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月齢

ちいさな騎士殿

作者: 香住

 それは突然だった。深夜、俺はひとりで宿に帰る途中で――何故ひとりだったかといえば、今夜は騒々しい酒場でオレンジジュースを飲むような気分じゃなかった、ということだ。別に何があったわけじゃないが……時々すっこーんと抜けちまうことがある。ただこの夜がそうだっただけで。

 新王制が敷かれて数ヶ月、国内はだんだん狎れを見せてきた。当然のごとく比例してあちこちで騒ぎの数が増える。

 シウダの北にある小さな宿場町にその騒ぎの幾つかが集中しているという情報はどうやらガセじゃなく、ここ一ヶ月ほどあちこちで盗みの被害が頻繁に出ているらしい。しかし被害にあった商家や金持ち連中ってのは口を揃えて金額はそんなに騒ぐほどでもないから国王軍の手を煩わせることもない、の一点張り。

 それでも一応噂が収まるまではと一週間ほど様子をみることになったが……何も起こらずもう明日が最終日だ。明後日には城へ向けて戻らなきゃならねぇ。……面倒臭ぇな、またアレ着ンのかよ。

 闇夜の中に音はなく、気配だけがふっと感じられた。同時に、何かの香り――思い出せねえ。

 怪訝に思いながらもその方向を見れば、それなりの構えをした屋敷の壁に、黒い影。素早く物陰に隠れる。どうやら、ビンゴか?

 呼び笛を吹くかどうするか刹那迷ったが、俺はそいつをポケットに押し込めたまま息を潜め、その影が隠れた物――積まれた薪の山に、近づく。あともう少し、のところでブーツがざりっと音を立てた。

 瞬間、気配が消える。いや、潜めただけだ。……チッ、気付かれたか。

 警備巡回する時はいつもの得物を抱えちゃいるが、当然、こんなときは持ってねぇ。ああくそ、早く短剣買っとくか。リンゴも剥けるしな。

 こっちの存在がもう知られてるとなれば、あとはいつ仕掛けるか。剣なしでどうにか出来りゃいいが……厳しいかも知れねぇ、だったら今のうちに連中を呼んでおいた方がいいか?

 ポケットに手を伸ばしかけたとき、薪の陰から黒い塊がすっと動いた。なかなかに、早い。けれど追いつけない早さじゃない。そうだな、ティアよりちょっと落ちるか――?

 相手の武器に用心しつつ、薪を一本ガード代わりに拝借してこっちから仕掛ける。俺が蹴り出した足を、やはり当然のように黒い塊はひゅんと飛び上がって避けた。

 そこは勿論計算の上だ。見上げて拳を突き上げる―――と。

「……なっ!」

 投げナイフ、か……!

 小さな切傷が確実に目を狙う。頬とこめかみとそれから髪を幾房か切りつけて刃はぱらぱらと地に落ちる。そのあとで塊はタン、と軽く着地してくるりとまた跳んだ。

 しかしその身体が小屋の上へと跳び上がる前に俺が投げた薪がゴツ、と硬い音をたてる。

「わ……ッ!」

 予想外に幼い声と一緒に塊が落っこちて、「った~~~~」と、呻いた。

「なんだ、ガキかよ……」

 思わずそう呟いて溜息をつくと、首の左側あたりをさすりながら塊がキッと俺を睨み上げる。

「ガキじゃない! もう十五だ!」

「充分ガキだろ。ったく、紛らわしい」

 妙にデカい茶色の眼が俺のその科白でぐいっとつり上がる。癖のある、短い黒髪。喚き声を無視して、立たせようと腕を掴めば振り解かれる。

「十五はガキじゃない! 騎士にだってなれる!」

 ムキになって言い返された言葉が意外だった。騎士には確かに十五で見習にゃなれるが……

「騎士になるのか」

「当然!」

「へーえ。騎士になる前が盗賊かよ」

 ヒョイ、とガキが腰に括りつけていた袋を取り上げてシュッと紐を解いた。

「あ、コラ!」

「良かねぇンじゃねぇの? 騎士様が盗賊上がり、なんつーのは」

 ガキは一瞬焦った顔を見せたものの、俺が袋から幾つかの金の束を出すと諦めたようにフンとそっぽを向く。

「……悪いことはしてない」

「人のモン盗んでその科白かよ」

「向こうが悪いんだ! 禁制の品を見逃して金儲けしてるから!」

「へーぇ」

「それを町の人に分けてるだけだ、正当に!」

 正当に、なんて言葉を嫌味っぽく強調してガキが言う。ったく、妙な正義感で間違ったことされてもこっちが迷惑なんだっつの。

 まあ確かに被害を受けてるのは皆、隣国との商売を許された商家、それも随分と裕福なトコばかりだった。……まさかこのガキがいままでの全部やったんじゃねぇだろうな。

「いままで全部お前の仕業か?」

「だったら? つかまえて国王軍に突き出す?」

 ガキは妙に余裕のある態度を見せ、ニヤリと笑う。

「あんたには無理だよ、きっと」

 そんな妙な科白を吐いたかと思うと、素早い蹴りが続いた。確かに早い。その辺のガキよりはな。――が、所詮ガキはガキだ。

 がし、とその蹴りを受け止めると茶色の瞳が見開かれる。それからじろじろと無遠慮に俺を眺めながらガキはゆっくりと、でも警戒は解かずに足を下ろす。

「――あんた、何者?」

「国王軍近衛精鋭」

「嘘つくな」

「通りすがりのオニイサン」

「嘘つくなって」

「ンじゃ盗賊の親玉」

「……」

 オイ、それには否定なしかよ。ギロリと睨むがガキは気にせずフンとそっぽを向く。

 そして俺の手の中の袋をちらっと見やって

「そいつは諦めてやる。―――今夜は」

 ナイフが来る、とわかってはいたが防ぐには腕しかなかった。

 同様に眼を狙った薄刃は幾つかの浅い切傷と一緒に俺から刹那の視界を奪う。その隙に当然駆ける足音がして―――目を開けたときにはその姿はもう、なかった。


 翌朝、俺の傷を見て、ジェイクはかなりしつこくその理由を問い質そうとした。

 昨夜、小隊の連中の一部がこっそりと飲みに行ったこと、それから俺がそれに便乗したことはもうバレていたようだが、俺がその場からもふらりとひとりで離脱したことを気にしていたようだ。ましてやその帰りに切傷を幾つも受けてくるなんつーのは、ジェイクの眉根をきゅっと寄せる理由として充分だった。適当にその詰問をやり過ごしながら考える。

 禁制の品を見逃してる、って言ってたよな。シウダなら国境が近い。こっそりと仕入れることも可能だ。そういうヤバいモンは高く取引されると相場は決まってる。

 そう、それなら納得がいく。多少盗まれただけだから、と有耶無耶にしようとする金持ちや商家の連中たちの意図も。

 ……それにしたって、騎士になると真っ直ぐに言うガキが盗みを働くってのはいただけねぇな。どっちが悪い、ってのはおいといてだ。

 俺だってガキの頃は散々ラリーにぶん殴られたけど……人様のモンに手を出すようなことは――ああ、リンゴの木くらいだ。

さすがに金に手を出したことはねぇ。

「オイ」

 ジェイクは俺が口を割らなかったことで不満顔だ。じっとりする視線を無視して俺は煙草に火をつけながら訊ねる。

「この辺で妙な商売の話、聞いたことあるか」

「商売……?」

「ああ。珍しいもんだとか、ヤバイもんだとか」

「あ、珍しい酒ならあったじゃないスか!」

 俺たちの会話が届いていた小隊のひとりがパッと顔を上げてにっこり笑う。

「酒?」

「ええ、あー、ハリーが昨夜いなくなったあとかな。こっそりオレ、分けてもらっちゃった」

 嬉しそうににんまり笑う奴に、ジェイクが咎めるような視線を送る。奴は当然、それに気付いてこれはマズイと思ったのか、肩を竦めて離れていこうとするのを呼び止めた。

「どんな酒だ?」

「え……ああ、オレも初めて見たんスけど……」

 俺に再度問われて、睨んでいるジェイクを横目で気にしながら渋々と奴が続ける。

「ジェイク」

 と名を呼ぶと、呼ばれた当人はそれが何を意味するのかわかっているようで、ふと眼を逸らした。ったく、真面目過ぎるのも考えモンだ。ふっと息をつき、そして奴に先を促した。

