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やさしい嘘  作者: 仙道 神明


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5/10

Ep.5「夢の嘘」

夢を語るためにつく嘘は、誰かを傷つけない。

それは、明日を信じるためのほんの小さな魔法。

 古びたアパートの一室に、夜の静けさが落ちていた。

 机の上には、開きかけのスケッチブックと、乾いた絵の具。

 男は、鉛筆を持ったまま手を止めた。


 ——締め切りまで、あと一週間。原稿料はわずか。印税なんて夢のまた夢。


 「……描けねぇな」


 ため息と一緒に、描きかけの絵本を閉じる。


 そのとき、玄関のチャイムが鳴った。


 「先生〜、ひさしぶり!」


 ドアの向こうに立っていたのは、小学生の少女・さくらだった。


 近所に住む彼女は、いつも放課後に遊びに来ては、

 「次の絵本できた?」と聞くのが口ぐせだった。


 「できてないよ、まだ途中」


 「え〜、また? この前もそう言ってたよ」


 さくらは頬をふくらませ、机の上のスケッチブックを覗き込む。


 「これ、新しいお話?」


 「うん。“空を飛ぶネズミ”の話さ」


 「わぁ、かわいい!」


 男は笑ってうなずいたが、その目には、ほんのわずかに曇りがあった。


——


 さくらが帰ったあと、男は机の引き出しを開ける。中には、出版社からの封筒。


 「次回作の出版は見送りとさせていただきます」


 短い文面が、淡々と現実を告げていた。


 でも彼は、その封筒を破り捨てなかった。代わりに、スケッチブックをもう一度開いた。


——夢を信じる子どもに、

 “大人の事情”を見せるわけにはいかない。


 「……描くか」


 夜が深まるほど、筆の動きは軽くなっていった。ページの中で、ネズミが空を飛び始める。


——数日後。


 さくらがまた遊びに来た。


 「できた? 新しい絵本!」


 男は笑顔で、表紙に自分でタイトルを書いた絵本を差し出した。


 『そらいろのネズミ』


 「世界で一冊しかない、特別版だ」


 「わぁ……! すごい! ほんとに本になったの?」


 「もちろん。出版社の人も“すごく良かった”って言ってた」


 さくらの目が輝いた。


 「やっぱり先生はすごいね!」


 「ありがとう。次はさくらに出てもらおうかな」


 「えっ、ほんとに?」


 「うん。次の主人公は、“夢を信じる少女”だ」


 さくらは笑いながら、絵本を抱きしめた。


——1年後。


 男の部屋には、あの日の絵本が飾られていた。出版は叶わなかったが、机の上には新しいスケッチブックが置かれている。

 窓の外では、さくらがランドセルを背負って手を振っていた。


 「先生! 私、将来絵本作家になる!」


 「おお、それは頼もしいな」


 「先生みたいに、夢を叶えるんだ!」


 「……うん、きっと叶うよ」


 男は小さく笑い、誰にも聞こえない声でつぶやいた。


 「嘘じゃなくなる日が、いつか来るさ」


 その言葉を残して、また新しいページをめくった。


 窓から差し込む光の中で、ネズミが、また空を飛び始めていた。

嘘から生まれた夢が、誰かの未来を照らす。

それが、“やさしい嘘”のいちばん美しい形。

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