十章 ――神は救われるか、人は試されるか(神奪還編)――
裏切りは、
怪物が行うものではない。
恐怖に負けた人間が、
生き延びるために選ぶ道だ。
この章で描かれるのは、
裁かれなかった罪人たちの物語。
剣では終わらせず、
赦しでも覆わず、
ただ――記録として残すという罰。
それは、この国が選んだ、
最も重い責任の取り方である。
十章 ――神は救われるか、人は試されるか(神奪還編)――
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Ⅵ.裏切った者たちの後日譚
捕らえられた重臣たちは、
処刑されなかった。
それは、意外な決定だった。
神を売り、
国を危機に陥れ、
多くの血を招いた者たち。
民の中には、首を求める声もあった。
剣を振るえば済む、と言う者もいた。
だが――
王となったレオンは、首を横に振った。
「死は、終わりだ」
静かな声だった。
「だが、この国は終わらせない」
代わりに与えられたのは、
生きて責任を負う罰。
彼らは地下の一室に集められた。
そこは牢ではない。
机と椅子、
紙と筆、
そして灯り。
「記せ」
王の命は、それだけだった。
「自分が何を選び、
なぜ裏切ったのかを」
「一行も、誤魔化すな」
彼らは、記録係となった。
歴史を残す者。
だが、英雄ではない。
失敗を語る者だ。
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最初に筆を取ったのは、
財務を司っていた老臣だった。
手は震え、
文字は歪んだ。
「なぜ、売った」
問いは、誰からともなく投げられた。
老臣は、しばらく黙ってから答えた。
「……怖かった」
声は小さい。
「借金の額を、私は知っていた。
数字が、夜も頭から離れなかった」
「神がいれば、何とかなると……
そう思い続けていた」
紙に、インクが滲む。
「だが、神が弱っていると知った時、
私は――
初めて、この国が“普通の国”だと気づいた」
彼は顔を覆った。
「普通の国は、滅びる」
それが、彼の恐怖だった。
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別の男は、
若い重臣だった。
「家族を守りたかった」
彼は、はっきりと言った。
「商会は、名簿を持っていた。
誰が、どこに住み、
子が何人いるかまで」
沈黙が落ちる。
「拒めば、消される。
そう言われた」
「……だから?」
問いは、冷たい。
「だから、売った」
彼は俯いた。
「神よりも、
目の前の命を選んだ」
それが、
彼の選択だった。
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三人目は、
最後まで言葉を選んでいた男だ。
「神を……信じきれなかった」
その声には、
怒りも恐怖もなかった。
ただ、疲労だけがあった。
「奇跡は、いつも遅かった。
助かる者もいれば、
助からない者もいた」
彼は、筆を止める。
「神は平等だと、
私は言えなかった」
「だから、
神を“切り札”として扱う商会の論理が、
理解できてしまった」
沈黙。
誰も、彼を殴らなかった。
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共通していたのは、
誰もが自分を正義だとは言わなかったことだ。
「仕方なかった」
「選択肢がなかった」
そう言いながらも、
誰一人、胸を張れなかった。
彼らは、悪ではなかった。
怪物でもない。
快楽で裏切った者もいない。
だが――
正義でもなかった。
彼らは、
恐怖に従った人間だった。
そしてその恐怖が、
国を危うくした。
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数日後。
アステリアは、
記録室を訪れた。
檻を出たばかりの女神は、
まだ力が完全ではない。
だが、
目は、真っ直ぐだった。
彼女は、
記録を読む。
裏切りの理由。
迷い。
言い訳。
後悔。
一つ一つを、
黙って。
「……ねえ」
彼女は、静かに言った。
「あなたたちを、
裁くことはできる」
重臣たちが、顔を上げる。
「でも、それはしない」
「なぜなら――」
女神は、少しだけ微笑った。
「あなたたちは、
私が救えなかった人たちだから」
沈黙。
その言葉は、
許しではない。
責任の共有だった。
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彼らは、
生涯、記す。
自分たちの失敗を。
恐怖に負けた理由を。
選ばなかった勇気を。
その記録は、
王城の書庫に保管される。
英雄譚の隣に。
決して、消されない。
それが、この国の選んだ罰だった。
剣で終わらせず、
忘却で逃がさず、
未来に引き渡す。
レオンは言った。
「この国は、
裏切りを許さない」
「だが――
裏切りから、目を逸らさない」
そうして、
一つの戦いは終わった。
だが、
物語は続く。
神も、人も、
完璧ではないと知った国が、
それでも歩く――
その先へ…。
彼らは処刑されなかった。
それは、温情ではない。
忘却を拒んだ、厳罰だった。
生き続け、
書き続け、
後世に問われ続ける。
「なぜ、裏切ったのか」
答えは一つではない。
だが、どれも正義ではなかった。
この章で、
国は一つの覚悟を手に入れる。
悪を断ち切るのではなく、
失敗を引き受ける覚悟を。
それができる国だけが、
同じ過ちを、繰り返さずに済む。




