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Blue Shotgun  作者: AFD
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第三章

 リッチモンド近郊のウォールマートに車を止めて別の車に乗り換えたのは家を出てから五十分程経った頃だった。トムが調達した車は二十年前の黒のカマロで塗装も所々剥げていたが、型落ちした今でもここリッチモンドの街ではよくすれ違う車種だ。メラニーが運転席のドアを開けると灰皿から今にも溢れだしそうな吸い殻の山が目に飛び込んできた。眉間に皺を寄せながらも席に腰掛けたメラニーであったが、油でベタついたステアリングを握りしめた瞬間その大きな目をぐるりと回した。ダグラスの住所は家を出る前にウェブサイトで検索してすぐに分かった。「Kazz」という珍しい姓と彼が営むデンタルクリニックのホームページ、それだけで十分だった。夜まで待ってダグラスが自宅に戻ったところを取り押さえることも考えたが、ここで時間をロスすれば警察に追跡の時間を与えてしまう。メラニーと車中で話し合ったが、このまま彼の職場に乗り込むことにした。勿論、飛び込みの患者としてトムがジョン・タイラーを名乗りそのままダグラスの診察を受けるつもりだ。

 二人は築三十年以上経つレンガ造のビルに入り、数人しか収容できない錆びれたエレベーターに乗ってデンタルクリニックがある四階に着いた。天井の蛍光灯は寿命を知らせようとしきりに点滅を繰り返している。正面に見える磨りガラスつきのドアへ向かって進むと「KAZZ FAMILY DENTISTRY」の文字が小さくガラスにスクリーンプリントされていた。トムがドアを開くと受付で肩肘をついてパソコンに向かう黒人女性の姿が視界に入った。待合室はガランとし順番を待つ者の姿はなかった。歯医者特有の薬臭さが鼻についたが診察室と思われる奥の部屋からは甲高い機械音が聞こえることもなくただ静寂だけが二人を向かい入れた。ドアが開いた音に気付いて受付の女がトムに視線を向けた。

 「予約は入れていませんが、急に歯が痛み出したので診察を受けたいのですが、先生はご不在でしょうか?」トムは中には入らず右頬に手を当てながらその場で女性に問うた。

 「先生はいるわ。いないのは先生に診てほしいと思う患者だけよ。」

自分が言った事が余程面白いと思ったのか女は高笑いし、手招きして二人を中へ招き入れた。

トムが先週財布をすられてソーシャルセキュリティカードの再発行を現在申請中であると伝えると女はキャッシュで支払うのであれば問題ないと言ってトムに問診票を手渡した。トムは住所や電話番号はデタラメを記入したが名前だけはしっかりと「John Tyler」と記した。

 五分程待たされた後、奥の診察室から男の声でタイラーの名が呼ばれた。トムとメラニーは緊張した面持ちで奥の診察室に向かって歩き出した。ドアノブを回す前にトムは大きく深呼吸した。自分の顔を見てもし相手が何のリアクションもしなければどうすれば良いだろうか?あの写真を見せてここに貴方の名前があるのですがなど馬鹿げた質問を行うこともできまい。ましてや本当に私の顔に見覚えないですかと相手に確認することなど論外だ。幼いころから人から馬鹿にされる事が大嫌いだった。貧困な家庭に生まれてこなければきっと自分はハーバードやスタンフォード大学といった有名校へ進学し、将来は実業家となり世界を相手に己の腕試しをしていたはずだと今でも思っている。そんな根拠のないプライドが常に己の行く道を邪魔する。トムは目を閉じて(かぶり)を振った。ここまで来て今更何を躊躇している、相手は間違いなくジョンを知っているのだ。トムはゆっくりとドアノブを捻って扉を開けると入口に背を向けてブラケットテーブルの上にあるエンジンヘッドを揃えているダグラスの後ろ姿が見えた。かなり小柄な男だった。頭上の禿げあがり具合からもトムより年齢は一回りは上であろう。

 「こちらにどうぞ」ダグラスは振り向くことなくそう言うと淡々と器具を揃え続けた。歯医者にサービス精神を求めるのは酷ではあるが、なるほどこんな対応では患者は二度と来ることはあるまい。トムは忍び寄るようにそっとダグラスの背後に立った。その気配に気づいたダグラスがやっと振り向いた。トムと目が合うとをダグラスはその瞳を大きく見開き、その表情はみるみるうちに驚きから恐れへと変わっていった。トムは確信した。こいつは間違いなくジョンを知っている。

