違う長兄
満月は雲に覆い隠されてしまったのだろうか、校舎はさらに深い暗闇に包まれていた。いっそう不気味さを増してくるその学び舎の二階を歩いているのは、五兄弟の四番目の男、四郎。静かに夜を歩いている。彼は暗闇が性分に合っているのだろう、一度も闇に恐れる様子は見せない。平然と、昼間を歩くかのように、夜を歩く。すたすたと、冷静に、恐ろしい程冷静に、すたすたと、定期的に手と足を揺らし動かし前に進んでいる。
そんな彼もてるてる坊主を見た時には冷静さを失った。目を見開いてから急いで五郎の下に駆け寄った四郎。…四郎はすぐさま気がついた。(何かが校舎に潜んでいる)ということに。
四郎は五郎をどのようにすればいいのかわからなかった。そもそも首にロープが引っかかっているが、その根っこがどこなのか、暗闇のせいもあってわからない。工具を使えばロープを断ち切ることも出来るな、とも思ったが、落下の衝撃で五郎の遺体はぐちゃぐちゃになってしまうだろうと想像して、結局、五郎の遺体を放置することに決めた。
(連絡を取らなければ)
ポーチから長方形の携帯電話を取り出す。カチャリと画面を開く…いつもどおりの画面が表示されて四郎はホッとしたが、同時に絶望もした。電波が皆無だったのである。
四郎は息をついてから、冷静を装ったまま携帯をポーチに捻じ込んだ。荒々しい捻じ込みのせいで携帯はポーチに納まらず、夜の廊下に落下してしまった。
ガララガチャといった感じにやかましく落ちたケータイ。四郎は落ち着いた素振りでそれを拾い上げたが、内心は心臓が破裂する寸前であった。
彼のドキドキが静まる前にガララガチャとは違う音が、不思議な音が、鳴った。
…杖の音。四郎はすぐに気が付いた。
とても速いペースで地面を突くその音は何か面白みも含んでいたが、四郎にそれを楽しむ余裕があるはずもない。
杖の音は、二階の、四郎が先程まで歩いていた方角から聞こえてきていた。
すぐさま四郎は身を隠す。
恐怖心のせいか体が強張っていたが、音の正体を確かめるために頭だけひょっこりと出す。
四郎が静かに呼吸するたびに、音が向こうから近づく。てるてる坊主が背後でぶらついている中、頭半分を突き出し、その正体を暴こうとする…音は時が進むにつれ、やかましく、定期的に、大きく、鳴る。
四郎はアッと息を呑んだ。そしてその嗚咽を慌てて押さえ込んだ。
老人が杖を付きながら、四郎の目の前を横断していく。階段の方角を老人は見ない様子だから、四郎が踊り場に潜んでいることにはまるで気が付かないようだ。
四郎が嗚咽したのには理由がある。老人の地面を突いているその、杖。その取っ手というか、つまり老人が持っている部分。そこに人の頭部がくっ付いていたのだ。わけもわからぬ。人の頭部が杖と接着している。暗がりだからマネキンと見間違えている可能性も無いではないが、背後で五郎がてるてる坊主になっている以上、そして正体不明な老人が目の前を横断している以上。人の頭部が五兄弟の誰かである確率は、恐ろしく高い。どう考えても、兄弟の誰かだ。誰かが、首をとられて、杖の不具合な装飾にされたのだ。
老人の杖の音は、やがて聞こえなくなった。四郎は音の無い溜息をついてから、ゆっくりと立ち上がる。五郎の遺体をもう一度だけ眺めてから、これからどうするべきか、と考えようとした。しかし衝撃的な光景を連続で見せ付けられたせいか、四郎の思考はうまくまとまらない。だが、やがてまとまった。出た結論は『逃げる』という選択だった。それ以外の道は探してもどうやら、見つからないようだった。
校舎は、暗い。
風鈴が風に揺られて、キン、キン、と奏でている。
