第六章
ヘンリーは一人夜の七十号線をひたすら西に向かって車を飛ばしていた。永遠に続きそうなこの薄暗い外套の灯りが気分を憂鬱にさせる。助手席に誰か座っていればどんなにくだらない話でも今夜だけはとことん付き合うのだが…。ハンドルを握る左手の腕時計の針は午後十時を指している。眠気覚ましにポケットからペパーミントが効いたガムを一枚取り出し、口に入れようとした丁度そのとき携帯電話が鳴った。相手は先程電話をした本庁の同僚からだった。今日の夕方、リッチモンドで殺人事件があり、その防犯カメラにトムとメラニーと思われる二人が映っているとの連絡だった。ヘンリーは路肩に車を泊めてその映像を送るように伝えた。ダグラスの家には防犯カメラが設置され二十四時間体制でセキュリティー会社が録画していたようだ。その映像は市警が事件直後にセキュリティー会社から押収したものであった。ヘンリーは先程のガムを口に放り込み、携帯電話に映像が送られるのを待つことにしたが、メールで送られてきた動画はかなり重く、ダウンロードが終わる頃には三枚目のガムの味もすっかり失せてしまっていた。送られてきた映像は画質は多少粗いがドアノブに隠しカメラが仕込まれた一風変わった防犯カメラで訪問者の上半身をしっかりと映し出していた。
画像はダグラスが慌てたふためいた様子で鍵を開ける映像から始まっていた。ダグラスがドアノブを回すと画像もそれに従い回転した。しばらくして長髪の男が家の前に立ちノブを回して中に入った。五分後に再び画面は回転しその男が家を立ち去る後姿を映し出している。それから数分後、見覚えのある二人の顔が画面に現れ、彼らも家に入り五分後に慌てて家を出る様子がしっかりと映し出されていた。ヘンリーは気づいていた。ダグラスが家に帰宅した後の映像で男がノブを回した瞬間にカメラが内ポケットが異様に膨らんだジャケットを映し出していたことを。あの膨らみ方は間違いなく拳銃、犯人はあの男に九分九厘違いないが、トムとメラニーはなぜこのダグラスという人物に会いに行ったのだろうか?同僚の話ではダグラスが殺される前に彼の経営するデンタルクリニックに二人が現れ、敢えて「ジョン・タイラー」の名で治療を受けたという。その後すぐにダグラスは受付の女にクリニックを今日で閉めると伝えたというのもおかしな話だ。ヘンリーは再び同僚に電話をしてダグラスという男とジョン・タイラー、そしてトムの接点を探すように頼んだ。もちろん、この長髪の男の鮮明な顔写真を送る依頼も忘れなかった。
ちょうどその頃、トムとメラニーはインディアナ州の州境であるテレホート郊外のモーテルにいた。ダグラスの家を出た後にテキサスのカーソン郡に向かうために七十号線に乗り、夜にはミズーリ州のカンザスシティ辺りで一泊するつもりだったが、急遽予定を変更した。
三時間前にハイウェイを飛ばしてこのテレホートの街に差し掛かった時、偶然トムが目にした街の様子が発端だった。街の至る所に群衆が集まり、その二・三カ所で煙があがっていた。窓を開けてもパトカーのサイレンの音は全く聞こえず、それらしき車も走っているようには見えなかった。トムはメラニーに言ってハイウェイを降り、大通り沿いに車を走らせているとホームセンターの前に大きな人の塊が出来ているのを見つけた。よく見ると何人かの屈強な男達がガラスを叩き割って、店舗の内側からテレビや家具といった品々を次々と表の駐車場に出している。通りすがりのスーツ姿の男に事情を聴くと昼過ぎくらいに市警のパトカーが長い列をなして州境に向かったという。全てのパトカーが出払ったせいで街は無法地帯化しているらしい。その男の話ではパトカーは先程トム達が降りてきたハイウェイの七十号線や四十号線といった主幹道路だけでなく隣のイリノイ州に通じるあらゆる道で検問を実施しているとのことだった。自分達を捕えるための検問である可能性は高い。トムはルートを変更して先に進むことも考えたが、暴徒と化した群衆をこのまま完全に野放しにできるのはせいぜい今夜まで、明日になれば一台、また一台と沈静化させるために街に戻ってきて、明日の夜には七十号線や四十号線以外の脇道の検問は撤収されるはずだ。結局、トムは再びハイウェイに戻ることなくこの街で一夜を過ごすことにした。
