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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

気まぐれな神が寵愛する箱庭

真冬の花園

作者: すずきあい


身の程知らずの夢を見てしまったの。


わたくしのせいで沢山の人を不幸にしたのに、わたくしは自分の幸せが一番優先だと思っていたの。だって、誰も教えてくれなかったから。あの方ですら、わたくしに居てくれるだけでいい、と泣いて頼んでいたのですもの。わたくしは、わたくしを一番に考えることが当然だと思ってしまった。


あら、何故あの方は泣いていらしたのかしら。


ああ、これはきっと…何と言うのかしら。ああ、自業自得、ね。今のわたくしにはそうなるだけの悪行を…したつもりはないのですが。でも、それも知らずに身の程を弁えなかった。きっと稀代の悪女とか言われてしまうかもしれませんわ。不思議。その割には全然辛くないわ。最初は痛いくらいだったけれど、もう何も感じない。こうやってユラユラと不安定なまま宙ぶらりんに揺れていると、次第に目の前が白くなって来る。


これが雪なのね。


王都にはまず雪は降らないのに、こうして最期に見られるなんて、神様も少しは哀れに思ってくださったのかしら。こうやって花に喩えられるのね。白くて、ふわふわした小さな花。もうわたくしの身の上に降り注いでも冷たくも感じないし、溶ける気配もない。きっと、ゆっくりとわたくしはこの雪の花に埋もれて眠るのね。もう、この先何も考えることのない、何もない場所へ。全ての欲も、執着もない、美しい白い場所へ。



----------------------------------------------------------------------------------



その朝、王城の離宮の池で、半分凍り付いた中に浮かぶように王太子妃が発見された。昨夜から降り出した雪に覆われるようにして、彼女の体は真っ白な花に包まれるようだったと言われている。そしてその顔は、誰もが言葉を失う程に美しく、穏やかな微笑みをたたえていた。



----------------------------------------------------------------------------------



王妃の長男であった王子が立太子して僅か三年。突然の病であっという間に儚くなってしまい、優秀だった王太子(あに)を支えるつもりでいた異母弟ラザフォードに降って湧いた王位継承第一位という事実は、彼にとってはまるで悪夢の続きではないかとしか思えなかった。



側妃の息子であるラザフォードは高位貴族の血筋ではあるが、亡くなった王太子より明らかに下なのは分かっていた。だが、それでも王太子に万一のことがあった際のスペアとして生を受けた身であるので、次代の王になるのに最低限の基準は満たしていた。

そして何よりも我が子を喪った王妃自身が、もう10年近く懐妊の兆しがないことからラザフォードの立太子を後押ししたことも大きかった。


臣籍降下する予定の王族としてそれなりに自由に過ごしていたラザフォードに、突然重責を担わせてしまうことを気の毒に思ったのか、王と王妃は彼に「何でも望みを叶えよう」と持ちかけた。それは血筋は劣るとは言えども十分優秀で、思慮深い性格の彼ならば叶えられない程の無謀なことは願わないと判断した上でもあったし、もし有り得ない望みを口にするようならば王位継承の序列が密かに変更されるだけだ。その問いの場を非公式の身内のみとしたのは、そんな思惑を含んでのことだった。


そこで彼の口にした望みは、「オリアンダー子爵令嬢を婚約者のままにして欲しい」というものだった。


ラザフォードには、ノラン・オリアンダーという子爵家の婚約者がいた。臣籍降下する王子だったラザフォードには派閥や家格ではなく、貴族でありさえすれば気の合った令嬢を伴侶として選べば良いと同年代のお茶会などで何度か顔を合わせた中で選ばれた令嬢だった。その為彼らの仲は大変睦まじく、今更それを引き裂くのは確かに気の毒であった。

しかし王子妃ならばともかく、王太子妃には家格が低すぎることが懸念され、幾度かの話し合いを経てノランは王族の血を引く侯爵家の養女となり、彼女の実家は伯爵に陞爵することで体裁を整えた。


