第四章「天使創造計画」 1
第四章「天使創造計画」
魔術街の至るところに設置されてある自動販売機。
時雨は、先程リンネたちと歩いた魔術街の南通りを戻ると、適当な場所を見つけて炭酸飲料を購入し、それを一気に勢いよく飲み干した。
「ごくごく、ごくごく。ぷっはぁ……い、生き返ったぁ。まったく……エレナのやつ、本当にあのゲテモノを食わせるとは、話に聞いてないぞ……」
時雨はまだ若干ながら口の中に残る酷い味に顔を顰めて呟く。
(……まぁ、でも、手段については何も言及しなかった俺にも一応非はあるか……)
それは遡ること三十分程前――――手堅い商品からユニークな商品まで数多くの雑貨や装飾品を取り扱っていた露店を出て、魔術街中央の噴水広場を目指し歩いていた時だ。
時雨はとある事案による悩みを抱えていた。
白い片翼の髪飾り。
それは、天使であるリンネのために造られたのではないだろうか、と大袈裟に豪語しても許されるような代物だった。
また、店内で照れるように躊躇しながらも、その髪飾りを試しに身に着けた時のリンネの可愛らしい姿は時雨の脳裏にしっかりと焼き付いている。
髪飾り一つでこれほどまでに違って見えるものかと、時雨も内心では驚きを隠せなかったが、同時に『この髪飾りをプレゼントしたら、リンネは喜んでくれるだろうか』と、ふとそんなことを思った。
(ただ……二万セインもするんだよなぁ……)
二万セインもあれば、上級鍛冶師が丹精込めて錬成した魔装具だって買えてしまう。
決して予算がないこともないのだが、価格が価格なだけに慎重な判断が必要だ。
(でも、リンネの喜ぶ顔は見たいし、あの髪飾りを着けた姿ももう一度見てみたいしなぁ、う~ん……)
時雨は腕を組み、眉間に皺を寄せながら、心の中で葛藤を繰り返す。
すると、その様子を隣で眺めていたエレナは何を悟ったのか時雨の肩をそっと叩いた。
「ねぇ、シグレ。リンネへのプレゼント、本当にあの髪飾りでなくていいの? 折角、リンネに似合っていて可愛かったのに」
「う~ん……そうなんだよな。正直、見惚れるくらいに可愛かったし、リンネも遠慮してたけど、あの髪飾りを気に入ってるみたいだったから、贈り物としては申し分ないんだけど、値段もそれなりだからな……少し考え込んじゃって」
「まぁ、たしかにちょっと高いよね……。そう簡単に決められる額ではないのはたしかかも……。でも、なんとなくだけど、ワタシはシグレがもうホントは自分の中で答えを出してる気がするんだけどな~。ワタシの時もそうだったように、そう難しく考える必要はないんじゃない?」
エレナは昔のことを思い出しながら、優しげに笑って時雨の背中を押す。
「そうだな。『後悔はしないように』しないといけないよな。よし、決めた。リンネへの贈り物はあの白い片翼の髪飾りにしよう。でも、どうするか。一応、サプライズってことにしたいし、今店に引き返すってのも返って不自然な気がするな」
「にゅふふ~♪ そこはこのエレナさんにお任せあれ、だよ!」
「おお! さすがエレナだな、何か秘策でもあるのか?」
「ふっふっふ~、それは内緒♪ 噴水中央広場に着いてからのお楽しみ! まぁ、大船に乗った気で任せてくれればいいから、シグレはいつも通りに、ね?」
あの時は俄然やる気満々のエレナに頼もしさを感じて任せっきりだったが、冷静に考えてみれば、彼女が『大船に乗った気で』って言葉を使う時は、大概『泥船』の間違いだったような気がする……。
でも、こうして違和感なくあの場を一度離れることもできたし、気持ちを後押ししてくれたエレナには感謝しなくてはならない。
(……一応、あいつが喜びそうな髪飾りも見繕ってみるかな)
時雨はそう胸中で呟くと、サプライズに驚く二人の顔を想像して胸を弾ませながら再び目的の露店を目指した。
◇
雑貨用品を主軸に幅広い商品を取り扱う店舗『フェリシダ・アーチェ』。
先程、リンネたちを連れて訪れた白い片翼の髪飾りが売られていたお店だ。
「は~い、いらっしゃいませ~」
時雨が店内に足を踏み入れると、店員は軽く会釈をしてにこやか笑顔を浮かべる。
時雨は店員に適当に頭を下げてから店内をぐるりと回ると、目的の髪飾りが置いてある棚の前まで移動した。
「よし、まだあった!」
時雨が声を上げ、髪飾りに手を伸ばそうとしたその時――――
「「あ……」」
時雨の指先になにやらひんやりとした冷たい感覚が伝わる。
右隣に視線を移すと、そこには重厚そうな鎧や籠手を身に纏った銀髪の少女が無表情を浮かべて、同様に視線をこちらに向けていた。
「わ、わるいっ!」
「いえ、私の方こそ注意を怠っていました。申し訳ございません」
時雨は自分の指先が彼女の手に接触していたことを理解すると、慌てた様子で咄嗟に伸ばした手を引っ込める。
対して、銀髪の少女は別段気にもしていない様子で、ぺこりと丁寧に頭を下げると、無表情を浮かべたまま淡々とした口調で言った。
(遠方から来た騎士団の人……かな? 少なくとも、うちの学院の騎士団では見掛けない顔だけど……)