古めの和風建築が建ち並ぶ、商店街。その一角に五兄弟が住んでいる家は存在している。
「結局太郎兄さんが勇敢な兄弟か。何だかつまらねえ。こういう時には弟に花を持たせるべきだよな」
「がはは。悪りぃなあ、五郎」
太郎は豪快に、しかし下品に笑った。その二人のやりとりを聞いていた次郎がいつもの様に五郎に噛み付く。
「ふん、五郎。お前が勇敢なわけが、あるまい。お前はどう見たって声だけ大きい臆病者だよ。いや、臆病者だから声が大きいと言うべきかな」
「そういうのは変見というんだぞ、世間では」
「変見とはいわない。偏見っていうんだよバカが」
「ひっかかったな兄貴。今俺はわざと言ったんだよ」
「嘘をつくなどアホ」
あの肝試しの夜中から既に一週間以上が経過している。五兄弟たちは何もなかったかのように自宅でくつろいでいた。五兄弟全員が家の中にいることは滅多に無く、大抵誰かが出掛けていたりするのだが、本日は珍しく兄弟全員が家の中にいる。居間でそれぞれが漫画を読んだりテレビを見たりしつつ、時々会話を挟んだりしている。居間には穏やかな時間が流れている。
漫画を読みながら三郎は言う。
「まあ、それなりに楽しかったな」
鼻くそをほじくって、ピンとそれを弾き飛ばした。それを次郎はしっかりと見ていた。
次郎はティッシュを三郎に叩き付けた。小気味良い音をたてて、ティッシュ箱は三郎にぶつかった。次郎は三郎をにらみつける。三郎はしぶしぶ鼻くそを探し始める。しかし、鼻くそは見つからない。弾き飛ばされた鼻くそはどこかに行ってしまった。三郎は眉間に皺を寄せて、うざったそうに立ち上がろうとした。本格的に鼻くそを探そうと思ったのである。その彼を太郎が呼び止めた。
「三郎、ここにあるだろ?」
太郎は地面に落ちているその鼻くそを指差した。それを見て三郎は「そこか」といって、それをティッシュで包み取ろうとした。それを太郎が止めた。
「ちょっとまて」
そう言って太郎は何をするのかといえば、自分の鼻くそをほじくって取り出し、自分でその鼻くその匂いを嗅いだのだが、次に何をしたかといえば、地面に転がっている三郎の鼻くそを拾い上げ、その鼻くそを『食べた』のである。そして自分の鼻くそも口の中に放り投げたのである。
むしゃむしゃしてから、そして太郎は一言、
「冗談だよ、冗談」
と言って、そして笑った。
その光景を見て、四郎は唖然とした。信じられない、という目で太郎を見つめるが、太郎はガハガハ笑っている。下品な笑い方である。太郎はそんな笑い方をする長兄ではなかっただろうに、と四郎はまたも唖然とする。唖然とするしかない。
あの肝試しの夜から、太郎の性格はまるで別人のようになってしまった。鼻くそを食うなんていう下品なことはしなかったし、下品な笑い方だってしなかったし、顔つきも何だかトロンとしているが、以前はもっと引き締まっていた。頼りがいのある顔をしていたのに、今は何だか野暮ったそうな、馬鹿っぽい顔つきをしている。
四郎は漫画本からは目を上げ、居間でくつろぐ兄弟たちを見回した。
みんな、不快そうな顔はしているが、不思議そうな顔はしていない。四郎にとっては、みんなが不思議そうな顔をしていないのが不思議で仕方が無い。
「そういう冗談はやめろよ」
三郎はかなり嫌そうに言う。次郎も呆れた表情をしていて、溜息をついてから呻く。
「何時になったら大人になるんだろうなぁ、兄さんは」
次郎が、あの太郎の尻追いだった次郎が、太郎を馬鹿にしている。まるで五郎に対する態度であるかのように、あの賢明な、太郎兄さんを睨み付けている。…いや、賢明だった、というべきか。
四郎は再び漫画に目を移したが、漫画の内容は頭に入り込んでこなかった。