本来ならばそこで全ての問題は解決し、ラザフォードにも王太子として憂いなく未来を委ねられる筈だった。



だが、ラザフォードが立太子した翌年、王妃の懐妊が発覚したのだった。



その時の混乱は静かでありながら、巨大な嵐の前兆のようでもあった。

血統や後ろ盾からすれば、これから生まれるであろう子が間違いなく上だ。が、この国はかつての王太子の命を奪ったのと同じ病が国中に吹き荒れ、国民が半数近く激減していた。更に命を拾った者も後遺症から子を成すことが極めて難しくなることが発覚し、病に罹る者が減ったとしても国力は依然として下がり続けるような状況であった。

その為、国は正しい血統の男子が後継になるという法を撤廃し、血統や性別に関わらず長子を後継とすることが望ましいという政策に舵を切った。そうでもしなければ、年々家門を保つことが出来ずに爵位や領地を返上する家が増え続け、国を維持することも困難になっていたからだった。


近年になってようやく国力も回復の兆しを見せ始めていたが、それでもまだ人が足りない状況なのだ。そんな中、国策として推奨して来た長子相続を王家が覆す訳には行かなかった。

それに王妃も前の出産から10年以上も空いていることへの不安も大きく、無事に産まれたとして為政者としての才に長けた人物になるかの保証はどこにもない。仮に王太子を交代させた後にやはりラザフォードの方が優れていたからと、もう一度王太子に、などと簡単には行かないのだ。それにそれを見極めるだけの年数をラザフォードが王太子の座にいれば、彼の支持者は増えて交代劇に反発が出るのは目に見えている。


王家の周辺はその知らせに息を呑んだが、その中で王妃が真っ先にラザフォードを王太子として支持することに変わらぬ姿勢を見せた。それはほぼ王家の総意として、その後第二王子が誕生してもラザフォードの立ち位置は変わらないままだった。



しかしやはり不穏は静かに、ラザフォードの周辺に忍び寄っていた。


婚約者であったノランは、子爵令嬢としては優秀であった。もしラザフォードの婚約者でなければ、家格の高い伯爵家などから引く手数多であっただろう。ラザフォードが臣籍降下して賜る予定だった一代限りの領地のない公爵家ならば、どうにか夫人を務めることも出来たかもしれない。しかし、王太子妃になるには足りないところが多過ぎたのだ。当人も努力は怠らなかったが、物心つく前から生まれながらに高位貴族としての教育を受けて来た令嬢とは基礎的なところで差を付けられ、人脈や後ろ盾などは努力だけでどうにかなるものではなかった。それに、やはり偶然にも転がり込んで来た()()を羨む者達から、陰ながら色々と誹られることも多かったのだ。


「第二王子殿下の婚約者候補のお茶会の話、聞きまして?」

「ええ。何でも子爵家と男爵家、それに騎士爵の家の令嬢ばかりだったとか」

「わたくしの侍女の従妹がメイドとして参加させられたそうですが、それはもう…」


王族も参加する高位貴族のお茶会で、ノランの近くのテーブルにいる令嬢達がクスクスと笑いを漏らしている。扇子で口元を隠しているが、明らかにそれはノランに聞かせる為のものだった。


王族を始めとする高位貴族は早めに婚約者を決めるもので、第二王子も候補者との顔合わせとして先日お茶会が催された。ノランもその会が切っ掛けでラザフォードと出会ったのだ。


そのお茶会に集められたのは、第二王子との出会いの場であるにもかかわらず下位貴族ばかりだったのだ。高位貴族ならばより良い家との縁を繋ぐ為に幼い頃から厳しいマナーを教え込まれるが、そこまで必要でない下位貴族ばかりのお茶会はそれはもう自由奔放なものであった。幼い第二王子は、それはそれで新鮮で楽しんでいたらしいが、その場にいた大人達は眉を顰めていたらしい。


その令嬢達がノランの心を削る為に囁いたのは、王妃から生まれた高貴な血筋である第二王子の婚約者候補が、下位貴族からしか選べないという状況を憐れんでいたことだった。


今は侯爵家の養女となり、実家も伯爵位に陞爵はしているノランだが、生まれは子爵家の血筋なのは皆が知っている。その彼女が王太子妃となり、ラザフォードが即位をすれば王妃になるのだ。この国で最も高い地位になる女性である筈が、第二王子の婚約者よりも血筋が劣ることを防ぐ為に彼の婚約者候補は下位貴族ばかりになっていたのだ。

