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地雷と悲哀

「……ふあぁ」

 欠伸を噛み殺す。

 机の上に頬杖を吐きながら、欠伸により目の端に涙が浮かんでいる俺の上に、太陽が暖かな光を与え、起こすどころか睡魔を増長させた。

 今は二時間目の休み時間。なんとかニ時間の授業の間はしのぎを削ってはいた物の、次の授業は数学であり、睡魔との戦闘はより過酷な物になることが予想された。いっそのこと投降してしまおうか、と考えてしまう程度には。

「……ふあ~あ」

 もう一度欠伸を噛み殺す。

 脳が酸素を欲している。

 昨日は家に帰ってから、あまりよく眠れなかった。

 恐怖だろうか、それともスリルを味わったことによる高ぶりからだろうか。

 布団に潜ったまま、しばらくの間は寝付けずにごろごろと転がっていた。

 とりあえず親には何をしてきたか聞かれたが、直輝と遊んできた、とだけ答えた。嘘は言っていない、と思う。

 放任主義気味の親の為、何も言わずに納得したような顔をしていた。それでいいのか、と言いたくなるが。

「……眠そうだな、雅樹」

 椅子ごと後ろを向いて、直輝がこちらを振り向きながら呆れたようにそう話した。

「お前は眠くないのか?」

「ああ。寧ろぐっすり眠れたくらいだ」

 その言葉通りに直輝の目元には隈も何もなく、ただ健康体とすら言える表情がそこにあった。

 恐くはなかったのか、とはいいたくなったが、おれ自身でも恐かったから眠れなかったのか、遠足前の夜のような高揚感で寝付けなかったのかは判断できなかった為、言葉には出さないようにした。

「……どうにもお前は寝れなかったようだが、恐かったのか?」

 からかうような口調で、直輝が俺にそういう。

 俺は頭をかきつつ、直輝に返す。

 どう返したものか、と思考しつつ、適当な言い訳を思い浮かべる。

「……いや、少し気になったことがあってな」

 そういうと、直輝が少し表情を変えた。

 からかうような表情から、疑問を憶えたような顔へと。

「ん?なんだそれは?」

「……お前は、あの家で変なにおいを感じなかったか?」

 あの腐臭。

 あくまでにおいを感じているかどうかを知りたかった為、具体的な匂いは伏せた。

 あれが気になったのは確かだった。ただ精神がストップをかけただけで。興味もあった。

 問いに答えるように問いを投げかけると、直輝はさらにその表情を深める。

「いや……感じなかったが」

「……そう、か」

 同じ家にいたはずの直輝は感じていないのに、俺は感じたということか?

 俺の気のせいか……あるいは感じていたのに直輝は嘘を吐いているのか。

 馬鹿な、と俺の考えに自分で心の中でかぶりを振る。

 前者ならまだしも後者はありえない。すくなくとも、嘘を吐いたことによるメリットはあまりない。精々が、俺だけが認識している、という点を表して呪いを強調させる為の悪戯くらいだろうか。

「……なら、多分俺の気のせいだ。悪いな」

「もしかしたら、それが呪いの前兆かもな?」

「やめろってそういうのは」

 笑いながら、おどけて直輝はそういう。

 返すかのように俺も笑う。

 やはりそうだ。直輝の言葉でそう思った。

 あくまで嘘は呪いを意識させる為の悪戯だと、そう認識つけた。

 そんな中、授業がもうすぐ始まることを告げるチャイムが鳴り響く。

 電子音のそれは、慣れからか反射神経に働きかけて、半ば無意識で俺に引き出しから教科書を取り出しさせる。

「と、もう始まるな。じゃ、また後で」

 教師が教室内に入って来て、名簿を教卓の上に広げて出席を取り始めたのを見ると、直輝はそう囁くようにいって椅子ごと回って机の定位置に戻り、何食わぬ顔で教師の声を聞き始めていた。

 ……黒板のそばから溢れる単語の羅列をよそに、窓の外ではアブラゼミが鳴いていた。


 ※

 夕日が後ろから照る。

 徐々に赤みを増していく家々をよそに、俺は下校の道を進んでいた。

 俺と直輝は部活には所属してはおらず、所謂帰宅部である。いつもは一緒に帰っているものだが、今日は学校で仕事がある、などといって別々で帰る。

 住宅街をすたすたと歩き、法定速度を守って横を通り過ぎる車を横目で見つつ、大きくなってきた蝉の声に夏を感じる。

 夏といえば何か、と言われて、怪談、と即答する者はなんともいえないが残念だ。

 ただ、俺の頭に住み着いているのはその怪談、というよりは都市伝説、なのだが。

 溜息を吐きつつ、自分の足音が少しだけ聞こえる。

 微風が過ぎ去りかすかに風鈴の音が聞こえる。

 ……呪いとは何なのだろうか。

 頭を埋めていたのは、そのことについての思考。

 やはり死ぬのだろうか。

 どうやって?どのようにして?どこで?

