第二章「アルデュイナ魔術学院」 5
そして、しばらくの沈黙が流れた後、緩やかに虚空を浮遊していた護符は大きな破裂音とともに弾け飛び、両者はその合図を確認したと同時に瞬時に動き出した。
「《魔弾装填-氷弾-》凍てつく氷河は必殺の魔弾。《超速氷弾》射出!」
「焔刀滅ノ相! 薙ぎ払え、焔ヶ一閃!」
椎名は氷属性の魔弾に速度超過の術式を編み込んで即座に時雨の胸部を狙いにかかる。対する時雨は椎名が魔弾を打つ瞬間を見計らって、抜刀の構えから炎属性の一閃を放つ。
互いの力が衝突し爆発が巻き起こる。技の威力は五分五分と言った感じだ。
「……お前、いきなり胸狙って来るとか本当に容赦ないな」
「勝負事に関しては一切の手を抜かない。それが私の性分だからな。君もしっかりと私の攻撃に対して反応してくる辺りさすがと言うべきだな。まぁ、そうでなければ私のライバルとは到底呼べないわけだが」
「騎士団長の椎名が俺のことをライバルだと思っていてくれたとは光栄なことだな。だが、俺もやるからには本気で勝ちに行かせてもらう!」
時雨は焔刀に核力を集中させて熱量を高めると、地面に向かって縦に一回、横に一回、刀を振るい十字架を描くと、その交点に焔刀を突き刺す。
「焔刀重ノ相! 咲き散らせ、《焔上蓮華・焔桜》!」
時雨が詠唱を紡いで焔刀を強く地面に押し込んだ刹那、椎名の足元にも同じような十字の切れ目が出現し、そこから無数の桜の花びらが焔を纏いながら椎名を中心に渦を巻くようにして舞い上がる。
「ほう。相変わらず面白い技を披露してくれるな。だが、炎を帯びていようとも所詮は花びら。私の技でまとめて吹き飛ばしてやろう」
熱量を帯びた桜が椎名に襲い掛かる中、彼女は悠然と立って時雨の技を賞賛すると、上下にそれぞれ銃口を向けて魔弾を発射する。銃から放たれた緑色をした魔弾は椎名の頭上と十字の切れ目の交点で停止すると、大きな振動を響かせて破裂した。
「《魔弾装填-風弾-》吹き荒れる突風は防塵の魔弾。《竜巻風弾》射出!」
破裂した魔弾から椎名を取り囲むようにして発生した竜巻が視界を覆い尽くす焔桜を飲み込んで跡形もなく相殺した。そして―――
「よしっと。これでなんとか接近戦に持ち込めそうだな」
「なっ!?」
椎名の晴れた視界にはいつの間にか距離を詰め接近していた時雨の姿が飛び込んでくる。
「なるほど。先程の技は私に近づくための目晦ましだったというわけか」
「遠距離を得意とする椎名とどちらかといえば接近戦を得意とする俺。遠距離での戦闘が続けば威力は互角でも機能性では劣る俺に分があるのは明らかだ。この距離でなら、俺の方が優位に立てる」
椎名との距離を詰めて得意の接近戦に持ち込めたことに勢いづく時雨。
だが、椎名はそんな時雨の考えとは裏腹に余裕そうな表情を浮かべて口を開いた。
「たしかに悪い策ではない。接近戦では君の方が有利であることは間違いないだろう。だが、私がこの状況を本当に予想していなかったと思うか?」
「なっ!?」
椎名は先程地面に打ち込んだ風弾に銃口を向けて詠唱を紡ぐ。
「《魔弾制御-風弾-》暴力的な豪風は強靭な刃の如し。《弾痕斬風》解放!」
銃口から術式が発動すると、それに連動するように風弾が破裂して竜巻が発生する。防御に特化した先程の竜巻とは違い、攻撃的で強力な風塵が時雨を襲う。
時雨もすぐさま焔刀を盾にして対応し、僅かながらも風が生み出す鋭利な刃から身を守った。
先程の《焔上蓮華・焔桜》を吹き飛ばすために打ち込んだ風弾は二発。
時雨はそれを二発で防塵の役割を果たしていると勘違いしていた。
実際には、焔桜を阻害した竜巻を生み出した風弾は頭上に打ち上げられた方によるもので地面に打ち込んでいた風弾はまだその効力を発揮しておらず、時雨が接近してくることを予見して仕掛けられた罠だったというわけだ。
