第27話 限界での言葉
痛みに耐えていた碧の耳に、力の抜けた秘翠の声が届く。
「……碧、くん?」
「ようやく気付いたか、秘翠。……くっ」
「碧くん!?」
真っ青な顔をして、秘翠が碧の傍に跪く。おろおろとしてしまう秘翠に、碧は苦笑を禁じ得ない。そっと汚れていない右手を秘翠の頬に沿わせ、目を見開く彼女に微笑む。
「大丈夫、大丈夫だから。落ち着いて」
「でも、こんなに怪我をっ。……わた、し?」
焦燥していた秘翠の顔色が、青白く変わっていく。碧はその唐突な変化に驚き、目の前の少女の名を呼んだ。
「秘翠?」
「わたしが、碧くんを怪我させた?」
ぽろりと零れ落ちた呟きは、秘翠の心をいともたやすく崩していく。自分で自分の所業に気付いてしまった秘翠は、止まれない。ボロボロと溢れ流れ落ちる涙が、彼女の頬に触れる碧の腕を伝って落ちる。
碧は痛みを堪え、精一杯秘翠に呼び掛け続ける。
「落ち着け、秘翠。お前のせいじゃない。お前が来てくれなければ、俺は……」
「わ、たしが……ごめ、なさっ……」
「謝らないでくれ。助けられたのは、俺なんだから」
「あ、おく……っ」
ぐしゃぐしゃに顔を濡らし、秘翠は泣きじゃくる。そんな彼女の後頭部を右手で撫でながら、碧はずっと「大丈夫だ」と伝え続けた。血で秘翠を汚さないよう、細心の注意を払いながら。そして結界の中を眺めてみる。
(あいつらは消えた、か)
結界の端で気絶していたはずの鵺と茨の姿がない。おそらく、秘翠の力の暴走を碧が止めている間に目を覚まし、退散したのだろう。その証拠に、徐々に結界の不明瞭な壁が薄れていく。
(あ、やばいかもしれない)
見慣れた住宅地の夜の景色が目に入って来るにつれ、碧は自分が安堵のために意識を失いかけていることに気付いた。少しずつ狭まる視界に、異変に気付いた秘翠の焦った表情が見える。
碧は心配するなと言ってやりたかったが、そんな時間もないらしい。泣き腫らした顔で、秘翠必死に碧を起こそうとしているのが見えるだけだ。
「碧くんっ、目を閉じたらダメ! お願い、死なないで。わたし、まだあなたに……」
「ごめん。……すきだ」
「え?」
秘翠の問い返しに応じず、碧は意識を失った。どさりと秘翠の体に自分の体を預け、伸びてしまう。急に男子一人の体重を支えなくてはならなくなり、秘翠は慌てて体に力を入れた。
(今、何て?)
気絶する直前、朦朧とした碧が発した言葉。頭でその意味を理解することが出来ず、秘翠は呆然と碧のことを見詰めていた。
しかし、碧の体に触れた途端に現実へと引き戻される。偶然触れたシャツにべったりと血が付着していたのだ。しかもその血は、未だに流れ続けている。このままでは、出血多量で命が危ない。
(考えるのは、碧くんが目覚めてからで良い。そうじゃないと、全てが崩れてしまう気がするから)
秘翠は着ていたブラウスの裾を包帯状に引き裂き、長細い包帯を作る。そしてそれを碧の腹に巻き、彼を横から支えて立ち上がった。
「うっ、ふっ」
自分よりも体の大きな青年をたった一人の少女が運ぶことは、並大抵ではない。しかも碧は気を失ったまま、完全に体を秘翠に預けた状態だ。秘翠は何度も崩れ落ちそうになりながら、体を引きずるようにして夜道を進んだ。裂けたブラウスの裾から夜風が吹き込み、少し寒さすら感じる。
「……ごめんなさい、碧くん。ごめんなさい」
視界が歪み、秘翠は自分がボロボロと涙を流していることに気付く。しかし、碧を全身で支えているために涙を拭うことは出来ない。歯を食い縛り、声を上げるのを我慢して、秘翠はようやく碧の家の明かりが見える場所まで辿り着いた。




