第7話 歓喜の種
この作品は、映像化を想像しながら書きました。
読んだ時にお好きな俳優さんや声優さんを当てて、読書をお楽しみください。
よろしければ、誰をイメージしながら読んだのかコメント欄に書いてくださると、きっと楽しいコメント欄になると思います。
今日はいつもより少し早く、店主は店に下りた。店の2階が店主の住居になっているのだが、これと言って変わった物はない。
寝るための小さな部屋がひとつと、小さなキッチン、それからシャワーを浴びるためのバスルーム。生活するのに必要最低限の設備と私物。この有様を人に見られたら、「本当にここで生活しているのか」と言われてしまいそうな有様だ。
店を通して、コーヒーを通して、客にひとときの安息を感じてもらう。良い香りの中で束の間の深呼吸をしてもらう。それが店主の仕事だ。そしてそれが店主のやりたいこと。自分の生活は最低限で事足りる。
店主の最初の客はみーだった。みーは魔女で、『特別な豆』から作るコーヒーを注文した。しかしみーがこの店に来た時、ここはまだ店ですらなかった。正直、みーが来るより前のことを店主は思い出せない。心にぽっかりと穴が開いてしまったように、それ以前の記憶も感情も抜け落ちてしまっているのだ。
そんな店主が喫茶店を始めたのは、みーと出会ったからと言っても過言ではない。それでも今は、誇りと自信を持ってコーヒーを出している。
「みゃー」
みーは普段、猫の姿になって自由に行動している。姿を自在に変えたり、怪我を魔法で治したり、呪いを掛けたり。魔女は本当に実在するのだ。
「今日は新しいデザートの試作をしようと思いまして。2階のキッチンよりもこちらの方が落ち着きますから」
「にゃ、にゃ」
「まだ開店までかなり時間がありますからね。試作ついでにおやつも作りましょうか」
「にゃーん」
みーはこの提案に乗ったようだ。彼女は甘い物が好きらしく、おやつと言っても1食分くらいしっかりと量を食べる。ペロリと。いつも美味しそうに食べるから、たぶん気に入っているのだろう。
「みゃー?」
「今日の試作ですか? 今日は」
店主がみーの質問に答えようとしたら、扉を強く叩く音に遮られた。みーはさっと身を翻していつもの場所へ登る。この時間に誰かが来るなんて今までに無かったはずだ。店主は一応、目立たないように窓から表通りを見てみることにした。
学校帰りと思われる小さな子どもたちが賑やかに通りを歩いて行くのが見える。店の周りは住宅街となっていて、まだ完成間もない綺麗な家々が建ち並ぶ。よく見れば子どもたちはみな制服を着て、指定のカバンを背負っていた。頭には黄色い帽子。あどけない顔に似合わない大人びた表情をさせて、友人たちと帰宅しているようだ。
また入り口の扉が強く叩かれた。店主は誰が扉を叩いているのかを確かめるために、意を決して鍵を開ける。ゆっくりと内側に扉を開くと、今しがた見た子どもたちと同じ格好の男の子が立っているではないか。口を硬く一文字に結び、目には強い覚悟を宿して店主を見上げている。
「扉を叩いたのは君ですか?」
返事は無い。
「君は、あの子たちと同じ学校の子ですね。えっと、なにかありましたか?」
返事は無い。
「困りましたね。お父様やお母様は居ますか?」
返事は、無い。
「うーん。学校に連絡して親御さんに迎えに来てもらいましょうか」
「それはダメ!」
目の前の男の子は突然大きな声を出してこれを拒否する。
「ボク、家出するんだ! ここに住む!」
店主は当然固まってしまったが、みーも驚いたようで棚の上で体を動かしたのが音でわかった。どうやら詳しく話を聞く必要がありそうだ。おやつタイムも試作もお預けが決定した。
店主は心の中でみーに、「すみません」と謝ってから男の子と目線を合わせるためにしゃがんだ。男の子は体を硬くして身構えた。
「体の力を抜いてください。なにもしません」
「か、帰らないぞ!」
「ここに住むというのは難しいと思いますが、お話を聞くことはできます。少し休んでいかれますか? ここはお店ですから、なにかお飲みになりながらでも」
「・・・・・・お金持ってない」
「小さい子どもからは頂きませんよ。今度ご両親といらしたら、その時に」
「・・・・・・わかった! ありがとうお兄さん!」
次に親と来たらという提案を受け入れるということは、それほど両親を憎んでいるというわけではなさそうだ。店主は少し安心した。なにか帰りたくない事情でもあるのかもしれない。そういったことは子どもにはよくあると聞く。
小さな子が座るには高すぎるカウンターの椅子に、男の子を抱き上げて座らせる。たとえ小さな子どもだろうと、この店で休んでいくなら大切な客だ。
