戦争無用
差別用語がバシバシ出てきます。ご注意を。あと、この世界の通貨の1ギルダン=ほぼ1円と思っていただければ問題ありません。
「いったい、いつまで待たされるんですかね」
ジュドーは目の前の男に尋ねる。しかし――
「へへっ、もうちょっと待ちなよ」
見るからにチンピラ然とした男は、ヘラヘラ笑いながら答えた。
あと五分待ってやる。それまでにゴメスが現れなかったら帰るぜ、このクズ野郎。ジュドーは心の中で毒づいた。
ジュドーたちは今、ゴメスの事務所にいる。事務所といっても、殺風景な広い部屋に、机と椅子と電話があるだけ。古いビルの一階にある、この事務所はゴメスをリーダーとするギャング一味の重要な拠点となっていた。そんな部屋にジュドーら四人は通されて、突っ立ったまま待たされている。
さらに五人ほどのガラの悪い男たちが、ニヤニヤしながらこちらを見ていた。時おり、ひそひそと耳打ちしては、下品な笑い声をあげている。
入って来たアイザックの体格を見た時は、男たちも息を呑んだ。しかし、アイザックが盲目であることと、彼が背負った袋の中からカルメンの顔が見えているのを発見した時から、男たちの態度は一変した。明らかに客をもてなす態度ではない。
ジュドーは自らの予想通り、ただでは帰れないことを確信した。隣にいるマリアも、普段の天真爛漫な雰囲気が消え失せ、固い表情をしている。アイザックは彫刻のように直立不動の姿勢で、入った時から無表情である。カルメンはアイザックに背負われ、緊張した面持ちで、あたりを油断なく見回しながら、時おりアイザックの耳もとで何やらささやいている。
ジュドーらの間に、重苦しい空気が漂っていた。
「あんた、いいガタイしてんね。だけど、めくらなんでしょ? もったいないねー! 目が見えてりゃ、オレの舎弟にしてやったのによ!」
口火を切ったのは、長髪の男だった。髪を肩まで伸ばし、いかにもケンカが強そうな、そして傍若無人な振る舞いの好きそうな男である。
「……」
アイザックは無表情のまま、それを受け流した。
「ああ? 聞いてんの? おっさんさ、めくらの上につんぼなの?」
「聞こえてる。喋るのは苦手だ」
アイザックはぶっきらぼうに答えた。
「ああ? なにその態度……まあいいや。それよりもだ……」
長髪の男は、アイザックに近づいた。そして、視線を背負われているカルメンに向ける。
「ねえ、後ろに背負ってる可愛い姉ちゃんだけどさ、もしかしてダルマなんじゃない?」
ダルマ、という単語を耳にした瞬間、カルメンの顔が一瞬で青くなった。
「……やめろ」
アイザックが発した声は怒気と殺気に満ちていた。今にも襲いかかりそうな雰囲気だ。
「ああ?! オレただ聞いてるだけじゃん! それとも、オレにケンカ売ってんのか! めくら野郎!」
「いやいや、そんなつもりはないんですよ、ロペスさん」
ジュドーがヘラヘラ笑いながら、二人の間に割って入る。
「え、ジュドーさんオレのこと知ってんの?」
ロペスと呼ばれた男は、不思議そうな顔をした。
「知ってますよ。ロペスさん有名ですから」
そう、ジュドーは目の前の男の事をよく知っているのだ……。
「いやーまいったね。そうかそうか。オレも有名になったもんだ」
口ではそう言いながらも、満更でもなさそうな様子でロペスは下がり、机の上に尻を乗せた。
「そういや、そこにいるダルマなんだけど、思い出したよ」
ロペスはニタニタしながら、言葉を続ける。
「そいつさ、マルケスん所にいたダルマじゃね?聞いた話じゃ、奴隷にされて逃げ出した所をマルケスに捕まって、手足ぶったぎられたんでしょ? 奴隷からダルマにジョブチェンジってワケだ。そうだよなあダルマ!」
カルメンは真っ青な顔で下を向く。しかし周りの男たちは、下品な笑い声をあげた。侮蔑の嘲笑。そして悪意に満ちた視線……カルメンは虚ろな目をしたまま、唇を噛み締めていた。
