奇跡は無限ではない
神が奇跡を起こさなくなったとき、
人はすぐに気づく。
世界が急に厳しくなったわけではない。
むしろ――
最初から、そうだったのだと。
奇跡は、救いであると同時に、
人の足を止めるものでもあった。
神が手を引いた世界で、
人は初めて問われる。
「それでも、歩くか」と。
これは、
神なき時代の終わりではない。
神と人が、並んで立つための物語である。
奇跡は無限ではない
神が戻ったはずの世界は、
以前よりも静かだった。
鐘は鳴る。
祈りも捧げられる。
だが――奇跡は、起きない。
「最近、女神様……何もしてなくない?」
誰かが言ったその言葉は、
意外なほど多くの頷きを集めた。
アステリアは神殿の裏で、
分厚い帳簿を睨んでいた。
「……おかしいわね」
横から覗き込んだ王子が、
素朴に尋ねる。
「何が?」
「奇跡の残高」
「……残高?」
アステリアは真顔で答えた。
「奇跡って、
使えば減るの」
王子はしばらく黙り、
それから言った。
「今まで、減らないと思ってた?」
「思ってた」
「神なのに?」
「神だから!」
やや間を置いて、
二人は同時にため息をついた。
⸻
神界は、想像よりも現実的だった。
女神アステリアが“捕獲された”事件以降、
神々は初めて知ったのだ。
奇跡は消耗品であると。
会議の席で、
ある神が言った。
「人界への介入、多すぎたんじゃないか?」
「いや、あれは善意だ」
「善意でも、
赤字は赤字だ」
静まり返る神界。
そこへ出されたのが、
新制度だった。
《奇跡使用指針》
・回復系:原則自助努力後
・天災干渉:最終手段
・蘇生:審議必須
・世界改変:禁止
「……神なのに、
禁止多くない?」
という声は、
議事録には残らなかった。
⸻
地上では、
別の問題が起きていた。
「女神様が助けてくれない!」
「祈ったのに!」
「前はもっと光った!」
民の不満は、
確かに増えていた。
アステリアは、
それを黙って聞いていた。
そして、
一人の子どもに尋ねられた。
「ねえ、神様」
「どうして、
前みたいに助けてくれないの?」
その問いに、
女神は逃げなかった。
「助けているわ」
「え?」
「奇跡じゃない形で」
女神は空を見上げた。
「剣を持つ人がいる」
「考える人がいる」
「手を差し出す人がいる」
「それ全部、
前は私が奪っていたもの」
子どもは、
よく分からない顔をした。
だが――
その横で、母親が深く頭を下げた。
⸻
王城では、
別の会議が開かれていた。
「神界から、
通達が来た」
王子が読み上げる。
「“今後、
神的介入は最小限とする”」
「……要するに?」
「自分たちでやれ、ってことだ」
重臣たちは苦笑した。
「厳しいですね」
「いや」
王子は静かに言った。
「公平だ」
⸻
その夜。
アステリアは、
小さな奇跡を使った。
壊れた街灯が、
ほんの少し明るくなる程度。
誰も気づかない。
帳簿の数字も、
ほとんど減らない。
「……これくらいなら」
彼女は、
小さく笑った。
「怒られないわよね」
神はもう、
万能ではない。
だが――
世界を信じることは、やめていなかった。
神が奇跡を控えた世界は、
不便になった。
だが、
絶望しなかった。
神がすべてを与える時代は終わった。
人がすべてを背負う時代でもない。
互いに、
できることをする。
その境界線を引いた物語が、
ここから始まる。