とは言え、子どもにコーヒーを出すのも少々気が引ける。どうするのがいいのか店主が考えていると、男の子がカウンターに手を投げ出してこちらに顔を近づけてきた。
「ボク、コーヒー飲んでみたい! 大人が飲むみたいなやつ!」
そう言って目をキラキラとさせる。そんな目で見られると流石に断れない。店主はこの小さな客にある提案をしてみることにした。
「でしたら一緒にコーヒーゼリーを作ってみませんか? ちょうど今から試作しようと思っていたんです」
「コーヒーゼリー? コーヒーってゼリーになるの?」
「なりますよ。そんなに難しい作業もありませんから。どうですか?」
「やるー! ボクもやりたい!」
客はカバンを投げ捨てて椅子からぴょんと飛び降りた。
「まずはカバンを椅子の上に置いて。投げるのはよくありません」
「えー」
「物を大事に扱うということは、自分も他人から大事に扱ってもらえるということなんですよ。反対に、物を雑に扱えば自分も大事に扱ってもらえません。全部自分に返ってきますからね」
「・・・・・・はーい」
少しなにかを考えてから、客は投げたカバンを拾って椅子の上にしっかりと置いた。小さな声で、「ごめんよ」とカバンに言ったのは聞かなかった振りをしておく。
客をカウンター扉から中へ入るように促し、小さな流しでまず手を洗ってもらう。言われなくても丁寧に手を洗えているということは、両親がきちんと指導しているということだろう。
店主は裏から替えの腰掛けエプロンを持ってきて、客の腰に結んでみる。やはり大きすぎるようだが、下にずってしまうほどではないのでよしとする。客も自分の姿に満更でもないといった様子。少し背中がしゃんとしたようだ。
「今日コーヒーゼリーに使うコーヒー豆はこちらになります」
腰掛けエプロンを取りに行くついでに、店主はコーヒー豆の入った小瓶も取りに行っていた。今の客にぴったりだと思った豆だ。
「これがコーヒーになるの?」
「こちらを粉にして、お湯をかけてコーヒーを作って、ゼラチンを混ぜて固めるのです」
「へー」
客は興味津々という様子で小瓶を眺めて観察している。店主はなんだかくすぐったいような気持ちになった。
「匂いを嗅いでみますか?」
「いいの!?」
「もちろんです。開けてみてください」
店主はそっと瓶を客に渡す。小さな客はまるで宝物を受け取るかのように、その小さな手でそっと小瓶を包み、蓋を開けた。
「ママがいつも飲んでるやつと違う匂いな気がする・・・・・・」
「コーヒー豆によって香りや味が違うんですよ。お母様もコーヒーをお飲みになるんですね」
「ママとパパが飲んでるのは、ポーションを機械にセットするやつ。すぐできるよ。ボクはあの匂い好きじゃないけど」
「ポーション、ですか。こちらの匂いは大丈夫ですか?」
「うん! これは好き!」
客の両親が飲んでいるコーヒーがどのような物なのか、店主はいまひとつ想像できていなかったが、どうやら機械に入れると簡単に作れる物のようだと納得しておいた。
「これ、どうやって粉にするの?」
「こちらを使って粉にするんですよ」
なにやら便利になったらしいが、店主の相棒は今も昔もこの使い込まれたグラインダーただひとつ。もう長いこと使っているが、それはそれで味が出て、この店の雰囲気に華を添える存在となっている。
店主は客が見やすいように踏み台を横に置き、コーヒー豆をこの年季の入った相棒に入れる。
「これはなに?」
「グラインダーというコーヒーミルです。つまり豆を粉にする道具ですね。ここの取っ手を回すと粉が下から出てきてこの容器に溜まっていくんです」
「へー。なんだか重そうだね」
「重いですよ。なのでこれは基本的にここから動かしません。回してみますか?」
「うん!」
最初にやり方を見せて、残りは客に任せてみた。とても真剣な顔で取っ手をゆっくり回す客が挽いた豆は、それはそれは良い香りをさせて粉になっていく。
すべて粉になったら今度はフィルターをセットしたドリッパーをカップに取り付けて、その中に粉を入れる。せっかくだから客にお湯を注がせた。優しくて温かなコーヒーの香りが店に広がっていく。すべてのお湯がコーヒーになるまで、その香りを客と楽しむ。
客はその間、滴るコーヒーの雫をとても楽しそうに眺めていた。かと思うと急に顔色を曇らせたり、怒った顔になったり。なにやらいろいろと考えているようだ。
コーヒーができたら、客に好きなだけ砂糖を入れてもらって、ふやかしておいたゼラチンを熱いコーヒーにそっと入れて混ぜる。今回はゼラチンは少なめで、柔らかめに仕上がるようにしてみる。