アイザックは棒立ちのままである。しかし、彼のこめかみには血管が浮き上がっていた。さらに全身の筋肉が膨れ上がり、今にも暴れ出しそうだ。
「アイザック、カルメン、落ち着け。オレがゴメスから、この分も取り立ててやるから」
ジュドーは二人のそばでささやいた。だが、彼はもう一個の爆弾の存在を忘れていたのだ。
「ダ・ダマレ……」
突然、不気味な片言の言葉が、部屋に響く。声の主はマリアだった。全身を震わせ、凄まじい形相でロペスを睨みつけている。
「メンチンニ……メンチンニ……アヤマレ!」
獣の咆哮のような声が、部屋中に響き渡った。そしてマリアは、獣のように低い姿勢で歯をむき出し、まるで猫科の肉食獣のような動きをしている……。
「やっちまったなあ……」
ジュドーは男たちに言ったあと、合掌してみせた。彼の頭のどこにも、止める気はない。
マリアはバカである。どこをつついても、完全なバカである。そしてマリアの主な特徴は、あと二つ。一つは優しく正義感が強いこと。特に、自分の仲間が傷つけられたら見過ごせない性格である。もう一つは、キレると片言になること。
「あやまれって、オレに言ってんの?」
ロペスは薄ら笑いを浮かべて、机から降りた。
が、次の瞬間。
「メンチンニイイイイ・アヤマレエエエエ!」
マリアの体が、すっと沈んだ。
そして一気に間合いを詰めたマリアの体が、ロペスの目の前で回転――
「ぶぐおおおお!」
マリアの腰の回転を効かせた左のフックが、ロペスの腹にまともに入り、手首までめり込む。
ロペスの体は、その場で硬直していた。
「あちゃー、あれは痛そうだー、内臓イカれたんじゃねえか?」
言いながら、ジュドーは他の男たちの動きを見る。
一人の男が、慌てた様子で部屋を出ていった。他の三人は仲間がやられているにもかかわらず、動こうとする気配が全く感じられない。マリアの速く見事な動きに圧倒されていたのだ。
「う、うぶ!」
ロペスは腹を抑えた。顔は自らの吐瀉物にまみれている。だがマリアの怒りはおさまらない。ロペスの髪をつかみ、アイザックとカルメンの足元まで引きずった。
そして――
「アヤマレエエエエ!」
ロペスの顔面を床に叩きつけた。そして何度も何度も、狂気に満ちた目で叩きつける。
「アヤマレ!アヤマレ!アヤマレ!アヤマレ!アヤマレ!アヤマレ!アヤ――」
「やめなさいマリア!それ以上やったら死ぬわよ!」
カルメンがアイザックの肩に顔をのせ、悲鳴に近い声で叫んだ。
マリアの動きが止まる。
「もう、いいから……でないと……あんたが人殺しになっちゃう……人殺しになっちゃ駄目……あたしたちみたいに……なっちゃ……駄目……」
カルメンは涙を浮かべながら、マリアに訴える。
「ウウウ……」
マリアは納得いかない表情をしていたが、力任せにロペスを立たせ、突き飛ばした。ロペスは吹っ飛ばされ、そのままヨロヨロとしゃがみこむ。
不意に、マリアの肩に大きな手が置かれた。
「ありがとな。カルメンの仇討ってくれて」
アイザックの声は暖かいものに満ちていた。
その時、奥のドアが開いた。そして一人の男が入って来る。ロペスと同じく肩までの長髪にひげ、背はさほど高くないが、顔の凶悪さはロペスなど比較にならなかった。
「やあトレホさん。今日も見事なひげですな」
ジュドーは両手を広げ、ハグの仕草をする。しかし――
「なんだこれは、おい!」
トレホはロペスのそばでしゃがみこみ、傷の具合を見る。ただでさえ凶悪な顔が、さらに凶悪になった。
「鼻が折れちまってるな……前歯もオシャカ……あばらもイカれてる……」
トレホは立ち上がり、ジュドーを睨みつけた。
「ジュドーさんよお、何があったか知らねえが、ここまでやるこたあねえだろうが!」
「あ、ああ……ま、ただのケンカだし……よくあることじゃないですか」
「ふざけてんのか、てめえ……」
トレホはジュドーのそばに行き、鼻が触れそうな位置まで顔を近づける。
