因果と応報
俺は、家で寝ていた。
あの家から出てきた後、我が家に帰ってくると、布団に潜って、それきり、だ。
飯さえ口に入れてはいない。
そうする気力も無い。
視界も安定しない。俺の目の前にあるのは、ただの暗い空間だけだった。
このままこうしていたら死ねるかなぁ。などとどうしようもないことを考えていた。
それから何時間経っただろうか。
腹時計も機能しない。空腹中枢は精神に左右されるのか、空腹すら微塵も感じない。
今は何時だろうか。時計を見るのすら億劫だ。それに時計はリビングにしかない。もう、リビングには俺しかいることは出来無い。
元々が孤独だったのは、この布団の中だけだ。
もう、変化は欲しくない。
できることなら、このまま寝ていたい。母が寝坊した俺を起こしに来るまで。
そんな俺の望みを砕くように、高らかにインターホンがなった。
まどろみから、半ば強制的に覚醒した俺は、なおも布団の中にいた。
何もしたくない。どうしようもない。
この現実から逃避したかった。
……呪いという名前をつけたものは、随分といいネーミングセンスをしている。
このじわじわとなぶり殺しにされていく感覚。まず間違いなく呪いに相応しいだろう。
そうして布団をかぶりなおし、目を閉じる。
そんな俺に近づくように、足音が聞こえる。
来客が入ってきたのだろうか。鍵は閉めたか閉めてはいないか。それすら分からなかった。
「……大丈夫か。雅樹」
足音は丁度俺の目の前で止まると、そんなことを口に出した。
声から、直輝だとは分かったが、一応布団をずり下げて顔を見ることにする。
「……ああ。直輝か」
やはりそうだった。制服に身を包んだ友人がそこにいた。
今日は学校がある日か。とそんなことを今さらながら思う。
「……飯食ってるか?顔色酷いぞ」
「ああ。……食える気分じゃねぇんだ」
心配した友人の言葉にそう返す。直輝が心配するほどということは、やはり相当酷い顔色をしているのだろう。当然だ。ダイエットにしても過剰なほどに食事を抜いているのだから。
「……そうか。……なんていっていいか分からんけど、残念、だったな」
そう直輝の口から言葉が出る。
直輝なりに心配しているのだろう。……ありがたいことだが、そうしてくれたところで何も変わらない。……変わらないんだ。
「……ああ」
結果、俺はそれしか言えなかった。
そして、顔を隠すように布団を顔で覆った。
直輝が、次の言葉を放つ。
「……あれも悪かったな。わざとじゃないんだが、昨日の今日であれを聞くのは悪かった」
あれ、というのは恐らくは同級生の目の前で母の死について聞いたことだろう。
……あの視線は、思い出したくも無い。
「……いいさ。お前は悪くない。肖像権を無視した奴が悪いんだ」
「……そういってくれると、助かる」
勝手に撮ったあげく勝手にアップした犯罪者。迷うことなくそれが一番悪いものであり、それを見て興味をそそられることは決して悪ではない。
ただ、当事者にとっては不快以外の何者ではないだけで。
直輝は少し沈黙を保つと、不意に言葉を放つ。
外から、烏の鳴く声が聞こえた。
「……いつごろから学校には来る?」
どうなのだろう。いけるのだろうか。
とりあえず、今の精神状況では不可能に近いだろう。
「……落ち着いたら出る」
「そう、か」
直輝はそういうと、また黙った。
ひぐらしが悲しげに鳴く。
烏が喧嘩でもしているかのように騒々しく騒ぐ。
「……親父さんも、残念だったな」
……待て。
今の言葉に、俺の体が固まった。俺の思考が高まった。
「……なんで、父さんのことまでしってるんだよ、お前は」
そういうと、直輝が固まった。身じろぎすらしない。それが雰囲気で分かった。
「ああ。救急車がお前の家に来たって事を教えてもらってな。それで分かったんだ」
おかしい。
あきらかに、言い訳にもなっていない。
俺はそれの異常さに気づき、布団を勢い良く剥がし、立ち上がって直輝を見た。