ノランが産んだ子供が王太子になったとしても第二王子の伴侶次第でそちらの子の方が高貴な血統になってしまうのだ。いくら長子相続を推し薦めていると言っても、王家の血統に逆転現象が起こるのは争いの元になりかねない。

中央に関わる貴族達も、血統を重視すべきか確実を求めるべきかで随分意見が割れていた。ただ彼らの共通認識は「ノランが婚約者を降りれば全て解決する」であった為、彼女の周囲はひどく居心地の悪いものになって行った。



「僕たちは、僕たちの出来ることをすればいいんだよ」


遅れて始まった後継教育も厳しいものではあったが、ラザフォードはノランと支え合うようにして互いに苦労を分かち合った。まだ気楽だった頃を懐かしく思いながらも、同じ環境だからこそ耐えられていた。


ノランは幾度となく婚約を解消するか、自分を側妃にして、もっと生まれも育ちも高貴な令嬢を王太子妃にして欲しいと喉まで出かかったが、その度に何かを察したラザフォードが目に涙を溜めて懇願して来るのだ。「自分の側に居てくれるだけでいい」と。ノランとしてもラザフォードの隣を譲ることは本意ではなかったので、求められるままの彼の手を放すことが出来なかった。


お互いに血を吐くような努力を重ね、もともと優秀であったラザフォードは名実共に次代を任せられる立派な王太子として名を馳せるようになった。ノランも生まれから考えれば非常に優秀で、しかし王太子妃としては辛うじて及第点と評価される成果で成人を迎えた。そのたゆまぬ努力する姿に国民の人気が後押しをしたこともあり、次期国王、次期王妃として二人は祝福の中盛大な結婚式を挙げたのだった。


「まだまだ僕たちには足りないこともあるけれど、共に歩んで行こう」


ラザフォードに手を取られながら、ノランは頬を染めてしっかりと頷いたのだった。



----------------------------------------------------------------------------------



結婚式から二年。婚約時代から仲睦まじいことで有名だった王太子夫妻は、周囲の期待に反してなかなか懐妊の報が聞かれなかった。そのことが影響してか、当初は下位貴族から王太子妃にまでなったノランの初々しく一所懸命な姿を微笑ましく見られていたが、次第に些細な失敗をする度に「やはり下位貴族では」と眉を顰められるようになって行った。その度にラザフォードが機転を利かせてフォローしているのだが、却ってそれがノランの評判を下げる結果になることも増えて来た。


そんな中、高位貴族から側妃を、という声が上がり始めたのは仕方なかっただろう。


「僕はノラン以外を娶る気はないし、焦らなくていいよ。王妃様だって第二王子を懐妊したときはもっと年を重ねておられただろう」


不安に苛まれて、どこか気もそぞろになって失態を繰り返すノランに、ラザフォードは静かに彼女に寄り添い続けた。しかしノランはそれが申し訳なく、王太子妃としての役割も果たせないのに自ら側妃を勧められないことに自分の心の狭さを思い知っては自己嫌悪に陥る日々が続いた。


「僕たちは、僕たちの出来ることをすればいいんだよ」


幾度となく慰める為に呟かれたラザフォードの言葉が、彼女の中で支えになると同時に真綿で締め付けるように身動きを取れなくして行った。



やがて、ノランは「自分にしか出来ないこと」を見付けて、それに縋るように盲目的に傾倒して行った。


ノランが自分にしか出来ないと思ったことは、孤児院の慰問だった。貴族女性の嗜みとして孤児院や救貧院への寄付や慰問はよく行われることだが、それはあくまでも金銭や物資などを届けさせることで直接出向くことは殆どなかった。中には読み聞かせや炊き出しに参加する夫人もいたが、それでもきちんと管理が行き届いた場のみで、彼女達の前に出る孤児達も礼儀正しく問題を起こさない身ぎれいな子ばかりを選別していた。

ノランはかつて平民と距離が近かった下位貴族だったこともあり、孤児院に直接出向いて子供や職員と交流をすることに抵抗がなかった。王太子妃ほどの身分がありながら孤児達と直に接して、話を聞いたり手ずから世話をしたりする姿は、平民を中心に熱狂的に歓迎されたのだ。


