第11話 最後の客 前編
この作品は、映像化を想像しながら書きました。
読んだ時にお好きな俳優さんや声優さんを当てて、読書をお楽しみください。
よろしければ、誰をイメージしながら読んだのかコメント欄に書いてくださると、きっと楽しいコメント欄になると思います。
みーが探していた特別なコーヒー豆の木が、5つすべて揃った。歓喜の種、憤怒の種、悲哀の種、心満の種、そして怨望の種。人の喜怒哀楽怨の種なのだとみーは言っていた。
みーが初めて店に来た時、正確にはその時にはまだ店として開店していなかったが、みーは『特別なコーヒー』を注文した。様々な客から生まれたその特別なコーヒーの木は、他のコーヒーの木がコーヒー1杯分の実をつけるのに対して、成長しても数個しか実をつけず、店主は内心不安だった。
しかし、その理由がようやっとわかった。今しがた客から生まれた豆と、みーから受け取った豆、そして今までに集まって焙煎しておいた3つの豆。この5つの豆すべてを合わせると、ちょうど1杯分くらいの量になりそうだ。今、店主はいつものように残りの2つの豆も地下の工房で焙煎している。
コーヒー豆は最初からあの茶色の姿をしているわけではない。コーヒーチェリーという赤い実を収穫したら、店主はまず実から種を取り出す。次に実から取り出した薄緑色の種を乾燥させる。本当は天日干しが1番いいのだが、店の場所は日の当たり具合があまりよくない。そこで、店を始めるための最初の豆を仕入れた時に見つけた、食材を乾燥させる機械で乾燥させる。なんと便利な物があるんだと、店主はその時感心した。
しっかりと乾燥したら、ひとつひとつ丁寧に、残った薄皮を外していく。本来はとても時間のかかる工程なわけだが、今回は数が多くない。比較的すぐに終わった。そしてようやっと、焙煎という工程に入る。
焙煎は浅煎りから深煎りまで細かく区分されているが、これは好みでいいというのが店主の考えだ。どちらかと言えば店主は深煎りのものが好きだが、豆や気分によって浅煎りだったり中煎りだったりを使い分ける。
酸味のある方が好きなら浅煎りから中煎りを、苦味の強い方が好きなら深煎りを、ちょうど中間くらいが良ければ中煎りから中深煎りを。
今までの3種類の豆は味の想像がつかなかったから、無難に中深煎りで焙煎してあった。したがって、残りの2つも中深煎りで火にかけている。
手網の中に薄緑色の豆を全て入れ、シャカシャカと手網を振りながら豆に残った薄皮が剥がれるのを待つ。薄皮が剥がれてきたら、次は焦げないように手網で円を描くようにゆすり、豆がパチパチと音を立てて爆ぜ始めるのをまた待つ。爆ぜる音が落ち着くと、今度はチリチリとした音が増していき、その音のピークで豆を手網からザルに移し、風を送って一気に冷ます。そして、よく見知ったあの茶色いコーヒー豆は完成する。
さて、ここで問題がひとつ。本来ならここから2、3日はコーヒー豆を寝かせる方がいいわけだが、みーはすぐに飲みたいらしい。店主は、多少味は落ちるが、蒸らし時間を多く取ってみて、なるべく最後の雑味が入らないようにお湯の量を調整してみることにした。少しはおいしく飲めるはずだ。
店主は5種類のコーヒー豆をカウンターまで運び、相棒のグラインダーに入れていつも通り粉にしていく。手に伝わる振動や耳に入る音、鼻に昇ってくる香り。そのすべてが店主とみーの代わりに会話するように、2人の間に漂う。店主の初めての客に、ようやっと作れる特別なコーヒー。
「お待たせいたしました。ご注文のコーヒーでございます」
「ようやっとなのね」
「随分とお待たせしていまいました」
「いいのよ。それじゃあ・・・・・・貴方が飲んで」
「え?」
「これはね、貴方のためのコーヒーなの」
「それはどういう意味でしょう。これはみーさんがご注文されたものです。私が飲むわけには」
「私が注文するのと貴方が注文するのは変わらないってこと」
「それがさっぱりわかりません」
「そうねぇ。貴方気づいてなかった? ここに来るお客ごとに店の周りの風景が違うことに。お客の見た目がどんどん変わっていくことに。お客がコーヒーを飲んだときに姿がなくなること、変だと思わなかった?」