「くっ! ちょっと油断したかな。まさか、一度の装填でそれぞれに特性の違う魔弾を仕込むとは、さすが騎士団長だな」
「当然だ。接近戦が苦手というだけで手も足も出ないようなら騎士団を率いる器とは言えないからな。相応の対処術くらいは用意しているものだ」
折角、接近戦に持ち込めたと思った時雨は悔しくも苦い表情を浮かべる。
一筋縄ではいかないことは十分承知していたが、椎名は攻撃を仕掛けた際に詰めた距離をしっかりと広げて後退していた。
俊敏な術式処理を得意とした魔弾は非常に厄介なこと極まりない。
なんとかしてもう一度距離を詰めたいところではあるが、予測可能な攻撃では先程のように罠を仕掛けられて反撃されるのが落ちだろう。
かといって、近づかないことには機能性で時雨に勝ち目はない。
遠距離技で対処しようにも同時に特性の違う魔弾を射出できる二丁拳銃なら、片方の魔弾で相殺してもう一方の魔弾で攻撃を仕掛けることもできるはずだ。
どうにか突破口的なものはないだろうか。
そんなことを考えていると、脳に直接聞き覚えのある声が響いてきた。
「我が主、均衡した状況とてもお困りのようだとお察し致します」
「アグニか。まぁ、均衡というよりは劣勢ってところなんだけどな。正直、このまま遠距離戦に持ち込まれると確実にやられそうだ」
椎名は二丁拳銃を構えて動きを止めるためか、足元を狙って氷弾を放っている。
連弾射出。素早い術式処理が可能にする強力な技術だ。
時雨は額に冷や汗を滲ませながら銃口の向きを窺って弾道を予測し、身体を捻るようにして攻撃を回避していく。
躱しきれない氷弾に対しては、焔刀を横に薙いで一閃を放つことでなんとか対処する。
「左様のようで。大変恐縮ではありますがワタクシに光明な策がございます」
「お、なんだ? アグニ、悪いが手短に教えて……って、おおっと!」
時雨がアグニの話に耳を傾けようとしたのも束の間、時雨の顔面の真横をぎりぎりのところで氷弾が掠めていく。
ひんやりとした冷気が毛先を僅かながら凍てつかせた。
「ぶつぶつと独り言か? 作戦を練るのは構わんが、躱しているだけではいずれ私の魔弾が君を撃ち抜くぞ?」
椎名は打ち出した銃口から漏れる硝煙にふっ、と息を吹きかけて若干の余裕を見せつつガンマンさながらの仕草をしてみせる。
それにしても―――
「下手したら脳天直撃だったな……。本当に狙ってくる部位に容赦がない……」
「それだけ主の実力を認めているということでしょう」
「素直に相応の相手の認めてくれるのは嬉しいが、少し恐怖すら覚えるぞ……。それで、策っていうのは?」
「はい我が主。今一度、《焔上蓮華・焔桜》で相手の動きを止めてください」
「ん? さすがに同じ手は通用しないんじゃないか?」
「問題ありません。とにかく相手が仕掛けてくる前にお早く」
焔刀から直接話しかけるアグニの声は賞賛があるのかとても落ち着いた様子だ。
具体的な策というのが正直どういったものなのかは分からないが、たしかに仕掛けられてからでは体勢を立て直すのにも一苦労だ。
時雨はアグニの言う通りに焔刀に核力を注ぎ込み、刀身が持つ熱量を最大限にまで高める。そして、足元に縦に一回、横に一回、刀を振るい十字架を描いてその交点を突いた。
「焔刀重ノ相! 咲き散らせ、《焔上蓮華・焔桜》!」
椎名の足元に現れた十字から再び熱量を帯びた無数の焔の桜が渦を巻いて華麗に舞い上がる。
焔の熱を帯びた緋色の桜は瞬く間に椎名を取り囲んでいった。
「また同じ手か。万策尽きたという訳でもないのだろうが、生憎その手は通じないぞ」
「アグニ、とりあえずは椎名の動きを止められたが、何せ二度目だ。そんなに時間は持たないぞ」
