第12話 最後の客 後編
この作品は、映像化を想像しながら書きました。
読んだ時にお好きな俳優さんや声優さんを当てて、読書をお楽しみください。
よろしければ、誰をイメージしながら読んだのかコメント欄に書いてくださると、きっと楽しいコメント欄になると思います。
次の日も、同じようにして明るいうちに小屋と家を往復する。ミユナの両親が亡くなってからの2年間、一度も来ていないという話の割には外も中も綺麗だった。綺麗な湧き水のある湖のそばにあるから水も困らないし、彼女の母親の趣味だったという薔薇もしっかりと葉を伸ばして蕾をつけていた。日の光が湖に反射して、とても美しい場所だった。
日が落ち始めた頃、粗方必要な荷物を小屋に運び終えて、そのまま夕食にすることにした。しかし男はもうすっかり疲れ切っていたから、料理をする気になれなかった。ミユナは料理が大の苦手だから男がいつも作っていたわけだが、今日ばかりは作れそうにない。
どうしたものかと男が考えながら裏門をくぐると、なにやら良い香りが家に広がっている。男が匂いに釣られて台所に入ると、ミユナが汗だくになりながら鍋を煮込んでいた。
「あ、おかえりなさい。おうどん、作ったの。まことさんが作ったのより、おいしくはないかもだけど・・・・・・」
男がその姿に感動したのは言うまでもない。ミユナが作ってくれたうどんは、どんな名人が作ったうどんよりもおいしかった。
「お口に合ってよかった」
そう言って笑うミユナ。そこで急になにかを思い出したように黙り込んだ。
「どうかしました?」
「あのね、両親が死んだ時のことなんだけど」
「はい」
「思い出したの。2人は客間に倒れてたんだけど、お客様用のお茶は出てなかった。誰か来た時じゃないと使わない部屋なのに変だなって。それから、嗅いだことのないお香みたいな匂いもしてた」
「お香の匂い?」
「うん。なんか、たくさんの薬の中に居るみたいな感じなんだけど、知ってる薬じゃないみたいな・・・・・・」
「うーん。そうなると、やはり誰か来ていた可能性は高いですね」
「でも誰もうちから出ていった人を見てないって言ってたの」
「誰も?」
「誰も」
知らない匂い、足りないお茶、村の人たちの証言、そしてずっと引っかかっていた、カヨの「ごめんなさい」という言葉。考えたくもない答えが、男の口から出そうになった。でもまだ証拠が無い。この時点で彼女の不安を煽るのは危険だ。
次の日の宵星が見え始める頃、男はカヨとの待ち合わせ場所に向かった。男がカヨと会っている間、危険だから先に小屋に行くようにとミユナに言ったのに、帰りを待つと言って彼女は聞き入れなかった。こうなると頑固なのは一緒に過ごし始めた最初の頃にはわかっていたから、「なるべく早く戻るから、誰か来ても出ないで」と何度も彼女に言い聞かせて祠まで男は走った。
薄暗くなった田んぼ道と山との間にある、苔の生えた小さな祠。その後ろに隠れるようにしてカヨは待っていた。祈るように両の手をギュッと握りしめて顔に当てている。
「お待たせしました。急いでいます。お話とはなんでしょう」
「ごめんなさい!」
「え?」
「うちが知っとること全部喋ります。だからどうかみーちゃんを助けてください!」
「ミユナさんを助けるってどういうことです」
「みーちゃんの親を殺したのは、この村のもんたちなんです!」
昨夜頭によぎった恐ろしい考えは、カヨのその一言で現実のものとなってしまった。男は腹に力を込めて、自分を鼓舞し、カヨの涙ながらの告白を静かに聞くことにした。太陽の光を山が覆い隠すように、男の中にもどす黒いものが広がりつつあった。
カヨはしゃくり上げながらも、早く話さなくてはと思ってくれているようで、ところどころ詰まりながらも事の全容を話してくれた。
