第6話 夜明けの流星
この作品は、映像化を想像しながら書きました。
読んだ時にお好きな俳優さんや声優さんを当てて、読書をお楽しみください。
よろしければ、誰をイメージしながら読んだのかコメント欄に書いてくださると、きっと楽しいコメント欄になると思います。
ここは喫茶ブレイクタイム。客にひとときの休息と美味しいコーヒーを心ゆくまで愉しんでもらうための店。小さいながらも長年やって来た、店主のこだわりの店だ。
今日は何やら外が騒がしい。店主は外の掃き掃除がてら様子を見てみることにした。箒とOPENの看板を持って外に出てみると、どうやら今日は商店街のお祭りだったようだ。昔ながらの商店街はお祭りのための装飾が施され、スピーカーからは昔なじみの祭り囃子が再生されている。
店主は外の様子にさして興味が無いので、今日がお祭りだということも、ここがこんなに活気のある商店街だったということも正直知らなかった。と言っても店主とこの店にはあまり関係がない。この店は商店街の入り口から少し離れているし、店主はお祭りに行きたいとも思わない。店主にとって、この店が1番なのだから。
浴衣や甚兵衛を着た人たちで通りが賑わっている。露店も多く出ているようで、商店街からは空腹を誘うよい匂いが漂ってきている。この調子では、今日は客は入らないかもしれない。
「あの・・・・・・すみません」
突然声を掛けられて、店主は驚いた。思わず箒を手から離しそうになる。
「す、すみません。急に声を掛けて」
「いえ。驚いてしまって申し訳ありません。少々考えごとをしていたものですから。どうかしましたか?」
「あの、このお店の方ですか?」
「はい。私はここの店主です。お休みになっていきますか?」
「はい! よかった。休めるところを探してて。どこも休みで・・・・・・」
「あぁ。今日はお祭りのようですからね。さ、どうぞ。いらっしゃいませ」
「し、失礼します・・・・・・」
店主の予想に反して来店したこの客は、色白の肌で線が細く、横柄とは真反対にいる人という言い方がピッタリの様子。背も高いのに、ずっと腰を曲げて歩いていて、なにかこちらがする度に、「すみません」と言う。あまりにも控えめという印象だ。
店主は表に出した看板をひっくり返し、念のため扉のカーテンも閉めておいた。少しでも休息をゆっくりと楽しんでもらおうという気配りだ。
客は1つしかないカウンター席に座ると、顔を濡らしていた汗を拭いた。
「ふぅ。本当に助かりました。この人混みで参ってしまって」
「こんなにここが賑やかになるなんて、私も驚いています」
「ここ、まだ始めたばかりなんですか?」
「いえ。もう随分長くここに居ますが、なにせ外にあまり興味が無くて。ずっとお店の中に居るものですから」
「あ、でもそれちょっとわかります。外に出ると疲れるし。僕もこういう仕事したいなぁ」
「お仕事は何を?」
「営業なんです。だからいろんな所に行かなきゃなんですけど、本当はそういうの得意じゃなくて」
「いろんな人と話をするというのは、それだけ気も遣いますからね」
「そう! そうなんです!」
客が急に大きな声で身を乗り出してきた。その顔には色々な感情が混ざっているようだ。客はそのまま続ける。
「僕、本当は人見知りであんまり外に出たくないし、友人もほとんど居ないと言った方が早いくらいなんです。でも僕は1人が好きですし、人混みや知らない人と話すのってつらくて。少しの時間なら大丈夫なんですけど・・・・・・」
「あまり長時間や連日だと、お疲れになってしまうと」
「そうなんです」
そこで客は席に座り直した。今度は少し落ち込んでいるように見える。
「でもぱっと見はその逆に見えるみたいで、ホントは事務とか人事とかの部署に行きたかったのに、営業に回されてしまって」
「確かに、お話ししている感じは人見知りという印象は受けませんね」
「でしょ?」
「でも、最初にお会いしたときは、とても控えめな方なのかなとも思いました」
