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秘匿の鬼姫  作者: 長月そら葉
第6章 約束の果て
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第30話 悪意

 時間は少し遡り、夜明け前。

 独り渡辺家を飛び出した秘翠は、泣き腫らした顔を涙で濡らしながら歩いていた。早く泣き止めと自分に言い聞かせるが、傷付いた心が血を流すように止まらない。


(傷付いた? 傷付けたのは、わたしの方なのに)


 碧や未来たちと過ごすことで薄れつつあった、秘翠が自分を卑下する質。それが再び顔を覗かせつつあった。

 行く当てがあるわけもなく、秘翠は夜明け前の町を歩く。始発電車に乗るサラリーマンやジョギングをする女性とすれ違うが、秘翠は一度も顔を上げない。そしていつしか、空き家が集まる寂れた地域に足を踏み入れていた。


「ねえ、あんた」

「? 誰、ですか?」


 不意に秘翠に向かって声をかけて来たのは、美しい女性だった。大鎌を担ぎ、勝気な目をしたスレンダーな女。

 見覚えが無く目を瞬かせる秘翠に、女は唇を弓なりに歪めた。


「おや、わたくしを知らないとは。里の長老も人が悪い」


 くすりと嗤い、紀花はずいっと秘翠との距離を詰めた。呆然と自分を見上げる秘翠に、顔を近付けて「ねぇ?」と微笑む。


「私は、酒呑童子様の再来を望む一派の長。童子様の力を色濃く受け継ぐ『秘匿』を、長い間待ち続けて来たんだ。そして……あなたがその、待ち焦がれた『秘匿の鬼姫』」

「……」


 じゃり、と秘翠の足元で砂が音をたてる。紀花から感じる圧迫感が、秘翠が無意識に退くのを促した。

 そんな獲物の反応を楽しむように、紀花は一歩前に出て距離を戻した。


「私たちは、この鬼を受け入れない世界を変えたい。そのために、あなたを欲しているの。……一緒に来てくれないかい?」

「嫌だ、と言ったら?」

「そうね。……あなたが世話になっていたあの家の長男、名前は何と言ったかしら?」

「――っ」


 思いも寄らない人物のことを暗に告げられ、秘翠は思わず顔を上げた。その翡翠色の瞳に、強烈な圧を持つ紀花の顔が映る。

 紀花は言葉の裏で、秘翠が自分について来なければ碧を傷付けると言った。それを、秘翠は正確に理解してしまう。


「……わかり、ました」


 震える手を胸に押し付け、秘翠は決死の覚悟を決める。


「あなたに、ついて行きます」

「よろしい。聡いあなたなら、きっとそう言うと思っていた」


 人の好い笑みを浮かべると、紀花はくるりと秘翠に背中を向けた。そして「ついて来い」と言うように歩き出す。

 紀花の後を追う秘翠は、彼女の向かう先が里の方角だと察した。そして、二度と会うことの叶わないであろう一番大切な人に向けて、心の中で謝る。


(勝手に出て行って、いなくなって、ごめんなさい。この気持ちに蓋をするから。どうか、わたしを忘れてしまって……っ)


 ようやく気付いてしまった想いは、もう口にすることはない。秘翠は絶望を抱えながらも、ただ足を動かした。




 夜が明け、昼になろうとしていた。しかし碧は、まだ秘翠を見付けられずにいる。


「何処だ、秘翠」


 秋から冬という短い期間で、共に足を運んだ場所は少ない。いつ隠れ里の鬼や酒呑童子回帰派からの攻撃を受けるかわからなかったため、秘翠が碧たちと出掛けたのはほんの近所だけだ。

 しかしスーパーマーケットにも書店にも公園にも秘翠の姿はなく、碧は歯を食い縛って考える。秘翠の向かった先は、もしくは行き場のない彼女が向かいかねない場所は何処かと。


「――っ、もしかして」


 碧は踵を返し、思いついた場所へと向かう。

 それは、碧と秘翠が初めて出会った、禁じられた山の中だった。


「はっ、はっ」


 秋の紅葉はとっくの昔に過ぎ去り、木々に残るのは枯葉ばかり。カサカサという乾いた葉っぱの絨毯がたてる音を聞きながら、碧は真っ直ぐにあの滝のもとへと急いでいた。


(あの時のことを思い出すと、今でもゾッとする。もしあの時間に合わなかったら。そう思えば、俺はまだ手を伸ばせるはずだ)


 ただの好奇心で禁じられた山へと分け入ったあの日、碧は運命的に秘翠と出逢った。彼女は滝壺に落ちて自殺を図っていて、碧はそんな彼女を滝壺から引き上げたのだ。

 それからの日々は、普通の高校生が経験するはずもない刺激的過ぎる日々。まさか自分があの源頼光に仕えたという四天王の一人、渡辺綱の血を受け継いでいるという事実を知ることになるとは思わなかった。そして傍系とはいえ、自分には綱の残した太刀を扱う資格があったらしい。腰にはいた太刀に触れ、碧はもう一度前を向く。

 水の音が聞こえてくる。もう少しだ、そう思うと、心が逸る。過度な期待は禁物だが、あの場所に秘翠がいるのではないかと思ってしまう。


「着いた……」


 軽く息を切らせ、碧は滝を見上げた。冬であるからか、流れ落ちる水の半分ほどが凍り付き、あの日よりも勢いのない滝がそこにある。見れば、滝壺もただの池に近いものと化していた。


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