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P7

出番だと声を掛けられてステージの中央へ進む。

一番奥側に座る僕が先に立ち、2nd.バイオリンの神崎が次に、

1st.パートの佐倉が一番後ろについて歩く。

会場からパラパラと拍手が起きた。

神崎が一言、佐倉に何か声をかけてチューニングのための弓を引く。

トーンを耳に残して自分のチェロの弦を合わせる。

ふと顔をあげると、佐倉はぼんやりと会場をみたまま固まっている。

何をしているんだ? 数秒遅れて、すっと僕と神崎に視線を向ける。

緊張しているというより、何か考え事をしているように、焦点が虚ろだ。

無表情のままとはいえ、バイオリンを構えて音を合わせた時は、

さすがにほっとした。


一曲目は、サティの「おまえが欲しい」。

軽快で明るい、流れるような曲調。を、イメージしていて、油断していた。

神崎からも動揺が伝わってくる。

佐倉のバイオリンから溢れる、官能と迫力。

ほんの二日前、僕の家で合わせた時は、キーコキーコとどこかたどたどしく、

自信なさげで、神崎に支えられるような旋律だったじゃないか。

神崎が必死にペースを抑えようとしているけれど、

そちらにばかり気を取られて逆に引き込まれそうになっている。

お前ら落ち着け、と、同調して焦らないように、

予定していたより強めに弓を引く。

一曲目を弾き終えて、佐倉と視線を合わせようとしたけれど、

自分の世界に引きこもったように潤んだ目で中空を見ている。

神崎がこちらをみて、しょうがない、合わせよう、と言った風に小さく頷く。

こんな暴走は焦るけれど、止めるより、このまま自由に弾かせた方がおもしろい。

呆れたような表情を浮かべて神崎に合図を返す。

次の曲はさすがに少し慣れたのか、

一曲目ほど振り回されるような演奏ではなかった。

けれど、まるで華やかな嵐だ。

自分でも演奏しながら、感情が揺さぶられて目の奥が熱くなる。

ふと、彼女の姿が過ぎって、暖かい何かが満ちる。

一瞬、ミスをしそうになって我に返ると、

神崎がペースを崩しそうになっているのに気付く。

安定しようと意識するだけで、神崎も音を落ち着けた。

再び、ここにいないはずの彼女の幻影が笑いかける。

込み上げる想いに胸の奥がきゅっとつまって、視界がじわりと滲む。


愛おしい。


曲が終わると、肩から力が抜けて、やり遂げた充足感とステージの明るさ、

袖と客席の暗さにめまいを覚える。

神崎に促されるように席を立つと、会場から大きな拍手が送られた。

袖から女子三人が歩いてきて、花束を渡してくれた。

ぼんやりした頭で、やっと、ありがとうといって受け取ると、

きゃあという嬌声が響く。

咄嗟に振り返ると、神崎が跪いて女子生徒の手を取って、

甲に唇で触れようとしている。

お調子者め。

込み上げる苦笑のままに会場に手を振りながら袖へ引いた。

薄暗闇に踏み込んでほっと息をついて振り返ると、

神崎がさらに後ろからついて歩いてきていた佐倉をばっと抱きしめた。


「すごいよ、感動した。鳥肌がマジやばい」


一瞬驚いたような表情を浮かべてにっこり微笑む佐倉に、

右手を差し出しながら、


「佐倉君、本番に強いね、気持ちがはいって、こっちが引っ張られた」


というと、握手をしながら、ありがとう、と首をかしげた。

思わず笑ってしまうくらい緊張して動揺して、

それが異世界の出来事だったかのようにけろっとしている。

なんなんだ、彼は。


舞台の後、着替えてひとりになってからメールを送った。


「何してる?」


すぐに返信は来ない。文化祭での僕の役目は、あとは片付けくらい。

ひと通り学校全体をまわって出し物を把握すると、興味は薄れた。

ひと気のない裏庭のベンチでぼんやりと午後の空を見上げていた。

ケータイが振動して届いたメールを開くと、

「仕事」という二文字だけが表示される。

演奏中、なぜ彼女の存在がチラついたんだろう。

あの時、なぜあんなに愛おしく感じたんだろう。

今はもう、小さな戸惑いだけを残して、その時の感覚は完全に消えていた。

もう一度空を見る。夏の力強さはなくて、寂しげな青は深く、高く遠い。


「今夜、会おうよ」


文化祭の今日、解散の予定時間は早い。

家に帰る気にはなれない。

休憩時間だったのか、そのメールにはすぐに、

「終わったら連絡する」と返信が来た。

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