「……あれは俺の早退した日だ。俺が運ばれた可能性もあるってのに、なんで父だと断言できた」
「……それは……」
直輝は俺の疑問に対し、言葉につまっていた。
そう。本来ならば俺が倒れた、と察する方が普通だろう。直輝の言うとおり、昨日の今日なのだから。その上あの日は早退したのだ。具合が悪くなったと思うのが当たり前とすら言える。
それが、父が運ばれた、とするのは、父が死んだと知っている人間だけ。
父が死亡したことを知っているのは、今のところは俺と、病院関係者だけだ。
それなのに、直輝は父が死んだことを知っている。
何故だ。
決まっている。
……自問自答が成立する。
必要なときには答えず、否定したいときには答えない。我ながら、勝手だと思った。
「……直輝。お前が呪いなのか?」
……直輝が父を殺したとすれば、辻褄が合うのだ。
殺したものだから、父の死亡を知っているのだと。
方法などは知らない。過程等今はどうでもいい。ただ、結果が欲しかった。
直輝は俺の言葉に溜息をつく。
はあ、と吐息のようなものが溢れる。
頭をかきつつ、部屋を少しあるきわまる。
口角が、上がった。
直輝の。
「……あはっ」
そして、子供のような笑みをこぼす。
「あはっ、はははは。あはっ……はは、ははっあははははは!!」
腹を抱えて、狂ったように笑っていた。クレッシェンドで増加していく狂気。
ベッドの近くの箪笥をバンバンと叩き、何回転もしながら笑いを周囲に振りまいていた。
声が部屋中を侵し、反響し、何回も鼓膜を揺らす。
次第に笑い声は止んで行き、部屋に静けさが帰ってきた頃には、真顔の直輝が残った。
「……ああ。俺が殺した」
その言葉を聴いた瞬間、俺の拳は直輝の顔面を捉えていた。
拳を顔面に当てたまま、腰を振りぬいて衝撃を充分伝える。
直輝はバランスを崩し、軽く飛び、壁に激突した。
俺も充分ではないからだの状態で動いた為、拳を繰り出す、という少しだけの動きで息切れをした。
それでも溢れ出る感情に蓋はできず、尻餅をついた状態の直輝に馬乗りとなり、襟を掴んだ。
友人が殺人犯であり、肉親を殺されていた、というとんでもない展開にもかかわらず、俺はどこかで対応が出来ていた。
あの予感。どこかかしこで感じていたこの呪いの異常性。本人には手を下さず、周りから殺していくという陰湿さ。呪いに相応しいものだが、明らかな悪意を感じるそれは、生身の人間が行なうことに相応しいものに思える。
……そもそも、俺に肝試しを進めている様子からして、どこかおかしかったところがある。
今にして思えば、だが。
「……何人目だ」
そう。直輝が殺人鬼となるならば、あの推測が間違いではなかったことに成る。
あの家での血だまりから飛躍した思考。
都市伝説というものを隠れ蓑にして、殺人を行なっている者がいるということ。
……そして、あの異臭の原因も、人間の死体だった、ということも。
つまり……あの段階で異臭について気づき、直輝に追求していれば……あるいは……。
恐らくは、俺がにおいに気づいたことを直輝にいったことから、あの家の死体を片付けたのだろう。
つまり、見られては悪いものだった、ということ。
呪い信じ込ませたいものにとっては都合が悪いもの。それがあの死体だった、というわけだ。
……よって、あそこにあった死体は人間の物に他ならない。
つまり、俺たち以外にも、呪いという名の殺人の被害者がいるはずなのだ。
直輝は俺の言葉を聞くと、にやり、と不快としかいえない気持ちの悪い笑みを浮かべた
「……へえ。そこまで気づいたのか。……もう一度あの家に行ったってことか。勇気あるね」
その薄気味悪い顔をもう一度拳で殴る。直輝の口の端が切れて、赤い雫が床に垂れる。
「……答えろ」
命令口調でそういうと、直輝の笑いは引っ込み、代わりに溜息と答えが出てきた。
「……お前の家族で、3世帯目だ」
……は?