「そりゃ、最初は驚きましたけど・・・・・・みーさんの呪いの掛かったカップですし、そのくらいはあり得るのかと。景色についてもあまり興味は無く・・・・・・。お客様のお召し物や言葉が変わっていくのも、そういう流行りなのかと」
「・・・・・・貴方ってやっぱり鈍感」
「はぁ。すみません」
「ここはね、貴方の心の世界なの。精神世界。そして現実の世界では、貴方がここに来てからもう100年以上経ってる」
「はい?」
みーの話がちっとも理解できないというように、店主は目を丸くして固まった。ここが精神世界なことも、100年以上も経っていることも流石にそう簡単には信じられない。実際に、店主は自分の存在を感じている。幻ではない。
みーは店主を真剣に、されど優しく見つめながら、少しずつヒントを出して答えを促す母親のように言葉を紡ぐ。店主が出したコーヒーには一切目もくれず、手も触れず、店主に決断の時を与えるようにゆっくりと言葉を選ぶ。
「ここに来たお客は、みんな共通した感情があった。それは貴方がここに来た時に抱いていたのと同じもの」
「私と?」
「・・・・・・すっごく簡単に言えば、『生きたい』と本当は思っているのに、それに蓋をするほどの『死にたい』で溢れた人たち。生きることも死ぬこともできなくて彷徨っていた心たち。そういう人たちの心に貴方が共鳴して導かれたの。このお店ごとね」
「つまり、景色が変わっていたのは、私がそのお客様の元に行っていたからで、私は彷徨っていた方の心にコーヒーをお出ししていたということですか?」
「簡単に言えばそういうこと。カップから生まれていたのは、飲んだ人の心の欠片から生まれたコーヒーの木よ。貴方がそう想像したの。貴方がその実で心を込めてコーヒーを作って、お客はそのコーヒーを飲んで、誰かの心の欠片に触れて、貴方の言葉を聞いて、自分と向き合い、そして癒やされたお客たちは現実世界へと帰って行った。すべて貴方が1人でやったこと」
「でも、それはみーさんの呪いのお陰で」
「私はそもそも魔女じゃない」
「え!?」
店主は思わず素っ頓狂な声を上げた。みーが魔女でないなら、今までみーがしていた呪いはなんだというのか。
「ここは、というより、この店の中は貴方の精神世界なの。この店の中なら貴方が望むように物事を運んでいける。だから、手の怪我を治したのも、カップの豆の木も、私の姿も、みんな貴方が望んだからそうなっただけ」
「で、でも、みーさんが呪いを掛けるようなことをしたからでは」
「あれね。ああした方が貴方がイメージしやすいかなって思って」
「えぇ・・・・・・。じゃあ、あのストーカーに悩んでいたお客様に掛けた呪いは?」
「あれはね、ちょっと心にイメージを送ってあげたの。お互い精神世界に居る者同士、潜在意識にいろいろと刷り込むのだって難しくない。彼女には、今居る場所から相手にバレずに移動する方法とか、見た目を変えてみる気になる意識とか、人を頼る選択肢とか、そういういろいろなことを刷り込んだだけ」
「刷り込み、ですか・・・・・・全然気づかず・・・・・・。みーさんもその、彷徨っている心なのですか?」
「そうだけど、そうじゃない。それに、私はもう目的を果たしたから」
「目的ですか?」
「さ、とりあえず飲んで。そうすればちゃんと思い出すから」
みーにそこまで言われて、店主はなにがなんだかわからないまま、今自分が淹れたコーヒーのカップを手に取った。すべてが店主の望んだこと。始まりも、呪いも、客も、店主の心がそう望んだこと。店主自身、彷徨う心の持ち主だということ。このコーヒーを飲めば、そのすべてを思い出せると言う目の前の女性。
店主は意を決してコーヒーに口をつけた。案の定いつものコーヒーよりも雑味があるが、不思議と嫌な気分にはならなかった。そればかりか、懐かしく、愛おしく感じられて、その味は甘くも、苦くも、酸っぱくも、しょっぱくもあった。店主の目から涙が零れる。
「お客様の特別な1杯をお楽しみください」
よく聞き知った男性の声と台詞が聞こえたと思った瞬間、店主の視界は黒く閉ざされた。
