「甘さ」と「強さ」【scene12】
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「俺たち、出番は中盤ぐらいみたいだぜ」
ルッチはレトのもとへ駆け寄りながら話しかけた。
闘技場の最前列にレトは腰を下ろしていた。観衆を集めての大会が行われると、この闘技場は大勢の観客で埋め尽くされる。最前列の席に座れるなどありえないことだ。今回は大会とは無関係の試合なので、闘技場に集まっているのは審査を受ける予定の者たちだけだ。彼らはめいめいの席に腰を下ろして、自分の順が来るのを待っているのだった。現在、闘技場では一対一の試合が行われている。安全のために防具で身を固め、武器は木剣を使用していた。
「対戦表なんて、あったのですか?」レトはのんびりと尋ねた。番が来ると呼ばれると考えていたから、対戦表など探そうともしなかったのだ。
「お前、剣技大会なんて出たことないだろ」
「ええ、まったく。どうしてそう思いました?」
「剣技大会の勝敗は対戦相手のことをどれだけ調べられるかで決まることもあるからさ。相手の弱点を知っておけば、自分の勝率があがる。ま、当然だろ?」
「それはそうですが。僕はすべての方と初対戦です。情報があってもなくても大した差はありませんよ」
「それが違うんだな」ルッチは腰に手を当てた。レトは不思議そうにルッチの顔を見つめた。「どう違うんです?」
「すげぇ偶然なんだが、お前の対戦相手はマジだ。ちなみに俺の相手はウザだってよ」
レトはきょとんとしている。昨日、自分がやり合った相手の名前を知らなかったのだ。
「お前が出し抜いて、財布を巻き上げた相手だよ。ハンマー担いだ賞金稼ぎさ」
レトは「ああ」という表情になった。
「お互い名前を知らなかったようだな。それなら、お前が少し有利になったわけだ。相手のクセや弱点を考える時間ができたんだからな」
「でも、それって反則になりませんか?」
「ならないよ。勝負はすでに始まっているんだ。事前に準備ができるかどうかも資質と言えるさ。今回の戦いは、甘いことを言っている奴が真っ先に死ぬ。この審査は甘い奴を落とす審査かもしれないんだぜ」
「いいこと言うじゃない」
ルッチの背後から声が飛んできた。聞き覚えのある声だ。ルッチはうげぇという声をあげた。レトがルッチの肩越しに見ると、ガイナスが近づいて来るところだった。
「まぁ、甘い奴を落とす審査かどうかはわからないけど、もし、何か甘い夢や期待でここに来たのなら、落とされるほうが幸せかもね」
「甘い夢、ですか」レトは暗い表情で言った。
「たしかに勇者とともに戦場へ出るなんて、めったに得られない『栄誉』だわね。でも、そのぶん、命を落とす危険も高くなる。何せ、あの魔侯と直接やり合うことになるのよ。必ず勝ち残るという強い意志がなければ、さっさと死ぬことになるでしょうね」
「あんたには強い意志があるって言うのか?」
ルッチが尋ねると、ガイナスは自分の口に手を当てて笑い始めた。
「ホホホ! いやぁね。あるわけないじゃなーい。アタシはここならいい男がいっぱいいると思ったから来たんじゃない。実際、超美形の勇者に、可愛らしいアンタたちに、うーん、アタシ、最っ高に幸せ!」ガイナスは身体をクネクネさせている。
ルッチは完全に呆れた表情だった。
「あんたは真っ先に戦死しそうだな」
ガイナスは両手を腰に当てるとフフンと不敵な笑みを浮かべた。
「それはどうかしら? アタシ、強い意志はないけど、甘い奴でもないわよ。それにアタシはかなり強い。そうねぇ、ひょっとしたら勇者の次に強いかも」
「ずいぶん自信あるじゃないか。その自信が偽物でなきゃいいがな」ルッチは意地悪な口調で言った。
「間もなく本物か偽物かわかるわよ」ガイナスは闘技場に目を向けた。
3人が話している間にも試合が行われていて、ようやく決着がついたようだった。ひとりが這いつくばって肩で息をしている。対戦相手も息が切れているようで、フラフラと立っているのがやっとのようだった。
「あれじゃ、ふたりとも不合格ね」ガイナスが冷静な口調で評した。
対戦者が退場すると、会場係が闘技場に現れて地面を掃き始めた。
「続いての対戦は、ガイナス。ケルボス。両名、中へ!」
観客席の最上段から、次の対戦者を呼ぶ大声が響き渡った。
「出番が来たわ。じゃあ、応援ヨロシク!」
ガイナスはふたりに投げキッスを送ると、会場席の塀を軽々と乗り越えた。そのまま闘技場の中心へスタスタと歩いて行く。
「図体がでかいわりに身軽だな」ルッチは思わずつぶやいた。
「ガイナスさんは強いと思います」レトが言うと、ルッチは顔をしかめた。
「根拠は?」
「背負っていた大剣です。あれはかなり使い込まれて、刃がだいぶすり減っていました。多くの敵を斬り、何度も鍛え直した剣です。あんな剣を持っているひとが弱いとは思えません」
「お前、よく見てるな」ルッチは感心しつつも、半ば呆れたような声だった。レトは細かい性格かもしれない。
「何でも観察するのは、クセみたいなものです」レトは闘技場の中心を見つめながら答えた。「他人の顔色をうかがっていないと、いつ殴られるか知れませんでしたから」
「殴られる?」ルッチは驚いてレトの顔を見た。レトの表情には何の感情も見えなかった。
「職人の技術は、理屈で学ぶものではありません。できなければ殴られる、わからなければ殴られる。そして、相手の機嫌が悪ければ殴られる。相手の機嫌の悪い時を察しないと、余計な『げんこつ』を喰らうんです」
……それで相手をよく観察するクセが身についた?