「почему?」ダグラスは驚愕のあまり大きな声で叫んだ。

「バチムー?何だそれ?」トムは眉間に皺を寄せてダグラスに責め寄った。

「どうしてっていう意味じゃないかしら。今彼が発した言葉はロシア語だと思うわ」

いつの間にかメラニーがトムの後ろに立っていた。

「さずが医者だな。何でもよくご存知だ」トムは振り返らなかった。視線はダグラスの瞳に注いだままだ。

「ロシア人か?何でロシア人がこんなところで歯医者なんてやってるんだ、おいっ!」

トムは動く右手でダグラスの白衣の襟元を掴んで絞り上げた。ダグラスは必死に抗ったが体格の差は歴然だった。十秒も経たずして爪先立ちとなり天を仰ぐ格好となった。

「ダグラス、俺の顔に見覚えがあるよな。殺されたくなければ今ここで知っている事を全て吐くことだ。幸い、患者は俺一人、たっぷり時間はあるからな」

 

 「はい。ヘンリー捜査官」

メラニーの家を訪れた小柄な男がかかってきた携帯電話に応えた。シンシナティ警察のギャレット警部からの電話だった。トムを乗せたと思われるタイラー夫人の車が隣のバージニア州へ入ったために追跡が不可能になったこと、そして夫人宅の空き地から発信装置が見つかり、ガレージの中にはトムが運転したと思われる血痕が付いた車が見つかったとの連絡だった。  

 「急いでヘリで追跡しますか?」ヘンリーは正面の若草色のソファーに深々と腰かけながらパイプを吹かしている男に慎重に尋ねた。男は目を瞑り首をゆっくり横に振った。

 「インディアナ州に隣接する全ての州境に検問を設けるように各州警察に指示を出しなさい。特に七十号線のハイウェイ、一号線などの西に向かう幹線道路を重点に…」

 ヘンリーは一瞬躊躇したが、胸に(つか)えていた疑問を口に出さずにはいられなかった。犯罪捜査部の副部長であるロニーが捜査長を飛ばして直接現場で指揮をとることなどこれまでに一度もなかった。ましてやこの事件がテロ行為によるものであれば国家安全部の管轄であり我々が出るべき幕ではない。ロニーは犯罪捜査一筋でその実力が認められ現在の地位を掴んだ男だが、九一一以降のテロ関連捜査に加わり功績を上げた等という話など聞いたこともなかった。

 「一体何が起きたというのでしょうか? 副部長自ら指揮を執って頂くことを光栄に思いますが、ガソリンスタンドでの撃ち合いをマスコミに公表することなく単なる事故扱いで処理したかと思えば、その犯人もそして行き先も既にご存知の様子…」

 「詳しいことは私も聞かされていない。ただ奴の最終目的地はテキサスということ、そしてこの件については大統領から直接長官にCIAへの全面的なサポートの要請があったそうだ。我々は奴がテキサスに着く前に取り押さえること、それだけに注力するようにというのが上からの指示だ」

 ヘンリーは首を二・三度振りながら昨日から絞めつづけているネクタイを緩めた。結び目は汗でべた付いていたが、そんな不快感より「CIAへのサポート」という違和感の方が遥に勝っていた。ガソリンスタンド跡に散らばった無数の薬莢も黒焦げの死体も事件後に直ぐに回収されたがそれらに関わる一切の情報が我々捜査官に落ちることなく、犯人であるトム・ベンソンの顔写真を渡され、彼が潜んでいたメアリーの家への家宅捜査の指示があった。ギャレット警部からの連絡で確かにあの家にトムは潜んでいたことになるが、どうしてCIAはそれがわかったのであろうか、そして奴の最終目的地であるテキサスには何があるというのか。ヘンリーはトムの顔写真をファイルから取り出して胸ポケットに忍ばせた。「現場百回」、それがヘンリーの信条だった。ヘンリーは検問準備の指示を各州警察に行うとすぐにメアリーの家へ再び足を向けた。



 

 

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