「エストレージャにゃ滅多に出回らないんだって言ってたッスよ。こっそり隣国の知り合いに融通してもらったヤツだって随分勿体つけてて」

「変わったことは」

「うーん、色が随分綺麗だったかなァ。透き通った赤で、でも葡萄酒ほど濁ってないんスよ」

「……透明な、赤?」

 視線を逸らしていたジェイクがその言葉に反応して繰り返す。奴は少し首を竦めてええ、と頷き、続ける。

「でも味は、なんだか舌にピリリとくるだけでオレはあんまり好みじゃなかったんスよ。そう言ったらオヤジ、フンって鼻で笑って、『これが気に入るようになったらお前さんも裏街道まっしぐらだ』って」

「禁制の花薬じゃないか…? 麻痺に効くらしいが随分と中毒性が高くてロサード王でさえ禁じた薬が確かそんな色を」

 ジェイクが腕を組んで考え込む。そして、あまり薬葉の知識に自信がないから調べてくると宿を出て行った。その後姿を見送って、叱られなかった奴がほっと息をついて表情を緩める。

 フーン。どうやら話は繋がるな。隣国から闇品捌いて金儲け、か。どっからどう嗅ぎ付けたのか、あのガキがそこにつけこんだ。

 多少の被害ならと黙っちゃいたが人の口に戸は立てられねぇ。小さな噂が広がって俺たちの耳に入って現在にいたる、と。

「……結構、ヤバめだな」

 ふと、呟いていた。もしもそれが事実で――国王軍警護隊まで出てくるとなれば、金持ち商家の連中が焦ることも有り得る。その気になりゃ、あんなガキひとりどうにかするのはお手のモンだろう。

 今は俺たちがまだ目を光らせちゃいるが、警護は今日で終わり。そのまま放っておいてまた同じような噂が流れちまえば、もっと調べ上げると言われるのは予想がつく。と、なれば――?

「オイ、ジェイクが戻ってきたら今日の警護を早めに切り上げて宿にいろと言っとけ」

「え?」

「俺は今日は抜ける。夕方戻るからその頃にはここにいろ」

 よくわからないといった風に眼を瞬かせる小隊の連中に「いいな?」と念押しをしておいて俺はマントを掴むと町へ出た。


 そんなにデカイ町じゃない。昨夜のガキがどこの誰か、すぐわかると思ってたのが甘かった。散々歩き回るも手掛りゼロ。それらしいガキの姿も見かけたことがないという。……髪の色でも誤魔化してんのか、あのガキめ。

 ぼんやりと公園の柵に腰掛けて煙草をくわえる。ふう、と溜息と一緒に煙を吐ききると、ふと立ち止まる影に気付いて俺は何気なく振り返った。

「探してたって?」

 ニヤリ、と笑うガキ。昨夜の格好じゃなく街着になってはいるが……さすがに驚いて数秒そいつを見つめていると、奴はひょいと柵を飛び越えて俺の正面に立った。

「ああ、まーな」

「返してくれる気になったとか?」

 いつものペースを取り戻しかけて頷くと、ガキもなかなか言いやがる。

「ならねぇよ。お前に話があったんだ」

「何? 足を洗えとかってオセッキョウ?」

「――騎士になりたいんだろ?」

 生意気な口調がぴたりと止む。随分とそれは効くらしい。悔しそうに表情が歪む。本人もそれをわかっているんだろう。瞳に込められた怒りの炎で俺を睨む。

「だから?」

「騎士になるんなら盗みは止めとけ」

「黙って見てろってこと」

 訊ねるのではなく、決め付けるように強く語尾を言い切ったガキは、一層強く俺を睨みつける。

「綺麗事はいらない。あの連中がどれだけ汚いことしてるか、あんたは何も知らない」

 思いのほか強い反応に、俺はちらりとガキを見る。茶色の瞳が真っ直ぐ俺を見据えている。

「人をボロボロにして汚い金稼いでる連中に同情の余地はないね」

「――くっだらねぇ」

 煙草を地面に落としてかかとで踏みつけ、俺は言った。当然、ガキはムキになって何かを言おうとして。

「相手が汚い連中だからってお前まで落ちるこたぁねぇだろ。正当に連中を糾弾すればいい」

「無理だ」

 遮った俺の言葉に即答し、今度は別の怒りの色を瞳に宿らせた。

「国王軍は役立たずだ。表面のおべっかだけしか見ない。汚い連中の口車にうまく丸め込まれて終わりだ」

 随分な言われようだな、オイ。確かにな、そういうところが今まではあったんだとは思うがな。そう思うと気持ちはわからなくはないが―――

「やってみねぇとわからないだろーが」

「無駄」

「男の癖に諦めが早過ぎンだよ」

 ふと、ガキの表情が変わる。三つ目の怒りの炎。茶色の眼が今日一番強く、ギロリと俺を睨んだ。

「……誰が?」

「は?」

「誰が男だっての! 近視かよ!」

 ―――――――え?

 意外な言葉に、俺はまじまじとガキを見る。まあ、どこを注視したかってのは言わなくてもわかるだろう。当然、「どこ見てんのさ!」と手が飛んできたけどな。

 あ、成る……程。女の子―――だから探しても見つからねぇわけだ。てっきり男だとばっかり思ってた。

「……悪ィ」

「ホントだよ! 失礼な奴!」

 いや――。確かにそう見りゃ見えねぇわけじゃない。っていうか先入観があり過ぎた。騎士になりたい、なんて言うから――

「女が騎士になりたいってのがおかしいと思ってるだろ」

「……いや」

 一拍返事が遅れたのはちょうど同じことを考えていたから。しかしその間をガキは――いや、このお嬢さんは図星とばかりにまた怒りを露にする。

「近衛精鋭にだって女がいるんだよ! ……あんたは知らないかもしれないけど!」

 いや、よーく知ってるぜ。その女が随分頼りになるのも、結構な腕なのも、現近衛兵の教育をバリバリこなしてるのも、な。俺は個人的に女の子に武器を持たせたいとは思わねぇが。

「ま、どっちにしても、だ。馬鹿な真似してンじゃねぇよ」

 立ち上がってお嬢さんの髪をくしゃりと撫でると、邪険に払われる。

「少なくともしばらくは黙ってじっとしてろ」

「無理だね。誰かさんが昨夜のアガリをそっくり持ってっちまったし!」

 フン、と踵を返して立ち去ろうとするお嬢さんに早足で追いついて、数歩あとを歩く。ズカズカと大股に歩く態度は確実に俺への「ついてくるな」アピールなのはわかったが……放っとけねぇだろう。

