
――――そんな危険な場所に『天使』である少女がたった一人、足を踏み入れた。
「ようこそ、我らが愛しの天使様ァ」
霧雨奏夜は念願の『天使』という存在が自身の誇る研究施設に赴いたという事実に興奮を隠しきれない様子で、口端を吊り上げながら不敵な笑みを浮かべた。
その傍らには大層な装甲を身に纏った無表情な少女――――TODⅢの姿もある。
奏夜の《科技術》の賜物なのか、魔術街での襲撃時に受けた椎名による外傷もすっかり完治しているようで、破損した装甲に関しても元通りに修繕が為されている。
まさに戦闘態勢は万全といったところだろうか……。
TODⅢは無表情を浮かべたまま、装甲の動力部に自身の核力を注ぎ込み、腰を軽く落として戦闘の構えを取る。
薄気味悪い敵地に一人。霧雨奏夜の力量は魔術街襲来時にリンネ自身も酷く痛感している。もちろん、親玉である奏夜に細心の注意を払うべきだが、彼の隣で構える彼女の力量はまるで未知数だ。なんせ、リンネは彼女の所有している《術》を知らない。
奏夜たちが魔術街から撤退した際、魔術街内部に駆け付けた騎士団員から聞いた話によれば、時雨が奏夜と交戦中の間、門前にて外部からの増援を阻止するため、騎士団員たちと交戦した仲間の少女がいた、とのことだったが……。気は抜けない。
ただでさえ、二対一という戦力差があるのだから猶の事だ。
リンネは張り詰めた表情を浮かべながら額に汗を滲ませると、敵の微細な動きにも反応できるよう全神経を研ぎ澄まして、硬く閉じていた口を開く。
「ご要望通り、私一人だけで来ましたよ。用件は……聞くまでもないですかね」
「ヒヒヒッ、長い間、この瞬間を待ち侘びていた。世界の守護者たる『天使』という未知の存在。近からずも遠からず、世界の発展と安寧を願いながらも決して人類と交わることのなかった平行線上の世界に生きる者……それがこうして、会い見えようとは……! 研究者としてこれほどに幸福なことはない」
「私は出来れば、貴方のような薄汚れた心を持った者に干渉したくはありませんでした」
興奮気味に鼻息を荒くしながら饒舌に語り始める奏夜は、眼前で警戒心を露にしている『天使』を余所に狂い舐めるような視線で見詰めて、更に話を続ける。
「言うネェ。だが、『天使』と呼ばれる崇高なる存在はこの世に二人もいらない。ならば、その采配をどうするべきか……オレは悩むに悩んで、悩み抜いた。そして、そこから導き出されたオレの解答は至ってシンプルかつ明瞭なものだった。我が《科技術》によって創り出された《人工天使》と本当に実在した《起源なる天使》、果たしてそのどちらがこの世界の発展と未来を正しい道へと導くに足る存在であるのか――――《実験》と《検証》をしてみれば良いのだとネェ。それにはまず双方の《天使》を衝突させ、互いの実力を測るのが手っ取り早い。より強力な《術》を持つ方が相手を屈服させ、地にねじ伏せることが出来る――――それ即ち、世界の守護を司る究極の《天使》たる存在にふさわしい! よって、今宵、この時、この場所で、雌雄を決しようではないか――――なぁ、《起源なる天使》サマァアアアア!」
「――――ッ!?」
霧雨奏夜の甲高い叫び声が合図となり、傍らで待機していたTODⅢが透かさず地を蹴り、リンネとの間合いを詰めるように勢いよく駆け出していく。
まるで、先手必勝と言わんばかりに攻めの姿勢で突進を仕掛けるTODⅢは背中に備えられた《人工翼》をはばたかせて加速し一気に間合いを詰めると、その厚い装甲に覆われた右腕をリンネへと強引に突き出した。
そして、感情が平坦な彼女はあらゆる生命を一瞬のうちに奪うことの出来てしまう圧倒的なまでの《術》を躊躇なく行使し、詠唱して見せた。
「――――《破壊》」