「メラニー、ちょっといいかい?」
トムはメラニーの部屋の戸を叩いた。メラニーは部屋に入ってすぐにシャワーを浴びたらしく白のガウン姿に頭にタオルを巻いた状態で出てきた。目のやり場に困ったトムは照れくさそうに部屋に入り、テレビの前のソファーに座ったが、意外にもメラニーは恥ずかしがっている素振りはなかった。確かに目の前の男は亡くなった夫と瓜二つ、こういうシチュエーションは彼女からしたら日常生活の一部だったのだろう。
「どうしたの?」
「あぁ、これからの話をしたいと思って…」
メラニーは黙って冷蔵庫からバドワイザーを二本取り出した。栓を開けると一本をトムに手渡し、自分はカウンターバーの長椅子に座って脚を組んだ。トムは投げ出されたその白く長い脚に一瞬目を奪われたが、頭を振って冷えたビールを一気に喉元に流し込んだ。
「それで…これからどうするの?」
「明日の夜にこの街を出る。下の道を使ってイリノイに入り、どこかで四十四号線に乗ってそのままオクラホマシティまで車を走らせようと思う。長い道のりになると思うから君には今夜はゆっくり休んでほしい。それを君に言いに来た。」
「OK、わかったわ。オクラホマシティから例の核施設まではどれくらいかかるのかしら?」
トムはメラニーのその問いに表情を曇らせた。
「その件だが、君はそこで待機してくれないか?オクラホマシティで…。そこからカーソン郡までは俺一人で行く」
「トム、馬鹿言わないでよ、ここまで来てそれはないでしょ?」
「君はもう目的を達成したんだ。これ以上先に進む理由はないよ。彼は一度は失ったと思われた人生を君と一緒にやり直したんだ。そこには国家の思惑など関係なく、自分が本来守るべきものに気づいたから、君と一緒になったんだよ。それが分かったんだ…それで十分だ」
「何を勝手なこと言っているの?貴方が私の前に現れなけばこんなことにはならなかったのよ、貴方があんなもの見つけなければ、そして一緒に来いなんて言わなければ、こんな知りたくもない事実を知ることもなかったのよ。それを目的を達成したからそれでバイバイなの?」
メラニーの瞳から今にも涙がこぼれ落ちそうになっているのを見てトムは俯いてしまった。
「核工場で待っているものは百万ドルではなく百万発の銃弾かもしれない。君をそんなところに連れていけない。次は俺の番なんだよ、メラニー。スミノフは俺達にあのショットガンの強奪を依頼した挙句、俺達を抹殺しようとした。そのせいでスティーヴンは死んだ。だから俺は決して今回の依頼主のスミノフを許すわけにはいかない」
「それなら、私が貴方のどうしようもない人生の最後を見届けるわ。もう沢山なのよ、一人残されるのは…そして愛する人が自分の知らないところで帰らぬ人となってしまうのは。だからお願い…」
メラニーは泣きながらソファーに座るトムの胸に飛び込むと唇を重ね合わせた。頭に巻いてあったタオルが床に落ちて洗ったばかりの髪からシャンプーの香りが漂った。何もかも忘れて時間が止まってしまえばどんなに良いだろうか、そして「俺も君のことを愛している」と言えたらどんなに楽だろう。その気持ちは決して嘘ではない。ただ俺はジョンではない、そしてフリントで人を殺した俺には帰る場所はない。