「どーせならチマチマやってねぇでそっくりいただいちまえばいいじゃねぇか」

「馬鹿。……そーなると向こうだって容赦ないだろ」

「あ、わかってンだな、一応」

「一応ってなんだ一応って!」

 足を緩めずに首だけが俺を振り返る。ったく、すぐにムキになりやがって。どっかのチビに似てるかも知れねぇな、そういうところは。

 また黙々と歩き始めるお嬢さんの背中に向かって俺は続ける。

「ンじゃも少し考えろよ。この一週間国王軍の警護隊が来てたろ?」

「おかげで連中がそっちに気を取られてたからね、やりやすくって助かるよ」

「バーカ。連中が焦るのがわかんねぇのか」

 素っ気無い返事に、俺は僅かに低い声で切り返した。お嬢さんの視線が一瞬だけちらりとこっちに向いたのがわかる。

「後ろ暗いことがあるんなら、警護隊の登場は連中にとってかなりヤバイ。お前らにタカられるよりはるかにな」

 返事もしない。ただ、拳がきゅっと握り締められていた。俺の言ってることが当たってるとわかってるんだろう。唇を噛んで、何も言わない。

「警護隊は本日で任務終了。明日にはオフォスへ戻っちまう。――連中がどう出てくるか、想像つくだろーが」

「だったら今夜やるっきゃないね」

 ぴた、と足を止めてお嬢さんが振り向いた。怒りというよりは真面目な顔で。

「明日以降、奴らがどう出るかわからない――だったら、今夜がラストチャンスだ。まだ警護隊はこの町にいる。騒ぎを起こすのはヨロシクないだろうからね」

 そしてニッと唇を上げる。茶色の瞳は今度は怒りではなく、目的に向かってまっすぐ見つめる輝きに変わった。俺は煙草をくわえてその先に火をつけ、ふっと煙を吐く。

「なるほどな、一理ある。――ンじゃ、俺を雇わないか」

「は?」

 ニヤリ、口角を上げておいて煙を吸い込む。僅かに細めた視線の前で、お嬢さんは思いっきり顔を顰めていた。

「どういうつもり?」

「ま、用心棒ってとこだな。分け前は3割でいい」

「そんなに出せるわけないだろ、1割だ」

「……暴利だな」

「ボランティアも募集中」

「足元見やがって」

 ジロリと見ると、得意そうな顔で俺を見上げている。ふうと溜息をついて肩を竦めてイエスの返事をすれば、お嬢さんは初めて笑った。

「契約成立! あたしはキーファル。キールって呼んで」

 そして差し出された小さな掌を軽く握り返して「ハリーだ」と名乗りを返した。そのときにふわりと、オレンジの香り。

 ああそうか、オレンジ。昨夜微かに感じたのもその果実の香りだった。


 キールは幼くして両親を亡くしたあと、施設で育ったという。隣国との境の町シウダはボロ儲けしている商人のせいで貧しい人々が随分と生き辛くなっている、と彼女は言った。

「働きたくても仕事はないし、あいつら、ホンットに足元見るんだ。給金なんてパンが買えるか買えないかくらいだったりするときもあるしさ」

 悔しそうに唇を噛む。

「だから騎士になる。騎士になって、あいつらの不正を全部暴いてやるんだ。国王軍は結局頼りになんかならない。王が変わったってこんなもんだ。国なんか頼れない。自分でどうにかするしかない」

 諦めている、というよりも、もしかしたらそれが普通なのかもしれない、こんな、オフォスから離れた小さな町では。国王の声も眼も、ここまで届かねぇ。その手となるはずの俺たちもだ。そういう微かな声を取り落としたくなかった―――筈なのに。アシュレにバレたらぶっ飛ばされそうだな。『一体何処を警護して回ってるのだ!』って。

 でもってあのお嬢さんは言うんだ、きっと――『それならば私が赴く』ってな。言い出したらきかねぇし、アシュレにンなこと言い出された日にゃ精鋭隊長殿がどんな眼で俺を見るか。おお、コワ。

「遅れないで来ること。――っていうかあんた、剣も何も持ってないわけ?」

 がらりと口調を変えて極めて事務的に待合せの時間と場所を告げると、キールはじろじろと俺のマントの下を覗き込もうとする。

「普段持ち歩いてねぇだけだ。ンで、俺は何をすればいい?」

「役割はそのときに話す。仲間がいるんだ、連中を危険に晒せない」

 言うことだけはいっぱしだ。これが盗みの相談でなければ随分としっかりした奴だと感心するんだがな。

「俺の腕は信用するのか?」

 わざとそんな質問を投げてみると、キールはニヤッと笑って悪戯っぽく俺を見上げた。

「まーね。あんたの動きはそう悪くない。旅の人間にしちゃ上々」

「そいつはドーモ」

「じゃ、あとで」

 軽く右手を掲げてキールはくるりと踵を返す。身軽に駆けていく後姿に、どことなくティアを重ねて見た。

 なんでだろうな、全然性格も容姿も口調も違うのに――似てるのは育った環境くらいだ。ああ、それと、その環境をどうにかしたいと思う正義感の強さは、似ている。

 なんとかしたいと思う気持と、それを貫く正義感。それにあの気の強さは――カルによく似てやがる。

 ああ、そうだな、足して二で割ったような感じだ。あの二人にガキが出来たらこんな感じか?


 宿に戻ると、真っ先にジェイクの仏頂面に出迎えられた。予測はしていたが、俺が最終日の警護をサボったのが随分と頭にきたらしい。

「いいじゃねぇか、初日に堅ッ苦しく挨拶しといたろ」

「初日と最終日と、警護隊長がしっかり挨拶すれば民衆も安心するだろう!」

 言ってることは正論だ。一応規則じゃそうなってる。でも面倒くせぇんだっての。俺じゃなくたって問題はねぇ筈だしな。

 ジェイクは真面目で一本気はあるんだが…そういう柔軟性に欠ける。一度それを指摘したら不愉快そうに表情を歪めて『それは……あなたの我侭を見逃せということか?』だなどと逆にいろいろ小言をもらう嵌めになった。

「ハイハイハイ、リョーカイ」

 おとなしく首を竦めればそれで終ると思っていた追及が、今度は別の方へと向けられる。

「あなたはそれをわかっていて何処へ行っていた?」

「だーから、野暮用だって言っただろーが」

「昨夜もだ」

「そっちも野暮用だ」

 何度目か、うんざりしながら同じ科白を繰り返すと、ジェイクは不愉快そうに眉を寄せる。

「イヴレット嬢がこの辺りへ来ているという情報は特に聞いていないし……それならそう言ってくれると思っていたんだが。まさか、他に女性がいるわけでもあるまい?」

 オイ、なんでそこでイヴが出てくんだっつーの。他の女とか何とか、ったく、この男は……! 今度は俺の顔が不愉快そうに歪んだのを見て、ジェイクが僅かに笑う。

「関係ないだろーが」

「まあ、そうだろうとは思うが……あなたが女性絡みで仕事を放り出すことは考えにくい」

「そいつはドーモ」

 皮肉をこめて言い返してもジェイクは動じる様子もなく、結局質問は最初に戻る。面倒になってきた俺は、そういえばと別な方向へと話を向けた。

「ところで花薬のことはわかったのかよ?」

「花――ああ、そうだ、調べてきたんだ」

 急な切替に僅かに戸惑ったのち、ジェイクはごそごそとメモを取り出して数枚繰る。そしてたどり着いた先を指で追いながら読み上げた。

「飲んだ本人にも確認したが、恐らくは間違いない。――強い幻覚症状と中毒性を持つヒアラの花を漬けた酒だろう。十五年程前にかなりの中毒者が出て以来、花でさえもエストレージャへの持込は禁じられている」

 ふん、なるほどな。こっちもビンゴ、か。ヤバいものほど高い値がつくモンだ。ここの連中もそれはよく知っている。

「何処から仕入れたか酒場の主人に聞いてもみたんだが…知らぬ存ぜぬの一点張りだった」

 がっかりしたような口調に思わす「そうか」と言いそうになって、止まった。

「聞いたって……昨夜の酒場にか?」

「ああ、禁制の花薬なんざどこから手に入れたんだ、と」

 この、石頭! ンなことしやがったら連中が警戒するに決まってンじゃねぇか!

「……ハリー? どうした?」

 なんて言えばいいんだか……そうか、国王軍が頼りにならねぇってのはこういうとこからきてるのかも知れない。ふつう聞かねぇだろ、真っ正直に!

「……?」

「いや、なんでもねぇ。――出掛けて来る」

 はぁ、と溜息をついて俺は立ち上がる。マントを引っ掴み、煙草をくわえて部屋を出ようとしたときにジェイクが訊ねた。

「何処へ行く?」

「野暮用」

「ハリー」

 当然、ジェイクが眉間に皺を寄せる。

「昨夜からあなたは何かおかしい。私に隠し事をしていないか?」

「隠し事、ねぇ」

 軽くマントを留めると、くわえた煙草の先に火をつけた。考える振りをして眼を逸らす。

「まさか―――」

 俺のその様子を観察していたジェイクははっとして口を抑えた。

「まさか、イヴレット嬢以外の女性に会いに行く……わけではあるまい?」

 だから、なんでそこに話が行くんだっつの! 関係ねぇだろうが!それとも何か、お前イヴのファンなのかよ、小姑みたいに口出しやがって!

