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「やあ、君が炎華ちゃんか。よく来てくれたね。それにしても、昆虫に興味がある女の子なんて珍しいなあ。ああ、そういえばボーイフレンドも一緒だったね。日陰蝶に興味があるのはボーイフレンドのほうかな?」
五十がらみの冴えないオッサンが早乙女邸の玄関に迎えに出て来た。
炎華が、
「オジサンが早乙女道蔵教授なのかしら?」
オッサンが手を振って否定する。
「違うよ、早乙女道蔵は僕の兄貴だよ。年が十以上離れているから、親みたいなもんだけど。僕は、
早乙女正樹。
この近くに住んでいて、昼間はこの屋敷の管理を任されているんだ。ま、使用人みたいなもんだよ。だけど、兄貴が結構いい小遣いをくれるんだよね」
言いながら屋敷に入る。二階建ての広壮な洋館である。
「えっ?」
「ニャニャッ!」
「つっ! これは?」
入った途端に炎華、我輩、竜破が驚きの声をあげる。
壁一面にびっしりと蝶の標本が飾ってあり、あまりの異様さに声を失ったのである。
正樹が、
「ちょっとした蝶の博物館だろう。なにしろ三万匹近い蝶の標本だからね。僕も初めて見た時は圧倒されたよ」
炎華が数ある蝶の中から、
「これは、神隠山で見た蝶だわ」
正樹が、
「兄貴が発見した新種の日陰蝶だよ。神隠山にしか生息していないそうで、兄貴もあんな険しい山で、よく見つけたもんだと思うよ。一見、黒揚羽蝶のように見えるけど、よく見ると刀みたいな金色の模様が入っているんだよね」
簡単に説明し、二階の書斎を案内する。
部屋のすみに机があり、男が蝶をつまんで、標本用のピンで刺していた。
正樹が、
「兄貴、美墨ホテルから紹介されて来た子供たちを連れて来たよ」
道蔵が、
「ああ、わかった。正樹、お前はさがっていいぞ」
道蔵はマスクにサングラスを掛け、顔立ちはほぼ分からない。
髪は白髪混じりのグレー。
カツラのようにキッチリ七三に分けている。
もしかしたら本当にカツラかもしれない。
炎華が、
「新種の日陰蝶についてですけど、神隠山にしか生息していないそうですね。神隠山を何度も探索
したんでしょうか?」
道蔵が、
「探索と言うほどの事ではないよ。あの山は子供の頃から何度も入っているんでね、ワシにとっては庭みたいなものだよ」
炎華が、
「日陰蝶には金色の刀みたいな模様があって、それが黒揚羽蝶との大きな違いですよね」
道蔵が、
「ああ、あれが黒揚羽との大きな違いだ。
が、つい最近までは、黒揚羽の一種だろうと、誰も気にとめていなかったのを、ワシが学会に新種として発表したのだ。
昔から日陰蝶を見てきた人間は、あれが新種だと知って大いに驚いていたな」
道蔵が含み笑いし、
「それと、日陰蝶の模様については昔から古い伝説があってね。
神隠山とも関係がある伝説なのだよ」
こう言って語りだしたのは、
神隠山伝説、
とでもいうような話であった。
かいつまんで説明すると、
昔々、
神隠山には一匹の鬼が住んでいた。
鬼は旅人が通りかかると、
襲っては食い殺していた。
一匹の黒揚羽蝶が鬼の所業に心を痛め、
山の神に訴えた。
山の神は蝶に人の姿を与え、
金色の刀を渡した。
人に変じた黒揚羽蝶は金色の刀で鬼と戦い、
七日目に鬼を倒した。
以来、
黒揚羽蝶の羽には金色の刀の模様が入り、
名前も日陰蝶と呼ばれるようになった。
という話である。
炎華が、
「面白い伝説ね。でも、何で日陰蝶なのかしら」
道蔵が、
「それは、単純に自分の住んでいる街の名を付けたかったからだろうね」
炎華が、
「なら早乙女蝶になっていた可能性もあるという事かしら」
道蔵が、
「うむ。その可能性もあったのだろうな」
竜破が、
「最近の温暖化が蝶に与える影響とかはないでしょうか?」
道蔵が憂鬱そうに、
「うむ。ワシもその事は以前から懸念していたのだ。大いにあると言えるだろう」
うんぬん。
その後、話題は昆虫学から生物学、命の起源にまで発展し、大いに盛り上がった。だいぶ打ち解けてきたところで炎華が、
「そういえば、教授のご家族は弟さんの正樹さんだけですか? 確か、お孫さんがいましたよね」
道蔵が、
「う、うむ。孫娘の真城は、昨年」
そこで言葉に詰まる。
竜破が、
「半年前に行方不明になったんですよね。当時マスコミはその事件で大騒ぎしてましたから」
道蔵が、
「その通りだ。思えば不憫な子だった。それは、