「この始末はどうつけるんだ……ジュドーさんよお」
「すみません。ところで、今朝なに食ったんですか?なんか口からバラの香りがするんですけど」
「死にてえのか!」
だが、二人が顔を付き合わせている間に――
ロペスがふらつきながらも立ち上がり、拳銃を抜いた。
「ガキが……殺す……殺してやる……」
皆の動きが止まる。
「ロペス、てめえ何やってんだ!」
トレホが怒鳴る。しかし――
「ブッ殺してやる……ぜってえブッ殺す」
ロペスは拳銃を構え、マリアに狙いをつける。だが、マリアは怯まなかった。それどころか――
「ウウウ……ウッテミロ! ウウウ」
言い返すと、獣のような表情で、姿勢を低くした。
その時、別の位置からの銃声――
次の瞬間、ロペスは拳銃を落とし、右太ももを押さえてしゃがみこんだ。
そしていつの間に抜いたのか、アイザックの手にも拳銃が握られ、銃口から煙が出ている。
「お、お前がやったのか……目は――」
残っていた男たちの一人が、呆然とした表情で呟いた。
「見えない。見えないが、カルメンは目が見える」
淡々とした口調で、アイザックは答える。
「カルメンがあんたらの大体の位置、背格好、距離なんかを教えてくれる。あとは、聴覚や嗅覚、さらには触覚まで総動員すれば、なんとか当てられる。まあ、そこにいるバカ大将に、血ヘド吐いて血尿でるまでシゴかれて、やっと修得できたんだがな」
「ちょっと待てや! なごんでんじゃねえぞ!」
トレホの怒声と同時に、殺気立った数人の男たちがなだれ込んできた。さっき出ていった男が呼んできたのだろう。
「ウチの事務所で銃ブッぱなしやがって、どうすんだよジュドー!」
いつの間にか、トレホも銃身を切り詰めたショットガンを手にしている。
しかし――
「おい、ウチの大将にショットガン向けるな」
言葉と同時に、アイザックは左手の拳銃をトレホを向ける。さらに右手の拳銃は男たちに向けている。カルメンはあらゆる方向に視線を動かし、部屋の状況をアイザックに囁き続けていた。
一方、トレホの顔は怒りで膨れ上がる。
「おいめくら、てめえウチとやり合う気か?! そもそも先に撃ったのはてめえだ!」
「先に抜いたのはそっちだぜ。ケンカ売ってきたのもそっちだ」
「んだと……ジュドー! てめえどうする気だ! てめえが頭だろ!」
トレホはジュドーにわめいた後、子分たちの方を向いた。
「お前ら! こいつらの返答次第では皆殺しにするぞ! いいな!」
「悪いけど、それは無理」
静かな声。口を開いたのはカルメンだった。
「あんたら、マルケスのことは知ってるみたいね。じゃ、マルケスがどうなったのかも知ってる?」
「ああ? 確か一晩で全滅させられたと――」
「全滅させたのは、アイザックとあたしよ」
「な、なんだと……」
トレホが怯んだ表情を見せる。
「あたしたちはね、地獄にいたんだよ! この世の地獄にね! あんたらみたいな、弱者をいたぶることしかできないクズに負けるワケにはいかないんだよ! 来な! 一分以内に皆殺しにしてやるよ!」
カルメンの怒りに満ちた声。その表情は異様なものがあった。ギャングとして数々の修羅場をくぐって来たトレホですら、だじろがせる何かがあったのだ。
「こ、この野郎……」
「オマエラ……ブン殴リ殺ス! ゼンインブン殴リ殺ス! ブン殴リ殺ス!」
マリアはブツブツ言いながら、低い姿勢で身構えている。
恐ろしい全面戦争が、幕を開けようとしていた。
だが――
「はいそこまでー、ブレイクブレイク」
のほほんとした声が、部屋に響き渡る。声の主のジュドーは、飄々とした様子で両手をあげた。
そして次の瞬間――
「ネバーランドのみんな、オレに金を分けてくれーって……いや、今のは嘘。なあ、争いはやめようぜ。お互い痛み分けってことでさ……」
「ふざけてんのかてめえ……」
トレホは怯みながらも、威厳を保とうとする。