 面倒になった俺は大きく溜息をつくと

「そのまさかだよ」

 とだけ答えてくるり背中を向ける。嘘は言ってねぇぜ、あのガキ……もとい、キールだって一応女だからな。

 当然、後方ではジェイクの抗議の声があがってたが俺は綺麗さっぱり無視して待合せの場所に向かった。


 薄闇の中、その場所に着くとふうっと煙を吐く。すぐに気配がして、闇の中から声がした。

「――早いね」

「ちっとな、居づらくて」

「客引きにでもつかまった?」

 笑いを含んだ声で返しながら、キールが姿を現した。最初の夜に見かけたのと同じ、身軽な格好。口許に笑みは浮かんでいるものの、茶色の瞳は緊張感を孕んでいる。

「似たようなモン」

「来な、仲間に引き合わせる。――それと、仕事が終るまでそいつはお預けだ」

 顎でくいと小屋の奥を差してそう言うと、ちらりと俺の煙草を見る。微かに肩を竦め、俺は唇から地面に落として踏み潰した。

「火が標的になっちゃ困る。特にこんな闇夜じゃね」

 見上げた先は確かに暗闇が広がる空。月は雲に隠れて姿を見せていない。

「止めといた方がいいぜ」

 たぶん、無駄だろう。そうわかってはいたものの、言わざるを得ない。ジェイクの阿呆が馬鹿な真似したおかげで、商家の連中はピリピリしてるだろう。警護隊の出立を待たずに仕掛ける可能性もある。――そうなってからじゃ、マズイ。

 いくらキールの腕が多少良くとも、連中は金に物を言わせられる。そうなっちまえば太刀打ちできる筈がない。

キールは俺の予測どおり、ふっと笑ってさらりと答える。

「今更」

 仕方ねぇ、な。俺がどうにか出来る範囲ならいいが……小隊を呼ぶことになるとまたあとが面倒だ。ジェイクの野郎になに言われるか、たまったもんじゃねぇ。出来れば俺ひとりで片付けばいい――けどな。

 俺は了承の印に黙ったままキールの後に続いた。

 壊れかけた小屋には、僅かな火をともしたランプがひとつ。ろくに見えやしない。人数は二人。ひょろりと背の高いのと、キールくらいの背の長い髪。そんな影だけが見える。

「今夜がラストチャンスかもしれない。最大限いだだけるだけいただいてく」

 キールの声は落ち着いている。おのおの了解の返事をしたことで、男二人だとわかる。

「ジムとあたしが蔵の中へ。ロックは外を」

「コイツはなんだ」

 四つの目線が俺に集まってるのは最初からわかってた。長身のガキが穏やかだが芯の強い声でキールに訊ねる。

「ロックと一緒に外の見張りに雇った。ハリー、だ」

「荷物もちか?」

「そんなトコだな」

 冷やかすような声は長髪の影。項で無造作に括った先がさらりと揺れる。そして俺を見上げる猫眼が幼さを滲み出させた。肩を竦めて答えれば、フンと鼻を鳴らす。


 闇夜がその黒を増し、町はすっかり寝息を立てるように静まった。侵入経路の前で時を待つキールにこっそり声をかける。

「武器は持ってるな?」

 瞳が横に動き、煩そうに軽く頷く。

「充分に気をつけろ。ヤバかったら無理をすんじゃねぇぞ」

「歳取ると心配性になるわけ?」

 くすりとも笑わず、無表情でキールが返す。その冷ややかさは恐らく、緊張。

「かもな。――何かンときは必ず呼べよ」

「年寄りに頼る気はサラサラないね。―――行くよ!」

 厳しい視線で俺を一喝したあと、ジムに向かって放たれた言葉がきっかけだった。ふたつの影がデカイ屋敷へとその影を消す。まだ、町は静かだ。

「あんたの得物、随分デカいんだな」

 背負ってる大剣を見て、ロックが感心したように言う。

「なんで柄に包帯巻いてあんのさ?」

 ぐるぐる巻きの白い布を不思議そうに見やるロックに、俺はにやりと笑って答えた。

「無茶して怪我したんだよ、コイツは」

 言えるかよ、国王軍の紋章がついてますとか。それを誤魔化すのにどうするか考えて、結局包帯巻くしかなかったけどな。

「持主に似てんだな」

「お褒めいただきアリガトヨ」

 闇の向こうの気配が、ふと、変わった。嫌な予感がぞくりと身体中を駆け巡る。

「ロック、武器持ってるか」

「へ? ああ、剣なら―――」

「ンじゃ自分の身は自分でしっかり守れよ?」

「は? どーゆーコト……」

 その言葉が終るか終らないかのうちに、一気にすべてが変わった。

 木々の間からざっと飛び出してくる。ガキン、と剣のぶつかる音。うしろでロックの悲鳴が上がる。振り返れば剣を持ったはいいが戦うっつーより逃げ惑う、のほうがしっくり来る。

 チッ、と舌打ちをしてそっちへ駆けた。ガキを背中に庇って二度三度と剣を振るう。幸いそんなに腕の立つ連中じゃなかったこともあって、数分で5人がどさりと地面に倒れた。僅かな静寂が戻ってくる。

「オイ、大丈夫か」

「……痛い」

 振り向いてロックを見れば、左腕にざっくりと切傷。致命傷ってわけでもねぇが、掠り傷ってほどでもない。ガキの盗賊相手に本気でかかってくるとはな――中がヤバイか。

 手早く、柄に巻いた包帯を少し解くと適当な長さで切ってロックの左腕を縛る。そしてポケットから呼び笛を取り出して、差し出した。

「……え」

 ロックはずっと俺の手元を見ていた。少しだけ解かれた包帯の下に見えた紋様や、俺が差し出した笛の色も。

「町外れの宿に俺の仲間がいる。俺の使いだといって連中をここに来させろ。いいか、急げ!」

「でも……」

 ちらりと視線は屋敷の中へ。その手に強引に呼び笛を握らせると、その小さな背中を押した。

「中は俺が食い止める。だから急げ、わかったな?」

 戸惑いながらもこくりと頷いたロックを髪をくしゃくしゃっと撫でておいて俺は踵を返した。中からも僅かに剣戟が聞こえる。くっそ、やっぱり連中、焦りやがったか…!

 蔵へと入っていくと、数人の男どもが剣を手にしているのと出くわし、当然のごとく切りかかられる。そんなに使い手ってわけじゃねぇが…数が多いと面倒だ。奥のほうで随分とざわついているのがわかる。剣戟と人の呻き声と足音と。そこへ向かえば当然、気付いたヤツから順に剣を構える。

 そいつらを切りつけて奥へと進みながら、目指す先の名前を呼んだ。

「キーーール!」

 ああ、くそ、面倒くせぇ! ちまちまちまちま来んじゃねぇよ!

「キール! 返事しろ!」

 あいつの武器と腕ならこの連中くらいどうにでもなりそうだが…あのジムってガキがどれだけ出来るのかわからねぇ。くっそ…どこだ? どこにいる?

「ハリー!」

「キー……」

 微かな声に振り向けば、左腕で肩を抑える姿。その指の間は赤く溢れて、床を濡らす。足元には壁に背を預け、赤く染まった脇腹を抑えるジム。当然、二人には幾本もの刃が向けられている。

「こいつらの仲間か。――剣を棄てな」

 にやりと下卑た笑みを浮かべて、取り巻きの男たちの中のひとりが言った。睨み合う先で焦れた男がひとり、キールの傷ついた右腕をぐいと持ち上げる。悲鳴をあげるのを堪え、悔しさに歪む、顔。

「たかだかガキ二人に随分カリカリしてンじゃねぇか」

「黙れ! 早く剣を棄てろ!」

 ぐるりと見回したところ大体二十人程度ってトコか。雇い主の姿は見えない。二十人――俺ひとりでならどうにかなるかもしれないが、ガキ二人がいるとなると話が変わる。

 しかも二人とも手負いかよ……キールはどうにかなるかもしれないが、ジムは背負ってかねぇと無理だろう。ロックを連れてこねぇで良かった。あいつがしっかり走れば間に合うか?

 ジェイクに何言われるかわからねぇが、とにかく来てくれりゃここは切り抜けられる。

「剣を棄てろ!」

 三度目。構えた剣を下ろし、僅かに躊躇した。コイツをこのまま渡して、国王軍の紋章がバレたら―――面倒だ。

 ふう、と大きく息をついて剣をすっかり下げる。

「リョー、カイ!」

 大きく振り被って、近い窓から外へと放り投げた。ガシャン、と窓の割れる音と飛び散る破片に僅かな隙が生まれ、それを逃しはしないとばかりに腕を掴み上げられていたキールがその足を男の顔面へと蹴り上げる。

 そのまま手近な二人へも蹴りをお見舞いするも――痛みは彼女の動きを鈍らせる。傷ついた肩に拳を入れられてがくりとその膝をついた。

「キール!」

 ったく、このお転婆娘が! 無茶ばっかしてんじゃねぇ!