「ホントですか!? そんなこと、初めて言われました」
「お気を悪くさせてしまったらすみません」
「いえ、その逆です。むしろ嬉しいっていうか。人からは陽キャでコミュ力があるなんて思われるんですが、僕自身はその逆の性格ですし、体も弱いし、考えすぎて眠れなくなったりするし、今日みたいな人混みや大きな音が出る所はホントに苦手で。でも人前ではなんとか陽気に振る舞おうと頑張りすぎたり、喋りすぎたり。で、空回りしてトラブルになったりもして・・・・・・」
「それはそれは、随分とご苦労をなされて」
「あ、すみません。こんな話、初対面でされても困りますよね。またやっちゃった・・・・・・」
「大丈夫ですよ。ここはお客様がゆっくりと休むためのお店です。気になさることはありません」
客が気まずそうにしているので、店主はなんでもないという気持ちをしっかり込めて、メニュー表を渡した。客はまた、「すみません」と小さく言って茶色い表紙のメニューを受け取った。
しばらくメニュー表を見ていた客が、さらに気まずそうな顔をして店主を見た。なにかを、言おうかどうしようか悩んでいる様子だ。
「どうかされましたか?」
「あ、いえ・・・・・・その・・・・・・」
「遠慮無くおっしゃっていただいて大丈夫ですよ」
「その・・・・・・コーヒー以外ってありますか?」
「コーヒー以外、ですか?」
「すみません! 喫茶店なんだからコーヒーですよね! ホントにすみません! 実はカフェインがダメで・・・・・・胃が・・・・・・」
「あぁ! なるほど。困りましたね、うちはコーヒーしかなくて・・・・・・牛乳ならあるのですが」
「牛乳も飲めなくて・・・・・・お腹が・・・・・・」
「なるほど」
「ホントにすみません。すぐに出ますね」
脱いで背もたれに掛けていたスーツの上着をぐしゃりと掴むと、客はさらに腰を丸めて出て行こうとした。店主は慌てて引き留める。
「お待ちください。少々考えがあるのですが、試していかれませんか? もしダメならお代は頂きません」
「え、でも・・・・・・」
「大丈夫です。万が一の時にもきちんと対応できますから」
「・・・・・・それじゃあ、お願いします・・・・・・」
今にも消えてしまいそうに言いながら、客は席へと戻った。店主は客にもう一度、「大丈夫ですよ」と微笑みかけてから裏へ行く。
店主が焙煎した豆を保管している地下の特別室の壁には、その一面に小瓶に入ったコーヒー豆が並べられている。カップから生まれたコーヒーの木から採れる豆はちょうど一杯分。
その小瓶の並べられている壁の反対側の壁には、みーの呪いの掛かったカップから生まれたコーヒーの木たちが、小さな植木ポットの中でスクスクと育っている。呪いのお陰であっという間に実を付けるコーヒーの木たちにそれぞれ名前を付けて、大切に育てているのだ。未来の客に、ホッとできる時間を提供するための大切な木。
店主はその部屋の奥にある冷蔵庫の中から、『氷の融解』というラベルの貼られた冷水ポットと葡萄ゼリーを手に取り、客の元へと戻ってきた。中にはしっかりと色の出た冷たいコーヒーが入っている。
「こちらはアイスコーヒーになります」
「アイスコーヒー、ですか。でもコーヒーは・・・・・・」
「これは豆を挽いた後、パックに入れて、お湯ではなく水で抽出したコーヒーなんです」
「コーヒーってお湯じゃなくても作れるんですか!?」
「はい。この豆は『氷の融解』という名前で、特に水出しとの相性が抜群。水出しでも味はしっかりとコーヒーのままです。水出しの方がお湯で作るよりも、短時間で多量にカフェインが溶け込むのを防げますし、まだ入れて3時間ほどしか経っていませんから、そこまでは溶け込んでいないはずです。もしかしたらお客様でもお飲みになれるかもしれません。あと、甘い物はお好きですか?」
「え、あ、はい。食べられます。少しなら」
「では、こちらの葡萄ゼリーを先にお召し上がりください。いきなりコーヒーを飲むよりも、その方が胃への負担も減らせますから」
