Ep.3「自己防衛の嘘」
終わった恋に嘘を重ねるのは、忘れたいからじゃない。
それでも笑うことで、ようやく前を向ける――そんな物語。
「沙耶、来てくれてありがとう」
その声を聞いた瞬間、胸の奥がきゅっと痛んだ。振り返ると、白いタキシードの悠人が立っていた。その隣には、花のように笑う新婦。
沙耶はグラスを持ち替え、できる限り自然な笑顔を作る。
「ううん、呼んでくれてありがとう。……本当に、おめでとう」
その言葉を口にした途端、世界が少し遠くなった。拍手の音も、カメラのシャッターも、どこか他人事のように聞こえる。
グラスの水面が光を反射して揺れ、その中に自分の顔が滲んで見えた。
――泣いちゃだめ。今日だけは。
式の帰り道、薄曇りの空に、風が通り抜けていく。電車の窓に映る自分の笑顔が、どこかぎこちなかった。
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悠人とは、三年前、同じ会社の部署で出会った。遅くまで残業していた夜、コンビニの肉まんを分け合ったのが始まりだった。
あの頃は、何をしても楽しくて、未来の話をするだけで時間が足りなかった。
――いつか二人で小さなカフェでもやれたらいいね
彼がそう言ったとき、本気だと思っていた。
だけど、その“いつか”の中に、自分の名前はもうなかったのだと気づいたのは、別れの直前だった。
「あなたは、きっと幸せになるよ」
それが、最初の“嘘”だった。
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数日後、同僚との飲み会。誰かがスマホを見ながら言った。
「悠人くん、奥さんと京都行ってるらしいよ。写真すっごい素敵!」
テーブルの上を、笑い声が転がる。沙耶もつられて笑った。
「ほんと? 似合ってたもんね、あの二人」
グラスを持つ手が少しだけ震えた。誰も気づかない。彼女の笑顔は完璧だったから。
夜、自宅に戻ると、静かな部屋に時計の音だけが響いていた。
机の上のスマホが光る。SNSのタイムラインに、悠人と妻の写真。
“初めての新婚旅行。最高の思い出”
沙耶はその投稿に、ゆっくりと指を滑らせる。
――いいね。
たったそれだけで、胸の奥が少しざらついた。でも、それでいい。
誰も傷つけないし、自分も壊さない。
これは“前を向くための嘘”。
翌朝、出勤電車の窓に映る自分の顔を見つめる。昨日よりも、少しだけ柔らかい表情をしている気がした。
通り過ぎる街の看板の文字が滲む。それでも、心は静かだった。
「……おめでとう」
誰にともなく呟いた言葉は、窓の向こうの朝日に溶けていった。
その声が少しだけ震えたのは、ようやく“本当のさよなら”を言えたからだ。
強がる笑顔も、ひとつの生き方。
その“嘘”が、明日を歩くための小さな勇気になりますように。