「2年前、ここに薬屋って名乗る変な人が来たの。見た目は日本人っぽかったし日本語も話してたけど、外国語訛りだった。村のじじばばたちは別の地域の訛りだって言うそいつの話を信じてたけど、絶対違うって思った。・・・・・・でもおとうとおかあは、じじばばに逆らっちゃだめって」
「亜細亜から来た人だろうね。なんでも珍しい薬があちらにはあるとか」
「それでみーちゃんちにも行ってたの。その人が来て3日目くらいの時に、村のじじばばがこっそり集会所に集まってるのをたまたま知って、うち、こっそりつけてみたんよ」
「また危ないことをしましたね」
「だって気になってからに。そしたら、その薬屋も居て」
「薬屋も?」
「じじばばたちが薬屋に言ったことには、『これなら確実にやれるか?』って。薬屋は、『毒と見破られナイ、証拠もナイ。これ、ただの薬であるからして』って」
「毒と言ったのですか?」
「言いました。はっきり」
男は腕を組んで微かな記憶をたぐり寄せるために考え込んだ。たしか、亜細亜の大国には肺の動きを弱める強力な秘薬があって、大量に使えば暗殺にも用いられる毒にもなるし、少量なら薬として用いられると、以前立ち寄った町の漢方医が話していた。しかも無臭なんだとか。
なるほど。飲んだ者の口から臭いもしないし、薬として使われる物だから万が一調べがついても、本人が間違って大量に飲んだだけと言い訳が立つ。オランダの医術を学んだミユナが亜細亜の漢方を知らなかったのも無理はない。そういえば、ミユナは部屋にお香の匂いが残っていたと言っていた。
「その薬屋、お香のような匂いがしませんでしたか?」
「そういえば、なんか独特な匂いがしてたかも。うち、好きくないで離れておったからよく覚えてないんですけど。その後から、もうみーちゃんとつるむなってひどく怒られて」
「なるほど、十分理解できました」
これではっきりした。ミユナにとっては生まれ育った場所だろうが、落ち着いたらあの山小屋も出てどこか遠くに行った方が安全そうだと男は確信した。そのくらいこの村に留まるのは危険だと感じたのだ。男は急いで家に戻ることにした。しかし、最後にどうしても聞きたかったことがあって、泣き止まないカヨのそばに膝をついた。
「カヨさん、教えてくれて有難うございます。しかし、私にこの話をしたのが知られたらカヨさん自身も危ないのではないですか?」
整いかけていたカヨの呼吸が、ひゅっと音を立てて止まるのがわかった。辺りはもう暗く、表情の判別は難しくなっている。だんだんとカヨの呼吸音が荒くなっていることから、ただならぬ様子を空気で感じ取った。
とうとうカヨの影は小さくうずくまってしまった。男はカヨの背中を摩りながら落ち着くように声を掛ける。勇気を出して告白してくれた彼女を脅すようなことをしてしまって、とても申し訳なく思ったのだ。
「すみません。怖がらせるつもりはなくて」
「違う! ごめんなさい。ごめんなさい!」
「なぜカヨさんが謝るのです?」
「早く・・・・・・早くみーちゃんのところへ!」
カヨが男の胸ぐらを掴んで必死に訴えた。それと同時に、なにかが焦げるような、燃えるような臭いが風上から漂ってくる。
「あぁ・・・・・・! 間に合わなかった! みーちゃんが!」
「ミユナさんがどうしたというのです!」
「じじばばたちが、まこと先生が来たからもうみーちゃんは用済みだって。お前もこの村に居たければ俺たちの言うこと聞けって。うち、うち、じじばばが怖くて・・・・・・ごめんなさい、ごめんなさい!」
そこでカヨは地面に突っ伏して泣き崩れてしまった。男はすぐに家へと走り出す。走りながら頭を整理し、ミユナの無事を強く願った。