店主は、普段はホットコーヒーを入れるカップにしっかりと冷えたアイスコーヒーを注いで、葡萄ゼリーと一緒に客へ差し出した。
ゼリーは、特製の葡萄ジュースと砂糖、ゼラチンだけで作ったシンプルなもの。ゼラチンを少し多く使って固めに仕上げてある。ゼリーを噛むほどに葡萄の美味しさが弾けるので、砂糖は最小限。ホイップクリームもミントも乗せない。
客は店主の助言通りに、まず葡萄ゼリーを一口食べる。
「これすごくおいしい」
「恐れ入ります」
「昔、祖母と行ったお店で食べたのと似てます・・・・・・。まさかここで食べられるなんて」
「思い出の味、ですね」
客は一口一口噛みしめながらゼリーを食べ終わると、コーヒーのカップを手に持って息を長く吐きました。無理をさせてしまっただろうか。この客の性格を考えると、断れなかったのかもしれない。店主は少し不安になった。
「いい匂い」
店主が、やはり止めた方がいいかもしれないと悩んでいると、客はそう言って勢いよくコーヒーを飲んだ。ゴクリとおいしそうに客の喉が鳴る。
客は飲みながら驚いた顔をして、そのままゴクリ、ゴクリとコーヒーを胃へと流していく。見てるこちらの方がオロオロと心配になってしまうくらい、いい飲みっぷりだった。
「だ、大丈夫ですか?」
「ん! ・・・・・・すみません。おいしくて、つい」
「お口に合いましたでしょうか」
「はい! まさか水出しコーヒーがこんなにおいしいなんて、知りませんでした!」
「・・・・・・お客様の特別な一杯をお楽しみください」
客の姿が瞬きの間に消えてしまう。半分になったアイスコーヒーの入ったカップは、何事も無かったかのようにソーサーの上に静かに置かれていた。
「どんなお顔で戻られるか、少々心配ですね。みーさん」
みーはこちらに背中を向けて眠っている。
客は戸惑っていた。今いるここは、自分の家らしい。さっきまで喫茶店に居たはずなのにと、この状況を掴めずにいると携帯電話がけたたましく鳴る。着信は彼女のあずさからだ。
「もしもし?」
「あ、だいちゃん? 今度うちの友達カップルとダブルデートしよって話になってさ。だいちゃんもそういうの大丈夫でしょ? 土曜日予定空けといて!」
「え、待って。誰が大丈夫って」
「だってだいちゃんコミュ力あるし、誰とでも仲良くできるじゃん! じゃ、そういうことだから!」
彼女は本当の意味でコミュ力もあるし友達も多い。そんなところに惹かれて好きになったけれど、考え方が違いすぎてこの頃は正直参っていたのが、だいちゃんこと、牛尾大輝の本音だった。このダブルデートの話ももう何度目のことだろう。
毎回違う人たちと初めましての挨拶から会話を初めて、気を遣って、彼女の機嫌にも配慮して。仕事でも気を張って。ここ最近、どこにも安らげる居場所が無いように牛尾は感じていた。
「痛っ」
そしていつものように胃が痛くなる。彼女はこんな自分のどこに惚れてくれたんだろう。会社はこんな自分のどこに期待したんだろう。いつもの胃薬を飲みながら牛尾は泣きそうになっていた。
周りのそういう期待を敏感に感じ取って、そういう自分を演じてしまう自分が悪いのはわかっていた。でも素を出すほどの勇気もない。胃薬がすべて胃に入ったのを感じてから、牛尾はベッドに横になった。
また、けたたましい着信音で目が覚めた。いつの間にか眠ってしまっていたらしい。どのくらい寝たのだろうか。今度は同僚の中島からだった。時間は夕方の17時ちょっと前。胃痛は治まっていた。
「よ! 暇してた?」
「寝てたとこだよ」
「あれ? 寝起きだった?」
「まぁな」
「ちょうどいいや、一緒に飯食い行こうぜ」
「なんで急に」
「いいじゃん、一緒に食べる予定だった奴がドタキャンしてさ。俺の周りで量食う奴お前しか居ないんだよ」
「また食べ放題行くのか? ホント好きだな」
「まぁね。じゃ、駅前で待ってる!」
