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秘匿の鬼姫  作者: 長月そら葉
第6章 約束の果て
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第40話 約束

 秘翠はベッドに腰掛けて朝食を食べ終えた碧の前に立ち、そっと彼の名を呼んだ。


「碧くん」

「どうかしたのか?」

「さっき言いかけたこと、絶対に言うから。待っててくれる?」

「……俺も、言わなきゃいけないことがあるんだ。怪我が治ったら、言うから。それでも良いか?」


 碧の傷だらけの右手が秘翠の頬に触れ、秘翠は胸の奥がドクンと大きく脈打つのを感じた。戦いの中では決して見ることの出来ない、優しくて穏やかな、碧の笑顔だ。


「わかった。……早く、治してね」


 秘翠は自分の頬に添えられた碧の手に自分の手を重ね、幸せそうな笑みを零す。ようやく彼に触れられる、大切にしたい今だけの時間。

 そっと秘翠が頬を碧の手のひらに押し付けると、碧もそれに応じるように柔らかく撫でる仕草をした。今この瞬間だけ、時間が止まったようだ。


「……」

「……そろそろ、食器を片付けに行こう。母さんたちにも礼を言わないと」

「あ、うん。そうだね」


 互いにどぎまぎしながらも、並んで階段を下りる。そして居間へと繋がるドアを開けようとした矢先、碧は部屋の中から何処かで聞き覚えのある声を聞く。


「……ですなぁ」

「ありがと……す。……さん、碧を呼んで来ましょうか?」

「いえ、待たせて頂き……」

「何であなたがここにいるんだ、浪さん!」


 ドアを開け放つと同時に叫んだ碧に、ソファーに腰掛けて茶を飲んでいた浪が振り返る。


「やあ、おはよう」

「おはよう、碧。秘翠さんもありがとう。丁度良かったわ、碧。浪さん、わざわざ訪ねて来て下さったのよ。あなたに、あなたと秘翠さんに、話したいことがあるんですって」

「話したい、こと?」

「わたしも、ですか?」


 浪が何者か知らないのか、和佐はにこやかに浪と微笑み合っている。その上での提案に、碧も秘翠も困惑せざるを得ない。

 懐疑的な目を二人から向けられ、浪は軽く目を伏せた。


「きみたち二人には、謝っても済まない迷惑をかけた。今更許しを請うつもりもないが、謝らせて欲しい」


 真摯な態度でそう言うと、浪はゆっくりとした動きで立ち上がった。その時になって初めて、碧は彼の腰が少しだけ曲がっているように感じたが定かではない。


「『秘匿』。いや、秘翠さん。あなたを幼い頃から閉じ込め、封印していたこと、今更だが、里を代表して謝らせて欲しい。あなたの過ごすべき時間を取り上げたこと、本当に申し訳なかった」

「……長老」

「秘匿という力を持つ者は、大昔からそういう待遇だった。それを疑問に思うこともなく、ただただ私も他の者たちも、大きな力を持つ秘匿は囲い込むことで里を護ってくれると信じていたのだ。だが、今回のことで考えを改めた」


 浪は碧を見て、「きみの存在だ」と悔しげに笑った。


「きみは鬼である秘翠さんを当然のように助け、私たちの追及にも抗い続けた。それが不思議でならなかった時、回帰派の動きが活発化した」


 回帰派は、秘翠を私的利用すべき対象としか見ていなかった。彼女の自由を奪い、里のためと大義名分を豪語しながらも、その実は私利私欲でしかない。

 しかし、と浪は首を横に振る。


「しかし、それは私たちも全く同じだったのだと気付いたのだ。何と愚かだったのか、と後悔するしかなかった」

「……だから、鵺と茨が俺を助けてくれたんですね」


 納得した、と碧は頷く。酒呑童子回帰派の拠点に乗り込んだ際、碧を先に行かせてくれた者たちがいた。彼らのお蔭で紀花のもとまで行き、更には秘翠を助けることが出来たのだ。そして脱出した後、紀花や他の連中の姿はなかった。


