第36話 座敷牢
同じ頃、巨城のとある場所。秘翠は膝を抱えてうずくまっていた。
じめじめとしたその場所では、時折何処かから水滴の滴り落ちる音が聞こえる。更に木の格子で外界と隔てられ、秘翠は力なく閉じた瞼の奥で紀花の言葉を思い出していた。
(あの人は『貴女が真の絶望に染まった時、童子様の力が全て解放される』と言っていた。……真の絶望、か)
ゆっくりと瞼を上げれば、そこには土壁と格子があるのみ。既に枯れ果てた涙を拭う仕草をし、ようやく目じりが赤く腫れていることに気付く。秘翠はわずかなランタンの明かりを見詰め、ある人を想い声も出ない唇を動かした。
「……、……さい」
自分勝手な行動をし、挙句酒呑童子回帰派にのこのことついて来た結果がこのざまだ。そして心の何処かで彼を待つ自分がおり、秘翠は自嘲気味に笑った。自分の何処に、そんなことを望める要素があるというのだろうか、と。
(ただ、あの人の隣にいたかった。だけど、わたしは『秘匿』。鬼の一員である以上、人である彼と共にいることは許されないの?)
鬼は鬼であり、人は人。そこに交わりなど存在しないのだ。愛されることがあり得ると本気で信じていたのか、と紀花は嘲笑った。彼女の表情が、バカじゃないかと嗤うあの顔が焼き付いて離れない。
(わたしは……もう、考えるのは止めよう)
現実と理想のギャップに空しさが増し、秘翠は胸を締め付けられる悲しい痛みを感じながら目を閉じた。紀花の言う『その時』が来るまで。
ズズンッ。
こめかみから血を流し肩から息をしつつ、碧は大きく息を吐いた。彼の前には、巨体を重ねたものが倒れている。それぞれ腕と足の片方ずつを欠損しているが、血は流れていない。見えるのは、着せ替え人形のような肌色の接合面と千切れたケーブルのみ。
「へぇ……。これはこれは、驚いたね」
本気で驚いたのかわからない顔で感嘆した女は、碧に「おい」と呼び掛けられて顔を上げた。
「約束だ。倒したんだから、秘翠の居場所を教えろ」
「性急だね。まあ、良いだろう」
女は楽しげに笑うと、人差し指で床を指差した。彼女の仕草の意味を理解しかねた碧だが、ふと気が付く。
「床? ……下か!」
「その通り。二階まで登って来てご苦労だが、秘匿が囚われているのは地下の座敷牢だ。一階の北の端に地下へと繋がる階段があるから、そこから行ってみると良い。ただし、見張りが数人はびこっているがね」
「感謝する」
碧は軽く頭を下げると、必死の形相で階段へ向かって駆け出す。しかし階段の前に来て、くるりと女の方を振り返った。
「何かまだ用か?」
「あんたの名前、聞いてないと思って。俺は碧。あんたは?」
「律儀な少年だな。あたいは咲刃。しがない戦闘人形研究者であり、鬼でもある」
「咲刃、か。覚えておく」
咲刃の名を聞いて満足した碧は、それ以上言わずに階段を駆け下りた。
碧の遠ざかる足音を聞き流しながら、咲刃は倒れ伏した人形たちの横にしゃがむ。そっと人形の肌に手を伸ばし、苦笑した。
「幼い頃から知っている紀花の頼みで協力はしたが、人形のテストは失敗だな。しかし、面白いものは充分に見られた」
よっこらしょと立ち上がり、咲刃はその場から姿を消した。
「秘翠……」
咲刃と別れた碧は、一気に階段を駆け下り、かび臭い地下へとやって来た。じめじめとした地下牢空間の空気に顔をしかめ、秘翠が囚われた座敷牢を捜す。
数十メートル進んだ所で、碧は物陰に身を潜めた。正面の道から数人の話し声が聞こえてきたのだ。こっそりと顔を覗かせて見れば、鍵の束を指でくるくると回しながら歩く細身の男を筆頭に、三人が面倒くさそうに歩いて来る。
「おい、もう上に戻っても良いよなぁ?」
「もう良いだろ。こんなかび臭い場所、さっさと出て酒でも飲もうぜ」
「とはいえ、紀花様の言いつけだ。サボったと思われちゃかなわねえぞ」
「大丈夫だろ。あの御方がご執心の女は一番奥の座敷牢に閉じ込めてあるし、ぴくりとも動かなかった。オレらの仕事は見張りだから、何の問題もねぇよ」
鍵もここに。そう言った先頭の男が吹き飛んだ。ガッシャンという何かとぶつかる音がして、仲間の男たちがようやく何が起こったのかと目を瞬かせる。
「何が……ごふっ」
「おい、だいじょ……うあっ」
座敷牢の一つの格子戸に頭をぶつけた三人目の男は、自分たちを吹き飛ばしたのがたった一人の少年の蹴りだったことを知る。それは彼が気を失う直前に目にした、青い目の少年が着地したのを見たからだ。
鳩尾の激痛によって意識を失いかけながらも、男は少年に問う。
「オマエ、何者……」
「……この鍵は借りていくぞ」
碧は問いには答えず最初に蹴り倒した男の傍に落ちていた鍵の束を拾うと、地下空間の奥へと向かって歩き出した。
(体が限界を超えてる。……でも、まだ倒れられない)
自分の顔が青いだろうと予想しながら、碧は足を引きずりつつ懸命に目を動かす。走らないのは疲労困憊であることに加え、秘翠の姿を見過ごさないためだ。




