スライム
課題の本を読みまくってるせいで、このところ寝不足。今朝は、とうとう目覚まし時計が聞こえなかった。遅刻があぶない。1秒でも急ぎたい。というかすでに遅刻だ。
バスにギリギリ間に合ってやっと5分遅れだろう。それくらいなら、言い訳がたつかもしれない。
なのに。よりよって、不愛想なお隣りさんとばったり目が合った。右手にコンビニレジ袋、左の肩には10キロの米袋を担いでる。朝食にしてはボリュームありすぎだ。
「……あ、おはようございます」
しかたがないから、あいさつして立ち去ろうとしたが、向うはなにか言おうと、口をもぞもぞさせてる。いつものように、スルーしたらいいのに。あいさつ返そうとしてるらしい。だったら言ってよ。おはよう。その 一言で終わるんですよ。
喉元にあがってくる「急いでいるから失礼します」だが、相手が言う言わないかの間を、行きつ戻りつしてるから、私も言い出せなくて困ってしまう。
敵はやっとアクションをおこした。
コンビニ袋に手を突っ込んで、
「……ええと……これ」
プリンを渡された。
「はい?」
なんだこれ。冷たいプリン。コンビニプリン。袋からだした個体を一個よこすか? これ、今月から始まった夏アニメのキャラ製品だ。それはいいけど、ほぼ面識のない人から、こんなのもらっても困るんだけど、急いでるし。
「あ。え……」
いらないって返す前に、不愛想男は家へ入ってしまった。待てよおい。私も急いでんだよ、家に戻る数秒すら惜しいんだよ。
しかたないから駆けだした。走りながらプリンはバッグに突っ込んだ。大きな通りにでて、停留所がある対面に渡るため信号のボタンを押した。バスは目の前を通過していった。
「おう。遅刻の円水。なんだそのプリン」
「呪いのアイテムです。食べますか?」
冷えたプリンは汗をかく。会社についてバッグを開けば、メモやスマホや財布が、濡れてぐちょぐちゃになっていた。
「呪い? もらっていいのか? オレスイーツならなんでもOK体質なんだ」
「……やっぱあげません。先輩だけ幸せになるのは不公平ですから」
「なんだそりゃ」
名残惜しそうにプリンをみつめる先輩を席に押しやって、PCを立ち上げる。
仕事だ仕事。私は仕事に生きる女なのよ。つーか早く成果を出さないと、そんなことも言えなくなる。人生代々のターニングポイントが迫ってるのだ。
DMの返信が届いてる。書籍化にも絶えられそうな小説の、すべてに作家に打診してる。といってもほんの3件だ。うちのレーベル著名度低い。『しゅらぶっかー』はさらに低い。
毎月に複数の作家を産み出してる大手には、とても太刀打ちできない。だからこそ、将来性ある作家は大切にしたいし、書籍化のチャンスを活かしてほしい。
「いいねいいね、前向きでいいねー」
2件から、ぜひお願いしますの回答がきた。こうでなくちゃね。私は、嬉しくなって3件目のDMを開いた。
“興味ないからいいです By ロンリーぽこ”
「またしても……ぐぬぬ」
じゃあなんのために小説を投稿してるんだ。そやつのマイページを怒りに任せて開くと、投降されてたはずの『異世界―第6ピコと街半分の65歳:空中ダンジョンコックピット』は消えていた。
ぶち……。
何かがキレた音。次いで、生ぬるい軟体を膝の上あたりに感じた。
これは、スライム?
「おい……円水」
隣りではシャーペンをもった先輩が呆けてる。そのシャーペンが指す先を目て追うと。
プリンの容器を潰した私の手と、机と膝を汚染したその中身があった。




