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文化祭前日。
一、二時限のみ授業で、三時限以降は文化祭の準備になった。
昨夜、佐倉と神崎に家に来てもらって、初めて三人で合わせた。
佐倉は、まあ弾けるなってレベルだったけれど、
神崎のバイオリンには正直驚いた。
軽く音大生レベルはいっているだろう。
驚きながら、確信する。
佐倉の調子をずっと気にしつつ、自分が格好良く目立つ事を優先する事もなく、
陰からしっかりとフォローする。
アンサンブルなのだから、もちろん、それが正当だけれど、神崎らしくない。
やはり、佐倉を特別扱いしている。
不信感は残ったけれど、不満も、明日の舞台への不安も薄らいだ。
あの程度合わせられれば、ひどく恥をかくこともないだろう。
クラスの連中を手伝って、教室の飾り付けをしていると、
スペースを区切るためにかけられたカーテンの向こうから、
もめているような声が聞こえてきた。
くぐもってよく聞こえないが、衣装が間違えているとかなんとか。
すぐに静かになったので、ちょっとした勘違いだろうと、
そのまま飾り付けを続けていると、校内放送が流れた。
今日は慌しく、何度も様々な係りの呼び出しがかかる。今回はなんだろう。
「一年生の各クラス委員二名は、至急、昇降口前に集合してください」
ああ、佐倉と神崎か。さっきまで教室内にいたはずだ。
僕には関係ないけれど、無意識に考えながら作業を続けた。
「至急だって!」
「待って、本当に無理。お願い、心の準備が」
カーテンの向こうが騒がしい。
その場にいた全員が、作業の手を止めて何事かと顔を見合わせる。
「どうせ明日、明後日って二日間、この格好で歩くんだし。
練習だと思って」
スーツを着て頭にウサギの耳をつけた神崎が、
後ろ向きに下がりながら、何かを引きずるようにカーテンからでてくる。
彼が手を引いていたのは、水色のワンピースを着た、金髪の女子。
羞恥に耐える顔をあげると、見たことのない美少女。
誰だ? 彼女を背中から押してきたクラスの女子が、
「ああ、神崎君、忘れ物」
と、「1‐1 アリスの迷宮」と書かれたタスキを差し出すと、
神崎は嬉しそうに受け取って素早く斜めに肩からかける。
そうしながら、きっと表情を変えて金髪の女の前に仁王立ちになった。
「修、往生際が悪いよ。男だろ、ハラくくれよ」
この恰好で男だろ、もないよ、と、脱力したようにつぶやく声は、佐倉だ。
さ、昇降口にれっつごー、とテンションの高い神崎に手をつかまれ、
抵抗もむなしく廊下へ引きずられていく。
あれが、佐倉?
え。えええええ?
文化祭当日、みごとな快晴になった。
僕たちの舞台の後は、文化祭以前から活動していてファンもついているという、
一番注目されている二年生のロックバンドの出番になっていて、
会場は満員に近い状態だった。
クラッシックには興味ない生徒がほとんどだろうし、
そっちに意識が行っているのなら逆に気分は楽だ。
衣装のことなど全く考えていなかったのだけれど、
神崎がどこで手配したのか三人分のタキシードを用意していた。
舞台袖で佐倉の横顔を盗み見る。
前髪は薄く垂らしただけで、
サイドも後ろに撫で付けるようにふわりとワックスで固めてある。
眼鏡を外して髪を整えただけで、まるで別人だ。
儚げでありながら凛として姿勢よく立つ。
一時間弱前、神崎に髪を整えられていた時の様子が過ぎる。
神崎が恭しく、秘かに恍惚の表情で佐倉の髪にゆっくりと指を通す。
従者が敬愛して止まない主の身支度を手伝うように。
佐倉はそんな様子を気にも留めず、心ここにあらずといった風に、
時折目を閉じてされるままになっていた。
神崎がネクタイまで締めて形を整えてやって、
修、似合うよ、と、うっとりと声をかけると、そう、と、無表情に返す。
ふと我に返ったように、伊月、ありがとう、と微笑みかけると、
神崎は頬を紅潮させて小さく俯く。
もし、佐倉が狙ってやっているんだとしたら、とんでもない大物だ。
神崎は、完全に彼に篭絡されている。
しかし、いくら顔が美形で、テストの成績がダントツだったとして、
普段の暗い、臆病な態度の佐倉に、
神崎ほどのやつがここまで平身低頭なのも不思議だ。