交渉無用
クリスタルとは、合成麻薬のようなものです。
ジュドーは久々に血のたぎりを感じていた。全身でその感覚を味わいつつ階段を昇り、ゴメスのいる部屋に向かう。
そして目指す部屋に到着し、扉をノックした。
「開いてるぜ。入んな」
低い声が聞こえた。
「失礼しますよ」
ゴメスのいる部屋も殺風景だった。飾りや調度品などはなく、机、テーブル、ソファー、そして隅の方に大きな金庫がある程度だ。さらに、机の上にはテレビか二台。片方のテレビからは、特徴のある女の声が聞こえてくる。
「お菓子である! もっと、お菓子をいっぱい持ってくるである!」
ゴメスはそちらのテレビを見ていた。ジュドーが部屋に入り、突っ立ったままの状態でいるにもかかわらず、テレビから目を離そうとしない。
アイザックよりも短く刈り上げられた髪に褐色の肌を持ち、岩のような顔つきをしたゴメスは、左右に小山のような体格の男二人を立たせ、今までジュドーたちがいた部屋に設置されたカメラの映像を観ている。
不意にゴメスは、ジュドーの方に視線を向けた。
「マリアとかいったか、あの筋肉少女は。よく食べるなあ」
「ははは、そうですね」
「しかし、あのアイザックとカルメンは凄いな。めくらとダルマを組ませて、あそこまでの腕に仕込むとは大したもんだ」
「ありがとうございます。しかし、めくらとダルマってのは、本人たちの前では言わないでください」
大男たちの表情が険しくなる。
「わかった。本人たちの前では、な」
ゴメスは笑顔を見せた。
「ところでジュドー。お前に頼みがある」
ゴメスはタバコをくわえて火をつけた。
「クリスタル・ボーイってヤツを知ってるか?売人らしいんだがな」
「知ってますけど、それが何か」
「あのな、そいつが最近、ウチのシマでクリスタルを売ってるらしいんだ。で、そのクリスタルは安い上に質がいい。良すぎて、ジャンキー共がウチから買わなくなっちまった」
ゴメスは言葉を止め、芝居がかった仕草で肩をすくめてみせた。
「やっぱり、競争ってのは公平にやってくれないと困るんだよ。質がいいなら値段は高く、値段が安いなら質を悪くしてくれないと、市場は成り立たないよな。そう思わねえか、ジュドーよお?」
「いやオレは経済についてはさっぱり」
「しようがないヤツだな、お前は。まあいい。クリスタル・ボーイに言っとけ。ウチのシマを荒らすなと。さもないと、指を全部切り落とすってな」
「わかりました。伝えるには伝えます」
「頼んだぜ。ところで、タイガーの――」
「ゴメスさん、明日は炊き出しがあって、帰ったら準備しなきゃならないんですよ。早いとこ貰うもの貰いたいんですけど」
ジュドーはゴメスの話をさえぎった。そのとたん、大男二人は敵意に満ちた目で、ジュドーを睨む。今にも襲いかかりそうな雰囲気だ。
「……ああ。わかった。それじゃあ仕方ねえ」
ゴメスは少々いら立った様子で立ち上がり、部屋の隅に行った。そして金庫を開け、十万ずつの束を四つ取り出し、ジュドーに渡した。
「ほら、約束の四十万だ。ツラ出すだけで四十万なんて――」
「足りません」
「ああ? ジュドー、てめえ何トチ狂ってんだ?」
ゴメスの表情がみるみる険しくなる。
「足りません。オレとマリアに二十ずつ、アイザックとカルメンには三十ずつ、合計百万ギルダン払ってください」
「てめえ……自分が何言ってんのか、わかってんのかジュドー?」
「もちろんわかってます。ゴメスさんは、部下がウチの人間に無礼な振る舞いをした……その落とし前を百万ギルダンでつけようとしてるんですよ」
「お前、いい度胸なのかイカれてんのか、どっちなんだ?」
「どっちでもないです。あのね、オレは逃げも隠れもするし嘘もつきます。でもね、一応はジュドー&マリア・カンパニーの社長なんですよ。で、アイザックとカルメンはウチの社員。子供みたいなもんです。子供バカにされて黙ってる親がいますか?」
ジュドーがそう言った瞬間、大男の片方が彼に近づき、襟首をつかんで引き寄せる。
「どこの骨からへし折りますかゴメスさん。腕にしますか?」
その時、ジュドーの肘が相手の顔を撫でる――
次の瞬間、大男の顔に生じた傷……パックリ開いている。
「な、なんだこれ……いでえ! いでえよお!」
大男は顔を覆ってうずくまる。床に広がる、血の染み。見ていたゴメスは顔を歪めた。
「てめえ!何しやがったんだ!」
もう一人の大男が拳銃を抜く。しかし……ジュドーは平然とした顔で、口を開いた。