 駆け寄って男との間に割り込み、次の拳を受け止めた。そしてギロリと男たちを睨みつけて、口調は穏やかに。

「怪我してンだ、甚振るのが趣味なわけじゃねぇだろう?」

「そのガキにゃ自業自得!」

 確かにな、突然蹴りを――しかも急所に入れられりゃ頭にも来るだろう。

 ったく、しょうがねえ。キールの代わりに俺に向かって飛んでくる拳を軽く食らっておいて、じんと痛む頬に顔を顰める。

「これでいいだろう。怪我人にゃこれ以上手を出すな」

「フン」

 男が表情を歪めてふいとそっぽを向いた。その間に蹲るキールに「大丈夫か?」と訊ねつつ、小声で聞く。

「ロックはあいつ、足が速いか?」

 その質問の意味を数秒でキールが読み取り、僅かに頷いて口角を上げた。しかしふとその顔が曇る。

「でもアイツ、方向音痴」

「……シャレになんねぇな」

 チッ、と口の中で舌打ちをした。

 男たちはニヤリと笑い、各々が剣を構える。

「悪いが、ちょっと痛い目に遭ってもらうぜ? …二度とこの辺りウロつけねぇようにな!」

ジムとキールを背中に庇うがこの人数、どこまで堪えられるかわからねえ。やっぱ間に合わねぇ、か?

 あのまま剣を棄てなきゃ良かったか。いやむしろ、短剣を買っときゃよかった。しばしリンゴの時期じゃねぇとか言って先延ばしにし過ぎだ。こっちは丸腰、手負いが二人。向こうさんはしっかり手に手に剣を持って二十人。

 ロック! あのクソガキ、迷ってたりしたらぶん殴ってやる!

 一斉に切りかかってくる気配を感じる。視界の中、男たちが一斉に地を蹴った。幾つか、僅かに先に振るわれた剣はどうにか弾くものの――

「……痛ッ!」

「キール! 馬鹿野郎、大人しくして―――!」

 自分をガードすれば後ろまで手が回らない。小さな悲鳴に振り返れば、当然背中ががら空きだ。剣を振り上げた男が、ニヤリと勝ち誇ったように笑うのが、見える。視界の片隅。

 それが振り下ろされる刹那に、耳に響く蹄の音とそれから――風の匂い。背に負うはずの痛みは一向にやって来ず、代わりに新しい声がした。

「――何をしている!」

 その、凛とした声に俺は僅かに息をつき、ジムとキールを背に回してゆっくり振り返った。

 馬上の男は長いマントに身を包み、剣を片手に連中を見下ろしていた。随分と飛ばしてきた証拠に、馬が――イルークがまだ落ち着かない素振りで幾度か床を蹴る。

 突然の登場に、男たちはたじろいで目をぱちくりとするだけだ。

「何をしている、と聞いている。――答えろ!」

 怒りが露になった声音が蔵に響いた。しかし現実に立ち戻った連中は愚かにもそこへ刃を向けた。

「ひっ、ひとり増えたくらいで……!」

 最初にそう叫んだ奴に背中を押されるように、萎れた志気が再度、高揚する。向かってくることを知った馬上の男はひらりとマントを翻して地に下りた。黒き地に金色の模様を施した制服が露になる。

「ハリー!」

「ありがてぇ!」

 奴は手にしていた剣を俺へと投げ、それがまるで切欠のように連中が今度は二手に分かれて斬りかかる。いつもの得物よか随分細くて短くて頼りないが……ないより断然マシだ。それに文句を言える立場ってわけでもねぇ。

 ジムが動けない壁際から離れずに、前へと出ようとするキールを抑えこみつつ、斬りかかって来る男たちへと刃を向ける。そして俺に剣を投げたあとの右手は、しゃらんともっと細いレイピアを抜ききり、左手の短剣とともに、かざした。


 なんとか二十人が呻き声を漏らすようになるまで、数分。受けた傷は少なくはないものの、深手はない。――いや、ひとりいたな。

「ジム」

 背に身体を預けているガキの傍に跪くと、傍にいたキールが正面を空ける。その傷と出血具合とを確認する。危ねぇところは外したらしい。出血も収まりかけている。

「大丈夫だ、死にゃしない。コイツでくるんどけ」

 と、キールへ向かってマントを放ると、その背中に「ハリー」と声がかかって振り向いた。険しい顔で腕を組むその相手が、濃紺の瞳で睨む。

「……何をしてるんだろうね、君は」

「あー……まあ、いろいろ、な」

「私たちが内偵を進めていなかったらどうするつもりだったのかな?」

「内偵?」

 はぁ、と溜息。そしてギロリと横目の睨み。……ったくよ、ワリにあわねぇっての、これじゃ。

 三本のラインの入った腕章をつけた左腕を掲げて、奴はコンコンと蔵の壁を叩く。表情は非常に険しく、ジョークで片付けられるような雰囲気では決して、ない。

「ここの商家がどうも、禁制の品を扱っているらしいという話は聞いていた」

「へえ、そりゃ初耳」

「話を聞いてるだけなら、その辺のジジイでも出来るよ!」

 俺が茶化して答えると、ジムをマントでくるんでたキールがすっくと立ってその人差し指を真っ直ぐに精鋭隊長へ向けた。

「聞いてたんならどうして何もしないんだ!」

 怒りを、涙を、堪えながらの糾弾は勿論相手を間違っている。キール自身もわかっているんだろう。そしてそれを受ける男も。

「――すまない」

 奴が素直にそう謝ると、キールの瞳がふっと緩む。怒りに震えた瞳がその涙を零す一瞬前に、彼女はくるりと背中を向けてまた、ジムの傍に蹲った。握り締めた拳が微かに震える。

「ンで? 内偵してたってことは――」

「ああ、何処に流しているのか、やっとわかったのが昨日の朝だ」

 キールに向けられていた瞳は優しかったものの、そいつが俺に向き直ると途端にきゅっと引き締まる。

「卸し先へは今朝方既に手配をかけた。それが終ってからここを押さえようと思ったら――途中で君の名を叫ぶ子供に会ったものでね」

 その言葉にいち早く反応したのも、勿論キールだ。がばっと立ち上がって駆け寄ると、黒の制服のマントをしっかと掴む。

「ロック! そう、ロックは無事?!」

「ああ、兵に保護するよう命じてある。腕の怪我は浅いし、足の傷も問題ない」

「足? ……あのガキ、足なんか怪我してたか?」

 明らかにほっと安堵したキールの背中に、独り言のように呟いた言葉を彼女が拾う。

「あいつ、足は速いけど方向音痴で、しかも良くけつまづくんだ」

 ……ったく、ホンットに使えねぇガキだな、オイ。道に迷った挙句コケて、ンでもって俺の名前を叫ぶたぁ……やってらんねぇっての。

「良かった……!」

 ふと零れたキールの声音には言い知れないほどの安堵の色が占める。ジムの怪我もたいしたことないし、まあ、コイツにしてみりゃほっとしたんだろう。

「……阿呆だな」

「るさいッ! 馬鹿にするな!」

 わざとそんな風に言ってみれば、キールの怒声が復活する。鬼のような形相で俺を振り返って睨みつけるその眼光から逃げようとしても、もうひとつ、濃紺の瞳にも捕まえられて俺はどうやら逃げ場はないらしい。

「で、ハリー、君はここで何をしている?」

「あー……今はコイツに雇われてる」

 親指でキールを指せば、僅かに、間。溜息。

「……また仕事放棄?」

「違ぇよ、プライベートタイムをどう使おうと自由だろ?」

 つーか、『また』ってなんだよ『また』って! 人聞き悪いな、そんなんじゃ俺が始終サボってるみてぇじゃねぇか!

 歪んだ俺の表情をちらりと見て、奴が言う。

「ジェイク=ウォーバートンからは今日の警護に出席しなかったと報告があがってる」

 あンのヤロ。今度本気でシメてやる! 得意げなジェイクの顔が簡単に想像出来て、俺は忌々しげに舌打ちをした。

「とりあえずは私ではなく、陛下の判断をお伺いしよう。―― 一緒に王城へ」

「マジかよ……」

 一気に憂鬱な気分に落ち込んで項垂れる。アシュレが何を言い出すか――あの細かいガキにいろいろ言われるのが面倒で俺は外に出てるってのに! これで城内勤務でも命じられてみろ、俺は脱走してやるぞ!