粗熱が取れたらカップの上にソーサーを被せて、冷蔵庫に入れておく。ゼリーになるまでの時間、客に他のコーヒー豆を見せたり、学校の様子を聞いたりして過ごした。この小さな客は小学2年生なのだそう。でも、なぜ家出したいのかまでは店主からは聞かない。根掘り葉掘りと聞くのははしたないことというのが店主の考えだ。
そうこうしているうちに客はカウンターに突っ伏して眠ってしまった。学校から出ている宿題と、塾という場所から出ている宿題をやらなければいけないと言ってやり始めて、すぐのことだった。店主はそっと膝掛けを客に掛ける。
「ママ・・・・・・ごめんなさい・・・・・・」
客の寝言を聞いて、みーがカウンターまで下りてきた。尻尾をゆっくりと、大きく揺らしながら客を見ている。その瞳はなにを考えているのか、店主にはわからなかった。
夕方を過ぎて店の照明を点けた時、客は目を覚ました。あまりにもぐっすりと眠ってしまっていたから、さすがにそのままカウンターで眠らせるわけにはいかず、店主の寝室まで運んで布団に寝かせていた。お陰ですっかり寝癖がついている。目を擦りながら階段を下りてきた。
「ここ、どこ?」
「ここは私のお店です。よく眠れましたか?」
「あ、そっか。ボク家出したんだ」
「家出かどうかはまだわかりませんが、ゼリーならもうできている頃ですよ」
「あ! そうだ! ボクのゼリー!」
客にはカウンター席で待っていてもらって、店主はゼリーを運んで来る。客の前に置き、蓋にしていたソーサーを取ると、プルプルつやつやのコーヒーゼリーがそこにはあった。できたてほやほやだ。
「わぁぁ。これが、コーヒーゼリー」
「お客様がお作りになったコーヒーゼリーです。とても美味しそうですね」
「食べてもいいの?」
「もちろん。お召し上がりください」
店主は客の前に紙ナプキンを置き、その上にデザートスプーンを置いて、一口食べるように目で促した。客は恐る恐る、ゼリーを口の中に入れる。そしてまた一口、また一口とゼリーを口へ。
「お口に合いましたか?」
「うん! とっても美味しい!」
「お客様の特別な一杯をお楽しみください」
客の姿が瞬きの間に消えてしまう。カップに残ったゼリーは静かに照明の光を反射していた。
「どんなお顔で戻られるか、楽しみですね。みーさん」
みーさんは心配そうに棚の上から見下ろしている。
小さな客は自分の家に帰ってきていた。家出したはずだったのに、いつの間にかテーブルを囲んで両親と座っている。母親は怖い顔をしていた。
両者を隔てるテーブルには塾のテストが並べられている。ぐちゃぐちゃにして捨てたはずなのに。きっとママだと客は唇を噛んだ。1番高い点数でも40点というテストを見られたくなくて、わざわざ学校で捨てたのだ。
「これ、今日先生から電話があって学校に行ったら渡されたの。どういうこと? ともくん」
「これは・・・・・・」
「テストの点もそうだけど、どうして学校に捨てたの?」
「あの・・・・・・」
「答えなさい!」
母親が叫ぶ。父親は何も言わない。いつも母親の言いなり。誰も、智和の話は聞かない。
「なんのためにあの小学校に入ったと思ってるの? なんのために高いお金を払って塾に行ってると思ってるの? 最近じゃ、他の習い事でも上の空だそうじゃない! こんなんで立派な大人になれると思ってるの!?」
母親の言ってることの意味は智和には半分もわからなかった。なんのために? 全部母親のためだった。
ママがそうしろって言ったから。ママが喜ぶと思ったから。でもママは怒ってる。宿題ばかりで友だちとも遊べない。ゆっくりできない。毎日すごく眠い。休みが無い。友だちは美味しいお菓子を買ってもらってる。ボクは、体に悪いからと言われて食べたことが無い。いつもママの手作りおやつを食べる。ボクも、お店に売ってる甘くて柔らかいゼリーを食べてみたい。
「立派な大人になんてなりたくない! ママなんて大嫌い!」
気づいたら智和はそう叫んで自分の部屋に駆け込んでいた。後ろで母親が何か叫んでいた気がするが聞こえないふりをした。父親の、「ママ待つんだ」と言う声も聞こえた気がした。智和は簡単にドアが開かないようにできる限りのバリケードを作って、その前に膝を抱えて座り込んだ。
パパ・・・・・・パパ・・・・・・。パパに会いたい。もう覚えてないパパの顔。今のパパじゃなくて、死んじゃったパパの顔。
ドアをバンバンと叩く音と母親が叫ぶ声がうるさい。智和は耳を手で塞いで、目をギュッと閉じた。うるさい、うるさいうるさい! こんな家、もう居たくない!