この、なにかを無理矢理燃やしたような臭い。家に火を放ったのだ。役人への言い訳は簡単、料理下手なミユナの火の不始末。そしてカヨに呼び出されて無事だった自分を懐柔しようとした、というところだろう。この分ではきっと村の駐在も役に立たない。
男は、そこまで予見できなかった自分を強く呪った。
家が見えてくると、それはもうまさに地獄の炎のように赤々とした大火が星明かりを消していた。家を丸ごと飲み込み、辺りには煤が飛び散っている。家の周りには人だかりができているが、ミユナの姿は見当たらない。みな、手には鍬や熊手や鎌を持っている。
「ミユナさん・・・・・・ミユナぁぁぁ!」
「もう戻って来ちまったのか」
「ったく。カヨは役に立たんな」
「まったくだ。男の1人も誘惑できんとは」
村の奴らが小声でそう言っているのが、男の耳にははっきりと聞こえていた。ミユナにずっと世話になっていた村人たちの顔が、男には炎の影に揺れる悪鬼の如く見えた。
ミユナがなにをしたというのか。ミユナの両親がなにをしたというのか。外国人だからという理由だけで、恩を仇で返し、排除し、命を奪うこいつらこそ、地獄へ落ちるべき人間だ。――男は手を腰に当てた。
「許さない・・・・・・許さない・・・・・・ミユナを・・・・・・ミユナのご両親を・・・・・・返せ・・・・・・」
「せんせ、ぶつぶつしてからに? 気が参っちまっただか?」
「返せぇぇぇぇ!」
男は、ニヤニヤと自分の顔を覗き込むその悪鬼に向かって銃の引き金を引いていた。血を吹き出して倒れ、痙攣の後に動かなくなった悪鬼は、キヨだった。
そこからはまさに地獄絵図。男は怒りと憎しみに飲まれるまま、銃を撃った。なにか叫びながら逃げる者、手に持った鎌や鍬で立ち向かってこようとする者。動く者があれば、男は夢中で撃った。
持っていたすべての弾を撃ち終えた時、辺りに動く人影は無く、道には血の塊になった元人間が転がっていた。男は正気に戻ると、自分のしたことが恐ろしくなり、持っていた銃を捨て、一目散に森に入った。
あの銃は、どこかで立ち寄った闇市場の店主に言われるままおもしろ半分で購入していた物で、万が一の護身用やどうしてもの時の狩りのために、こっそり持ち歩いていた物だった。まさか自分が銃を使って多くの人を殺すなど思ってもいなかった男の体はガクガクと震えていた。
医者なのに、人間を撃ち殺してしまった――いや、あいつらは人間じゃない、悪鬼なのだ。懲らしめてやって当然なのだ――しかしついこの前まで平和に暮らせていたのに――あいつらはミユナやミユナの両親を殺した奴らだ。裁きを与えたのだ。
男の中で、2人の自分が入れ替わり立ち替わり頭の中で叫ぶ。
ようやっと森の中の小屋に着いた時には、男の喉はカラカラに渇いていた。涙も出ず、煤を吸い込み、恨みに身を委ね、男の体は渇きに渇いていたのだ。早く水を飲もうと玄関に回ってみると、倒れている人影があった。その人影を月が優しく照らす。
「ミユナさん・・・・・・!」
男はガラガラな声で叫んでミユナのそばに転げ寄った。彼女の姿は酷いもので、髪の毛は短く焼き切れ、肌もそのほとんどが火傷を負い、どう見ても助からない状態だ。それでもミユナはまだ息があった。
男は涙を堪えて急いで彼女をベッドに運び、ありったけのロウソクに火を点け、なるべく清潔そうな手拭いを使って彼女の顔を拭いてやった。幸い、顔は煤だらけだったもののほとんど火傷を負わずに済んだようだ。
男はミユナの手を優しく握り、震えてしまう声でカヨから聞いた話と自分が今なにをしたのかを話した。もしかしたら拒絶されてしまうかもしれない。それでもミユナには真実を話しておきたかった。
「だからね、ご両親の仇は取ったよ。ミユナさんも、きっと私が治してみせるから、頑張ってください」
