1秒24時間
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
裏取引。
なんとも、臭いワードのひとつじゃないかい?
表ざたにできないこの取引は、誰にも見せたくない、知られたくない秘密でいっぱいだ。八百長のようなものなんだし。
それでも取引は取引。有効に使えれば、自分を豊かにしてくれることは間違いない。
でも、それは相手も同じこと。相手だって、自分が甘い汁を吸わんと画策している。
両者が得したはずが、こちらが一方的に危うくなっている……なんてこともあるかもしれない。
僕の昔の話なんだけど、聞いてみないか?
「夜に1秒。24時間でいいかい?」
この言葉が、僕のはじめて聞いた裏取引の内容だった。
聞く人によって、いろいろな方向に取れるセリフかもしれないけれど、この重大さを僕はよく分からずにいた。
これを聞いたのは夏祭りの帰り際、出店たちが立ち並ぶところとは反対の、本殿の裏手側で聞いたのだから。
本殿の裏側と、境内を囲う石の柵との間には、いくらかのすき間がある。子供が追いかけっこのために走るには十分なくらい。
夜の間となると、ここに来る人はなかなか少なかった。お祭りのときなどはなおさらで、こっそり抜け出して二人きりになりたい……とかの人には、うってつけのポイントといえた。
僕にはそのような色気のあるシチュエーションなど、縁がないんでね。
ただお店の熱気、祭りの熱気にあてられて、ちょっと涼みたいと思っただけなんだ。
それが本殿を半ば回り込みかけたところで、先ほどの声を聴いてしまったんだよ。
「いったい、なんのことだろう?」
そう思うや、ぴたりと足を止めてしまった。
誰かがいるなら、話の邪魔をしちゃ悪いだろう、という純粋な心持ちが第一。
いったい何を話しているのか、聞き耳を立ててみたいのが第二。
僕は近づきも離れもせず、足を止めた。そのまま、話の続きを待つ。
もし、打ち切られるようだったら、すぐにその場を離れられるように心の準備をしながら。
「……うん、それでいい」
先に提案した声とは、別物のそれだけど、僕は「ん?」と首をかしげる。
こちらの返事をしたのは、僕のクラスメートの子のような気がしたんだ。そりゃあ、このお祭り、子供だって相応にいておかしくないはずなんだけど。
それなりにお互いの家へ遊びに行く間柄だ。この間も、新作のゲームをお互いに買って、どちらが先にクリアできるか、競うことになっていた。
家族の人の声ならおおよそ把握している。いま相手にしているのは、その誰でもない気がするのだけど。
「しかし、本当にいいのかね? どう考えても割に合わないと思うよ。決まりごとを、大きく逸脱することになるのだから。なにせ君はもう……」
「構わない。だって、陽がのぼっちゃったらできないことなんだから。そのためだったら、惜しくなんかないんだ」
「やはり、わけがわからないな。だが、わからないからこそ、面白いものだ。いいだろう、取引成立だ。あとは好きにしたまえ」
「ありがとう」
靴の音が近づいてきて、僕はさりげなくそこを離れ、出店の影に隠れながら音の主が姿を見せるのを待つ。
案の定、クラスの子だった。
軽く周囲をうかがいながら、お祭りの喧騒の中へ入っていく雰囲気。やはり、あの取引はおおっぴらにしたくないものらしい。
しかし、思い返すとおかしなものだ。
一秒と24時間のようなことを言っていたが、何がどうなって釣り合いが取れるというのだろうか。そもそも何に対しての時間なのか。
彼がすっかり離れてから、僕はあらためて本殿の裏側へ回ってみる。
土がぬかるんでいることもあり、奥へ向かう足音と戻ってくる足音が、ちょんちょんと浮かんでいた。おそらく、友達の履いていた靴のものだろう。
それを追っていく形で回り込んだ裏側には、誰もいなかったのだけど……妙な心地を覚えざるを得ない。
足跡はどこまでも、友達ひとりぶんのものしかついておらず、それ以外の足跡が見当たらないんだ。
もし、友達が誰かと取引していたなら、その人の分の足跡が残っているはずなのだけど。
注意深く、あたりを探ってみても見つからない。
調査のプロじゃないし、素人目に見落としていることは多分にあったと思うけど、少なくともここには友達以外、誰もいなかったと、僕は判断する。
取引を、声音をかえて一人芝居していた……などとは考えづらい。意図が分からなくて、怖ささえ感じる。
その内容を何度思い返しても、どこか得体の知れなさを覚えて、僕は肌寒さを覚えちゃったよ。
その不安は翌日になって、おそらく的中する。
その朝は、普段起きる時間であっても、夜じゃないかと見まごう外の暗さだったんだ。
予報ではすでに3時間ほど前に陽が登っているはずなのに、そこかしこの家で明かりをつけているほどだ。
そして、あの友達は通学してこなかった。話によると、病院に緊急で入院してしまったとのこと。
長く休んだ末に、結局よその学校へ行くことになったのだけど、お別れのときの彼はとても10代の少年とは思えない老け方をしていた。
顔のしわ、手足の枯れ木のようなやせ細り、皮膚に点々と浮かぶシミ……居合わせたみんなは、恐ろしい病気なのではと、不安に駆られたっけ。
結局、彼とゲームの進みを競えずに終わったのだけど……僕は思う。
彼は夜の間にゲームを進めたかったんだ。そして、あの取引をした。
きっとその内容は「夜を1秒伸ばす代わりに、24時間を差し出す」ということだ。
その24時間は、おそらくだけど、彼自身の時間。寿命といっていいかもしれない。
僕より先に行きたいがために、彼は命の代わりに、夜を伸ばす取引を何者かと行ったんじゃないだろうか。
その何者かも、夜を伸ばしたといっても暗さの継続だけ。本当に時間が伸びたわけじゃなかった。
友達は取引相手に、うまいこと騙されて、寿命を奪われてしまったのでは……と感じるんだよ。