 頭の中で、悶々と自問と繰り返す。答えのない問いの輪廻。

 恐らく、俺は恐怖しているのだろう。死ぬ事についてではなく、呪いでもなく、ただ分からない、という未知に対する恐怖だ。

 かんがえてもどうしようもないとは知りつつも、その問いをやめることはできなかった。

「……おい……じかよ、や……くね」

「事……こりゃ……だな」

 俯き加減で歩いていた俺の前に、少し喧騒が待っていた。

 少し歩いていくと、狭い住宅街の道に大きな壁のような人だかりが目の前に出来ていた。

「……ひでぇ事故だなこりゃ。即死か?」

 近くによっていくと、人だかりの中からそんな言葉が聞こえた。

 どうやら、事故が発生したばかりのようだ。

 この集った連中も、その全員が野次馬根性丸出しの者達、というわけだ。

 通行の邪魔だろう、と内心でまゆをひそめながら、壁の合間合間を通って過ぎ去ろうとする。

 どうやら事故が起こったのは壁際のようで、車が壁にでも突っ込んだのだろう。野次馬は壁側によっている。

 反対側の壁側には人は少なかった為、なんとかそちらからは抜けれそうだった。

「主婦か……?ご愁傷様だな」

 人の間の中で奮闘している俺に、その言葉が耳に入る。

 人の波にもまれながら、少しその言葉が気になって、人ごみの中から車の様子を見てみる。

 ……その車種に目が釘付けになった。

 白のライフ。酷く放射状にひび割れて今にも崩れそうな壁に、埋まりこむようにしてフロントフェンダーがへこみ、ボンネットはフロントガラスに接するくらいに酷く歪んでいた。

 ワイパーは千切れて地面に転がり、フロントタイヤはパンクしたかのように萎んで情けなく地面に接している。

 そして、フロントガラスには、血痕が見える。

 搭乗者の顔が見えないくらいに、その血液は夥しかった。

 ……唇が震える。

 ……膝が震える。

 嘘だろ、と心からの声が囁きとなって溢れ出る。

 その言葉を打ち消すかのように、ワイパーのすぐそばに転がっている長方形の物体が目に入った。

 ……ナンバープレートだった。

 その四桁の数字は、うちの駐車場に泊まり、母が出勤に使うものと完全に一致していた。

 無論……車種も。

 頭の中が真っ白になり、その場に立ちすくした。

 その俺だけの沈黙の時間は、横の人の携帯の音でかき消される。

 カシャッという電子音のそれ。

 ……シャッター音だった。

 ……写真を、撮っていたのだ。

 あまりにもその自体が信じがたく、思わずその人のほうを向いてしまった。

 その口元はニヤニヤと、気持ちの悪い笑みを浮かべていた。

 人の不幸は蜜の味。

 その言葉が、脳内を通り過ぎた。

 この状況を……楽しんでいるのだ。目の前に不意に現れた、人が死ぬというこれ以上無い非日常を。

 唐突に怒りが俺の中に生まれると、背負っていたカバンを地面に投げ捨て、どいてください、と半ば叫ぶようにして人ごみを掻き分け、車へと向かう。

 人の体重がもろに腕にのしかかり、体力を非常に使う。それでも俺は急いだ。

 この現場を、これ以上心無い人に蹂躙されたくなかった。だれかがくだらない記録として保存するのを防ぎたかった。

 息が荒くなりつつも、なんとか野次馬どもの最前列にまで到達する。

 ……近くで見ると、良く分かる。

 いつも駐車場で止まっている車とはまるで違う、廃車同然の無残な姿。どうあがいても直らないであろうスクラップ。

 そして、その中にいる人の様子も……嫌なことに容易に想像できてしまった。

 車の中は、覗きたくは無かった。恐らく、結局見ることになるのだから見ておけ、ということも言われるだろうが、今は……見たくなかったのだ。

 俺が車の前に出た瞬間、声が聞こえた。

「あれ、もしかして子供かな」

「うわ~、可愛そう。母親の死んだところ見るとか」

 その呟き。

 好奇心と、相手を下に見るだけのための同情。

 それを皮切りに、シャッター音が息を吹き返す。

 カシャカシャカシャと、騒々しい音が住宅地に満ちる。

 蝉が、敗北をきっした。

「……止めろ……」

 ショックと人への絶望から、思わず立っていられず、車の後ろの方のドアにもたれ掛かりつつ、そう声を出す。力なく、囁くような声だったが。

 何故こんな状況を保存できるのか。それも一番身近な携帯などという端末に。

 何故、そんなに無神経でいられるのだろうか。

 何故、母親がこんなことにならなければならなかったのか。

 混乱、憤怒、怒涛のように感情が押し寄せ、過ぎ去らずに留まる。

 シャッター音は、まだ続く。

「……止めろよ、おい……」

 烏が飛び立ち、夕日が屑鉄の影を伸ばす。

 強い風が過ぎ去り、風鈴が一際高い音を上げる。

 携帯は、なおも状況を保存している。

「……撮るのを止めろといってるだろう?!」

 我慢の限界に達し、大声で怒鳴る。

 火に油。

 俺の言葉をそしらず、寧ろそれは加速した。

 結局それは、救急車が来て搭乗者を乗せるまで止むことは無かった。

 ドアを工具でこじ開けて出てきた搭乗者を見て、俺は深い絶望と、カンヂガイ、という希望が打ち砕かれるのを感じた。

 服は血に滲み、髪は乱れて朱に染まっているが、車から隊員によって運び出されたのは、紛れも無く親の母親だった。

 隊員に、何かを聞かれた。

 頭の中が完全にブランク、タブラ・ラサ、白紙となり、茫然自失となっていた俺は、何を聴かれたかもわからないのに思わず頷いていた。

 それがご家族の方ですね?という同乗を促す言葉である、と言う事は、その後しばらくたってから気づいた。

 サイレンを鳴らす救急車の中。

 振動を減らしているのかあまり感じない車内で、母親が横たわっていた。救命活動すらしないということは、もう……。

 真っ赤に染まった無残な母親を見て、俺は泣いた。

 声は押し殺してはいたが、車内の床に、雫が一滴落ちた。

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