「あれは、きみの言う通り二人の仕業だ。私が命じてきみを手助けしに行かせ、更に後処理もさせたのだよ」

「後処理って」

「そんなに怖い顔をしないでくれ。殺してなどいない。ただ私の邸に運ばせ、見張りを付けて事情聴取をしているだけだ」

「そう、ですか」


 硬い表情のまま、碧は浪を見詰める。いつの間にか、和佐の姿は居間にない。空気を読み、別の部屋に行ったのだろう。


「俺は、あなたたちを許す許さないという立場にありません。被害者は、あなた方が閉じ込め利用してきたのは、秘翠のことですから」

「わたしは……」


 当惑して一歩退く秘翠。しかし、碧の温かい手が彼女の背中をトントンと叩き、秘翠はグッと握る手に力を入れる。浪の目を見て、震えそうになる声を呑み込む。そして、碧の空いていた手に自分の手を添わせた。


(あったかい。……うん、大丈夫)


 そっと触れただけの手だったが、碧は何も言わずに秘翠の手を握った。その体温に勇気付けられ、秘翠は口を開いた。


「わたしは、やはりあなたたちを許せるかと問われれば、否と答えるしかありません。ずっと独りぼっちで、何も知らぬまま眠るしかなかったわたしの気持ちを、あなた方にわかって頂こうとも思いません。ただ……」


 ちらりと側に立つ碧を見上げると、秘翠は柔らかく微笑んだ。


「ただ、今回のことが無ければ、わたしは碧くんと、彼の家族と出逢うことは出来ませんでした。あの里の外に、こんなに広い世界があるのだと知ることは出来ませんでした。始まりはわたしの突発的な家出でしたが、結果的にはとてもよかったと思っています」

「そう、か。……では、今から私がしようとしている提案は、呑んで貰えるとは考えない方が良さそうだな」

「提案?」


 少し険を帯びた碧の問い返しに、浪は「そうだ」と首肯する。


「秘翠さんに、隠れ里へ戻ってもらいたい。勿論、もう閉じ込めることはなく自由に、家族と過ごしてもらって構わない。ただ、秘匿の力は里にとってとても大切な抑止力になるんだ」

「……っ」


 思いも寄らない提案、というよりも依頼内容を聞き、秘翠は絶句する。硬直してしまった秘翠を抱き寄せ、守るように碧が唸る。


「決めるのは秘翠です。俺に止める権利はない。だけど、秘翠の力が欲しいからという理由で、俺は彼女を故郷に帰したいとは思わない。俺は、秘翠の幸せを願っているから」

「碧くん……ありがと」


 我に返った秘翠は頬を染めると、自分を抱き締める碧の腕に手を添えた。そして、大丈夫だと示すように軽く叩く。


「秘翠」

「わたしの命を助けてくれて、ずっと守り続けてくれて、わたしに幸せを、大切な気持ちをくれてありがとう。碧くん。……わたし、里に戻るよ」

「何でっ!? ずっと一緒にいれば良いだろう? 未来も、父さんと母さんも、きっとそう言う」

「うん、そうだよね。だけど、わたしが嫌なの。ずっと、何も出来ないまま、自分のことすらコントロール出来ないでお世話になり続けるのは」


 碧と向かい合い、秘翠は泣きそうな顔で微笑む。そして、呆然とする碧の胸に額をくっつけた。指を絡め、碧の熱を感じながら呟くように言う。


「秘匿の力を自分のものにするために、帰るよ。完全に制御出来るようになって、もっと色んなことを知って、戻って来る」

「……」


 無言のままの碧の顔を見上げた秘翠は、彼が目を潤ませているのを見付けた。唇を一文字に結んだ彼の顔を見上げ、精一杯微笑んで見せる。


「そうしたら、そうなれたら……ずっと、一緒にいてくれますか?」

「――っ、当たり前だ。待ってる。俺も、夜切を使いこなせるようになって、秘翠を誰にも傷付けさせないくらい強くなっておく。きみを、一生護れるように」

「約束、ね」

「ああ」


 秘翠が右手の小指を立てると、碧も同じように立てて絡めた。二人して、小さな声で「指切りげんまん」と歌う。その時、秘翠は二人の指に見えない糸が結ばれたように感じた。


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