ルッチはレトがどのような経験をしたのか、ほんの一部を垣間見た気がした。
「ルッチさん、そろそろ始まりますよ」
レトが闘技場の中心を指さした。その先には木剣をぶら下げたガイナスと大きな木づちを抱えた男が立っていた。男は大柄のガイナスと変わらないぐらいの大男で、顔がひげで覆われていた。腕も脚もやたらと太く、厚い胸板は防具で覆いきれないほどだった。
「すげぇデケぇな。牛が立っているみたいだ」
ルッチは大男の姿を見て、そんな感想をつぶやいた。
「ガイナスさん、落ち着いてますね」レトは違う感想を持ったようだ。
「……いや、何か表情が変だぞ」
「そうですね。どことなく『がっかり』しているような……」
レトの表現は正しかった。ガイナスはがっくりと肩を落としてため息をついた。
「はぁー。アタシってほんと男運がイマイチだわ。せっかくいい男に囲まれているってのに、肝心の『ヤル』相手がこんなムサいのなんて……」
「何を『ヤル』って言うんだ、てめぇ」対戦相手の大男、ケルボスは気色ばんだ。
「ちょっといい男をつまみ食い」ガイナスは自分の頬に人差し指を当てて答えた。ルッチはそれを聞いて口もとがゆがんだ。「あいつと同部屋はもうイヤだ」
「ふざけやがって!」ケルボスは木づちを振り上げるや、ガイナスめがけて一気に振り下ろす。ガイナスはさっと身を引いて相手の一撃をかわした。振り下ろされた木づちは地面に届く前に向きを変えて振り上げられる。木づちはガイナスのあごを狙っていた。
「よっと」ガイナスは首を傾けてそれをよけた。ケルボスの攻撃は止まらない。続いて顔面横を薙ぎ払うような横殴りの一撃が襲う。ガイナスはすっとしゃがんでそれも避けた。
「すごい、あの木づちで連続攻撃だ」ルッチは身を乗り出した。
「でも、ガイナスさんは簡単に避けましたね、全部」レトの声は冷静だ。ふたりの戦いをじっと見つめている。
「ほんと、わかってないわね」ガイナスは木剣を握り直すと、ケルボスの手首に打ち込んだ。ケルボスの手から木づちが落ちた。ガイナスはすばやくケルボスの脇へ滑り込みながら脚に一撃を加えた。驚愕の表情を浮かべてケルボスは両膝を地面につけた。
「あなた、アタシの好みじゃないって言ってるの」
ストンと木剣が首筋に打ち込まれ、ケルボスは白目をむいて倒れ込んだ。
「勝負あり! 勝者、ガイナス!」審判がさっと手を挙げて声をあげた。
「あっさり勝ちやがった、あいつ」ルッチは目を丸くした。
「すごいです。ガイナスさんの攻撃にはまるで無駄がありません。とどめの一撃まで流れるようでした」レトは拍手を送りながらつぶやいた。
「お前にはあの動きの意味がわかるのか?」ルッチはレトに尋ねた。
レトはうなずいて答えた。
「そう言うルッチさんも気づいているんですね。ガイナスさんは軽々と剣を扱っていましたが、一撃一撃がとてつもなく重いものです。そうでないと、あの巨体に両膝をつけさせるなんてできませんから」
「大きく言うだけあって、実力は本物か」ルッチは腕を組んだ。
ガイナスは客席に投げキッスを送りながらレトたちが見ている塀に近づいていた。
「どう、ルッチちゃん。アタシの華麗な戦いぶり、見てくれた?」
ガイナスは塀に手をかけると、ひょいと飛び越えて客席に降り立った。
「おかえりなさい、ガイナスさん」レトは頭を下げた。
「ただいま、レトちゃん」ガイナスはレトを見つめて目を細めた。
「あんた、本当に強いんだな」ルッチは渋々認めた。
「わかればいいのよ、わかれば」
ガイナスは闘技場に顔を向けた。ケルボスはまだ意識を取り戻していないようだ。ケルボスは担架に載せられて、数人がかりで運び出されようとしていた。
「イヤだわ、ああいう男」
ガイナスはつまらなそうにつぶやいた。
「まったく萌えるところがないんだから」