第十一章 神なき世界の外交と報復
神が去ったあと、
世界は終わらなかった。
雷も落ちず、
天も割れず、
人々は翌朝も、交渉し、計算し、文句を言った。
奇跡の消えた世界に残ったのは、
外交と報復、
そして――生活だ。
この章では、
神を奪った者たちのその後と、
神であることをやめた存在の日常が描かれる。
重さの中に、
ほんの少しの笑いがあるのは、
世界がまだ、前に進んでいる証拠である。
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第十一章
神なき世界の外交と報復
国境の森は、妙に静かだった。
理由は単純だ。
ここが――神狩り一族の残党が潜む場所だと知れ渡ったからである。
焚き火を囲む数名の影。
その中で、若い男カイナは乾いたパンを噛みしめていた。
「……神を狩った結果が、これか」
パンは固く、世間の風当たりはさらに固い。
神を失った世界は、
混乱するどころか、意外なほど早く“現実”に戻った。
各国は即座に動いた。
神の不在は好機であり、
同時に危険な前例だった。
「神に手を出した一族」
「次は自国の神かもしれない」
そう囁かれ、
神狩り一族は外交の席から排除された。
交易停止。
傭兵契約破棄。
通行税の三倍請求。
「報復って、剣とか雷とかじゃないんだな」
仲間がぼやく。
「胃にくるな」
「毎日だ」
カイナは苦笑した。
神を奪えば世界が変わると思った。
だが変わったのは――
自分たちの立場だけだった。
「……それでも」
カイナは立ち上がり、森の向こうを見た。
「神を縛っても、人は救われなかった」
それだけは、はっきりしている。
彼らはその日から、
神を狩る一族ではなく、
神を語らない一族として各地を流れることになる。
それは罰であり、
生き延びるための選択だった。
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一方、その頃。
王都の片隅。
元・女神アステリアは、洗濯物と格闘していた。
「えいっ……!」
バサッ。
「……落ちた」
干したはずの布が、また地面に落ちる。
「風、強くない?」
「普通です」
即答する巫女。
「神力、使えないのつらい……」
「昨日も言いましたが、使えません」
アステリアは頬を膨らませた。
かつては祈られ、崇められ、
指一本で天候を変えた存在。
今は――
バケツを運び、
床を拭き、
たまに転ぶ。
「……ねえ」
「なんですか」
「神って、こんなに腰にくる?」
「普通の人です」
「そっか……」
アステリアは少し考えてから、笑った。
「でも、不思議」
「何がです?」
「怖くない」
奇跡が使えない不安はある。
だが、孤独はない。
「誰も祈らないけど、話しかけてくれる」
巫女は手を止め、少しだけ微笑んだ。
「それは、神じゃなくても嬉しいですね」
その夜。
アステリアは城壁の上に立ち、
王都の灯りを見下ろしていた。
隣にはレオン。
「外交は?」
「大変だ」
「ですよね」
「神がいない国だと思われてる」
「……実際、いませんし」
「いる」
レオンは即答した。
「ただ、前に出ないだけだ」
アステリアは目を丸くし、
それから小さく笑った。
「じゃあ私は――」
少し考える。
「国付きの無職女神?」
「雑用係」
「ひどい!」
笑い声が、夜風に溶けた。
奇跡はもう降らない。
だが、国は動いている。
神なき世界は、
意外なほど――
騒がしく、そして生きていた。
そしてアステリアは思う。
(……神でいるより)
(今のほうが、忙しい)
女神は欠伸を噛み殺し、
明日の洗濯予定を思い出していた。
世界は今日も、
人の手で回っている。
――それで、いい。
神なき世界は、
決して優しくはない。
だが、理不尽でもない。
神狩り一族は、
神を奪った代償として、
人の社会に裁かれた。
剣ではなく、
雷でもなく、
信用と契約によって。
一方、アステリアは
神であることを失いながら、
人であることを少しずつ得ていく。
重い水桶。
乾かない洗濯物。
腰にくる階段。
それらは奇跡よりも厄介で、
だが――生きている実感に満ちている。
神はもう、世界を導かない。
だが、人の隣には立っている。
支配でもなく、救済でもなく、
伴走者として。
この国の物語は、
英雄譚でも、神話でもない。
それは、
奇跡のない世界で、
それでも前に進もうとする者たちの記録だ。
そしてその歩みは、
今日も少し、洗濯物のように揺れている。