また、牛尾の返事を待たずに電話が切れた。確かに今日はまだ何も食べていなかったし、食べ放題は嫌いじゃない。駅もそこまで遠くない。牛尾は着替えて、中島の待つ駅前に向かった。
「いやー。しかしお前ホントによく食べるよな」
中島は駅前にできたばかりのピザ食べ放題の店を予約していた。食べ放題の店を見つけるとすぐに行きたがり、そして大体は牛尾を誘う。
「そんだけ食べても太らないんだから羨ましいよなー。痩せの大食いってやつ?」
中島はいつもそう言って自分の出っ張った腹をさする。気になるなら食べなきゃいいって言いたいのをぐっと堪えて、牛尾は笑顔で会話を続ける。
「そんないいもんじゃないよ。僕は胃腸が弱いから、食べられるときに食べておかないとダメなだけ」
「それでも太んないんだからいいじゃんよー」
この会話ももう飽き飽きしていた。何度となく繰り返された会話。学生時代に付き合っていた彼女には、なぜか知らないが泣かれた記憶もある。体型なんて気にしないのにと牛尾がいくら言っても聞かず、結局別れてしまった。
この会話の度に自分の体質のことを説明するのも正直嫌だった。何が嫌って、まずわかってもらえない。胃腸が弱くて、食べられない物や飲めない物も多い。好き嫌いだと言われる。1日に何度も食事を摂れない。食べないからダメだと言われる。胃を壊せば、1週間近くまともに食べられなくなる。せっかく増やした体重はあっという間に減っていく。だから筋肉もつかない。食べても太らないなんて羨ましいと上から下まで視線で卑しく撫でられる。
痩せの大食い、元気な人、明るい人、友達多そう、悩みが無さそう、人見知りしない、誰とでも打ち解ける、営業向いてそう、子供っぽい、そんな繊細に見えない。
周りは牛尾を好き勝手決めつけて、その期待に牛尾が応えられないと好き勝手罵って去って行く。誰も正面から牛尾の話を聞きもしない。
「もううんざりだ」
「え? なに?」
牛尾は中島のその返事にキレた。
「もううんざりだ! お前らみたいに食べたい物を食べたい時に食べられる奴になにがわかる! 勝手に理想を押しつけておいて、裏切られたって騒ぐ奴になにがわかる! こっちの話をまともに聞かないくせに、なにが羨ましいだ! 僕にどうしようもないことを勝手な常識や思い込みで判断するな!」
そう叫んだ自分の言葉に牛尾はハッとした。その瞬間、目の前が真っ白になった。
アイスコーヒーの入った冷水ポットを冷蔵庫に戻し、空になった葡萄ゼリーのお皿を裏へ下げて戻ってきた時、牛尾が静かに席に戻ってきた。なにやら怒った顔をして、呼吸も荒くなっている。
「大丈夫ですか?」
店主の声に気づいた牛尾は辺りを見渡すと、体の力を抜いて背もたれに寄りかかった。疲れてしまったのか手で顔を覆う。
「胃が痛みますか?」
「あ、いえ。大丈夫です。ちょっとこの前のことを思い出して」
「この前のこと、ですか?」
「同僚と夕飯を食べたんですけど、そこが食べ放題の店で。僕、こう見えて食べる時はかなり食べるんで、痩せの大食いってよく言われるんですけど、実際は普段ほとんど食事も摂れないくらいで。人と食べる時や胃の調子がいい時にたくさん食べておくってだけなんです。お陰で太れないし」
「まるで営業が苦手なのに営業得意そうと言われるのと似てますね」
「あ、ホントですね。それでその時にも、『痩せてて羨ましい』って、目の前でバクバク食べる同僚が言うんです。でっかい腹を揺らしながら。僕は食べたい物を好きな時に好きなようには食べられないのに」
「それはあまり、いい気持ちがしませんね。褒め言葉には聞こえないでしょう」
「そうなんですよ! 僕、その時本当は怒って言い返したかったんですけど、できなくて」
「言い返すだけがコミュニケーションというわけではありませんし、お客様は和を大切にする人のようですから、きっと無意識に自分が我慢すればいいとお思いになるのでしょう。差し出がましいようですが、周りがなんと言おうと自分の体の声を聞けるのは自分だけです。常識というのも実は一定の人にしか当てはまらないのに、ほとんどの人がそうだと思わされているだけという場合もあります。ご自身の体の声を聞くのが、ご自身の体を守ることに繋がると思いますよ」