「ゴメスさん……百万ぽっちの金で、こんなリスクを背負うんですか?」
そう言って、ニヤリと笑う。
「あなたみたいな大物にとっちゃ、百万なんて端金じゃないですか。百万ぽっちのために命張る気ですか?ここでオレを始末しても、下に筋肉バカ娘と盲目ガンマンがいるんですよ。あの三人を始末するには、相当の痛手を負うでしょうが。違いますか?」
ジュドーはここで言葉を切り、ゴメスの顔をじっと見つめた。
隠そうとしてはいるが、ゴメスの瞳に怯えの色が浮かんでいる。ジュドーは自分の勝利を確信した。
「それにゴメスさん、ロペスの写真を他の連中に見られたら、マズかったんじゃないですか? ゴメスさんの評判はガタ落ちでしょ。そいつを事前に知らせたってことも考慮してほしいんですよ。あと、懐の深さを見せるのも、ボスの――」
「わかった! わかったから少し黙れ!」
ゴメスはそう言った後、子分の方を向いた。
「おい、お前はコイツ連れて部屋を出ろ。手当てしてやれ」
床にうずくまっている大男をあごで指す。
「しかしゴメスさん――」
「いいから行け!ジュドーはイカれてるがバカじゃねえ。サシで話つける」
「わかりました」
大男コンビは部屋を出ていった。
「ったく、この守銭奴が! ま、確かに百万はオレにとっちゃ端金だ」
ゴメスはもう一度金庫を開け、さらに六つの束を取り出し、ジュドーに渡す。
「ほら百万。持って行きやがれ」
「ありがとうございます。さすがゴメスさん、話がわかる人だ。ところで、もう一つ言っておくことがあります」
ジュドーはゴメスの耳元に顔を近づけた。
「今後、もし万が一、あなたの手下がウチの人間を傷つけたら、オレは許さないですよ。オレはあなたより前から、この街にいます。顔も広い。知り合いも多い。あなたほどじゃないが金もそこそこ持ってます。不幸な出来事があって、それがあなた及びあなたの手下の仕業だとわかったら、オレはまず、金をあっちこっちにばらまいて、街の住人があなたの敵に回るよう工作します。残った金で兵隊を雇い、あなたの手下を皆殺しにします。最後にあなたを拉致し、両手両足を切断し、両目をえぐりとって一生犬小屋で生活してもらいます」
「……」
ゴメスは平静を装っているが、額に汗がにじんでいた。だが同時に、ジュドーを睨み返すだけの余裕もある。ゴメスも伊達にギャングのボスをやっているわけではないのだ。この程度の言葉のやり取りなど、しょっちゅうである。
「なんて冗談ですよ。ゴメスさん。じゃ、今後ともよろしく」
ジュドーは人懐こい笑みを浮かべ、大げさなお辞儀をして部屋を出ていった。
「お菓子を! もっとお菓子を用意するである!」
「マリアちゃーん、いくらなんでも喰い過ぎだぜえー。ちっとはレディらしさってものを――」
「れでえなんて知らないである! もっとお菓子を持って来るである!」
「おいおいデカイ人、あんたからも何とかいってくれよー」
ゴステロは苦り切った様子で、アイザックに救いを求めた。
さっきまで血の雨が降りそうだった部屋は、空気が百八十度変わっている。マリアは床にあぐらをかき、出されたスナック菓子やら菓子パンやらチョコレートやらをむさぼり喰いながら、ゴステロを睨む。
一方、ゴステロは持ってきた椅子に座り、マリアの食べっぷりを困った様子で眺めていた。
そんな中、アイザックとカルメンは立ったままだ。扉のそばに立ち、何かあったらすぐに飛び出せるような構えである。
ゴステロは椅子を三つ持って来させていたが、誰も座っていない。
しかし――
「待たせたな。おいみんな帰るぞ」
ジュドーは部屋に入り、みんなを促す。部屋の中に、ホッとしたような空気が流れた。
「ジュドー……いやー、助かったよー、マリアちゃんてば、ウチにある菓子みんな食べちまいそうな勢いでさー、ホント――」
「まだである! ここにあるお菓子を全部食べてから帰るである! これはオトシマエである!」
マリアは食べるのをやめない。
「マリア、いい加減食べるのやめなさい。ご飯がたべられなくなるでしょ」
カルメンが母親のような口調でたしなめる。
「ご飯は別腹である!」
「マリア! あたしの言うこと聞けないの!」
「う、ううう……」
マリアの手が止まる。
「なあ……袋用意するから、この菓子全部もって帰んな。残りは明日だ」
ゴステロの言葉に、マリアの表情が明るくなる。
「なあ、カルメンちゃんとか言ったっけ。あんたも、それなら構わないだろー? 家に帰って明日に食うってことでさ」