高位貴族には出来ない、身分の隔てなく孤児達に接することの出来る王太子妃。それがノランの見付けた「自分にしか出来ないこと」だったのだ。


「君はもう少し平民と距離を置いた方がいいと思うよ。君の身分はかけがいのない尊いものなんだから」


孤児院への慰問の回数が増えると、さすがにラザフォードもやんわりと苦言と呈した。しかし既にそれに依存していたノランには一切響かず、彼女は「待っている国民がいるのですわ」とまるでスラム街のような場所にまで訪ねて行くことも躊躇わなかったので、ラザフォードは彼女の気持ちも理解出来てしまったので、それ以上は何も言わずに護衛を増やしてくれた。それを見て彼女は、やはり自分の行動は間違っていなかったと確信を深めて行った。


そこで、とうとう悲劇が起きた。


その年は王都内で重篤な風邪が流行っていた。そして抵抗力が弱く、十分な世話が出来ない孤児院の子供達が次々と罹患した。さすがにノランは慰問を止められたのだが、彼女は「待ってくれる子供達を放っておけない」と強引に訪ね、幾人もの子供達を看病して回った。

その日も複数の孤児院を回り、帰りの馬車の中で少し熱っぽさを感じたと思う間もなく、彼女は高熱を出して倒れ寝込んでしまった。



そしてそのまま意識を失い、ようやく目覚めた時には半月が経過していた。


目覚めてすぐにはラザフォードは来られなかったが、毎日のように花や手紙が届けられ、ひと月後にはノランもベッドの上に起き上がれるようになった。その頃になってようやく直接ラザフォードが訪ねて来たが、顔を見るなり人目も憚らず彼は泣き崩れた。


「ごめんなさい…貴方には心配をかけてしまって」

「いいんだ…いいんだよ…僕には、君さえ居てくれればいいんだ」


嗚咽を漏らす彼に代わって、冷たい目をした侍医から衝撃の事実を聞かされた。


当人も気付いていなかったが、ノランは妊娠していたこと。しかし高熱のため子を失い、今後の懐妊は絶望的なこと。そして間接的ではあるが王太子妃に危害を加えたとして倒れた日に慰問に訪れた孤児院にいた者達や、行動を止めなかった侍女や護衛達が全て処罰されたことを知らされた。処罰の内容は知らされなかったが、思い返してみれば目覚めてから専属で付いてくれていた侍女も護衛も誰一人見かけなかった。

彼らがどうなったかを聞き出そうとしても、やんわりと止められて分からず仕舞いだった。けれどどんなに望んでも彼らとは二度と会うことは出来ず、謝罪をすることも叶わないということだけは理解した。


「…ごめんなさい…」


あれほど距離を置いた方がいいと言われたのに、自分の勝手な行動で多くのものを失ってしまった。心の折れたノランは、体力も回復できずに離宮へ閉じこもった。それでもラザフォードは彼女を見捨てることはなく、視察で王城にいない時以外は彼女に寄り添うように離宮を訪ねた。


だが、役目を果たせない王太子妃が見過ごされる筈もなく、もともと準備をしていたのか僅か数ヶ月で派閥の違う侯爵家から二人の側妃が嫁いで来た。さすがにラザフォードもこれを断ることは出来ず、身分の差や政略などは一切考慮せず、正妃であるノランを最優先にすることと、側妃二人は完全に平等に扱うことを条件に受け入れたのだった。


それからしばらくは、ラザフォードも離宮に訪れない日があった。月にすれば数日で、ノランは「側妃様のところに通っているのね」と理解した。それでも月の大半はわざわざ自分の離宮に訪ねて来るラザフォードを、ノランは嬉しく思う反面、気が重くなるのも感じていた。



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何故か妙にざわめいている気配を感じて、深夜にノランは目を覚ました。


眠る前は隣にいたラザフォードがおらず、ベッドに触れてみたが芯までヒヤリと冷えていて、随分前にラザフォードが不在になっていたことを理解した。


ひどく寒さを感じてノランはフルリと肩を抱きしめるように身を縮こまらせて、近くにあったショールを羽織った。こんなに寒い夜は、使用人が暖炉の火を絶やさないようにしてくれている筈なのだが、ベッドを降りて確認するとすっかり火は消えていた。近寄って手を翳すとほんのりと温かいようにも感じられたが、完全に火は消えていて、随分長らく放置されていたことが分かる。