どのくらいそうしていたのか。いつの間にかドアを叩く音も母親の叫ぶ音も聞こえなくなっていた。智和はそっと立ち上がって、バリケードの向こうの様子を耳で探った。
「智和、ちょっといいか?」
父親の声がした。すごく冷静な、大人の男の人の声。
「ママなら今居ないよ。おばあちゃんちに行ってもらってる。2人で話がしたくて。今いいかな?」
この男は智和の父親が死んだ後うちに来た。母親が、「新しいパパだよ」って連れてきた男。今まで母親の言いなりで、智和のことなんて見てもいなかった男だ。
「あっち行け! 偽物のパパのくせに!」
口が勝手にそう言っていた。なぜか涙が止まらなかった。
「そうだよな。智和からしたら俺は偽物のパパだ。本物のパパみたいに守ってやれなくてホントにすまなかった。実は、智和の最近の様子が変だなと思って、ママに内緒で学校や習い事の先生に様子を聞いて回ったんだ」
「え?」
そんなこと、智和は知らない。
「そしたらどの先生も、智和がここのところ上の空で集中できていない。眠そうにしている。顔色が悪いときがあるって教えてくれた。それをママに相談したんだ。いろいろやらせ過ぎなんじゃないかって。そしたら・・・・・・」
偽物の父親は言葉を切った。智和は何も言わない。
「そしたら、あの子の頑張りが足りないのはあたしのせいだって言うのって言われちゃって。何も言えなくなっちゃったんだ。そんなこと、ひとことも言ってないのに。俺、逃げた。俺も立派な大人じゃないんだ」
「大人なのに、立派な大人じゃないの?」
「あぁ。むしろ立派な大人なんていないのかもしれない。みんな失敗して、傷ついて、それでも立ち上がって、間違いを正して。他人と折り合いを付けて生活してるんだ。だから、すまなかった」
「え」
「智和の気持ちを聞かなかった。ママから逃げた。大人としても、夫としても、親としても失格だと思う。すまなかった」
「でも・・・・・・」
「俺は智和からパパを奪ったりしない。ママを奪ったりしない。ママと結婚する前、智和のパパに誓ったんだ。智和の大事なものを守るって。ママを守るって。だから、もう無理に俺をパパと呼ばなくていい。ママのことも習い事のこともパパがなんとかする。嫌なことは嫌だと言っていい。だから、少し休むといい。学校にも実は話をつけてある。しばらく、のんびり過ごそう。みんなで旅行したり、美味しい物食べたり」
「・・・・・・ゼリーも食べれる?」
「もちろん! ゼリーだってなんだって、智和の食べたい物を食べに行こう!」
智和はバリケードをどかして、そっとドアを開けた。偽物の父親は、泣いていた。大人らしく、声を出さないで泣いていた。
「ボク、駄菓子を食べてみたい!」
小さい声でそう言ったボクに、偽物のパパは頷いて見せた。そしてすぐにどこかに電話をした。
「これから迎えに行く。今日はそのままそっちで話し合いをしよう。お義母さんにもそう伝えてくれ」
そう言って電話を切った。偽物の父親は大きな手で智和の頭を撫でた。その手はすごく温かくて、智和は一瞬、死んだ父親の手を思い出した。パパ、ボク、頑張ったよね。
「コーヒーゼリーはお気に召しましたか?」
静かに戻ってきた小さな客に、店主はそう声を掛けた。席に戻ってきた智和はボロボロと泣いている。声を出さずに、目から涙を零すだけ。
「パパ・・・・・・?」
「私はこのお店の店主です。一緒にゼリーを作った」
「あれ、ボク・・・・・・」
智和は零れる涙に気づいて、袖でぐしぐしと顔を拭いた。店主は用意しておいたタオルを智和に渡す。智和のカップは空になっている。
智和の涙が止まり、落ち着いたところで店主はもう一度、「コーヒーゼリーはお気に召しましたか?」と聞いた。これは客がこちらの世界へ帰って来るお呪いのようなものなのだ。
「うん。初めてママ以外の人が作ったゼリーを食べた。すごく美味しかった」
「これはお客様がお作りになったゼリーです。自分で作れば、好みの味にできますよ」