牛尾は店主の話を聞くと、顔を明るくさせて何度も強く頷いた。そして空になったコーヒーカップを手に持ってじっと見つめる。店主は客の言葉をゆっくりと待った。
少しの沈黙の後、客は静かにカップを戻して言った。
「あの時、同僚に言い返すのを想像して、気づいたんです。周りの期待に応えなきゃいけない、人と違うことは話してもわかってもらえない、そう勝手に思い込んでたのは自分だなって」
「そういうことが多く続けば、そう思っても仕方ないかもしれませんね」
「ですね。人の常識は変えられなくても、自分の中の常識は変えていける。マスターが入れてくれたこのアイスコーヒー、飲んでも胃が痛くならないんです。ずっとコーヒーは飲めないと思ってたのに、飲めた。僕の中は感動でいっぱいです」
「よかった。実は心配だったんです。余計なことをしてしまったかもしれないと」
「いえいえ。本当に有難うございます。ホントはずっとコーヒーを飲みたくて」
「お気に召していただけて本当によかったです。周りの方にも、わかってもらえるといいですね」
「はい。少しずつ、周りに自分のことをわかってもらえるように話してみようと思います。演じるのはやめて。素のままの自分を見てもらえるように。営業のことも、体質のことも。それで壊れてしまうものもあるかもしれませんが、人生まだ長いですもんね」
「そうですよ。人間の寿命なんてどうとでもなりますから」
「ははは。なんだかマスターは魔法使いみたいですね」
「いえいえ。私はただの喫茶店の店主です」
牛尾が帰ってから、いつものようにみーとコーヒーの苗木が生まれるのを待つ。カウンター席に座るみーが自分の髪の毛を指でクルクルと巻いては解き、巻いては解きと繰り返している。
商店街の祭り囃子がだんだんと小さくなってきた。お祭りの終わりの時間が近づいているらしい。西日もすっかり落ちたので、みーが選んでくれたアンティーク調の間接照明を点ける。店によく似合っていて、店主も気に入っている。
「はぁ」
みーさんが大きくため息を吐いた。
「どうしたんですか。ため息なんて」
「昔のことを思い出したの。私も、この巻き毛のことでいろいろ言われたなって」
「そうなんですか。そんなに綺麗な髪なのに」
「ふふ。貴方は変わらないのね」
「え?」
「ほら。芽が出始めたわ」
カップから生まれたコーヒーの苗木は、確かに他の苗木とは違う形をしていた。幹は太く、細い枝が多く付き、葉っぱの色もまちまちだ。しかしみーの探している特別なコーヒー豆の木ではなかった。それでもこの木は、店主にとって世界にひとつだけの特別な木だ。
みーは、「残念」と言って猫の姿になり、窓の外を眺め始めた。そう言う割にはあまり残念そうに聞こえなかったのは気のせいだろうか。
「この木は、『雲散霧消』という名前でどうでしょう」
「みゃっ」
「却下ですか・・・・・・。うーん・・・・・・」
店主はしばらく悩んで、店の中を行ったり来たりした。元々名付けは得意ではない店主だが、特に今回は難しいらしい。たっぷり時間をかけて悩んで、恐る恐るみーに提案する。
「・・・・・・『夜明けの流星』はどうですか」
「にゃぁ」
「流星は本来真夜中に見て楽しむものですから、夜明け頃の流星はほとんど見えないし楽しむ人も少ないんです。でも、その楽しみ方を知ったら今までとは違う空に見えるでしょ? あのお客様の木にピッタリかと思いまして」
「みゃみゃ」
「よかった。では『夜明けの流星』という名前に決定です」
名前が決まって心の底からホッとした店主は、ふぅと息を吐いてから看板を店の中にしまい、苗木が生まれたカップを優しく裏へ運ぶ。今日はこれにて閉店だ。
「次はどんなお客様に特別な一杯を振る舞えるのか、今から楽しみです」
次話 『第7話 歓喜の種』




