第三章「魔術街」 2
学院塔内の案内を終えた午後四時頃。
時雨を含めたエレナ、リンネの三人は、アルデュイナ魔術学院の保有する魔術街への入り口付近、南門前まで足を運んでいた。
魔術街では相変わらず多くの人たちが行き交っており、玩具屋で子どもにオモチャを強請られている子ども連れの親子に茶屋でのんびり寛いでいる老夫婦、友人同士で他愛もない会話をしながら目新しいものを物色している集団など、人により目的は様々だが、皆がそれぞれに楽しそうで、とても活気に包まれていた。
街を訪れるのは初めてというリンネはそんな眼前に広がる光景を興味深そうに眺めて、視線をあちらこちらと慌ただしく動かしていた。
「わぁ、すごいですね! これが魔術街ですか! 時雨の言っていた通りいろんなお店が立ち並んでいて、人でいっぱいですね。それに、なんだかいい香りが漂ってきます! 早く行きましょう、時雨!」
いつものどこか御淑やかな雰囲気とは打って変わって、好奇心旺盛で落ち着きのないリンネ。
初めてのことに気持ちが高ぶっているのだろう。
純粋無垢なその笑顔はとても愛嬌があって、さすがに天使だと言えるかもしれない。
彼女のまた違った一面が見れて少し得した気分になると、時雨たちは露店の続く道をとりあえず歩き始めた。
時雨も魔術街を訪れるのは久しぶりで、こうして眺めていると見慣れない露店や改装して様変わりした露店なんかが転々としていることに気が付く。
さすが、魔術特区随一の魔術街だ。
店を構えるだけでも相当競争率が高いこともあってか、どの店も試行錯誤を繰り返しているのが窺える。
しばらくすると、先頭を歩いていたリンネが立ち止まり、古風な外観をした店の一つに興味深そうに指を差した。
「時雨、このおも……ち、というのは何なのですか?」
商品が陳列されているガラス製のケースの中を不思議そうに眺めるリンネ。
「そうだな。簡単に言えばおやつみたいなものだけど、食感がもちもちっとしていて、よく伸びたりするんだ。物によってはその中にしっとりと甘い餡子が入っていたりして結構旨いぞ」
「もちもち。伸びる。甘い餡子しっとり旨い。ごくり」
「まぁ、そうだな。食べてみた方がわかりやすいか。店主、ここの白大福を三つ頼む」
「あいよ。白大福を三つだな。そこの見かけない可愛いお嬢ちゃんのためにサービスしとくぜ」
「すみません。ありがとうございます」
「いやいや、いいってことよ。エレナちゃんの分もしっかりサービスしとくからな」
「ありがとうね、おじさん! よっ、イケメン! さすが魔術街の顔!」
「いやぁ、そんなに持ち上げるなって。気分がいいから更にサービスしちゃうぜ!」
以前からよく面識のある気前の良い店主の計らいで、三つの白大福に人数分のサービスとして三つのみたらし団子を頂けることになった。
時雨は人数分の代金を支払って商品を受け取ると、店の奥に設置された飲食スペースであるお座敷に腰を下ろした。
続いてリンネとエレナの二人が時雨を挟むようにして両側に腰を下ろすと、時雨は受け取った袋から白大福とみたらし団子が詰まったパックをそれぞれ取り出して、二人に配った。
リンネは早速パックを開けて白い紙に包まれた白大福を手に取ると、じっくりと観察するように様々な角度から眺め始める。
「あはは。リンネ、大福はどう眺めても大福だよ。思い切ってこうがぶっと、いっちゃいなよ」
エレナは正確なお手本を見せるかのように豪快に白大福にかぶりつく。
「う~ん! 美味しい!」
足をばたつかせながら歓喜し叫ぶエレナ。
リンネもその姿を視界に収めるなり、ごくりと喉を鳴らして自分の手に持った白大福を恐る恐る口元に近づけて勢いよくかぶりついた。
「はっ! このもちもちとした弾力、そして優しく口の中に広がる餡子の甘味! これはもはや革命ですか! ほっぺたが落ちそうな程美味しいです」