時雨が焦りの表情を浮かべて呟くと、アグニは突然《刀剣覚醒》の姿から赤いリボンが装飾された黒いドレスが特徴的な精霊としての元の姿で顕現する。
すると、何やら右手に握られた焔刀を突きの構えで握り返し、刀身に精一杯の核力を込めた熱量最大の焔を燃え上がらせる。
だがしかし、非常に気になるのはその剣先が焔桜によって視界を失った椎名ではなく、主であるはずの時雨に向いていることだった。
「ん、アグニ? 一体、何をするつもりだ……?」
「我が主。しっかりと敵を見据えて覚悟を決めてください。我が主の期待に応えるため、このアグニ全力で活かせて頂きます」
「いや、全力ってお前まさか……」
「焔刀突ノ相! 撃ち抜け、《焔ノ突牙砲》!」
「ぐぁおおおおおああああああああああ!」
アグニより放たれた焔の衝撃波が時雨の背中に直撃すると、高熱の衝撃波は時雨を包み込んだまま勢いを殺すことなく視界を遮られた椎名の元まで伸びていく。
「なんだ、今の悲鳴は?」
焔桜によって視界を遮られた椎名は二丁拳銃を構えながらどこからともなく聞こえてくる悲鳴に妙な不安を感じとる。
だが、椎名が対応しようとしたときには既に、相当な熱量を保った焔桜を時雨本人が突き破り椎名の眼前に姿を現していた。
「なんだと!?」
刹那。
時雨を含んだ《焔ノ突牙砲》は確実に椎名を捕らえ、轟音を伴った爆発が生じる。
同じく模擬戦を行っていた生徒たちも突然の爆風に煽られて巻き込まれるように薙ぎ払われていく。
見学席で時雨たちの戦闘を眺めていたリンネとエレナたちは姿勢を低くして吹き飛ばされないように適当な物に捕まって堪える。ただ唯一その中で、実習講義担当の先生だけは悠然と立ち、薙ぎ払われそうになっている生徒たちを守るための結界を張り巡らせた。
模擬戦どころではなくなったフロア内には盛大に煙が立ち込め、しばらくすると段々と煙が晴れていく。
そこには地面に倒れ込む二人の姿があったが、フロア内に居た生徒含め講義担当の講師、エレナやリンネらはなにやら唖然とした様子でその光景を眺めていた。
「あっつ……アグニのやつ、下手したら焼死もしくは爆死だぞ」
ふよんっ。
「あれ?」
ふよんっ。ふよんっ。
「この柔らかい感触……まさか……もしかして……」
「う、うぅ。君は……一体、何をしているのだ……」
……なんだ、この状況は。
誰がどう見ても、時雨が椎名を強引に押し倒して馬乗りになり胸をまさぐっている構図にしか見えない。しかも、お互いの顔との距離はそっと後ろから押せば唇と唇が重なってしまう程に近かった。
椎名はあまりの恥かしさからか顔を赤らめて、その瞳には僅かながら涙を浮かべている。
自分が陥った状況に理解が追い付くと、時雨は咄嗟に椎名の上から退いて肝を冷やした。
「いや、ごめん! 本当にごめん! これは不可抗力というかなんというか。俺の意志ではないというか、アグニのやつがな?」
「私の胸を触っておいて言い逃れしようとは……問答無用だぁああああああ! くたばれ、この不埒物がぁあああああ!」
涙を浮かべながら激昂した椎名は二丁拳銃を握り直すと、断罪の如く至近距離から得意技である《超速氷弾》を見事な早打ちで時雨の額に四発程お見舞いし、爆発的な威力を伴った氷弾は時雨のみならず、一瞬にしてフロア一帯を凍てつかせた。
氷河期を迎えたような地表で氷漬けになった時雨を観戦していたエレナとリンネは呆れた様子で見据え、椎名は赤面したまま足早にその場を立ち去っていった。
結果的に、時雨と椎名の模擬戦は椎名の勝利という形で幕を閉じることとなったが、この騒動をきっかけに時雨の三股疑惑《百合が紡ぐ四重奏説》という実に不名誉な噂が学院中に広がったことは言うまでもない。