ワシにとっても言える事だが。
真城の両親とワシの妻は、
五年前の交通事故で同時に亡くなったんだ。
その後、ワシが真城を引き取ったんだが、
なにしろ塞ぎがちで、
真城が何を考えていたのか、
最後までワシは理解する事が出来なかった。
今さら悔やんでも仕方ないが、 もっと真城と意志疎通していれば、
こんな結果にはならなかったかもしれない。そう思うと、つい後悔してしまう」
炎華と竜破が悔やみの言葉を述べ、帰ろうとすると、若いイケメンが書斎に入って来て、
「何だ何だ? 珍しいな、じいちゃんの書斎に子供が来てるなんて。何かあったのかい?」
道蔵が、
「日陰蝶について聞きたい事があるというので、少しばかり手ほどきしたのだ。なかなか見所のある少年少女たちだぞ、
圭一。
こいつは孫の圭一。
真城の兄でな、ワシが教鞭をとる日陰大学の大学生でもある」
圭一が、
「長男の圭一です。よろしく、少年少女たち」
炎華が突然、
「去年の九月十一日、
真城が行方不明になった、
事件当日の午前十一時ごろ、
圭一はどこで何をしていたのかしら?」
圭一が、
「面白いお嬢ちゃんだね。日陰蝶の次は探偵ごっこかい?」
炎華が、
「神隠山で真城の幻を見たのよ。気になって仕方がないのよね」
圭一が、
「夢でも見たんじゃないか」
炎華が、
「夢ならいいんだけど」
圭一が、
「まあいいや、俺にやましい所は別にないし。教えてあげるよ、美少女名探偵ちゃん。俺はその日、薙奈とデートに行ってたんだよ。確か、
午前十時から夜まで。
その事は薙奈も証言してくれるよ」
炎華が、
「薙奈というのは美墨ホテルでアルバイトをしている女性よね」
圭一が、
「よく知ってるな。大学で同じ講義を受けていてさ、それで知り合ったんだよ」
炎華が、
「分かったわ。ありがとう、圭一」
圭一が気を取り直して、道蔵に向き合い、
「まあ、それはともかく、俺がわざわざじいちゃんに会いに来た理由は、まあ、薄々分かっているとは思うけど。
前から話していた、俺と薙奈の結婚をいい加減、認めてもらいたいからなんだ。
妹の真城が死んでから、もう半年もたつんだぜ、いい加減、というか、とっくに喪は明けているんだから、結婚を認めてくれたっていいじゃないか、なあ、じいちゃん」
道蔵が、
「学生結婚はワシは認めん!
一人立ちしてから結婚するなり、離婚するなり、好きにするがいい。だが、
今は駄目だ。どうしても結婚したいと言うなら、日陰大学を退学して、立派に働いて、独り立ちしてからするんだな」
炎華が、
「どうやら、込み入った話みたいね、私たちはこれでお暇するわ」
と言ったが、道蔵も圭一もまったく耳に入っていない様子である。
炎華と竜破が書斎を出ると、
正樹が玄関まで見送りに来てくれた。
炎華が、
「温室の日陰蝶を観察したいんだけど、ちょっとだけ、立ち寄ってもいいかしら」
正樹が、
「ああ、構わないよ。温室は屋敷の裏にあるから僕が案内してあげるよ」
正樹が温室を案内する。
かなり広い温室である。
夏のように温度が高く、
広々とした温室内を無数の日陰蝶が優雅に飛んでいた。
炎華が感嘆し、
「綺麗なものね」
竜破が、
「さっきの標本とは、えらい違いだな」
正樹が、
「真城ちゃんも日陰蝶が好きでね。よく温室に来ていたよ。そう言えば、日陰蝶を標本にする事で兄貴とよくもめていたな。日陰蝶を殺さないでって」
炎華が、
「正樹は真城との仲は良かったのかしら?」
正樹が、
「真城ちゃんが小さかった子どもの頃から、よく真城ちゃんの遊び相手になっていたからね。まあ、仲はいいほうなんじゃないかな」
炎華が、
「最後に真城に会ったのはいつかしら?」
正樹が、
「事件当日、
僕が温室の手入れをしていたら、
午前十時五十五分ぐらいかな、
真城ちゃんがコンビニに行って来るって言って出掛けたんだよ。
コンビニまでは歩いて、
五分ぐらいの所にあるから、いつもなら往復、
十分ぐらいで帰って来るのに、
何でこんなに遅いのか気になっていたんだ。
午後ニ時ごろに兄貴が帰ってきて、その事を話したら、すぐ警察を呼ぼうって事になって、君らも知っていると思うけど、マスコミが大騒ぎする行方不明事件になったんだよ。ところで、もしかして僕の事を疑っているのかい?」
竜破が、
「まさか、マスコミで話題になっていた事件だから、つい聞きたくなっただけだよ。な、炎華」
「ええ、そうね」
炎華が肩をすくめる。