「自分で・・・・・・そっか、自分で作ればいいのか・・・・・・」
智和がゼリーの入っていたカップを持ち上げてとても嬉しそうに見つめる。なにか、憑き物が落ちたような顔になっていた。
「ボク、家出やめる」
「悪くない判断ですね」
「ボクのママ、ボクにたくさん習い事をさせたり、お菓子を食べさせてくれなかったりして、それがすごくつらかったんだ。ボクの話も聞いてくれないし、今のパパはママを止めてくれない。だからボクは邪魔なんだと思ってた。でも・・・・・・」
「でも?」
「思い出したの。今のパパが来た時のこと。ボクはまだ小さくて、たぶん保育園の小さいとき。初めて会った時、ボクをぎゅってして耳元で言ったの。『智和のパパのお墓に行って、パパと約束してきた。智和の大事なものを守る。ママを守るって。だから嫌なことは嫌だと言っていいからね。大丈夫だからね』って」
「そうだったんですね。お父様を亡くされてさぞおつらかったでしょう。休み無く勉強ばかりというのも、小さな体でよく頑張りましたね」
「・・・・・・うん。うん。ボク、頑張ったよ。パパぁ・・・・・・。ママぁ・・・・・・わぁぁぁん」
智和は、今度は子どものように大きな声で泣いた。それはそれは子どもらしく、愛らしい姿だった。その小さな体と心で、両親の期待や、場の空気感や、大人の心を感じ取って、精一杯大人になろうと背伸びしていたのだと思うと、店主はもらい泣きしてしまいそうだった。
店主は智和のそばに行って、それが正解なのかはわからなかったが、声を上げて泣く小さな客をしっかりと抱きしめた。抱きしめて、背中を撫でて、「大丈夫です。きっとわかってくださいます」と言い続けた。店主にできる、精一杯の慰めだった。
しばらく泣いて、落ち着いた智和は荷物を持って帰っていった。もう暗いから送っていこうと店主が提案したのだが、「家はすぐそこだから大丈夫。塾のときはもっと遅いし」と言って駆けて行ってしまった。
「窓から猫が見えて、思わずここに入っちゃった。ボク、猫を飼いたくて、つい」
最後にそう言った智和の顔は、それはそれは晴れ晴れとしていた。
店主とみーはカウンターに残ったカップを挟むようにして見つめる。みーはなんだか浮かない顔をしている。
「どうかなさいましたか?」
「・・・・・・子どもがあんなにつらくなるほどいろいろ詰め込ませるなんて、そんなの、なんの意味があるのかしらって」
「ご家庭ごとに考え方はあるのでしょうけど、やっぱり子どもは元気に笑っていてこそとも思いますね」
「子どもだってひとつの人格よ。親が好き勝手にしていいものではないわ」
「・・・・・・いつになくお怒りのご様子ですね」
「子どもを蔑ろにする奴なんて怒る価値も無いわ」
ふんっとみーがそっぽを向いたとき、カップから小さな芽が生まれた。店主の試作兼実験は成功したようだ。このカップでコーヒーゼリーを作って食べても、みーの呪いの効果はあるのかとずっと気になっていたのだ。こうして結果が出て店主は内心喜んだ。
生まれた芽は光り輝き、小さいながらもしっかりと葉を茂らせた苗木へと成長した。
「みーさん、この木は」
「ええ。どうやらあの子がひとつ持っていたようね。私の探している『特別な豆』を」
「これで2つ目ですね。この木の名前はなんと言うんですか?」
「これは『歓喜の種』。喜怒哀楽怨の『喜』を意味する名前よ」
「ということは・・・・・・あと3つ、見つけないといけないということですね」
「・・・・・・そうね」
なんとなく、歯切れの悪さを感じる。
「そういえば、今日出したコーヒーの名前はなんだったの?」
「あぁ。あれは『涙のほとり』です。みーさんの呪いのお陰で成長が早くて助かります」
苗木が生まれたカップを優しく裏へ運んだら、本日はこれにて閉店。
「次はどんなお客様に特別な一杯を振る舞えるのか、今から楽しみです」
次話 『第8話 彩りの新芽』