男は重たい荷物を背負って山道を歩いていた。この男は旅医者で、日本中を回ってその土地特有の薬草や治療に使えそうな知識を求めて旅をしている。時には医者の居ない村にしばらく滞在して治療を行い、代わりに寝食の世話をしてもらうこともあった。今は、どんな病でも治す魔女が居る村という噂を聞いて、遠路はるばるここまでやって来た。
ようやっと村に辿り着いた時にはもうすっかり日も落ちて暗く、人影なんてどこにも見当たらない。夜になってから人様の家の戸を叩くと、厄介者扱いされたり妖怪扱いされたりと碌なことが無いから、仕方なく野宿するしかないかと男は一旦山に戻った。そこで朝になるのを待つことにしたのだ。すると突然、木の陰からガサリと音がして人が飛び出してきた。
「な、誰だ!?」
「きゃあ! ごめんなさい!」
「君は?」
「私は・・・・・・この村の、医者です」
「え、医者?」
「はい・・・・・・薬草を採るのに夢中になってしまって」
月明かりが木の間を縫って2人に差し込むと、目の前の赤い髪の女性を照らし出す。たしかによく見るとその手には薬草と思われる草花をたくさん入れたカゴを抱えているようだ。
男は思いきって質問をしてみることにした。もし彼女が妖怪の類いだとしても、足の強さには自信があったから、走れば逃げられると踏んだのだ。いつでも走り出せるように、彼女には気づかれないように腰を落としておく。
「実は私も医者で、この辺りにどんな病でも治せる魔女が居ると聞いてやって来ました。ぜひその妙薬を拝みたくて」
そう言った瞬間、彼女は体を硬直させて、月明かりでもわかるくらい顔を青くさせた。そして小さな声で、「たぶん、それは私のことです」と答えた。
「貴女が? とてもそんな風には・・・・・・たしかに髪の色は私のよりも明るいようですが」
「私、母がオランダ人で。医者だったんです。それで、日本人の大工だった父と結婚して、それから・・・・・・えっと・・・・・・」
なるほど、最近よく聞く混血児というやつだ。長崎での貿易が盛んになって、日本人と外国人の血が混ざることが増えていると風の噂が流れていた。そしてその子どもらに対しての扱いは決して良いとは言えない話が多かったことも男は思い出していた。きっと彼女もそういう辛酸をなめるような暮らしをしてきたのだろう。結果、魔女などという話が一人歩きをしているというわけだ。
しかしこんな時間まで1人で山の中に居るというのは理解しがたいものがある。父が大工なら尚更山や森にはうるさいはずだ。まだ歳も若く見えるし、なにか他に事情があるのだろうか。
「だから、その、私は魔女じゃなくて・・・・・・」
彼女は震えていた。
「わかりましたよ。大丈夫ですから。とても綺麗な髪の色でしたので見惚れてしまったのです。すみません。それよりもご両親はどうしたのですか? こんな時間まで山に居たら心配されるでしょう?」
「・・・・・・両親は・・・・・・死にました・・・・・・2年前に」
男がしまったと思っても遅かった。彼女は抱えたカゴを力一杯抱き締めて、泣くのを必死で堪えようとしていた。噛んだ唇からは怒りが感じられる。
男はなぜか彼女を信じようと思った。彼女があんまりにも美しかったからではない、断じて。彼女が不憫だと思ったからだ。
「それは申し訳ない。お詫びに前に寄った町で手に入れた薬を差し上げます」
「いえ、そういうわけには」
「見たところ、左腕を火傷していますね。ちょうど火傷に効く薬も手に入ったんです」
「大丈夫です。自分で治せますから・・・・・・」
「片腕で治療するのは大変でしょうし、火傷は痕にもなってしまいます。やましいことや下心はありません。強いて言うなら・・・・・・」
「強いて言うなら?」
「今晩泊めていただけたら助かります。ここで野宿を覚悟していましたので」
「・・・・・・下心、無いんじゃなかったの?」
2人は見つめ合った後、彼女がぷっと吹き出してコロコロと笑い出した。男も釣られて笑う。初めて会ったのにずっと前からの知り合いだったかのように、2人が打ち解けるまで時間は掛からなかった。
彼女の家は立派なお屋敷だった。全体はよくある日本家屋で、倉もいくつかあるが、屋敷の中は随所に見られる外国風の家具や装飾が見事に日本の様相と合致している。倉の中にはたくさんの書物や薬草が綺麗に保管されており、彼女の両親は仲睦まじかったことがそれだけでもわかる。