あまりの衝撃に感嘆の声を上げると、ものすごい勢いで食べかけの白大福に二口、三口とがぶり喰らいつくリンネ。
想像以上にびよ~んと伸びるお餅の弾力性に驚く姿はなんとも和む光景だ。
「そうか。なら、良かった」
時雨は二人の幸せそうな様子を眺めてから、自分の分の白大福を口へと運ぶ。
リンネの手中には早くもみたらし団子が握られ、これまた嬉しそうに口に含んでは頬に手を当てて蕩けた様な表情を浮かべていた。
店主であるおじさんもひょっこり顔を覗かして、二人の盛況ぶりにご満悦のようである。
時雨も少し遅れて白大福に続いてみたらし団子を美味しく堪能すると、全員が食べ終わったのを一応確認してから席を立ち人数分の空パックを指定のゴミ箱へと放り入れた。
「よし。じゃあ、そろそろ次行くか」
時雨の呼び掛けに満足気な様子なエレナ、リンネの二人は首を縦に振り、時雨たちはおじさんに軽く挨拶をしてから再び街道を歩き始めた。
大安売りを掲げた古着屋に掘り出し物の骨董屋、少し怪しげな雰囲気を醸し出している手相占いの店などを通り過ぎて、好奇心旺盛なリンネはどの店に対しても慌ただしくきょろきょろと視線を動かして興味を示している。
一方、エレナは髪留めやシュシュなどのワンポイントアクセを多く取り扱っている雑貨店を重点的にチェックしているようで、気になった商品が目に留まると猫のような素早い動きで店に駆け寄って行っては、すぐさま戻ってきてという動作を繰り返していた。
「エレナ、気になるのがあるんならもう少しゆっくり見たっていいんだぞ? 俺たちも付き合うからさ」
「大丈夫だよ、シグレ! その心遣いだけでもアタシは嬉しいよ。今はただあんまり持ち合わせもないから下見程度で問題ナッシング!」
「そうか、ならいいんだけどな。リンネも気になる店があったら遠慮せず言ってくれよ」
「ありがとうございます、時雨」
先頭を歩いていたリンネは顔だけこちらに振り向かせると、空色の長髪を風にふわりと揺らして可愛らしく微笑んだ。
その時。丁度視界に気になる物を見つけたのか、リンネは店前に設置されたガラス張りの大きな機械台に接近すると、不思議そうにそれを眺めた。
「時雨、この箱のような機械は何なのですか? よもや売り物だったりするんでしょうか?」
リンネは四角形の上部だけがガラスで覆われた密閉空間の中、寝転んだ状態で置かれた数多くの人形たちを指差して言う。
「これは《核式起動型娯楽捕獲機》(メトロキャプチャ)と言って、この機械の核に対して術者が自身の核力を注ぎ込むことで操作し遊ぶことができる娯楽のために造られた装置だ。魔術特区では、《マジックキャプチャ》の呼称で親しまれているな。このアームを器用に操作して景品を手前にある穴に上手く落とせればその景品を手に入れられるってシステムだな」
「時雨はこういうの得意だったりするんですか?」
「まぁ、そこまで経験はないけどそれなりにはできる方だと思うぞ。なんなら少しやって見せようか?」
「ぜひお願いしますっ!」
リンネが楽しそうにそう答えると、時雨は財布から一枚の硬貨を取り出して投入口に入れる。
リンネに予めこの中でほしいものはないかを尋ねると、意外と悩む様子もなく首に赤色の勾玉のネックレスが縫い付けられ背中と頬には勾玉模様の刺繍が施された吊り目が何とも愛らしい狐の人形が良いとのことだった。
時雨はガラスの向こう側人形たちの山を覗いて最も穴に近かった狐の人形を標的として絞り込む。
それから右手にある機械の核に核力を少しずつ注ぎ込んでアームが点灯し起動したのを確認すると、左手にある十字型の操作盤に手を翳して慎重な操作を心掛けた。
「いつになくシグレが真剣な表情だよ」
「エレナ、このマジックキャプチャというのはそんなに難しいものなんですか?」
