第五章
ダグラスは白のランドクルーザーに乗り込むと急いでスターターを回した。これまでこの土地で築いてきた財産を全て失うことになっても自分の命には変えられない。また別の土地で新しくデンタルクリニックを開業すればいいだけの話だ。ハイウェイを降りて閑静な住宅街を抜け、山道をひたすら登る。午後四時でもまだ陽は高いがさすがにこのような辺鄙な場所ではすれ違う車は少なく、市街地で目にする子供たちの姿は皆無であった。ダグラスは車をガレージには入れず、家の前にキーを付けて止めたまま家の中に駆け込んだ。取り敢えず必要なものは金と株券、そして一度も使ったことのない護身用のS&Wが一丁。書斎にあったデスクトップのパソコンの本体はハンマーで徹底的に叩き壊し、念のため冷蔵庫にあったミネラルウォーターを上から存分に振りかけた。ここ二十年非常事態に備えてすぐに逃げれるように準備はしてきたつもりだ。最期に家の中を一通りチェックして表に出ようとしたちょうどその時急に玄関のドアが開いた。逆行で顔が確認できないが、明らかに男のシルエットだった。慌ててリビングに戻ろうと今来た逆の方向へ走り出そうとしたときその男が呼び止めた。
「ダルコ!」
聞き覚えのある声だった。
「俺だ。スミノフだ。久しぶりだな…そんなに慌ててどうした?」
「スミノフ?」
ダルコは右手でS&Wを握ったまま玄関のシルエットの男に近づいた。薄っすらと顔立ちが見える。二十数年という月日は流れどその顔には見覚えがあった。
「スミノフ…どうしてここへ?」
ダグラスは一気に緊張が解け頬を緩ませた。ばつが悪そうに握っていたS&Wを腰に挟む。
「ちょっと仕事で近くまで来たから寄ってみた。何せ二十年ぶりだからな…頭も薄くなりやがって。すっかりおっさんになっちまったな」
「一体何なんだ、今日は…。ヨセフのそっくりさんは現れるし、お前は家に来るし…」
「ヨセフのそっくりさん?何だそれ?」
「あぁ、ヨセフは何年か前に死んだらしく、今日はそのそっくりさんとヨセフの奥さんが俺のところにやって来たんだ。例の「青い悪魔」の件で知ってることがあったら教えて欲しいって」
「でも何でお前のところに来たんだ。俺たちはあの時に誓ったじゃないか、もう二度と会うのは止めようと…あのヨセフが家族に俺達のことを告げるとは考えられないが…」
スミノフは長い髪を掻き上げながら、ダグラスを訝しい目で見た。
「あぁ、俺もよくわからないが、あのブルーショットガンと青い悪魔が今頃になってロシアからこの地に運ばれてそれがあいつらの手に渡ったらしい。そのせいで警察に追っかけられてるとも言っていた。どうやら散弾にメモリーカードが仕込まれていて、当時のプロジェクトメンバーの俺達三人の名前が書いてあったという話だ。だから俺は今すぐここを引き払ってどこか違う場所に移る。お前も気をつけた方がいいぞ、スミノフ」
「お前、まさかその連中に洗いざらい話しちまったんじゃないだろうな…」
「…いや…話していない…全ては」
「図星だな…」
スミノフは後ろを向いて内ポケットからマルボロを取り出して口にくわえた。そしてオイルライターで火をつけると煙を大きく吸い込んでゆっくりと吐いた。
「お前は昔からそうだった。おしゃべりでしかも一言多い。あの時もそうだった。俺とヨセフが本部の奴等の拷問に何とか耐えていたのに、お前は銃口をいちもつに押し付けられただけでいとも簡単に吐いてしまう…昔から信用ならない奴だったよ、お前という奴は」
ダグラスが反論しようとスミノフの肩に手を回したとき、スミノフが右手をジャケットの内ポケットに忍ばせているのが見えた。合間から黒い塊の一部が覗いている。ダグラスは慌てて腰のS&Wに手を伸ばそうとしたが、一瞬早くスミノフは胸元からそれを引き抜き、ダグラスの額を打ち抜いた。
トムとメラニーが盗んだ黒のカマロでダグラスの自宅に乗りつけたのはそれから五分が経過した後だった。家の表には鍵がついたままのランドクルーザーが静かに主人を待っている。トムは家のベルを鳴らしたが返事がないので玄関のドアノブを回した。ロックされていないことがわかるとトムはそっとドアを開いた。
メラニーは短い悲鳴をあげた。リビングから玄関への通路にダグラスが仰向けに倒れている。何が起こったかは一目瞭然だった。対面の壁にはダグラスの額を打ち抜いた血飛沫が円を描くようにこびり付いていた。微かにタバコの煙の臭いがする。ゆっくりと辺りを見回すとダグラスの死体の足元には殆ど吸っていないタバコの吸い殻と共に小さいメモが落ちていた。
- I will be waiting for you in Texas. From your client, Sminoff -
「どうやら、スティーヴンの依頼主はスミノフだったようだ。起爆装置を持つ俺達にテキサスの核施設に来いということだろう」
「でもわからないわ。なぜスミノフは今頃になって起爆装置を核施設にまで持ってこいなんて言うの?それに何で警察が例のGPS機能を使って貴方を追跡できたの?」
「さぁな、元軍事関連の諜報部員で二重スパイをやっていたんだ。軍や警察機構に知り合いがいてもおかしくないだろう。とにかく、早くここを出よう。銃声を聞いた誰かが警察に電話していたら厄介だ」
ヘンリーは電話口で吠えていた。相手は本庁の同期の捜査官だった。
「そんなことはとっくの昔にわかっていると言ってるだろう。でもな、必ず接点があるんだよ。トム・ベンソンとジョン・タイラーは…いいからもっと詳しく二人の過去を調べてくれ」
トムがこの事件が起きる前までフリントでピッキングをやっていたことはフリントの警察からの情報でわかっていた。その時期は既にジョンはメラニーと結婚し、このオハイオで街医者を営んいる。同一人物であるはずはなかった。しかしメラニーがトムと一緒に行動している以上、無関係であるはずはない。人質として取り扱われているには部屋が整いすぎていた。キッチンのシンクに溜まった生ゴミは片付けられ、ディッシュウォッシャーには洗いざらしの皿やマグカップなどは一つもなかった。まるで今から長い旅にでも出かけるかのようにきちんと整理されていたのがその証だ。女はそうせざるにはいられない。特に一度家庭を持ったことのなる女であれば尚更だ。ヘンリーはテキサスに向かうあらゆるハイウェイに検問所を設けるように管轄の市警に片っ端から電話をしたが捕まったという連絡はまだ入っていない。外はもう闇に包まれ、近くの池か沼からはカエルの鳴き声が響き渡っている。ここにこれ以上いても得るものは何もないだろう。徹夜で車を飛ばせば明日の昼までにはヒューストンに着く。ただアラスカに次いで二番目に広い州、トムは向かっているのがヒューストンである保証はない。下手をすればまた終日車を飛ばして本当の目的地に足を運ばねばならない。人生百年として約三万日、その中のたった一日でも無意味に車を飛ばすために使いたくはなかった。
それにしても気になるのはCIA。あいつらはGPCでトムの位置を確実に把握し、それでいて行き先もわかっていた。大統領の勅命で俺達はいいように使われているが、そうはさせない。トムとジョンの接点さえ分かればきっとこのヤマを解決させる糸口が分かり、あいつらがトムを追いかける本当の目的に辿り付くはずだ。




