第四章「天使創造計画」 2
『こ~けつに~い~らずんば、こ~じをえず~♪』
「あ、ちょっとすみません」
少女がヨダレ猫のストラップを大事そうに両手で握り占めていると、少女の耳元に備え付けられたインカムから突如不気味な着信音が鳴り響く。
その曲調は例えるならば、年配で渋い声のお坊さんが木魚を叩きながら、ゆっくりとお経を読んでいるような感じだ。
少女はストラップを片手に持ち替えると、逆側の手でインカムを操作し着信の連絡を取った。
ヨダレ猫のようなシュールなキャラクターに強烈な好意を抱いたのもそうだが、少女の許容するストライクゾーンがいまいち掴めない……。
連絡相手との会話の中で二度三度頷くような素振りを見せると、少女は早々に通話を切った。
「すみません。不躾で大変申し訳ないのですが、急用ができてしまったようなので、私はこれにて失礼させて頂きます」
「そうか。じゃあ、仕方ないな。何の用事かは分からないけど、気をつけてな」
「はい。ご心配頂いてありがとうございます。貴方にもどうか……『天使からの祝福』があらんことを祈ります」
少女は最後にそう言い残してから丁寧に頭を下げると、ヨダレ猫のストラップを懐にしまい、そそくさとその場を去っていった。
「天使からの祝福か……。まさにその天使様にこの髪飾りをプレゼントする予定なんだけどな。リンネ、喜んでくれるかな」
時雨はプレゼントを受け取って明るい笑顔を浮かべるリンネの姿を想像し、胸に込み上げる気持ちを高ぶらせた。
(協力してくれたエレナにもお礼に何か買ってかないと、だな)
時雨はエレナへのプレゼントを物色し選び終えると、手に持った二つの商品をレジに並べて会計を済ませる。
折角なので、店員さんにプレゼント用として丁寧に包装してもらい、商品を受け取った時雨は制服裏のポケットに折り目をつけないよう大切にしまって、逸る気持ちを抑えながらその場を後にした。
◇
魔術街の南門入口前。
時刻は午後六時を迎え、まさに夕暮れ時という頃。
辺りは夕日の淡い光が差し込むどころか、突如発生した白く濃い霧に酷く覆われていた。
霧の濃度があまりにも高いためか、門前から中の様子を窺い知ることもできない。
この異常事態の報告を受け、騎士団員たちを引き連れて門前に駆けつけた《魔弾騎士団隊長》三日月椎名は現場の状況を把握するなり、渋面を浮かべていた。
霧が発生しているのは、あくまで魔術街の内部のみ。
門から外の領域は僅かに霧が漏れ出しているという程で、視界にも大した影響はない。
東西南北の各入口に配備させている騎士団員からの報告からも、門外での状況はここと変わりないとのことだった。
椎名は門の前まで移動すると、両側の太股に巻きつけたホルスターから二丁の魔装拳銃を取り出し、自らの核力を用いて風属性の《魔弾》を形成および装填する。
そして、銃口を門の向こう側に向けると、両手の人差し指でそれぞれの引き金をゆっくりと引き、魔弾を放った。
「《魔弾装填-風弾-》魔を払う旋風は破魔矢の如し《破魔絶風》射出!」
放たれた魔弾は強力な旋風を巻き起こし、周囲の濃い霧を問答無用で払い退ける。
しかし、開けた視界に人影はまったく見当たらず、無限に発生し続ける濃い霧は魔弾で払ったその領域を再び飲み込んだ。
「ふむ。やはり、人の気配を感じられないか……と、なれば、この結界は特定の人物を隔離するために張られた可能性が高いか」
「椎名騎士団長、どうしますか?」
騎士団員の一人が緊迫した様子で椎名に指示を仰ぐ。
椎名は自分の騎士団員たちに視線を向け、彼らの気を引き締めた表情を確認すると、胸ポケットに取り付けた通信端末に向かって各門の前で待機する他の騎士団員にも聞こえるように声を張り上げた。
「よし! 騎士団員全員に通達、これより四方の門からそれぞれの隊を率いて内部への侵入を試みる。総員は直ちに突撃準備に取り掛かってくれ!」
「「「了解!」」」
椎名の指示に全騎士団員は志気を高め、声を揃えて力強い返事で答る。
今から戦地へ踏み込もうというのに、その活力に満ち溢れた声を耳にした椎名は『実に心強い仲間たちだ』と、胸中で呟き、ふと笑みを零した。
隊列の先頭に立つ椎名が手に握り占めた魔装銃を一層強く握り直し、騎士団の仲間を引き連れて南門を潜ろうとした――――その時だった。
突然、椎名の通信端末から他の騎士団員たちの悲鳴が上がる。
悲鳴と共に聞こえてきたのは、何かが勢いよく弾けたような大きな破砕音と地面を抉り取るような強い轟音だ。