寒気がした。
何故こんなやつの本性が分からなかったのかと、自分の人を見る目の無さに辟易とした。
直輝――いや、この殺人犯の手口は、親を殺して子供を追い込む。という形。そうなると、少なくとも子供は一人はいることになる。
つまり、最低でも8人は殺していることになる。
自殺だろうが関係は無い。こいつが自殺幇助のようなことをしてきたのは明らかだからだ。
「……殺人鬼が」
襟を掴みつつにらみつけると、再度殺人犯はあのにへら、とした気持ちの悪い笑みを浮かべる。
「……そうさ、俺は殺人犯。中々面白いぜ?やってみるかい?」
再び殴る。口の端から歯の欠片が飛んでいく。一本くらいは折れただろうか。
襟をより強く締め付けるようにしながら、吐き捨てるようにいう。
「ふざけるな。……誰がお前みたいになりさがるか」
違いないないな、と笑いながら殺人鬼は返す。
襟を持ったまま殺人犯ごと立ち上がり、近くにあった箪笥に殺人鬼の体を押し付ける。うめき声が聞こえたが、気にはしない。
「……最初に殺したのは誰だ」
こいつがこうなった原因。それは事故などが原因で、殺人の快楽に目覚めたのだと思っていた。だが、それは大きな間違いだったと知らされることになった。
「……ああ。俺の親さ」
こいつは元来。根っこからの殺戮者だったのだ。
「親……だと?」
思わず鸚鵡返しをしてしまった。つまりこいつは、自分の家族すらその手で壊したとでもいうのか。
わざわざ、快楽を得るためだけに、俺のような苦しみを味わったというのか。
困惑に頭を揺らす俺に、殺人鬼は笑いながら言う。
「そ。正確には母親な。俺の父は物ごころ着く前に他界。たかいたかいをしてもらうまえに他界だよ。かなしいもんだよね」
何故かはじまった、殺人鬼の自分語り。
それでも俺はこいつの背景を知りたいが為に、おとなしく黙っていた。
「で、俺の父親は中々の資産家でな。あの家、でかかったろ?」
あの家――。
こいつが指す家は多分、あの鏡のある家に他ならないだろう。
確かに、一軒家としては大きかった。一世帯ではもったいないくらいだと思ったものだ。
「あの家、元々俺が住んでいた家なんだ」
俺は、息を呑んだ。あの案内していたときのよどみのない脚の動き。それも当然だ。元の家に戻る道なのだから。
「なら、お前……自宅で母を殺して……」
「ああ。放置だ。白骨死体になるまで放置出来ればよかったんだけどな。流石にあそこまで匂いが強いとは思わなかった」
笑い話でもするかのように笑いながら話していく。
分からない。俺はこいつが本当に分からない。
何故こんな話を笑いながら出来る?
頭のねじが全部飛んでいるとしか思えなかった。それだからこそ、殺人などに手を染めることが出来るのだろうが。
それも、自宅で殺して放置と言った。
つまり、俺が行った家には、死体となった殺人犯の母親がいた、というわけか。
今さらながら、吐き気を催した。
「父が死んでからの遺産はそれはそれは多かったよ。母が仕事をやめて男遊びに興じることが出来るくらいにはな。……俺から見たら、母親はただの遺産にすがっている寄生虫にしか思えなかった」
「だから殺した、と?」
「ああ」
即答で返す、二文字の言葉。
それがどれだけ重く、どれだけ重要なことか、痛いくらいにわかった。
それの中に躊躇いは無かったのか、あったのか。
いや、そもそも母親がまともな人格者ならば、と。たらればばかりが俺をめぐる。
考えても仕方が無いこととはいえ、どうしても考えてしまう。
人の性、というものだろうか。
とはいえ、先の言葉に得心が行った。
こいつは、親がいなくなった苦しみを知らないんだ。と。
父は早くに他界ということは、父はいないことが当然となっていたはずであり、母も男遊びに夢中だった、ということは家を空けるのがさぞ多かったのだろう。
つまり、家に誰もいないのが寧ろ正常だった、ということ。
俺のように、誰もいなくなったリビングで孤独に押しつぶされるようなことが無いのだということ。
皮肉なものだ。同情などしたくは無いが、むりやり同じ状況にたたされ、その状況を作り出した相手の状況が良く分かるとは。
「俺に殺されるとき、母親はこういってたよ。化けて呪ってやる、ってな」