「なあ、バカバカしいと思わないか。だって、お前らロペスのために戦争やらかそうとしてんだぞ。ロペスにそこまでの価値があるのかね」
「どういう意味だ?」
「こういう意味だ」
ジュドーは上着のポケットから数枚の写真を取り出し、トレホに渡す。
「なんだこれ……」
その写真を見た瞬間、トレホは絶句した。
どの写真にもロペスが写っている。
少年と写っている。
二人(ものによっては三人)とも、全裸で写っている。
「いやさ、人の趣味や嗜好についてとやかく言うつもりはないよ。オレも、どっちかつーと変態だしな」
ジュドーは照れたような笑顔をみせた。
「人はもっと自由であるべきなんだよ。性に関してもな。ゲイ万歳! レズ万歳! バイセクシャル万歳! てなもんだ。ただ、相手が幼児ってのはな……あまり褒められたもんじゃねえな。ゴメスさんの評判を高めちゃくれない……ん?」
ジュドーは突然、何かに気付いたかのような表情で手をポンと叩いた。
「そうかー! そうだったのか! いやー気付かなかったよ! スマンスマン」
「な、なにを言ってるんだよ?」
完全に混乱した様子のトレホが聞き返す。
「いいんだぜ、あんたらも隠さなくていいんだ。オープンになろうよう。愛が欲しければ、ありのままの自分を太陽にさらすんだ、トレホ!」
「いや、だから、何ワケわかんねえこと言ってんだよ……」
混乱しながらも、なんとか状況を把握しようと聞き返すトレホ。さっきまでの血の雨が降りそうな空気は、だいぶ変わっていた。
「だってさ、あんたらも同じ趣味なんだろ」
「なに!」
「だって、ロペスのために戦争おっ始めようとしてんだもん。同じ趣味なんでしょ? ショタコン同好会なんでしょ?」
「ちぃがあーう!」
凄まじい勢いで、トレホは絶叫した。
「いいかあ、オレはこんな趣味は持ってねえ。ロペスは今日限り、仲間でもなんでもねえ。消えちまえ!」
「おめーら何やってんだー、ボスに怒られっぞ。さっさとロペス連れてけ。トレホの兄貴、ボスが外回りしろって言ってますぜ」
微妙な空気になったところに、とどめをさす男が登場した。灰色の髪とイカれた目つき、細いが強靭さを感じさせる体つき。だが、ヘラヘラ笑いを浮かべながら、両手をくねくねさせているその態度は、漂っていた微妙な空気をぶち壊すのに充分だった。
「んだよゴステロ。遅いじゃねえか。遅いからいじめられちまったよ」
ジュドーはゴステロの胸を軽くつつく。それと入れ替わるように、トレホと雑魚たちはロペスを引っ立て、出ていった。
「てろりん! なんであるかアイツらは!」
マリアが怒鳴り付ける。
「うがあ! 本当に頭にきたである! 大激怒したである! アイツら、今度またあんなこと言ったら、雷光みだれ突きくらわして、ヤクザキックでブッ飛ばしてやるである!」
「まあまあ、そう怒るなよー、マリアちゃーん、ほらこれ」
「うわあ、チョコレートである! チョコレート大好きである!」
「お菓子いっぱい持ってくるからな。で、ジュドー、お前は上だ。ボスが呼んでる」
「やっぱりな……じゃ、行ってくるわ」
ジュドーは部屋を出ようとした。が、いきなり腕をつかまれ、引き戻される。
「おい、オレも行くぞ」
「そうよ。あんた一人に行かせられないわ」
アイザックとカルメンは有無を言わさぬ雰囲気で、ジュドーの前に立ちはだかった。
だが、
「あのなあ、すまんがジュドーちゃん一人で来いってボスは言ってる」
飄々としてはいるが、意思をにじませた表情のゴステロが、三人の間に割って入る。
「……おい」
「いいよアイザック。一人でだいじょーぶ」
ジュドーはアイザックの手をふりほどき、一人で歩き出した。
「……わかった。気をつけろよ」
アイザックの声。
「だいじょーぶ。オレは商売人だ。金にならないケンカはしねえよ」
よろしければ、今しばらく、この連中にお付き合いください。