「おい、どうした!? 応答しろ!」
早急に騎士団員たちの安否や状況を把握するため、椎名は連絡端末に懸命に話掛けるが、誰一人として応答がない。
騎士団員が全滅してしまったのか、回線が繋がりにくくなっているのか、いずれにせよ定かではないが、通信端末からは五月蠅いノイズのような雑音だけが流れている。
「……くっ!」
状況の掴めないまま椎名が額に汗を滲ませると、今度はこちらの騎士団員たちから狼狽した声が次々と上がった。
椎名が後ろを振り返ると、騎士団員たちは揃って頭上を見上げていた。
中には、驚きのあまり口を開けたまま硬直する者、腰を抜かして地面に尻もちをつく者もいる。
椎名もゆっくりと視線を頭上に向けると、そこには――――先程までにはなかったはずの巨大な鉄塊がどこからともなく出現していた。
先端は刃物のように鋭く尖っていて、質量は家屋をそのまま押し潰してしまえそうな程に大きい。
まるで下矢印を彷彿とさせる形状のその鉄塊は、何かに鳴動するように大きく左右に揺れると、浮力を喪失し、重力に従うまま勢いよく落下を始めた。
椎名はそれと同時――――即座に魔装銃の銃口を鉄塊に合わせて、それぞれに異なる属性の魔弾を急速に生成し、装填と射出をほぼノータイムで実行させる。
「《魔弾装填-炎弾-》全てを焼き尽くす煉獄の魔弾、《魔弾装填-風弾-》吹き荒れる突風は防塵の魔弾、《煉獄焼却》《竜巻風弾》双銃射出!」
銃口から発射された二つの魔弾のうち、まず初めに鉄塊に着弾したのは緋色の魔弾。
膨大な熱量を内包した炎弾は雲散すると、そこから勢いよく猛炎を発生させて巨大な鉄塊をそのまま包み込んでいく。
そして、もう一つの翡翠色の魔弾――――風弾が騎士団員たちの頭上を守護するように風の防壁を築くと、そこから渦巻く空気を巻き込んだ猛炎が膨張を始め、轟音と共に大爆発を起こした。
爆炎を上げる程の衝撃に大地が大きく振動するも、風の防壁が爆炎による熱や砕け散った鉄塊を見事に相殺したことにより、騎士団員たちは全員無事だ。
咄嗟の判断ではあったものの、自分の得意とする《高速術式処理》がなんとか間に合ったことに椎名はひとまず安堵の息を洩らす。
「取り敢えず……間一髪、と言ったところだな。これほどまでの術が使えるとは、相手は相当の手練れだと考えられる。おそらく通信が途絶えた騎士団らも同様の襲撃を受けたに違いないのだろうな」
椎名は通信端末から聞こえてきた他の騎士団員たちの悲鳴を思い出し、彼らは果たして無事だろうか、と胸を痛める思いで自分に問い掛ける。
同じ正義を心に持ち、どんな時でも苦楽を共にして鍛錬を積んできた騎士団の仲間たち。
その存在は例え一人であろうとも、欠けてしまって良いものではない。
『すぐにでも救護班を連れて現地に駆け付けてやりたい』そんな気持ちが椎名の心中で膨れ上がりそうになる。
しかし、椎名は魔弾騎士団の団長としてこの場を退く訳にいかないのだ。
救護ならば、自分が引き連れてきた南門部隊の騎士団員たちに任せれば心配ないだろう。
だから、騎士団長として椎名が本当に仲間のためを思うのならば――――まずは、目の前の敵を討たねばならない!
椎名は今から獲物でも狩るような鋭い視線を南門の上部に向けると、魔装銃を硬く握りしめた。
「いつまで高みの見物をしているつもりだ? 早急に姿を表せ、標的」
「さすがは魔弾騎士団長、三日月椎名様。術式発動後の微かな核力の残滓から私の居場所を特定するとは、大したものです」
高度な結界から無限に漏れ出す霧が比較的濃く、先程の爆発の勢いですら払えない霧が漂っていた南門上部。
そこに腰を下ろし、子どものように脚をぶらつかせていた少女は、椎名の人間離れした五感能力に淡々とした口調で賞賛の言葉を返した。
椎名が剣幕な態度で睨みを利かせていることに別段畏怖した様子もない少女は、椎名の言う通り素直に南門から飛び降りて片足で軽々と地面に着地してみせると、濃い霧の中から静かにその姿を露わにした。
「ほう。また奇妙な格好をしたやつだな。言っておくが、私は相手が子どもであっても容赦などする気はないのでな。一応、狩る相手の名前と出身区くらいは聞いておいてやるぞ」
椎名は相手を威圧するように魔装銃の銃口を少女に向けながら言葉を投げかける。
すると、無表情を浮かべたままの少女は今度も椎名の言う通り、自分についての情報を簡単に口にするのだった。
「はい。科技術特区より、天使創造計画第三型人工機構、名をTODⅢと申します。どうぞ、お見知りおきを」