ミユナは男を優しく見つめた。そして小さく頷いた。男は自分の知識と、屋敷から小屋に移しておいた限られた薬や薬草をすべて使って治療を開始した。
まずは手足や背中の火傷の進行を止めるために冷たい湖の水とたくさんの手拭いやさらしを使って肌を覆っていく。ただれた皮膚がそれ以上剥がれないよう、慎重に作業する。ミユナは時折痛そうに呻くが、ほとんどされるがまま。すでに焼けて黒くなってしまっている部分は痛みすらないだろう。男は何度も何度も布を替えてミユナの体を冷ました。
新しい布に替えるまでの時間は薬の調合と布の洗浄をする。ミユナの母親が遺してくれていた医術書や今までに培った薬草の知識、聞きかじった漢方の知識を総動員して、男は患部を乾かさないようにする薬を大量に作った。この数ヶ月、ミユナからオランダ語を習っておいて正解だったと男は過去の自分を褒めた。そうして気がつくと、すでに夜が明けていた。
患部が冷えたところで、調合した練り薬を布にたっぷり塗りつけて、またミユナの体に巻いていく。ミユナは体力を治癒に当てているのか、寝息を弱々しく立てるだけ。男は不安を頭から追い出して、自分が彼女を助けるんだという気持ちだけで治療に専念した。
幸いこの山や森は薬草にも恵まれていて、優れた医術書のお陰もあって薬には困らなかった。しかし日に日にミユナの容態は悪くなっていく。熱も出始めて、頻繁にうなされるようになった。男の気もだんだんと滅入っていき、ミユナが苦しんでいるのは自分が人を殺めた罰なのかもしれないと、思い悩むようになっていた。
治療の合間に、もっとなにか良い治療方法が書かれた物はないかと、男は小屋の中を物色するようになった。そんな時に小屋の1番端に、Mと書かれた扉を見つけた。小さい扉だった。
少々気まずいながらも中へ入ってみると、そこにはたくさんの絵が飾られていて、描きかけの物も置いてある。絵の具なんていう高級な物まで転がっている。
どの絵にもMという文字が書かれていた。庭の薔薇を描いたのであろう物や、この小屋を描いた物もある。小屋の前には3人並んで描かれていて、小さくてはっきりとはわからないが、どうやらミユナと両親のようだ。
そして机の上の描きかけの絵はキラキラと光る湖だった。下書きの鉛筆スケッチの上から絵の具が途中まで塗られていて、残った下書きの部分にはMIYUNAと書かれている。この絵はすべて、ミユナが昔描いた物なのだろう。
男は溢れてくる涙を必死に飲み込むために、なにか他にないかと部屋を見渡した。すると、部屋の奥の小さな棚の中に1冊の本が立てかけてあることに気がついた。他に本は無い。表紙の色も真っ黒で、手に取ってみると陣のような文様と題名が赤く描かれていた。それは魔術についての本だった。
簡単なオランダ語しかミユナから習っていなかった男には少々難しかったが、その本にはあらゆる魔術、呪いの類いが書かれていた。昔から魔術師と医者は紙一重ではあったが、まさか本物の魔術書というのを目にする日が来るなんてと、男は面食らってしまった。正確にはミユナの母親の本なのだろう。ミユナから魔術についての話は一度も聞いていない。しかしもしかしたら、ミユナは魔女の家系の生まれなのかもしれないと、男はどこか納得しながら本をめくった。
どんどん先を読んでいくと、永遠に姿形を美しく保ち続ける方法と書かれた項目を見つけた。気になって目を通してみると、そこには老婆が美しく若い女性に変わる絵が描かれている。男はその本を持ち出し、じっくり読んでみることにした。ミユナを治す手掛かりを見つけられるかもしれないと、本気で思ったのだ。