「う~ん。ワタシは基本的にこういうのは見てる方が好きだからあんまりやったことないけど、結構神経を使う作業だから一回目で景品を獲得できる人は稀な方かな」
「では、さすがに上手い方の時雨でも苦戦を強いられそうですね」
「ところがどっこいだよ! 大丈夫! きっとシグレは一発でカッコ良く決めてくれるはずだから期待して待っていようよ! できる方なんて謙遜してはいたけど、シグレは神をも黙らせるゴッドハンドの持ち主、こんなの赤子の手を捻るよりも容易いことだ、の決め台詞で有名な巷では知る人はいない達人級プレイヤーなんだから!」
「時雨、実は有名人だったんですね。わかりました。そこまでの達人なら何も心配することはありません。期待に期待を重ねた状態で見守ることにします」
(……なんか知らんが、物凄い嘘と共に妙なプレッシャーを掛けられている気がする)
増々失敗は許されないといった局面に時雨の両手に思わず力が入る。
操作制限時間を気に掛けつつ、時雨は絶妙な落下ポイントに照準を合わせようと側面からも座標の確認を取りながらゆっくりと操作盤でアームの位置を調整していく。
リンネとエレナもこの緊迫した空気を悟ってなのか、はたまた本当に期待に期待を重ねてなのか、時雨の後ろで静かにその様子を窺っていた。
「よし。これでどうだ!」
時雨はアームの落下時の向きを考慮して位置を微調整した後、左手を十字架の中心へと動かし核力を注ぎ込む。
アームは降下を始めたらもうこちら側では操作できない仕組みになっている。
おそらく降下する際に生じる多少のアームのずれが運命を分ける結果となるだろう。
時雨はもちろんのことリンネやエレナも緩やかに高度を下げて獲物に迫っていくアームの行く末に固唾を飲んで見守った。
両方の腕の間隔は問題なく獲物を捕らえることのできる状態だ。
このまま何事もなければ一発獲得の可能性も見えてくる。
(もらった!)
時雨がそう確信したのも束の間――――
グサッ!
……………………。
「え?」
寸前のところでアームは軌道を逸らして傾き、狐の人形の首元を正確に突き刺していた。
「シグレ、いくら日頃女の子扱いされていた鬱憤を晴らしたかったとはいえ、人形相手にそういう仕打ちはないんじゃないかな?」
「狐が……コンちゃんが可愛そうです」
「いやいや、違うんだって! やれるだけの対応を取った結果がたまたまこういう形になってしまっただけで、決して意図的に実行した訳じゃないからな! と、いうかいつの間にかコンちゃんなんて呼称まで付けられてる!?」
「時雨、人形相手なら何をしても良いという問題ではないんですよ」
「いやだから話を聞いてくれよ! そもそもなんで俺が人形相手に憂さ晴らしするような最低な人間みたいになってんだよ! 俺はそんな人間じゃない!」
「可愛そうなコンちゃん。シグレに喉を突かれて声も出せない様子だよ。なんてむごい」
「人形はそもそも発声なんてできないだろ! わかった、こうしよう! 次こそちゃんと傷つけずに捕獲するから。それで勘弁してくれないか?」
名誉挽回とばかりに提案を持ち上げる時雨。
「わかりました。時雨は達人なんですもんね。さっきのは何かの間違い、不具合が生じただけなんですよね。きっとコンちゃんを無事に救出してくれると信じてます」
「……決して達人であると言った覚えはないんだが。いいさ、やってやる! 今度こそ俺の美しいテクニックを披露してやるとも!」
「その意気だよ、シグレ! がんばれ~」
「よし、いくぞ!」
その後、二人の声援を受けて二度目の挑戦を試みた時雨は見事に失敗を繰り返し、三度目、四度目と幾度と連戦を重ねるも成功に至ることはなかった。
計十回にも及んだ結果報告を順番に上げて行くならば、一度目の『首突』を初め『首突』『首突』『目潰し』『鳩尾』『首突』『顔面圧迫』『鳩尾』『首突』『目潰し』と生物のあらゆる急所を的確に突く大変残念な成績となってしまっていた。




