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P19

「でもほら、二年になったらやるんでしょう?

 大学受験でも、必要になるかもしれないし」


母親の取り成すような声に、一気に怒りが沸騰した。


「今現在の授業を理解して、テストの点数を少しでも上げたいんだよ。

 やってもいない授業の、二年でたった週一時間だけの、

 いつか必要になるかもしれないとか、

 ならない可能性の方が高い勉強なんて、やっているヒマはないよ。

 高校の授業課程に疑問があるんなら、先生に言えよ。

 学校が生徒に不都合になる事する意味がどこにあるんだよ」


そうだ、順位をキープしておきたい。できたら、少しでも上に行きたい。

近付きたい、一組にいたい。

あいつらと、ずっと。少しでも長く、そばに。


「見ていてわかっただろ、僕は数学の勉強をしていたんだ。

 中学の古典なんてやらない。日本史もやらない。

 あんたに教わる事なんて、なにもない。

 いつも、僕が家にいると邪魔そうな顔するくせに。

 僕からしたら、あんたらの方がずっと邪魔だ。

 もめたいなら勝手にやればいいだろ。

 僕を捲き込むな。勉強の邪魔をするな!」


言い捨ててそのまま階段を駆け上がり、

大きくバタンと音を立てて自室のドアを閉めた。

イメージより、散らかった部屋。

やつに漁られて、開けっ放しの書棚の下の扉からは、

しまっておいた古い教科書が数冊はみだしたまま。

のろのろとしゃがんで、それを整えて、並べて元に戻した。

親に言い返したことも、誰かにあんな風に声を荒げたのも、

思えば初めてかもしれない。

酸素不足みたいに、頭がくらくらして重く痛む。

こんな家、とっとと出て行きたい。早く大人になれればいいのに。

あんなやつらに関わるのは、もう真っ平だ。

ドアが静かにノックされた。関わりたくないと思った途端、これだ。

心底うんざりして無視していると、浩人、入るぞ、と父親の声がして、

返事を待たずにドアが開いた。

振り向こうとすると涙が滲んで、慌てて乱暴に右手の袖で拭った。

僕の机の椅子が軋んだ音を立てる。

ちらりと見ると、父親が座って僕を見下ろしていた。


「母さんは、いつからだ?」


教科書を並べ続けながら、知らない、と答えた。

答えてから、深く息を吐いて付け足した。


「二学期になった頃には、リビングでやっていたけど」


今度は父さんが深く息を吐く番。


「なぜ、言わなかったんだ」


「誰に?」


素でそう聞き返してから、

ああ、そうか、この家には父がいたんだったと気付いた。


「父さんは、そんなに信用ならないか?

 なぜ、こんな事になって、少しでも早く報告しない?」


報告。僕は部下か。

めちゃくちゃに言い返したかったし、もう一人にして欲しかった。


「報告とか、いつ、どうやってすればいいんだよ。

 電話で? 部長、家庭でトラブルが起こったんですが、って?

 僕の話を聞く時間ができたら、極力帰ってくるって言ったの、自分だろ。

 帰って来ないって事は、そんな時間なかったって事なんじゃないの?

 だいたい、これって僕が責められる事?」


「いや、そうじゃない、ただ」


「一人で起きて、適当にあるもの食べて学校に行って、

 帰って、邪魔だな、なんで帰ってきたんだよって目で見られて、

 下でやってるえろい声聞きながら勉強して、

 制服のワイシャツにアイロンかけて、

 その上、母親と家庭教師の浮気の監視しながら、

 あんたに報告までしないといけないの? そこまで責任持てるかよ」


パタン、と、整理の終わった書棚の扉を閉めて立ち上がった。

僕の椅子に座ってうな垂れる父親の前に立つ。


「勉強する。邪魔だから出て行って」


何か言いたげに僕をみて、のろのろと立ち上がって席を譲る。

椅子の位置を整えて、途中になっていた問題を、

どこまで解いたのか考え直すのに集中しようとした。

ドアのところで父親がこちらを窺っている気配がする。


「すまなかった。

 ただ、お前が嫌な思いをしていたなら、少しでも早く解決したかった。

 気付けなかったのは私の責任だ」


出て行きかけた父親を、意識だけそちらに向けて無視し続けた。

ドアのノブを回して、思い直したように言葉を続ける。


「今さら勝手な事を言っているだろうとは思う。

 浩人、何かあったら、父さんを頼ってはくれないか?

 お前を救いたい。力になりたいんだよ」


本当に今さらだ。鼻の奥が痛くなって、目がじんと滲む。

問題集に視線を落としたまま、


「塾に行かせてもらえたら助かる。あと、大学の学費お願い」


とだけ言った。

彼が、僕のそんな答えを、そんな風に僕に頼られる事を、

求めていたわけではない事はわかっていて、わざと。

数秒たって静かにドアが閉められ、階段を降りていく足音を聞いた。

有紗は今、何をしているんだろう。

少なくともきっと、僕を思ってはいない。

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