第八章 条件は甘く、牙は深く
救いの条件は、
いつも優しい言葉で包まれる。
金。
物資。
安定。
だが、その裏で
何を差し出すのかは、
決して大きな声では語られない。
この章で描かれるのは、
剣を抜かない戦争。
言葉と契約で国を縛る交渉。
そしてもう一つ――
神が“価値ある存在”として
狙われる瞬間。
再建が進んだ国は、
ついに世界の視線を集めてしまった。
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第八章 条件は甘く、牙は深く
交渉の場は、城とは名ばかりの瓦礫の広間だった。
天井はなく、
柱は半分崩れ、
それでも中央には粗末な机が据えられている。
「……歓迎しよう」
レオンは、静かに言った。
商会代表の男――
丸みを帯びた腹と、油断のない目を持つ商人バルク。
その隣には、灰色の外套をまとった貴族、ヴァルディ侯。
二人は、瓦礫を値踏みするように見回した。
「復興中と聞いていましたが……
思った以上に“何もない”」
「それが現実です」
レオンは、視線を逸らさない。
「だからこそ、話を聞きに来たのでは?」
商人は、くくっと笑った。
「話が早い。
では単刀直入に――」
彼は指を立てる。
「我々は、資金と物資を提供できる」
ざわめきが起きる。
民の代表たちが、息を呑んだ。
「食料、道具、建材。
今すぐにでも」
「条件は?」
レオンの声は低い。
商人は、待っていましたとばかりに続ける。
「交易の独占権。
関税免除。
加えて――」
一拍。
「この地の“特異性”に関する、情報提供」
空気が、冷えた。
「特異性とは?」
ヴァルディ侯が口を開いた。
「一夜で芽吹き、一夜で枯れた畑。
あれは、神の痕跡だろう?」
視線が、
レオンの背後へ向く。
アステリアが、そこに立っていた。
羽根は隠している。
だが、完全には消えきらない気配。
「……やはり」
侯は、愉快そうに微笑んだ。
「神付き国家。
予測不能で、危険だ」
「だから、管理する必要がある」
「利用する、の間違いでしょう」
レオンが言う。
商人は肩をすくめた。
「言葉遊びですよ、王子殿」
その時。
アステリアの胸が、
ひくりと震えた。
――見られている。
この場ではない。
もっと遠く、もっと深い場所から。
「……王子」
小声。
「ここに、来ています」
「誰が」
「私を――
“回収”しに」
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同時刻。
別の視点。
ヴァルディ侯の思考は、冷静だった。
(間違いない)
神の介入は、一度きりではない。
痕跡は薄いが、確かに残っている。
(放置すれば、第二の奇跡が起きる)
それは、秩序を壊す。
神付き国家は、
通貨を狂わせ、
市場を乱し、
戦争の均衡を崩す。
(ならば)
神は、
“管理”されるべきだ。
侯の袖の内で、
小さな護符が熱を持つ。
古い紋章。
神狩りの系譜。
(見つけたぞ、失敗担当)
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「条件は以上です」
商人が、笑顔で言った。
「受け入れれば、
この国は今日から救われる」
沈黙。
民の視線が、
レオンに集まる。
アステリアは、
わずかに首を振った。
――危険。
レオンは、目を閉じた。
成功すれば、
国は一気に立ち上がる。
だが、
その代償は――
神を差し出すこと。
「……一つ、質問を」
目を開き、
レオンは言った。
「もし、神が消えた後」
「はい?」
「この国が再び傾いたら?」
商人は即答した。
「その時は、また条件を提示しましょう」
「つまり」
レオンは、静かに笑った。
「首輪は、外れない」
空気が、張り詰める。
「交渉は、決裂です」
商人の笑顔が、消えた。
ヴァルディ侯が、前に出る。
「愚かな選択だ、王子」
その瞬間。
護符が、砕けた。
空間が、歪む。
黒い影が、
アステリアの背後に滲み出す。
「――捕獲対象、確認」
声ではない。
意志だけの振動。
「神格反応、微弱。
回収、可能」
民が悲鳴を上げる。
「下がれ!」
レオンが叫ぶ。
影が、アステリアに伸びる。
「……っ!」
彼女は力を振り絞るが、
権限は反応しない。
「王子……!」
「分かってる!」
レオンは、彼女の前に立った。
「ここは、人の国だ」
影が、彼を無視する。
だが――
民が、前に出た。
鍬を持つ者。
石を構える者。
盾代わりの木板。
「神様を、持っていかせるな!」
その瞬間、
影が、揺らいだ。
「……干渉、予想外」
ヴァルディ侯が、舌打ちする。
「撤退だ」
影は、霧のように引いた。
残されたのは、
砕けた護符と、
静まり返った広間。
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夜。
アステリアは、震えていた。
「……ごめんなさい」
「謝るな」
レオンは言う。
「狙われると分かっただけ、前進だ」
「でも……
私は、足手まといに……」
「違う」
彼は、はっきりと言った。
「あなたは、この国の“覚悟”を試した」
民は、神を守った。
それが、答えだ。
アステリアは、
初めて泣いた。
神としてではなく、
一人の存在として。
そしてレオンは知る。
交渉は、
戦争の始まりだ。
この国は今、
金と神、
両方を狙われている。
だが――
もう、逃げ場はない。
次に来るのは、
もっと露骨な力だ。
交渉とは、
力の形を変えただけの戦いだ。
商会は金を武器にし、
貴族は秩序を盾にし、
神は――
資源として数えられた。
だが、この国は選んだ。
奇跡を売らない。
神を差し出さない。
それは、最も愚かで、
最も誇り高い選択だった。
この夜、
女神は「守られる存在」になり、
王子は「狙われる王」になった。
交渉は終わった。
だが――
本当の戦いは、ここから始まる。




