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父親はリビング中を拭いていた。ふと気づいて声を掛ける。
「父さん、朝ご飯まだだよね。何か用意しようか」
といっても、何があるだろう。ホットケーキミックスくらいならあるかも。
でも、父さんが朝からホットケーキか。
ハラ、空いているのか? と逆に聞かれて首を横に振る。
体が軽く、活動的になっていて、
食べれば入るんだろうけれど、おなかが空いている感じではなかった。
「コーヒーを淹れるよ。少し休憩しよう。
浩人はそっちに座っていてくれ」
言われるままにダイニングへ移った。
さっき干したカーテンにそっと触れると、もうすっかり乾いている。
バシャバシャと手を洗う音に背中を向けたまま庭を見た。
芝生は枯れて白っぽくなり、木々もぼさぼさバラバラと、みすぼらしく見えた。
春になれば元に戻るんだろうか。
いや、やっぱりちゃんと手入れしないとだめなんだろう。
草木も生きている、と、ふと過った。
生きているものはみんな、ちゃんと見ていないといけない。
みていて、手をかけていないと弱ってダメになって、
取り返しがつかなくなってしまうんだ。
きっと、自分自身さえも。
振り向くと、キッチンでコーヒーメーカーのポットを片手に、
おろおろと行き来する父親が見えた。
何をしているんだろう。ダイニングからキッチンへと戻った。
「ああ、いや、あの、コーヒー豆とフィルターはどこだったかな」
なんだかおかしくなって、笑いをこらえながら、
僕が淹れるよといってポットを受け取った。
コポコポ、シュウシュウという音を立てながらコーヒーが落ちて、
香りが広がっていく。
「昨日の会議でやっと仕事がひと段落したよ」
ダイニングテーブルについた父親が、独り言のようにそういった。
「これからは、ちゃんと家で寝られそうだ」
「そう」
サイドボードから大きめのカップを二つ出してテーブルに置いた。
「お前もまだ高校生なんだし、ちゃんと家に帰りなさい」
「帰っているよ」
静かに諭すような声に、ゆっくり長く息を吐いて、
この前ここでもめてから、二回外泊したけれど、
それ以外はちゃんと帰っている、と続けた。
コーヒーが落ち切ったのを確認して、ポットをダイニングに運び、
カップに注いだ。
父さんは僕の手元をじっとみていた。
「母さんは、先週だったかな、
あの男と暮らすから、近いうちに出ていくといっていたんだが、
その話は聞いたか?」
バカだなあと思った。
カップに視線を落としたまま、ううん、母さんとは最近会ってないよと言った。
ここにいれば何もかもが安定していて、幸せだって買えるだろうに。
そんなにあんな男がいいのかな。なんてバカなんだろう。