「っていうか、どういうこと?」

 いかにもきょとん、とした顔でキールが俺と隊長をと見比べる。そして改めて、キールのびっくり眼が腰に帯びた鞘に掘り込まれた紋章と、近衛精鋭の正装とをまじまじと見つめる。

「そうか、まだ君の名前を聞いていなかった」

 そう言うと、精鋭隊長殿はにこやかに笑い、右手を出して名乗った。

「私はセレスト=エストラーダ。よろしく」

「え……あ、キールです。キーファル=モリナ」

 ……敬語かよ。俺にはうるさいだのなんだのって随分な言い方してやがったくせに。

「ええと……?」

 ちらちらと見やるのは近衛兵の制服。そして腕の腕章。

 あ、そういやコイツ、騎士になりたいとか言ってたんだったか。無遠慮なキールの視線に気付いたセレが、にっこりともう一度微笑んで、補足した。

「ああ、今は近衛精鋭の隊長をしている」

「近衛騎士、精鋭の、隊長……?」

 思わぬ相手に放心状態のキールがはっと我に返ったかと思うと、急にあわあわしだし、そして挙句の果てに俺をびしっと指差した。

「じゃ、じゃあ、コイツは何?!」

「何って、オイ、俺はモノじゃねぇんだぞ、ったく」

「うるさい! ハリーは黙ってな!」

 一瞬、くわっとばかりに俺に叫んでおいてキールはじっとセレの次の言葉を待つ。……随分扱いが違うじゃねぇか。

「また、何も言ってないの?」

「聞かれねぇことまでベラベラやる趣味はねぇなー」

 肩を竦めてポケットから煙草を取り出して答えると、セレは呆れ顔で溜息をつく。そしてキールに向き直る。

「彼も、近衛精鋭のひとりだよ。今は国内を警護して巡回しているんだ」

「国内、警護隊……?」

「ああ、そう。その隊長が、彼だよ」

 頷いたセレをたっぷり十秒見つめていたキールは、今度は俺に掴みかかる。

「何で何も言わないのさ!」

「お前が聞かなかったからだろーが!」

「聞かなくたって言えよ、それくらい!」

「なんでプライベートで国王軍の名前出さなきゃいけねぇんだっつの!」

「なんででもだ!」

 無茶苦茶な論理を繰り広げるキールに、俺が口で負けたのは言うまでもない。気の強い女ってな、なんでこうも集まるんだか……


 翌日、警護隊の城帰還に合わせてセレの一行もオフォスへ戻ることになった。怪我の手当のあるジムとロックはシウダの医者に預け、キールは同行した。

 ジェイクは随分オカンムリだったが、セレが奴の肩を持ったことで俄然機嫌が良くなり、ここぞとばかりに散々俺を突付きやがった。くっそ、セレが二人に増えた気分だ! 面倒くせぇ!

「ねえ、なんで制服着ないの?」

 馬の背に揺られながら、キールが俺を見上げて訊ねる。

「キチキチしてンのは好きじゃねぇンでな」

「セレストさん、似合うねー、カッコいいなー」

「……あソ」

「あー! 嫉妬してるー!」

「誰がするか!」

「う、わっ……ちょっとハリー、いきなり走らせるなってば!」

 焦ったキールがばしっと俺の肩を叩く。ったく、ほんっとに手の早い、可愛くないガキだ。


 城は何日ぶりか、たまに立ち寄るだけならいいんだけどな。

 前庭で馬を下り、小生意気なお嬢さんが降りるのに手を貸していると、「ほう」と楽しげな声が聞こえる。振り向かなくてもそれが誰だかわかるけどな。

「珍しい」

「……お久しブリデス」

 嫌そうな顔を隠さずに振り向けば、眼をまんまるに見開いたアシュレが俺とキールとを交互に見つめていた。くすりと笑いながらセレがアシュレに近づき、その手を城内へと導く。

「陛下、ご報告を」

「うむ。―――ハロルド、今回は滞在するのだろうな?」

「いや」

「勿論ですよ。彼からもご報告があるようですから」

 ニヤリ。そうだ、その形容詞がぴったりなセレの笑みに、アシュレは「そうか」と呟く。そしてはっとしたようにキールを見つめる。

「まさか、あの娘と何か、というわけではあるまい?」

「さあ、それはのちほど」

 おいセレ、否定しろっての。

 ますます笑みを広げるセレに、アシュレがもっと丸く眼を見開く。そして促されるままに城内へと歩みを進め、その背中を溜息をつきつつ見送る俺の耳に、アシュレの声が届いた。

「イヴレットが今どこにいるか、調べてくれぬか」

「イヴ、ですか?」

「ああ。彼女に会わせてみたい」

 ――って、オイ! 悪趣味なこと考えてンじゃねーっての!

 まったく…あの我侭お嬢さんにも困ったモンだ。俺のことにアレコレ口出す前に自分をどうにかしろっての。――まったく。

「――ハロルド!」

 明るい声に、俺の思考が切り替わる。眼を上げれば、灰色の髪が、揺れる。

「オウ」

「珍しいわね、あなたが大人しく戻ってくるなんて」

 くすり、と悪戯っぽい笑みが藍色の瞳に浮かんだ。どこか柔らかいイメージになっているのは……彼女自身の闘いが終ってからか。

「いろいろな、シッポつかまれちまって――ああ、コイツ、キールってんだ」

 ぐい、と後ろに隠れてたキールを押し出すと、レダは「あら」と笑う。

「はじめまして、キール? レダよ。レダ=マクレーガン」

「レダ=マクレーガン?」

 レダが差し出した右手をまるきり無視してキールの瞳が輝いた。名前を鸚鵡返しに呼ばれて、レダは一瞬戸惑って、それから「ええ」と頷く。

「レダ=マクレーガンて……女性で唯一の近衛精鋭の……?」

「ええ、そう。よく知っているのね」

「騎士志望なんだと。俺着替えさせられてくっから、そいつ頼む」

 一気にキラキラ眼になったキールをレダに押し付けて――こいつなら心配ないしな――俺は踵を返して軽く右手を上げた。レダは半ば呆れたように軽く肩を竦めて「了解」とだけ答える。


「ったく、面倒なことになっちまったか…」

 ひとりごちて、そして仕方なく部屋へと進む。これから始まる窮屈な時間を思うと――頭が重い。溜息をつけば、高い襟が喉元を圧迫する。腰に下げた正装用の剣はゆらゆらと少し頼りない。いつも背中に感じている重みがないのも妙な感じだ。

 とりあえず着替えを済ませておいて、煙草に火をつける。吐き出す煙に僅かに眼を細めて、キールのことを思った。

セレがどう言うかわからねぇが、それでもヤツの罪が免れるわけじゃない。義賊、なんて聞こえはいいが中身はおんなじだ。罪に染まったてのひらは、その原因が何であれ裁かれるべきもの―――

 悪循環に呑まれそうになる思考は、ノックの音で消える。「おう」と返事をすると同時にレダが現れた。

「王座の間へどうぞ、ですって。キールも一緒にね」

「リョーカイ」

 うんざりしながら腰をあげ、煙草を灰皿でもみ消すとマントを引っ掴んで肩に留めた。

 そのときに、レダのうしろからひょっこりと姿を見せる、キール。

「な……」

「似合うでしょう?」

 男物のシャツとズボンの軽装が、国王軍兵士の正装に成り代わっていた。さすがに剣は下げちゃいねぇが……いいのか、オイ。

 そう思ってレダを見れば、しっかり意図は伝わっているらしく頷き、そして苦笑した。

「アシュレ様の指示なの。着せてみろって」

「あンのヤロ……」

 ったく、ガキのくせして細かいところに手ェ回しやがって!

 もう一度チロリと眼をやれば、キールはキールで随分ご機嫌らしい。笑んでいたくせに俺を見るなり瞬きの数が増えたけどな!