残酷なほどの早さで弱っていくミユナ。効かない薬。無力感。後悔。様々な感情が男の中をかき乱していく。その心は疲弊し、1秒ごとに死に神がミユナの元へ近づいてくる幻覚さえ見えるほどになっていた。男の心は完全に壊れていた。
そしてある満月の晩。ミユナの呼吸がほとんど聞き取れないほど弱くなった時、愛する人を失う焦りと恐怖とから、とうとう魔術書にあった魔術を男は発動させてしまった。拙い発音だったはずなのに、それは見事な赤い閃光を放って成功を知らせた。光の中で、ミユナの肌は美しい白い肌に戻り、髪の毛も元のように豊かに伸びていく。そこで、男の意識は途絶えた。
そして男の目の前にはあの頃のミユナと変わらない姿のみーが、じっと自分を見つめて座っている。
「ミユナ・・・・・・さん?」
「おかえりなさい」
「・・・・・・貴女は・・・・・・一体」
「もう時間が無い。この世界は崩壊する」
「え?」
よく周りを見れば店は消え失せ、灰色の空間がどこまでも続いている。残っているのはカウンターと、みーの座っている椅子だけだった。男の頭は混乱を極めていた。
「今のは、私の?」
「そう。貴方の過去であり、心と一緒に飛び散ってしまった記憶。すべてが貴方の中に戻ったということは、魔術発動の代償が無くなったということ。つまり魔術自体も解除されてしまったわ。急がないと、本当に彼女に会えなくなる」
「なにを言っているのですか? みーさんは・・・・・・ミユナさん、貴女はここに居るではありませんか」
「言ったでしょ。私は私であって私じゃないの。この姿じゃないと貴方は受け入れもしてくれなかったから、仕方なくこの姿を借りただけ。自分自身に否定されるさんて、こんなつらいことはなかった」
「意味がよく・・・・・・つまり、貴女は私ということですか」
「・・・・・・そうよ」
「それなら、怨みの種だけは自分で持っていたということに?」
「そう。怨みだけは他人と共有できないから。喜びも怒りも悲しみも楽しさも他人と共有できるけど、怨みや憎しみだけは本人にしかその大きさはわからない。他の感情たちは近しい大きさの感情を持った他人の心に引かれて、入り込んだ」
「なぜ今になって一気に集まったのですか。貴女の話では100年以上こうしていたのに」
「ふふ。質問ばかりね。医者の性かしら。強いて理由をつけるとするなら、現代人だからかな」
「現代人だから? 今と昔は違うと?」
正直現代人という響きに男は違和感を持った。そんなに長い時間ここでこうしていたという実感が湧かないせいで、男の中には『現代』も『昔』も無かった。
それでも、ミユナの姿をした目の前の人物は、空になったカップを手に取って、側面の模様を撫でながら話を続ける。男は混乱する頭でどうにか彼女の話に着いていこうと、必死にひとつひとつの言葉を頭の中で反芻させた。
「違うでしょうね。昔と違って今は情報や選択肢が溢れてる。自分の決断1つで人生が天にも地にも転がって、諦めることすら許されない。そんな緊張状態の中で、現代人はひとつのことに悩んだら、ひとつの感情に囚われたら、それで一気に心を壊してしまう。選択肢はたくさんあるのに、その中に逃げるという選択肢も、考えることを諦めるという選択肢も無いのよ」
「・・・・・・だから、彷徨うお客様の数が増えて、私の心が入り込んだ、誰かの彷徨う心を見つけやすくなったと」
「そうやってなんでも論理的な答えを求めてしまうのも、現代人的思考かもしれないわよ? それまでは彷徨うだけだった寂しがり屋の心が、共鳴する誰かを見つけてひとつになった。そしてひとつ、またひとつと引き寄せられるように貴方の元に帰ってきた。こう考える方がずっとロマンチック」
彼女の体が下から光の粒になって消え始めた。男はすぐにでも彼女を抱きとめたいのに、体を動かすことができなかった。