彼女自身、両親から手厚い愛情を受けて育ったようで、特に医術については母親の見よう見まねで幼い頃から頭角を現していたそうだ。その代わりなのか料理がてんで苦手で、左腕の火傷も鍋をひっくり返して負ったのだそう。
台所には、日本ではまだ一般家庭には多く普及していない、コーヒーという飲み物を作る道具と豆も置かれていた。彼女から使い方や作り方を教わると、男はすっかりコーヒーという飲み物に魅了されてしまい、それ以来、コーヒーと料理は男の担当になった。
「両親は、私のこと大事にしてくれたの。両親が生きてた頃、村のみんなも優しかった。この村の家はね、ほとんど父が作ったり直したりしていたの。母も医者としてみんなに慕われてたわ。私の自慢の両親だった。でも、両親が突然死んで、変わってしまった。みんな私を化け物のように見るようになって、最近では石を投げてくる子どもも居るの。それで、夕方になってから薬草を採りに行くことが増えて・・・・・・。このコーヒー、パパが作ってくれた味にとても似てる」
男が淹れたコーヒーを飲みながら、彼女はとても寂しそうに笑ってそう言った。よくある話だ。両親が居ればその力で押さえ込めていた人々の反発も、無くなってしまえば押さえ込まれていた分大きくなってその子どもに降りかかる。
政府の開国以降、日本に外国人が一気に増えて問題も増えた場所もあると言う。きっとそういった様々なことが折り重なって、人々の中に疑心や不満、不安、恐怖が募り、歪みが生まれたのだ。ここは都市からもそう離れていないから、噂も飛んで来るのだろう。それを彼女は一心に背負っている。そんな彼女のことが、男はいじらしくてたまらなかった。
居心地が良くて、男が彼女の屋敷にすっかり居ついて数ヶ月経った頃、男はずっと気になっていたことを彼女に聞いてみた。彼女と倉の中の書物を読みながら薬草の効能について話している時のことだ。
「そういえば、ご両親はなんで亡くなったのでしょう? これだけの知識があれば・・・・・・」
「わからないの」
「え?」
「私が山菜採りから帰ってきたら、2人が倒れてて。ほとんど息もできていなかった。毒を疑ったけどそれらしい症状も無くて、心臓の病という症状でもなかった。私には、なにもできなかった」
男はなにも言えなかった。彼女ほどの知識のある人がわからなかったなら、きっと自分がその場に居てもなんの役にも立てなかっただろうというのは容易に想像できた。彼女の無念が伝わってくる。しかし元気だった人が急に亡くなるというのは、無いわけではないが、2人同時にというのは引っかかる。
男は彼女にその時のことをよくよく思い出してくれるように頼んでみた。彼女は、すぐには難しいが思い出せたら話すと約束してくれた。ただ彼女が思い出すのを待つだけではなく、自分でも村の人たちから情報を集めてみることにした。なにか、彼女の役に立ちたかったのだ。
この頃には男も医者として村の人たちから覚えてもらえていて、挨拶や雑談くらいなら受け入れられていた。どの人も人当たりがよく、彼女を化け物のように見るなんてにわかには信じられない。しかし、それは男が日本人だからということも考えられる。
男は村の人たちに、彼女の家に居候してる旅医者で、怪我をしてこの村の医者である彼女のご厄介になっていると半分本当、半分嘘の自己紹介をしておいた。
今日の午前中は最近胸の調子が悪いというキヨの往診だ。この村の中でも高齢で、たまたま男が道を歩いていたときに目の前で倒れてしまい、その時に治療をしてから付き合いが生まれた。
「キヨさん、調子はいかがですか?」
「せんせのお陰でまんずまずだでね」
「それはよかった。お薬はどうします?」
「んー。貰っとこうかねぇ。たまに痛むからに」
「じゃあちょっと多めに置いときます」
「そんだら金はねえよ」
「いえいえ。これはいつもお世話になってるお礼です」
「んま。せんせったら」
「実はちょっとお聞きしたいことも」
「んだらして」
「山の麓の、ミユナさんのご両親の亡くなった時のこと、なにかご存じじゃありませんか」
男が彼女の名前を出した途端、キヨの目が変わった。さっきまであんなに優しいお婆ちゃんの顔だったのに、いきなり睨み顔に変わってしまったのだ。それはたしかに、化け物でも見るような目だ。
