沈黙の理由1
「ねえ弘海くん。今日これから予定がないなら駅前に新しくできたカフェに行ってみない?」
昇降口で上履きからスニーカーに履き替えながら矢野未可子がそう話しかけた時、江間弘海は心の中で小さく落胆をした。
「もちろん……と言いたいところだけど、手持ちがないんだ」
未可子に連れ回されるようになってから、弘海は常に金欠だった。
遠くから聞こえる吹奏楽の下手くそなトランペットが弘海の心情を現しているようだった。
「ふーん。じゃあさ、あの絵売っちゃえば」
少し意地悪な笑みを浮かべ、未可子はゆっくりとした動きで口を開く。
「……素人が書いた絵が売れるわけないだろ」
「そんなのわからないじゃない。私はとっても素敵な絵だと思ったよ。うーん、そうだ!もしよければ、私が買おうか?」
「なにいってんだよ」
実家の太い未可子が冗談で言っているとも思えなかったけれど、弘海はそんな未可子の軽口をひらりとかわし、靴を履き替えた。
「公園でも行くか?ちょうど、紅葉と矢野さんの絵を描いてみたいなと思っていたところだったんだ」
「……うん。いいよ」
未可子はまるで時間を稼ぐように、たっぷりと溜めてから答える。なぜか口元は歪に歪んでいた。
少しの間があって未可子が弘海の後ろをついていこうとした時、昇降口内に怒号が響いた。
『だからさ、これは拾ったものだって何回も説明してるだろ!?俺は抜いてない!』
昇降口内にいた弘海や未可子以外の生徒たちも、怒号の聞こえてきた方向にくぎ付けになる。
そこは『用務員室』。
怒号が聞こえてきたのは間違いなくそこからだった。
しばらくそちらにみんな注目していたけれど、それ以降大きな声がすることはなかったから他の生徒達はすぐに興味を失った。
……ただ一人、例外を除いて。
「弘海くんちょっと寄っていかない?」
茶色い瞳の中に青い炎を灯した未可子のことは止めても無駄なことを弘海は理解していた。
未可子は履いていた靴を乱雑に靴箱に放り込むと、すぐに上履きに履き直して歩みを進める。
弘海に断る理由なんてなかった。能動的に動く未可子の姿を見て、何か裏があると確信したからだ。
「……」
トントンと用務員室の扉をノックしたあと、何の躊躇もなく未可子は扉を開いた。
「だから、俺は拾って持ってきただけで、お金を抜いたりなんてしてませんって!」
腕組みをして男子生徒を見据える用務員さんに必死な形相で訴えている男子生徒。
その顔には覚えがあった。
大野剛。
お調子者で教員にイタズラを仕掛けては怒られているのを何度も目撃したことがある。
「岳本さん。どうかしたんですか?」
ズケズケと未可子は用務員室に入っていくと、用務員と大野の間に入りそう声をかけた。
岳本と呼ばれた用務員は、未可子の姿を見るや、急に態度を軟化させた。腕組みしていた腕を下ろし、未可子に事情の説明を始める。
「ああ。未可子ちゃん。この子が財布を拾って持ってきたんだけどね。どこで拾ったのかも言わないんだ。それに中身が入っていなくてね。……ほら、この子、普段からあまり素行が良くないだろう?だからね……」
そう言って用務員は言葉を濁らせた。
なるほど。普段が普段だから疑われているってわけか。
それでも大野はそこには反論しようとはしなかった。
さっきまであんなに否定をしていたのに、不思議にも思ったけれど、弘海は口を挟むことはしなかった。
「ねえ、大野くん。あなたはやってないんだよね?」
未可子は弘海にだけわかる程度に口元を歪ませてそう質問をした。
「も、もちろんやってないよ。……矢野さんも俺のことを疑う感じ?」
クラスでも人気のある未可子に疑われたと思ったことがショックだったのか、大野の言葉尻はどんどん小さくなっていった。
同情の余地がないこともないが、普段から疑われるような行動を取ってるのが悪いとも言える。
「ううん。そんなことないよ。私は大野くんのことを信じてる。あっ、そうだ!」
未可子はポンとスタンプを押すように手を打つと、用務員の方へ向き直る。
「この話、私とそこにいる弘海くんに任せてくれませんか?弘海くん。なかなかに観察眼があるんですよ。もしかしたら真実を見抜けちゃうかも。大野くんもこう言ってますし、疑われていてるのがかわいそう。だから、助けてあげたいんです」
普通に考えたら、そんなことが許されるはずがない。
だけど、用務員が少し考えたあと返ってきた答えは弘海の想定の中にあったそれだった。
「んー、未可子ちゃんがそこまで言うかー。うーん、そうだな……すぐ警察って話にはならないだろうし、学校に報告するのが少し遅れてしまったってことなら問題もないだろう」
少しニヤケ面の用務員はそう答えたのだ。
用務員の返答に驚いたのか、大野も目を見開いて未可子を見ていた。
「岳本さんありがとう!ちゃちゃっと私たちが解決してみせるんで、大野くんは連れていきますね」
「あいあい」
「あっ、あと財布の写真だけ撮らせてもらってもいいですか?」
「うん。いいよ」
嬉々として財布の写真を撮る未可子の背中を見て、弘海は笑みを堪えるのに必死だった。
未可子の本質がほんの少しだけ垣間見えたのが、嬉しかったから。




