第26話 翠の刃
牙を立てようと口を開き飛び掛かった姿勢のまま、空中に留め置かれたからだ。その体には、それぞれ太い翠色の光の刃が突き刺さっていた。
その翠色に、碧は見覚えがあった。透明感があって、美しい色。優しい眼差しを彷彿とさせながらも、そこにある輝きには明確な切れ味が籠められていた。
結界を破り、戦いの場に乱入してきた人影。碧はその影に対し、信じられない思いで言葉をかけていた。どうして、ここにいるのかと。
「……ひ、すい?」
「――碧くんを傷付ける人は、わたしが絶対に許さない」
碧の声が聞こえていないのか、秘翠は彼の方を見ない。その代わり、鵺と茨を凝視し、静かに右腕を上げる。指を開き、地面と平行に手を振った。
その瞬間、影の獣三頭がかき消える。
「このままではっ……ぐはっ」
「鵺!」
秘翠の瞳が輝き、更に黒髪が瞳と同じ翡翠色に明るく発色する。
その美しさに見惚れる間もなく、鵺が吹き飛ばされて結界の壁に激突した。背中を強くぶつけ、気を失ってしまう。
茨が鵺に呼び掛けるが、反応はない。
「……くそっ」
茨の手から溢れた種が、大きく育つ。そして棍棒のような形に変形すると、茨がそれを大きく振りかぶった。普通、それが当たれば無事では済まない。
碧は秘翠が茨の棍棒で吹っ飛ばされる危険を察し、彼女を護るために走り出して手を伸ばす。
「秘翠、逃げっ……」
「――許さない」
「うがっ」
しかし、碧の心配は杞憂に終わった。
秘翠の眼光が茨に向いた途端、翡翠色の閃光に貫かれた茨が植物ごと弾き飛ばされた。幻想の建物を消し飛ばし、結界の壁の傍で力尽きる。碧は茨が死んだかと危ぶんだが、呻生き声を上げ血も流していない。気絶しただけらしい。
碧は胸を撫で下ろしたものの、何も終わっていないことにすぐ気が付いた。茨の傍に立っていた彼のこめかみを閃光が走り、振り向くといつもとは違う様子の秘翠が浮いていたのだから。
「秘翠、もう良い。それ以上今戦う必要は……」
「許さない」
「秘翠!? ……俺の声が聞こえていない?」
所かまわず、秘翠は力を行使する。彼女が手を伸ばした方向のものは残らず粉砕され、睨んだ先にあるものは翡翠色の閃光で貫かれ崩壊した。これが結界の中だからまだ良いが、現実世界で実行すれば、どれほどの被害が出るかわからない。
碧は諦めずに何度も何度も秘翠の名を呼ぶが、彼女は「許さない」と呟き攻撃を繰り返すだけ。完全なる暴走だった。更に困ったことに、秘翠の攻撃の矛先は絶えず鵺と茨に向いており、動けない彼らに対する蹂躙になりつつあったのだ。
「――っ。このままじゃ、こいつらを余計に傷付ける! 何とかして、秘翠の暴走を止めないと!」
碧は再び振りかざされた秘翠の右腕を背中側から掴み、振り下ろすのを止めた。しかし不当に阻害されたと思ったのか、秘翠の標的は碧自身に変わった。
「うわっ」
秘翠に暴れられ、碧は地面に投げ出される。すぐさま体を反転させて立ち上がると、殴りかかって来た秘翠の拳を受け止める。
「秘翠、目を覚ませ! 俺だ、碧だ!」
「……碧くんは、わたしが護る」
「秘翠、こっちを見ろ!」
拳を躱し、受け止め、また躱す。碧に秘翠を傷付けたくないという思いがあることに付け込むように、秘翠の攻撃の手は緩まらない。
「護る!」
「秘翠ッ」
秘翠の目は、光を映していない。表情のない顔で同じことを繰り返し呟き、暴力を露見させていく。碧を碧として認識出来ず、碧を傷付ける『誰か』と勘違いしているのだ。
碧は声が枯れるほど繰り返し、秘翠の名を呼んだ。そして咳き込み、喉を押さえた瞬間を狙われる。
「わたしがっ」
「――ぐあっ」
翡翠色の閃光が碧の横腹を抉り、血が噴き出す。徐々に物理的な傷を負わせるよう変化しつつあった秘翠の攻撃が、本当の傷を碧に与えた。
「――っ」
あまりの激痛に言葉を失い、碧は横腹を押さえてうずくまる。それでも指の間から血が滴り落ち、服を染めていく。
その鮮血が、手を振りかざした秘翠の目に映る。途端に、秘翠の目と髪から圧倒的な力の波動が失われた。