そっと寝室を出ると、廊下には誰の姿もなかった。


いくら離宮に閉じこもったままの役に立たない王太子妃でも、王族に名を連ねる者だ。護衛や身の回りの世話をする侍女がいる筈なのに、まるでこの世界にたった一人になってしまったような心地になって、ノランは不思議とおかしくなって思わず微笑んでいた。そこで初めて自分が、人目があることをひどく重荷に感じていたことに気付く。王族の一員として常に監視される日々は、分かってはいたがやはり心を疲弊させるものだったのだ。


誰もいないことを不審に思うよりも、何故か気持ちが軽くなってしまったノランは、夜着にショールを羽織っただけの薄着のまま、フラリと離宮から庭に出た。真冬の刺すような空気が体を包んだが、誰にもこんな恰好で外に出たことを咎められない方が気分が良かった。


(月は出ていないのね)


空を見上げると曇天で、月も星も見えない。ノランはそれすらも何故かおかしくなってしまって、普段ならば許されない声を上げて笑った。周囲に誰もいないということは、これほど心が軽やかになるものなのか、と改めて驚いていた。いや、ずっと昔。まだ子爵令嬢だった頃は普通のことだった。



その時、不意にノランの耳に赤子のような声が聞こえた。


しかし周囲はシンと静まり返った庭があるだけで、自分の息しか聞こえない。キン、と耳が痛くなるような沈黙だけだ。それはただの空耳ではあったが、ノランは唐突に理解した。


(ああ…生まれたのね)


王城から隔離された離宮であっても、人の口に戸は立てられない。侍女やメイド達の囁くような会話を全て把握することは出来ないが、断片を幾度となく拾い集めれば大抵の事は見えて来る。


側妃二人がほぼ同時に懐妊したこと。そしてどちらももうすぐ産み月が近いこと。子が生まれたあかつきには、役に立たない正妃は療養の為に王都から離れた場所に連れて行かれること。ノランはそうやってかき集めた真実を、ただ粛々と受け止めていた。これは自分が招いた結果なのだから、と。


「せめて、花の多い場所へ行きたいわ。だってわたくしは『お花畑妃』なんですもの…」


周囲や、ラザフォードにも止められたのに、根拠のない自信で自分だけは大丈夫だと勝手な行動を繰り返した。慰問に行くと人々が感謝の瞳を向けて来ることの甘さに酔いしれて、自分が出来ることはそれしかないと取り縋った。どうせ生まれが違う人には適わないのだから、と、彼らが出来ないことばかりを探して実行することばかりに気を取られて、相手が必要としていることに目を向けようとしなかった。そうやって自己満足だけに浸って、誰よりも優しく慈悲深い王太子妃のつもりでいたのだ。

そんな様子を周囲は「お花畑」と呼んだのだ。ノランにもそれは揶揄なのだと分かっていたが、今はそれが自分に相応しい呼び名だと思っていた。種の残せない花は散るだけだ。



急に冷たい風が吹いて、ノランの羽織っていたショールが宙を舞った。ノランは思わず手を伸ばして掴もうとしたが、ショールは指先を掠めてその先に飛んで行く。一瞬掴めそうだったのが災いしてか、限界まで伸ばしていたノランの手が、それ以上に伸ばされた。


次の瞬間、あっと声を上げる間もなくノランは散策のために欄干の付いていない小さな石の橋の上から足を滑らせた。体力の衰えていたノランは体を支え切れず、そのまま下の池の中に落ちた。夜の寒さで半分凍ったようになっていた水の中に落ちて、ノランは冷たさよりも痛みに短い悲鳴を上げた。


幸い池の深さは腰くらいまでしかなく、ノランでも足が付く。それに薄い夜着なので体に貼り付いて動きにくくはあるが、ドレスのように重くなることはないのでどうにか頑張れば岸に上がれそうだった。ノランは全身刺すような痛みの中でゆっくりと立ち上がりかけた。が、不自然に動きを止めてそのまま仰向けに池の中に倒れ込んだ。