「行くぞ」

「うん――ってか、ホントにあんた、近衛精鋭なんだ?」

 ジロジロと無遠慮な視線が俺の正装に降り注ぐ。随分とセレんときと違うじゃねぇか。

 興味本位な質問は無視して、俺は中央階段を上がる。後ろからついてきているはずのキールはキョロキョロと落ち着かない。

「お前な、ちったーじっとしてろ! お前の盗みの話をさせられンだぞ、俺は!」

「え……あ、そーなんだ」

 眼を瞠って俺をじっと見上げ、そして殊勝にも「ごめん」なんて低い声を出しやがる。ったく、調子狂うぜ。

「構わねぇよ、俺が責任とりゃ済むこった」

 ポン、とその頭に手を置いてくしゃりと撫でれば、不機嫌そうにその手が払われた。

「せっかくレダさんが綺麗にしてくれたんだから!」

 ……妙なところで女らしくしやがって。ったく。


 階段を上がりきれば、広間の先に見える王座の間。執務机にアシュレの姿、そしてその隣に立つ黒い制服。

「いいか、お前は黙ってろよ? 面倒になるからな」

「なんで! だって……!」

「いーんだよ、ガキは何にも心配するな」

「でも、あたしのせいで」

「うるせぇっての。黙ってろってったら黙ってろ。いいな?」

 キールの抗議を強引に押してそう言うと、俺は襟を正してそこへ向かう。気付いたセレが俺たちにアシュレの正面を明渡し、腰掛けていたアシュレが真っ直ぐに俺を見た。

「ご苦労」

 アシュレは真顔で労いの言葉を発すると、手元の書類をスイとセレに渡して軽く頷く。俺は僅かに頭を下げることでその返事として、黙っていた。

「話は聞いた。職務を放棄するのは法規違反だ」

「申し訳ありません」

 キールが何か言いたげに頭を上げたのを、後ろに組んだ手でぐいっと押さえておく。

「重ねて、近衛の職に就きながら他者に雇用されたこと、窃盗幇助、また、近衛精鋭として一般国民が危険に晒されるとわかっていながらそれを見過ごした」

「ちょっ……!」

「キール!」

 アシュレの淡々とした言葉に、キールが怒りを帯びた声で一歩踏み出す。そいつを鋭く呼んだ上で肩を掴み、後ろに下がらせた。

「……申し訳ありません」

「なんでさ! ハリーは悪くないだろ! 全部あたしが」

「黙ってろ、ってったろ?」

 噛み付いてくるキールを見下ろし、ギロリと睨みつけると怒りの瞳がびくりと震えた。気圧された形でキールが黙り、アシュレは気にも留めずに続ける。

「その結果、一般国民に怪我を負わせることになった」

「申し訳ありません」

「――これだけ重なれば、処遇を考えねばならぬだろう」

「あーーもう! だから全部それはあたしが!」

 アシュレの声に被さるようにキールが叫び、制止しようとした俺の声や腕を乱暴に振り切る。

「キール!」

「邪魔するな!」

 そして執務机に飛びつくと正面のアシュレを睨みつけ、バン!と両手を叩きつけた。

「あんた、何様ッ!!」

「……王だが」

「そーいう意味じゃない! なんでハリーの話も聞かないで頭ごなしに決め付けんだっ……て、え……あ?」

 やっと脳味噌に辿りついたらしいアシュレの言葉を、キールは鸚鵡返しに何度か呟いた。が、立ち直りは早い。

「お、お、お……王だからって、頭ごなしは良くないッ!」

 ちょっと声に迫力がなくなってるけどな。どもってもいるけどな。おかしくなってこみ上げる笑いを必死に堪える。

「キーファル=モリナ」

「な、なにさ……」

 アシュレが大きな瞳をじっとキールへと向ける。真顔だから怖いんだっつの…俺やセレみたいに慣れてりゃ気にならねぇが、初めて会ったんなら睨まれてるように思うだろう。

 その証拠に、キールはさっきの勢いはどこへやら、急に後ずさりなんかし始めてやがる。

「相手が誰であれ、目的が何であれ、他人のものを無断で持ち出すのは罪になる」

 正論を突かれてキールも黙り込む。アシュレは相変わらず表情を変えずにじっとキールを見つめている。

 そしてふと、僅かに視線をセレへと流したあと、再度キールへ向き直った。

「お前には兵役を任ずる。近衛見習として予備隊に入れ」

「え……」

 あっけにとられた顔でキールがぱちぱちと瞬きを繰り返してアシュレを見返す。その口が質問を放つ前に今度はアシュレの視線が俺に向き、「ハロルド」と呼んだ。

「はい」

「お前は向こう半年の城内勤務だ」

 アシュレの声に僅かに楽しげな色が加わり、口角が微かに上がる。こンのヤロ、楽しんでやがる…! 半年だと?! 半年もこの狭いトコに拉致監禁かよ! ちっきしょう、脱走してやる!

「それともうひとつ。今宵の晩餐に出席しろ」

「……は?」

「これはふたりでだ。セレスト、彼女の準備を頼む」

「承知いたしました」

 にっこり微笑んで頭を下げるセレの笑みは、どことなーく楽しげだ。なに企んでやがるのか……

「良いか?」

 アシュレが確認の問いかけを投げる。俺の処遇にゃ不満もあるが、キールをほぼ無条件に赦免してくれたのは、まあ……くっそ、しょうがねぇ。

「……了解」

 珍しく、アシュレがわかるように、笑った。


「さあキール、レダのところへ案内するよ。支度をしてもらおう」

「おい、セレ」

 すいとキールの背に腕を回してエスコートする背中に、そう名前を呼ぶ。にっこり笑顔で振り向いたそいつをジロリと睨むものの、受け流されて何の意味も為さない。

「お前、なに企んでやがる?」

「企む? なんのことかな」

 にっこり、と笑う。俺に対してその満面の笑みってのはありえない。ぜーーーったいに、何か企んでやがるに違いない。コイツに文句を言っても無駄だと経験則でわかってる俺は、それ以上言うのを諦めて別な話に切り替えた。

「……ジェイクは?」

「ああ、ホールにいるんじゃないかな」

 礼の代わりに軽く右手を挙げておき、俺は二人と別れてホールへと向かった。

 吹き抜けで天井の高いその場所は、どうやら晩餐のための準備中らしい。赤い髪を探すまでもなく、奴の方から駆け寄ってきた。

「―――ハリー!」

 その声はどこか潜められていて、妙に切羽詰っている。俺の傍まで来ると一段と声を落として、囁いた。

「他の女性と会うために仕事を放棄したというのは本当か?」

 ……随分ストレートな質問だな。

 その言い方で、俺がサボった理由について随分な噂が立っていることに気付く。ヒマな連中だ。というか普通、真正面から聞くか?

 こいつのそういう真っ直ぐ過ぎるところは良くもあり悪くもあり、だな。

「阿呆か」

「誤魔化すとまずい。私には本当のことを教えてくれ」

「くっだらねぇこと考えてンじゃねぇよ」

 腕を振り解いてホールの隅に移動し、邪魔にならない場所で煙草を取り出す。

「ハリー、真面目な話なんだ。今宵の晩餐にはイヴレット嬢がいらっしゃる」

 火をつけようとした手が僅かにぴたりと止まる。それを動揺ととったのか、ジェイクはますます声をひそめた。

「噂が耳に入るとまずかろう。あなたがはっきりそうじゃない、と言えば皆も理解してくれる」

 煙を吸い込んで深呼吸する俺の姿を、ジェイクがどう考えたのか……大方、迷ってる風にでも取ったんだろう。急かすようににじり寄ってくる。

「別に耳に入ったって構わねぇって」

「そういうわけにはいかないだろう、イヴレット嬢が哀しむ」

 哀しむ、か……? あいつのことだから面白そうに『で、相手はどんな娘なの?』とか言いそうだけどな。

「お前、それよりだな」

 俺がそう切り出すと、ジェイクは当然、不愉快そうに眉根を寄せる。

「セレにいちいち言うんじゃねぇよ、ったく」

 ふと、険しい表情が緩んでジェイクの顔に笑みが広がった。この点に関しては、コイツらの意見は一致してやがる。そいつが嬉しいんだろう。

「報告は義務だ」

「ったく……ちょっとは気を利かせろっての」

「他の女性に会いに行ったと報告しろと?」

「お前、なあ……」

 がっくりと肩を落とす。たぶん、こういうのは理屈じゃねぇんだ。この石頭に何を言っても無駄だろう。何を言っても同じだ。諦めるか。ふう、と溜息と一緒に煙を吐いた。


 ホールは豪奢に飾り付けられ、飲みものと食べものが並ぶが、派手に見えるのは実は見た目だけで中身にそんなに金がかかっているわけじゃない。それがアシュレの好むやり方だった。