ゴステロはアイザックのそばに行き、カルメンの顔を見る。
「わかったわ」
「め、めんちん……本当にいいのであるか?」
マリアがもじもじしながら尋ねる。
「うん。ただし――」
「いやったー! であるー! 嬉しいー! であるー!」
「ただし! おやつは三時! 寝る前は食べない! それから――」
「わかったから、あとは家でやってくれよー」
菓子を袋詰めしながら、ゴステロがボヤく。
それを横目に、ジュドーは携帯を取り出した。
「おいトラビス、車を頼むわ。そろそろ帰る……そうそう……場所はゴメスの事務所前……ああ頼むわ。行き先はオレの家だ。よろしく」
ジュドーは電話を切り、ため息をついた。
「切ないぜ……」
トラビスの運転するタクシーの中で、マリアを除く三人は黙りこみ、じっと前を見ていた。マリアは運転中のトラビスと、楽しそうに話している。
「とらちん、今度は四人で川に行くである。川で泳ぐのである。その時はまた頼むである」
「まかせな。なんたってオレは、ここで二十年間タクシードライバーやってんだから」
トラビスが本当は何者なのか、ジュドーもよくわからない。この街でトップクラスの情報屋でもあるジュドーでも、この男が何の目的で動いているのか、全くわからない。
わかっているのは、装甲車のような改造タクシーを操るモヒカン頭の変人だということ。
「アイザック、カルメン。今日はすまなかったな。それにマリアも、危険な目に遭わせてすまない」
自宅に帰ると、ジュドーはリビングに全員を集合させ、まず頭をさげた。
「ジュドー、そいつは言うな。こっちもそれを承知で行ったんだしな」
「そうそう。覚悟はしてたし、大丈夫よ」
「でも、やっつけたかったである」
ジュドーはポケットに手を入れて札束を出し、十個ならべた。
「百万? 一人十万で四十万じゃなかったの?」
カルメンはテーブルの上の札束を見て、さらにジュドーの顔を見る。
「いや、紳士的に話し合ったら、手下の非礼に対する謝罪のあかしとして上乗せしてくれたのさ」
ジュドーは得意気に言うと、テーブルの上の束を六つ取り、アイザックとカルメンの前に置いた。
「え、六十万……アイザック、六十万よ……ねえジュドー、こんなにもらっていいの?」
「六十万?」
アイザックも珍しく動揺している。
「構わんよ。三十ずつで六十万ギルダンだ」
ジュドーはそう言うと、次にマリアの前に二つの束を置いた。
「マリア、お前には二十万ギルダンだ。よかったな。チョコレートを鼻血が出るまで食っても、まだお釣りくるぜ」
「いらないである」
マリアは、いつになく真剣な顔つきだった。
「……どうした」
ジュドーも、いつになく優しく語りかけた。マリアの穏やかならざる心境を感じとったのだ。
「悔しいである。今日はとても悔しいのである」
マリアは心底悔しそうに言葉を吐き出す。
「めんちんは賢いである。あいぽんは強いである。めんちんは優しいである。あいぽんは頑張り屋である――」
「わかったから落ち着け、な?」
顔を真っ赤にして訴えるマリアを、どうにかなだめるジュドー。
「悔しいである。あんな奴らにバカにされるのが悔しいである。このお金は二人にあげてほしいである。マリアはお金ほしくないである」
「ちょっと、何言ってんのマリア!」
カルメンは驚きの声をあげた。
「マリアはバカである。バカは治らないって知ってるである。でもめんちんとあいぽんは、お金さえあれば治るである。体が治れば、あんな奴らにバカにされないである。早く治してほしいのである。早く治して、みんなで外で遊びたいのである」
マリアは、これ以上言葉を続けられなかった。カルメンが抱きついてきたからだ。
「あんたは……バカじゃない……あんたは……バカじゃ……」
カルメンの絞り出すような声。マリアは戸惑いながらも、カルメンの体を受け止めていた。
「いや、マリアはバカだ。もったいねえことを……」
ジュドーはのんびりとした口調で言うと、二十万をアイザックの手の上に乗せて握らせた。
「じゃー、そういうことにするか。お前らがもらっとけ」
「ああ……」
アイザックの表情そのものは変わらない。しかし、体はわずかに震えている。こみ上げてくる何かをこらえている、そんな雰囲気だった。
「……お前みたいなゴツい奴に泣かれたら、シャレならんからやめてくれよ。さあ、飯の用意だ。まったくよ、商売人は大変だ。むせるぜ」
よろしければ、次回もまた、連中と一緒に地獄に付き合ってください。