(…もう、体が動かないわ)


仮にも王太子妃が、こんな深夜に一人で外に出て、あまつさえ池に落ちても誰も来る気配がない。誰にも見つからないように忍んで来た訳でも、そっと入水しようとした訳でもない。それでも誰も現れない。

それなりに貴族の教育を受けて来たノランは、自分が見捨てられたのだと悟った。離宮に閉じこもり、公務もしなければ子を産むことも出来ないお飾りどころかいるだけで邪魔になる存在。持っているのは王太子ラザフォードの心だけな立場は、やがてラザフォード自身の身も危うくするかもしれない。


第二王子は今のところ大きな病にもかからず健やかに成長していると聞く。性格も明るく、多少やんちゃなところはあるがそういう年頃という理解の範疇で、やがて王族としての自覚を身につければ立派に公務も果たせるようになるだろう。そうなれば、やはり正しい血統のものを王太子にと望む声を出て来るのは分かり切っている。


見捨てられるのが自分だけならばともかく、ラザフォードまで巻き込むことだけはしてはならない。


体の力を抜くと、すっかり痩せて衰えてしまったノランの体は水面に浮き上がった。


(これが、やっと見付けたわたくしに出来ること。わたくしが手放せなかったあの方を、こうしてようやく手放すことが出来る。でも心だけは…わたくしの心だけはあの方に永遠に…)


真っ白な視界の中、彼女が意識を手放す瞬間に、遠くから鐘の音を聞いた気がした。



その夜、王太子の第二側妃が第一子を生んだ。王太子の初めての子ということで、王城内は警備をいつも以上に固め、固唾を飲んで誕生を待ちわびていた。


そして無事に赤子が産声を上げた時、王城内は喜びで満ち溢れて人々は快哉を上げたのだった。


第一王女誕生の報は、深夜でも王都中を賑わせ、慶事を知らせる鐘の音が鳴り響いた。


その陰で、一人の女性が静かに雪の花に埋もれるように旅立って行ったことを人々が知ったのは、翌日の朝日が昇ってからのことであった。



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慈悲深く、全ての民に等しく愛情を持ってこの国を導く王太子ラザフォード。彼は王族でありながらも派閥や身分に関係なく人々の声を聞き、可能な限り平等に接しようとする。現王も徹底した平和主義で武力ではなく会話で解決策を導くことを是としていて、それを継ぐ次代の王太子ラザフォードの治世も平和で豊かなものになるだろうと、人々は未来に希望を抱いて王家を敬っていた。


その王太子の隣で彼を支える妃の二人は、政略でありながらも平等に愛されていることを羨まれている。人々は貴族として理想的な関係だと憧れを口にして褒め讃えた。


妃二人は、美しい笑みを浮かべて貴族らしく否定も肯定もなくただそこにいる。


彼女達は知っている。全てが平等ということは、()()()()()()と同義であることを。


ノランが亡くなってからの彼は、誰も特別に思いを傾けるものを作らなくなった。その心が彼女と共に砕け散ってしまったのかもしれない。


正妃も側妃も、その子供達も全て平等だ。そしてその愛情は、市井で通りすがりの孤児にも同じだけの熱量しか持っていないのだ。例えとして、自分の子と見知らぬ孤児が崖から同時に落ちそうになっていたとしたら。彼は何かを考えることなく近い者を助けるだろう。それで自分の子が亡くなったとしても、孤児が亡くなったのと同じだけの熱量で悲しむだけ。


それで何か問題がある訳ではないし、彼が国王になっても間違いなくこの国を治める賢王になるだろう。


彼は等しく愛情を注ぎながら、等しく全ての者に無関心だ。


最も近しいところにいる彼女達は、それを正しく理解していた。だからこそ、夫の力は当てにならないと早々に見切りを付け、自身の子供達に期待を掛けた。今はまだ水面下で静かに力を蓄えている段階であって、誰にも悟らせることはない。やがて時が満ちて、全ての播いた種が芽吹き、どんな花を咲かせるかは神のみぞ知ることだ。


人々は、慈悲深い王太子とそれを支える妃達に、明るい未来しか想像をしていなかった。


本当の未来は、未だ誰も知らない。




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