「せんせ、そんなこと知ってどっするだな」
「い、いえ。医者として、原因が気になって。そういうことがまたあったら、薬や治療法を見つけておきたくて」
「んったらことうちが知るか。この村のもんも誰も知らね」
「そ、そうですよね。失礼しました」
キヨのあまりの迫力に、男はいたたまれなくなってそそくさと家を出た。この分では誰に聞いてもなんの情報も得られないだろうと諦めかけていると、「先生、まこと先生」と小さな声で手招きする人が少し行った先の家と家の間に居た。
まこと先生と呼ばれた男は、なんとなく周りで人が見てないのを確認して、その手の方へと向かう。
手の主の元へ着くと、そこにはミユナと同じくらいの歳のカヨが息を潜めて待っていた。シーッと立てた指を口に当てて声を落とすように指示される。
「カヨさん、私になにかご用ですか?」
「まこと先生、みーちゃんと仲良いの?」
「・・・・・・どういう意味ですか?」
「先生はみーちゃんのことどう思っとる?」
質問を質問でお互いに返して、腹の内を探り合う。みーちゃんというのはミユナのことだろう。仲が良いかと言われれば、そうだと答えたいのが本音のところ。目の前のカヨの目は切羽詰まったようだったから、男は素直に思ったことを答えた。
「仲が良いと私は思っていますよ。少なくとも、私はミユナさんのことをもっと知りたいと思っています」
「よかった。先生もみーちゃんの味方だね?」
「もちろんです。しかしそれはどういう意味でしょう」
「明後日、山の麓の祠にひとりで来て。時間は宵星が出てくる時間ね。大事な話があるから」
「ここではダメなのですか?」
「ここじゃ誰かに聞かれちゃう。でも・・・・・・」
ここでカヨはさらに声量を落として、蚊の鳴くような声で男の耳元に囁いた。
「みーちゃんと2人で隠れられる場所は今すぐ確保しといて。すぐに。ほんとにごめんなさい」
それだけ言うとカヨはさっと家の裏に回り、走り去ってしまった。カヨの様子はただ事ではなかったし、なによりさっきから嫌な予感がピリピリと体に走る。男はすぐに帰って、ミユナにこの出来事を話すことにした。
「・・・・・・というわけなんです」
「カヨちゃんがそんなことを・・・・・・」
「カヨさんはミユナさんのご友人なんですね?」
「ええ。2年前までは1番の仲良しだった。でも、両親が死んでからは全然会わなくなっちゃった」
「そのカヨちゃんが隠れられる場所を確保しろと言うのに心当たりは?」
「全然。でも、なにか嫌な予感がするわ」
「私も同じです。どこか隠れられそうな場所を知りませんか?」
「村の人には内緒で、父が山の麓の森の奥に小屋を建ててくれてるの。この家の裏から行けるわ。家族でのんびり過ごしたり、なにかあったときに避難できるようにって。そこならしばらく暮らせると思う」
「そこまでどのくらいかかりますか?」
「片道歩いて1時間くらいかな」
「わかりました。ミユナさんは持っていく荷物を厳選してください。私がそれを運びます」
「でも、まことさんにそこまでさせるわけには」
「・・・・・・ミユナさんに惚れてしまったんです。十分な理由です」
顔を真っ赤にしたミユナを男はそっと抱きしめた。彼女が男のそれを受け入れたのを感じて、男はさらに強く抱きしめる。彼女のことは自分が守ると、その時男は心の中で誓った。男はミユナから小屋の場所を詳しく聞いて、荷物を持って走る。足の強い男にかかれば1時間で往復できた。
村の人たちに怪しまれないよう、ちょこちょことやって来る人たちにはいつも通りに接した。男が家に居ない時にはミユナが対応し、男が家に居る時には2人で対応する。そんな感じだったから思うように荷物の運搬は進まなかった。それでも男は、この山小屋で2人で静かに暮らせるという期待に胸を膨らませていた。この後どうなるのかなど、男には知る由も無かった。
次話 『第12話 最後の客 後編』
(注)混血児・・・人種の違う両親から生まれたハーフのこと。現代ではダブルとも言う。この時代では一般用語として使われていたが、現代では差別用語とされて使われていない。作中でも、差別発言としての意図は無く、あくまでも時代背景に則った表現である。