時雨は彼女の背格好に見合わない武装を見て何気ない疑問を抱く。
リンネも少し小柄な方ではあるが、それよりも小さな体型に相対して頭部から足先まで至る箇所に装備が施されている。また、どういう構造になっているのか、それぞれの身体の部位を繋ぐ細い管のようなものまで見受けられた。
これだけの質量を支えるのは、並大抵の人間では不可能だろう。ましてや、こんな小さな子どもが軽々と身に着けられる代物ではないことは、容易に理解できる。
仮にどこかの騎士団に所属している子どもだとしても、それ相応の筋力を持つか、それを担うことのできるだけの強力な術を有しているに違いない。
出来れば、穏便に交渉を済ませて目的の品を譲ってもらいたいところだが……。
時雨が軽く息を飲み、会話を切り出そうとした、その時――――少女の方から先に言葉が発せられた。
「あの、もしかしてその髪飾りをお買い求めになる予定でしたか?」
「えっ!?……あ、あぁ、そうだけど、もしかして君もこの髪飾りを?」
時雨は恐る恐る質問を返すと、彼女の様子をそっと窺う。
すると、少女は無表情を浮かべたまま、『何をそんなに身構えているの?』と、言うようにきょとんと首を傾げた。
「いえ、私はただ、この可愛らしい髪飾りを手に取って眺めてみようかと、思い至っただけです。実際、金銭の類も持ち合わせていませんし、宜しければお譲りします」
「おお、ほんとに良いのか!? ありがとな! じゃあ、お言葉に甘えて……」
そう言って、時雨が髪飾りにそっと手を伸ばすと――――
「じー」
少女は時雨の手が伸びた先にじっと強い視線を向ける。
さすがの時雨もなんとなく気配でそれを感じ取ると、少女の方を振り返り、困ったようにぽりぽりと頭を掻いた。
「えっと……」
「じー」
「やっぱり、未練とかあったりしない?」
「いえ、決してそんなことはありません」
「じゃあ、なんでそんな物欲しそうな視線で見ているのかな……?」
「別に見てなんかいません。私の向ける視線の先に偶然可愛いものがあるだけです。ただ、それだけです」
「参ったなぁ……」
時雨は、依然として伸ばした右手の先から視線を外そうとしない少女に頭を悩ませる。
おそらく、金銭の類を所持していないというのは、彼女も言っていた通り本当のことなのだろう。
しかし、彼女は可愛いものに対する執着心が強く、割と頑固な性格のようだ……。
(……なにか、この状況を打開するための手段はないものか)
時雨は頭を捻るように逡巡すると、何気なくポケットの中に左手を突っ込んだ。
すると、ふと指先に何か柔らかい物が触れたような感覚が伝わる。
(これは……そうだ! もしかしたら……)
時雨は『活路を見出せるかもしれない』と、一縷の希望に望みを託して、それを手の中に強く握りしめると、少女に改めて声を掛けた。
「あのさ、代わりといってはなんなんだけど、これ、どうかな?」
「ん?」
時雨は『なんだろう』と首をきょとんと傾げる少女に掌を開くよう指示を促すと、その上にそっと小さな人形のストラップを乗せてあげる。
そう、それはリンネのために狐の人形を取ってあげるべく時雨が四苦八苦した結果、たまたま入手するに至った景品――――『涎』がトレードマークの『ヨダレ猫』さんだ。
正直なところ、贔屓目に見てもあまり大して可愛くないのは事実上の問題として仕方がない。あのゲテモノ好きなエレナですら、受取拒否した程の代物だ。望み薄なのは百も承知だが、一か八か掛けてみるしかない。
「………」
(……やっぱり無理があったか?)
少女は掌の上に乗せられた『ヨダレ猫』を変化の薄い瞳でじっと見詰めている。
時雨もさすがに、これは浅薄な作戦が過ぎたか、と思ったその時だった――――少女は唐突に何かを言いたそうにわなわなと肩を震わせ、ゆっくりとその重たい口を開く。
「……か……い」
「ん?」
「すごく……可愛い、です!」
「え、マジで!?」
少女は表情こそ崩さないものの、自分の掌にちょこんと収まったヨダレ猫のストラップに興奮が隠せなかったのか、語尾に異様な力が入る。
時雨も彼女の予想外の反応に驚いて、普段使い慣れない言葉を思わず叫んでしまった。
あのエレナですら受け付けなかった、ヨダレ猫……。
彼女にはどうも、時雨たちが理解できなかった製作者の魅力が伝わったらしい。
ヨダレ猫のストラップを反対の手の指先で遊ぶようにつんつんと突っついたり、顔に近づけて頬ずりをしている姿は、まさに普通の女の子そのものだった。
「あの。これ、本当に頂いてしまっても宜しいのでしょうか?」
「あぁ、良いよ。髪飾りを譲ってくれた細やかな御礼として、気にせず受け取ってくれ」
「ありがとうございます。これ、大切にさせてもらいますね」
少女は、そう言うと丁寧に頭を下げて時雨にお礼の言葉を告げる。
そして、次に顔を上げた時、気のせいだろうか――――時雨には、さっきまで無表情だったはずの彼女がほんの少しだけ笑ったように見えた。