「ミユナさん。・・・・・・ミユナ! いかないでくれ!」
「言ったでしょ。私は貴方。自分の中に戻るだけ。・・・・・・これでやっと静かに眠れるよ。もう怨み疲れていたんだ。現実の世界に戻ったら、君に残された時間は長くない。それまでに、すべての片を付けるんだ」
すべてが光の粒に変わってしまう最後の一瞬、彼女の顔はよく知った顔へと変わった。紛れもなく、それは男自身の顔だった。そして光が霧散したと同時に男の立っていた場所が崩れ、巨大な穴となって奈落の底へと男を落とした。
なにがなんだかわからないまま男は落ち続ける。これが地獄の入り口かと男が覚悟を決めた時、突然まばゆい光の中に放り込まれた。
眩しいながらも細々と目を開けると、記憶の中で見た小屋の窓から森の木々が風に揺れているのが見えた。目の前のベッドにはあの頃の姿のままのミユナが横たわっている。
「ミユナさん? ・・・・・・ミユナ!」
いくら揺さぶってもミユナは目を覚まさない。まるで木で作られた人形のようにその体は硬く、見た目だけが瑞々しくあったのだ。
男は恐ろしくなって飛び退いた。一緒に本がどさりと落ちる。記憶で見たあの魔術書だ。恐る恐るその本を拾い上げ、自分が発動させたであろう魔術の部分をもう一度、ゆっくりと、わかる単語を拾って繋げて読んでみた。
――この魔術は、術の対象者の見た目を美しく、若々しく保つ術である
――発動の代償は、術発動者の心、すなわち魂
――発動者の魂が肉体と離れ、永遠にこの世を彷徨い続ける限り、術の対象者は美しいままそこに存在する、ただし、その魂を保つことはできない
男が読み取れたのはこれだけだった。それでも焦るには十分過ぎた。精神世界のミユナ、いや、『怨みの自分』の話によればもう100年以上が経過している。自由に動ける時間の猶予がどれだけ残されているのかわからない。男は急いで庭に穴を掘り始めた。
薔薇と湖がよく見える場所に穴を掘り、人形のようなミユナをそっと中に寝かせる。一緒に彼女が描いた家族の絵も。
今の時代がいつなのかもわからない。村がどうなっているのかも男にはわからない。しかし小屋や自分たちがそのまま残っているということは、きっとここは誰の手にも渡っていなかったのだろう。そう判断して、火葬する暇も惜しかった男はミユナをそのまま埋めることにしたのだ。
どうせ見つかっても、自分たちはきっと姿も形もなくなっているだろうと自嘲気味に男は微笑んだ。
ミユナを土の中に埋葬し、彼女の姿が土で完全に見えなくなって初めて、男は泣いた。声を上げて、ミユナを埋めた土に抱きついて、男はやっと、大声で愛する人の死を悲しめた。
気が済むまで泣いた後、男は台所へ行きコーヒーを作ることにした。不思議なことに、すべてがあの頃のまま時が止まっていたかのようだった。これも魔術の影響なのか。
長い時間の中でコーヒーを作ってきて、自分が奪った命の数だけ、誰かの心を救えたのだろうか。医者としての責務を、果たせたのだろうか。男は何度も目に涙を溜めながら、コーヒーを淹れた。
できたてのコーヒーを2杯持って、ミユナの元へと戻る男。手に持っているのはあの喫茶店で使っていたカップと同じ模様の、2人お揃いのカップ。1杯はミユナのそばに置き、もう1杯は男が一口飲む。コーヒーを飲み込むと、男の体はざらざらと土へと変わっていった。
「・・・・・・ミシェラさんのお口にも、合うといいのですが」
男の手からカップが落ちる。2つのカップが当たって割れる音が湖に響いた。それは男が聞いた、最期の音だった。
割れたカップの中からコーヒーが零れ、そのコーヒーに濡れた2人の土から小さな芽が出たことなど、男には知る由も無かった。
次話 『本当の名前』(最終話)