 特にはじまりに決まりはなく、三々五々、ホールに集まってくる。アシュレはどうやらまだのようだった。微笑みながら近づいてくる奴に、ジェイクが背を正して礼をする。そこへにこやかな笑みを返しておいて、俺には随分辛辣な視線を寄越す濃紺の瞳が俺の正装を上から下まで、眺めた。

「似合うね」

「……嫌味か?」

「いや、別に」

「俺はこの先半年もコイツを着てなきゃいけねぇんだぞ! 毎日毎日毎日…!」

 腐ってそう吐き出すと、セレはますます楽しそうに笑う。

「私は毎日着てるけど?」

「俺はお前みたいに従順じゃねぇんだっての」

 はぁ、と溜息をつく。ったく、やってらんねぇ。

 侍女がグラスをトレイに載せてやってきて、「どうぞ」と差し出した。オレンジ色と、それから深い赤の、飲みもの。

 当然のように赤い液体の入ったグラスを手にして「ありがとう」と微笑む奴の手元に釘付けになっていると、侍女がくすっと悪戯っぽく笑って俺にこっそり耳打ちする。

「大丈夫ですよ、葡萄のジュースなんです、あれ」

 そしてあからさまにホッとした俺にますます笑いを広げると、オレンジジュースを手渡してまた、カウンターへ戻っていく。その間傍にいた近衛兵と話をしていたセレが問い質すように俺を見るが、ちょうどそのとき、ホールの入り口にレダの姿を見つけて俺たちの注視はそちらに向けられる。

 彼女が制服ではなくドレッシーに装うことも珍しいが……その隣、ちいさなキールがさっきまでの少年のような印象をさっぱりと拭い去ってそこにいた。恥ずかしそうな、それでいて誇らしげな笑みをかすかに浮かべている。

「へーぇ」

「なんだよ!」

 頭からつま先まで、わざとじっくり眺めてからにやりと笑う。そして少しの間を置いて

「まあ、似合うんじゃねぇの?」

 と言って俺は整えられたキールの頭を軽くぽんと叩いた。

「あら、珍しく素直じゃないのね」

 くすくすとレダが笑う。黒を基調としたスレンダーなドレスが良く似合う。

 キールは深いグリーンのドレスがなかなかに似合っていた。そう、こうしてみるとやっぱり女の子だ。短い髪も綺麗にセットされ、耳飾が光っている。

「ねぇ」

 くいくい、とマントが引っ張られて振り向くと、僅かに不安げに眉を顰めたキールが傍にぴったりくっついていた。セレはレダと一緒に近衛連中の輪の中へと入っている。

「ンだよ」

「なんかさ……いいのかな、こんな」

「あ? 別に大ご馳走ッつーワケでもねぇだろ」

「違うよ! あたし、捕まってもおかしくないのに――」

 マントを掴む手に無意識に力が篭っていた。まるで泣き出しちまいそうな表情のキールに向かって俺は表情を変えずに低く、言った。

「捕まってンじゃねぇか」

「――え?」

 煙草の火を無造作に消して、俺は身体ごとキールに向き直る。

「アシュレが言っただろ? 兵役なんだっつの」

「でも……」

「犯した罪を恥じるんなら、お前が近衛になってその罪を償えばいい」

 単に牢獄で時間を過ごせばいいだけならば誰にでも出来る。たまたまキールは騎士になりたいと所望していたからこそ今回の兵役が随分と軽い処罰と思うんだろうが……それを望まない連中からすれば苦痛にしかなりえねぇ。アシュレが何処まで何を知ってるかはわからねぇが……いや、あいつは結構感づいてるかもしれねぇな。

「うん……」

 本気かどうかはわからないがとりあえずキールがそう頷いたときに、ホールの灯りが落とされる。あちこちで歓声が上がり、ステージが微かな光でぼんやりと照らされた。驚いて俺にしがみついたキールの腕をぽんぽんと叩いておいて「踊りが始まるだけだ」とフォローを入れておく。

 それと同時に音楽が流れ、艶やかな衣装をまとった踊子が数人ステージへと姿を現した。きらきらと灯りを反射する糸や飾りを織り込んだ衣装や、その肢体のなだらかな動きに感嘆の溜息が聞こえる。

「綺麗……」

 キールのぽつりと呟くような声に、「だろ?」と答えておいてニヤリと笑った。

「早々に踊子に転職するか?」

「……しないよ!」

 返って来たキールの返事は楽しそうな声に彩られ、笑みが浮かんでいる。

「ねぇ」

 瞳はステージの彼女たちを見つめたまま、キールが微かな声で切り出した。

「あたし、いつかレダさんみたいな近衛騎士になる。それでこの国を変えていきたい」

 意志の篭った声は、嬉しそうでもあり決意を秘めた真摯な声であり、キールの思いが如実に表されていた。


 ホールが再度明度を取り戻すと、大きな拍手が沸き起こる。踊子たちはめいめい、着替えに戻るなりその格好のまま酒を飲むなりと思い思いに晩餐に混ざり始める。

 その中のひとりが俺のほうへ近づいてきたのも――予想は、してた。

「――久しぶりね」

「おう」

「可愛い子連れちゃって。――こんばんは?」

 にっこりとキールに微笑んで、彼女は首を傾げて挨拶する。キールは、といえば、目の前に突如現れた彼女のその衣装や化粧や緩やかな動きに眼を奪われて何度も瞬きを繰り返す。

「あ……こ、んばんは……」

「イヴよ、よろしくね」

 名乗ったキールの頬に軽くキスをして挨拶を済ませると、イヴはちらりと俺を見て、笑う。

「しばらくは城にいるんですって? 聞いたわ」

「……らしいな。ったく、小うるさくってかなわねぇ」

「たまにはいいんじゃない?」

 イヴは楽しそうに肩を揺らして笑うと、唇の動きだけで「じゃ、あとでね」と残してさらりとその場を離れた。彼女がつけていたらしい香水の香りだけがそこに、残る。

「綺麗な人ォ……知ってる人なんだ?」

「まーな」

「恋人……じゃないか。久しぶりって言ってたもんね」

 キールがイヴの後ろ姿を追いながらはぁ、と息をつく。羨ましげな視線。

 久しぶり、か。短く切ったはずの髪がもう伸びていた。そんなことを考えると、もう随分彼女に会っていなかったことを思い出す。アシュレが何を考えてあいつを呼んだかわからねぇが……まあ、感謝しておこう。

 ぽん、とキールの頭に手を置くと、大きな茶色の瞳が俺を見上げた。

「あと数年すりゃ、お前も多少は女っぽくなるんじゃねぇの?」

「……なんか、フォローになってない」

「知るか」

「女の子に対して、そんな言い方ってない!」

 ムキになって突っかかってくるキールに、俺は溜息をつく。ったく、女ってホント、面倒くせぇ。


 その夜、珍しく城に顔を出した二人と城を守る二人が久々に友同士の立場でテーブルを囲んだ。かつて心地良い空気だったその場所はどんなに刻を刻んでもまだ、その温度を保っている。穏やかで温かくて、楽しくて辛辣で。立場も何もかもを超えた、心を許した仲間たち。

 その後のことはちょっと、割愛する。プライバシーの侵害、って奴だ。



 翌朝、キールは改めてレダとともに予備隊への入隊手続きを始めた。俺はと言えば、仕方なく朝っぱらからあの窮屈な制服を着こんでそれを見送る。隣でセレは涼しい顔で微笑む。―――イヴは、いない。

 あいつのことだ、恐らくあのあと夜遅くか、もしくは早朝に城を発ったんだろう。ったく、捕まえたかと思えばすぐにどっかいっちまう。

 それでも昨夜、くすくすと笑いながら「じゃあ、この先半年は城に来ればあなたに会えるのね」なんて言ってはいたが、あいつが来るかどうかはわからねぇ。

 アシュレはいつもどおりクールにその報告を受けたかと思うと、セレの後ろに控える俺の姿を認めて僅かに唇の端を、あげた。ったく、面白がってやがる!

 その笑みに気付いたセレがふと振り返ってやはり同じように微笑む。

 ――半年間は我慢してやるか。そんな温かい笑みを見るのも悪かない、と僅かに思い直して。

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