含み笑いをしながら、面白いものを思い浮かべたように嬉々として口を動かす。
「だが、何かいたか?あそこに、幽霊は?いないよな?ただ、死体があっただけさ。……有言実行すらでき無いんだよ。あの野郎は」
お笑い番組を見ているように腹を抱えて笑いながらそういう。
俺はその間、何もいえなかった。なんていえばいいのか分からなかった。
直にその笑いも止まり、やがて真顔になった。
やはり、こいつは直輝ではない。ただの犯罪者だ。少なくとも、このような情緒不安定な様子は見たことが無い。
「……なにもしないくせに俺の自由だけは奪い、金も持っていく。いなくなったほうがいいと思ったから、俺は殺した。それだけさ」
「……お前が言うか。いなくなったほうがいいなどと」
箪笥にさらに強い力で押し付け、憤怒を押し殺しながらそういう。
心なしか声が低くなり、すごんでいるような口調となった。
殺人犯は、そんな声も何処吹く風、というように変わらず笑いながら、
「そう思うなら、お前が俺を殺すか?」
何を言っているんだ、こいつは。
どんな思考回路をしているのか、理解が出来なかった。
サイコパスの思考など、分かりたくも無いが。
「……誰がお前にみたいになりさがるか」
「でも、殺したいほどに恨んでるだろう?俺を」
体が止まった。
血液の流れが止まったように感じ、体温が下がっていくように感じた。
図星を突かれると、ひとはなにもいえなくなるか、怒るかのどちらかだが、俺はどうやら前者のようだ。
襟に力を入れたまま、俺は固まっていた。
俺はこいつを殺したかった。
心の底から。
親を殺したあまりか、他の家族を物理的に崩壊させ、なおものうのうと殺されたものが欲しがった明日を謳歌している下衆野郎。
母や父のように事故死や自殺に見せかけて、他の者もそうして殺したのだろう。
自分の欲求を満たしつつ、捕らえられない様に予防線を張る狡猾さ。
許す許さないじゃない。こいつは生きているべきではない。
「……先に言っておく。俺はお前を殺す。殺される前に殺すか、素直に殺されるか、どっちかだぞ」
元友人、現殺人犯からの高らかな宣言。
だが、俺はそれを当たり前のように受け流していた。殺人犯の正体が割れて、それを放っておく殺人犯などいるわけが無いからだ。
……だが、だが。
元友人とはいえど、親しかったものからの殺人予告は、どこかでこたえるものがあった。
……もういい。
もう疲れた。
考えたくない。なにもかもがどうでもいい。
今さらながら、あの誘いに乗らなければ良かったのだ。そうすれば、こうなることもなかった――かも、しれない。
「……俺はお前を殺したい。でも、殺さない」
そういうと、襟からゆっくりと手を離す。
「……へえ。殺されても良いと?」
力を抜いた俺を見ると、そう直輝は問いかける。
俺は軽く頷く。
「……ああ。色々と疲れたからな」
諦観が心を埋める。
恐らく、こう感じたのもこいつの作戦のうちなのだろう。
だが、親が死に、病院を往復し、死を目の当たりにして、自分もそちらに吸い込まれてしまうそうになるこの感覚は、味わったものにしか分からないのだろう。
死が呼んでいるような感覚。
それならば、いってみればこいつは死神を呼んだのだ。親をコロスことによって、俺に死神を。
「……そうか。なら、殺すぞ」
「……ああ」
一思いにやれ、というまえに、俺の目の前に殺人犯がいた。一瞬で接近したと思うと、俺の首筋に冷たいものが当たった。チクリ、とした感覚があった瞬間、俺の全身の力が抜け、糸が切れたマリオネットのように床へと俺の体は滑り落ちた。
俺は、死ぬ。
好奇心にあてられたばかりに、死んでいくのだ。
好奇心とは恐いものだ。猫のように、おれはそれに殺されるのだから。
ゆっくり、ゆっくりと俺の視界はブラック・アウトしていく。
……ああ、両親が見える……。
そして、俺は――。
※
「まじかよ。信じがたいな」
「まじもまじだっつの。行こうぜ」
「めんどくせぇな。一人で行けよ」
「つまんないだろ?そんなことをしても。旅は道ずれだっていうだろ?」
「……ったく。いつ頃出るんだ?」
「さっすが。そうこなくちゃな」
「……これでつまらなかったら承知しないぞ?」
「分かってる分かってるって。これでも信頼してくれよ」
「……わかったよ。……直輝」