噂と提案
――ある噂が、都内高校生の中で広まった。
曰く『午後七時七分六秒。とある場所にある鏡に向かってあることばを言うと呪われる』
それは単純な都市伝説であった。どこにでもあり、どこにでも出没する可能性のある簡素な作りの話。
そもそもどんな場所にある鏡なのか、どのような言葉を話せばいいのかという要素が全く不明であり、微塵も含まれていない都市伝説。
当然の如く取り上げたのは三流であり、精々が夏に活発に見かける程度のオカルト専門雑誌くらいの物。
興味を持ち、怖いね、などと嘯く中高生もあくまでフィクションの物語として楽しんでいる節が強く、心の底から呪い、などというものに恐怖を覚えているものはいなかった。
しまいには、某掲示板にて『鏡に呪われるとか言うが、なら罵詈雑言はいてみようぜ』などというスレッドが立ち上がり、悪態の限りを尽くした報告をしてる者達すら出てきた。
そんなあるとき、一つの交通事故が起こった。
交差点での不注意。
余所見もしていなかったようだが、右折中の車がスリップを起こし、反対車線で待っていた車に突っ込んだ、という事故。
右折していた車に乗っていた男性が死亡。ぶつかられた車の人も軽症を負った。
そしてあるとき、変死事件が起こった
また、主婦がパートの仕事中に死亡する、というものだった。
先の男性はこの主婦の夫であり、主婦の死因は心労からきたストレスが原因だろうと警察はし、病死で終幕させた。
またそれから少したって、アパートの一室で女子大学生が首つり死体で発見された。
その傍らには遺書があり、最初の文字はこう始まっていた。
『私は、鏡に呪われた』
その女子大学生は、交通事故の男性、変死の主婦の娘であり、さまざまなストレスが彼女を自殺に追い込んだのだろう。警察は、そう結論付けた。
都市伝説と彼女の遺書の因果関係は、分かってはいない。
※
「……長い」
顔をしかめながら、目の前で顔を輝かせながら語る男に文句をこぼした。
教室の一角。昼休みということもあり、それぞれ椅子に座り、弁当なりコンビニで買った惣菜パンなりを頬張る高校生が見て取れる。
この学校には食堂があるため、教室に残っているのは少なめだ。
俺は窓際の最後列の椅子に座り、手元に朝コンビニに来る途中で買ったホットドッグ(¥130)を頬張っている。目の前の男は、俺が座っている席の手前に座り、サンドイッチ(ハムレタスサンド¥235)を手元に持っている。
なにやらネット経由で怪談を仕入れたらしく、それを嬉々として目の前で語ってくれていた最中だ。あまりに話が回りくどいので文句を言ったが。
何故人はこういう話をするときは、面白い話があるんだけど、などと自分からハードルをあげにいくのだろうか。
「しょうがないだろ?怪談ってのは往々にして長いもんだ。そうしないと雰囲気が出ないだろ?」
したり顔でうんうんと頷き、目の前の男はそう語る。
ホットドッグを一口かじりながら、溜息を吐く。着色料の簡素な味が口の中に広がり、パン特有のパサツキが口の中の水分を遠慮なく奪い去り、一瞬で口の中に砂漠が出来た。
「雰囲気を語るなら、そもそも真昼間に言うことじゃないよな、怪談って」
「……そこを突かれると痛いな」
「だろ?」
砂漠にオアシスを作る為、紙パックのりんごジュース(¥130)に突き刺しておいたストローに口をつけ、啜る。喉を滑らかに滑り落ち、口内にも潤いが戻る。ほぼ砂糖水なはずであるのに、きちんとりんごの味がする。化学調味料の凄さに感心するとともに、比例して増加する健康被害に少し辟易とする。
「……しっかし、都市伝説ってのは適当だよな。詳しい情報が何ら明らかになってないじゃないか」
男にそう話しかける。
すると、男は得意げにふふんと鼻を鳴らす。その様子が鼻につく。
「そうでもないぞ?その鏡のある場所は明らかになってるしな」
「ソースは?」
「知らん」
「……都市伝説の都市伝説とかフィクションの領域だろ」
再度溜息を吐く。
とはいえ、流石にそこまで嘘くさいと一週回って逆に好奇心を刺激されてしまう。
「……で、どこなんだそれ」
「なんだ、興味あるんじゃないか」
「別に。どんな作り話なのか気になっただけだ」
そう俺が言うと、男は机の横にかけてあったカバンをまさぐり、とあるものを取り出した。
ポケットサイズで、取り扱いが簡単そうな、折りたたまれた一枚の紙。
「……地図?」
「そ。正しくは世田谷区の地図、だけどな」
男は俺が座っている机の上においてあったサンドイッチを早々と腹に納めると、手についたパンくずを払う。
ゴミを丸めてかばんにポイし、片付けた机の上に地図を広げる。
え~と、と声に出しながら人差し指で地図の上をなぞり、ある一点で止まる。
でかでかと大きなフォントで書かれた地名が、目に入る。
「……上北沢?上高井戸の近くって事は、五丁目か」
俺が口に出して確認した事柄。それを、男が指差した地図上の一点は示していた。
「そう。鏡があるのは、下高井戸駅の近く。そういう話が流れてる」
「下高井戸駅の近くって……日大の近くじゃないか」
俺が少し驚いたようにそういうと、男は口角をゆがめて嘯く。
「……だから面白いんじゃないか」
目の前の男が少し雰囲気が変わったのを感覚で感じた。獲物を見つけた猛禽のような、鋭く近寄りがたい雰囲気。
その雰囲気にもおされかけたが、それよりも俺が放ち、男が肯定した場所に驚きが走る。
正確には、得られた情報から導き出されること、に驚いたのだが。
「おい、まさか自殺した女子大生って……」
「日大の文理学部の生徒。そういう話だ」
にんまりと心底面白そうに男は話す。
男の様子は極力意識的に目に入れないようにしつつ、頭に浮かんだ質問を直接ぶつけてみる。
「……場所と死んだ人が日大の生徒って噂、どっちが先だ」
「……そこまでは分からんな」
男は俺の問いに少し考え込む様子を見せるが、お手上げのポーズを取りながらそういった。
場所が先か、人が先か。とはいえ場所が決まってから日大の生徒にしようぜ、とも言えるだろうし、日大の生徒、ということが決まってから場所を下高井戸駅周辺にもできるだろうから、卵か先か鶏がさきかという不毛な問いに近いだろう。
なんにしろ、所詮は噂だ。あまり真面目に考えては発案者の思う壺だろう。
「……てなわけで雅樹。見に行こうぜ、下北沢駅周辺」
「やだよ。なんで俺がそんなことをしなければならないんだよ。直輝」
雅樹、俺をそう呼んだ男を、俺は直輝と呼んだ。言うまでもないが、これが名前である。
直輝は俺が即断ると、男の癖に唇を尖らせれ不満の意を示す。
「いいじゃんいいじゃん。行こうぜ」
「めんどうくさい。遠い。断る理由としては充分だろ?」
「……電車で10分の何処が遠いんだよ」
「なら、電車賃がもったいない」
「……歩きで行けば良いだろ」
「めんどうくさい」
「……面倒な奴だな」
口ではひたすらに断ってはいるものの、俺の目は、どうしてもその地図の一点から目を離すことが出来なかった。
何故だろう。
自問をしても、答えは出なかった。
後で俺は知ることになる。それが好奇心そのものであったと。
そしてさらに知る。
好奇心は猫をも殺すという、その事実を。