Ep.9「哀しみの嘘」
会えなくても、想えばそばにいられる。
祖母と孫を結んだ“やさしい嘘”が、時間を越えて心を灯す物語。
祖母の部屋には、古い壁掛けカレンダーがある。花柄の、日付の横に小さなスペースがあるタイプだ。
その一つひとつのマスに、丁寧な字で書かれていた。
「陽菜ちゃん来た」
「電話くれた」
「お菓子もらった」
どのページにも、孫の名前が並んでいる。
──けれど、陽菜が最後に祖母の家を訪れたのは、もう一年も前だった。
大学進学を機に上京してから、陽菜は忙しかった。勉強、バイト、友達づきあい。気づけば実家にもろくに帰らないまま、季節が過ぎていた。
母からの電話で、祖母が入院したと聞いたのは、秋の終わりだった。幸い命に別状はないと聞いて、陽菜は少し安心した。
けれど、ふと胸に残る違和感があった。
「おばあちゃんね、カレンダーに毎日、陽菜のこと書いてるのよ」
母の言葉が、頭の中に引っかかっていた。
──
冬休み、ようやく病院を訪ねた。病室は日当たりのいい角部屋で、カーテン越しの光が白く差し込んでいる。
祖母はベッドの上で、いつものように穏やかな笑みを浮かべていた。
「陽菜ちゃん、久しぶりねぇ」
その声が、少しだけ弱々しかった。
話をしているうちに、祖母が小さな手帳を取り出した。あのカレンダーと同じ内容が、びっしりと書かれていた。
「これね、毎日つけてるの」
「……これ、全部、陽菜のこと?」
「うん。陽菜ちゃんがね、来た日とか、電話くれた日とか」
陽菜は唇を噛んだ。書かれている日付のほとんどが、嘘だった。来てもいない。電話もしていない。
それでも、祖母は嬉しそうにページをめくっていく。
「これを見るとね、元気が出るの」
その言葉に、陽菜は何も言えなかった。胸の奥が、じんわりと熱くなっていく。
──
面会時間の終わり。帰ろうとした陽菜の手を、祖母がそっと握った。
「陽菜ちゃん」
「なあに?」
「この手帳ね、ほんとは“予定帳”なの」
「え?」
祖母はやさしく笑った。
「“来てくれたらいいな”って日を書くの。
そうするとね、ほんとに来てくれた気持ちになるのよ」
陽菜の目から、静かに涙がこぼれた。
その手を、ぎゅっと握り返した。
──春。
祖母の部屋のカレンダーには、また新しいページが貼られていた。
その日の欄には、こう書かれていた。
「陽菜ちゃん、また来た」
その横には、小さく「ありがとう」と書き足されていた。
──それが、祖母が書いた最後の一文だった。
けれど陽菜は、カレンダーをそっと壁にかけ直し、同じ文字を継いだ。
「今日も、陽菜ちゃん来た」
そして、笑った。少し泣きながら。
“優しい嘘”は、誰かを騙すためじゃない。
残された人の心に、小さな明かりを灯すためにある。
悲しみの中にある小さな温もり。
それは、真実よりも強く人をつなぐ――そんな“やさしい嘘”でした。




