不満あふれる通達【scene10】
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ギデオンフェル王国では、この季節の朝は寒い。しかし、レトにとっては寒さに震えないで目覚められた初めての朝だった。ルッチは「狭くて寝づらそうだ」と文句の言った部屋だったが、レトにすれば、毛布は厚く、ベッドに敷かれたマットも固くなかった。これまでの彼は硬い板の上に薄い布を被って眠っていたのだ。それと較べれば、王国兵の扱いはずっと良いように思える、そんな快適な部屋だった。そのせいもあってか、レトはルッチに揺り起こされるまで目を覚まさなかった。
「おい、朝飯を食いっぱぐれるぜ」
レトは顔をくしゃくしゃにして毛布を被り直そうとした。起きるのが辛い。
「朝ごはんだけじゃないわよ。今朝、たぶん、昨日のことの説明があるはずよ」
ガイナスの声が聞こえて、レトは目を開けた。そうだ。今日、何かがあるはずだ。
昨日、部屋に落ち着いた彼らに、ひとつの噂話が届いた。それをもたらしたのは、レトたちの後で『3の5』をあてがわれた、チェンという若者からだった。チェンはレトと同じぐらいの小柄な青年で、頭を丸坊主にしていた。南方系の顔立ちで、言葉もその地方のなまりがあった。彼はもともとある小隊の一員だが、部屋割りであぶれて、レトたちと同部屋になったのだった。そのチェンから、志願兵の受付を軍が打ち切ったと聞いたのだ。
「ここで打ち切る理由なんてあるのでしょうか?」レトが疑問を口にすると、ルッチは不思議でもないような顔をした。
「たぶん、予定人数に達したんだろう。義勇兵って言っても経費はかかるからな。予算範囲内でやりくりしなきゃならないのは、正規軍と変わらないさ」
「それにしては急じゃない? さっき、私たちが受付されていたときは、あと何人で締め切りにするって雰囲気もなかったわよ」ガイナスは腕を組んでつぶやいた。
「18時までは普通に受け付けていたんだ。受付をしている兵のもとへ誰かが伝言に現れて、それを聞いた兵が、『受付はここまで。まだの者はお引き取り願おう』って言ったんだ。まだ受付されていない者は急な話で面喰っていたそうだ」
チェンが説明した。
「何か、急に決まったって感じね」ガイナスが考え込みながら言った。
ルッチはベッドの上でゴロンと横になりながら、「まぁ、俺たちは無事、受け付けてもらえたわけだし、関係ないさ」とのん気なことを言った。
「それが、そうでもないかもしれないんだ」チェンの話には続きがあるようだ。
「そうでもないかもって?」ルッチは眠そうな声で尋ねた。
「何でも、入団試験が行われるらしいんだ」
「は? 義勇兵にか?」ルッチの眠気は消えたようだった。
「どうも、あちらで考えていたより志願者が多かった、ということらしい。それで、兵の数を絞る必要が出てきたみたいなんだ」
「勘弁してくれ。試験勉強なんざしてねぇよ」ルッチはぼやいた。ルッチの下のベッドに座っていたレトもうなずいた。「それは僕もです。入団試験って何をするんでしょうか?」
「まぁ、義勇兵のことだからな。腕っぷしを試されるんじゃないか」
チェンもそれ以上のことはわからないようだった。
「まぁ、明日になれば、イヤでもわかるでしょうよ。今日はそろそろ休むことにしない?」
ガイナスはそう言うと、毛布を被ってしまった。それで、この話は終わりになったのだ。
急いで顔を洗い、食堂へ降りていくと、そこはすでにごった返していた。ほかの者たちにも昨日の噂は聞こえていたらしく、皆が朝食目当てで集まったわけではないようだ。それは、すでに食べ終えたはずの者が席を立たない様子からもうかがえられる。中にはそういう者を席から追い出そうとする者も現れて、食堂の様子はちょっとした混沌だった。
レトはルッチたちと顔を見合わせて首をすくめると、配給されるパンを受け取った。どこにも座る場所がないので、食堂の出入り口近くで並んで立ってパンにかぶりついた。気がつけば、ガイナスやチェンの姿が見えない。ガイナスはともかく、チェンは仲間のところへ行ったのだろう。ガイナスは単身冒険者だった。
パンはあっという間にふたりの胃袋に収まった。ふたりは所在無げにその場で立っているしかなかった。昨日の件はいつになればはっきりとするのだろうか。ふたりの懸念は間もなく取り払われた。食堂に神官姿の男が現れたのである。その男は騎士をひとりともなっていた。
「皆さん、静粛に願います」男は大声で呼びかけた。ざわついていた食堂は徐々に静かになっていき、いつしか誰もが無言で神官姿の男に注目していた。
「私は『リオン団』の一員、スライスと申します。このたびは、王国の檄を受けてお集まりいただき、ありがとうございます。現在、この城には志願者が千七百名以上います。我々は、王国を侵略する魔侯アルタイルを討伐するため、大勢の仲間を迎えて、ともに戦いたいと考えていました。ただ、我々は正規の軍隊ではありません。いろいろな制約があります。その制約上、どうしても我々は千人以内に兵数を抑えなければならないのです」
食堂は再びざわざわしてきた。「千人以内? じゃあ七百以上余るって言うのか?」と誰かが大声で話す声も聞こえる。
スライスはそれらの声を抑えるように、さらに声を張り上げた。
「まことに申し訳ないが、皆さんからともに戦う千人を選ばせていただきたい! 実績があり、名のある冒険者や賞金稼ぎの方がたは、我々も実力を知っているので、先に選抜させていただく。実績が少ない、あるいは無名の方がたについては、城下にある闘技場において、選抜審査を受けていただく。実戦に近い形での試合によるものです。我々は選りすぐりの精鋭でアルタイルを討伐します!」
「ふざけんな!」すぐさま怒号が飛んできた。「魔侯の軍勢は3万だぞ! それをたった千人で倒せるわけがないだろう!」
「それは勘違いです!」スライスはすぐさま反論した。
「魔侯の軍勢は王国内に侵入後、戦線を拡大しています。つまり、3万の軍はほうぼうへ散っているのです。王国軍は各要衝で防衛線を敷き、すでに迎え撃っているとのことです。我々が実際に当たる数は3万からはるかに少ない人数なのです。相手の戦力が千人を下回っている可能性は高いのです。3万全部を相手にするわけではありません!」
「質問したいのだが」食堂の中央で、ひとりが手を挙げ立ち上がった。
「俺たちは小隊で志願した。もし、選抜審査を受けることになって、誰かが選ばれない、ということが起きるのか? そうであるなら、俺たちは志願を取り下げる。俺たちの強さは仲間との連携にある。仲間の欠けた状態では戦うことができないからだ」
「小隊で志願した者たちは小隊同士との試合で見させていただくつもりです。あなたの言う通り、小隊で誰かが欠けた状態で団に加えても、戦力の増強につながらないでしょうから」
「つまり、小隊で試験を受ける者は、全員合格か、全員不合格しかないってことでいいんだな?」
「それが我々の選抜方針です」スライスは保証した。その答えにひとまず納得したのか、質問した男は席に座った。
「俺は出て行くことにするぜ」ひとりが立ち上がった。
「俺は善意で来たんだ。それをあんたがたの勝手で力量を測られたりする道理はない。どうせ数減らしをしたいんなら、俺が今抜けようと構わないよな?」
スライスはうなずいた。「私たちにあなたを止める権利はありません」
出て行くと宣言した男は、床にペッと唾を吐くと、足音も荒々しく食堂を出て行った。その様子を見て、数人が無言で立ち上がり、食堂を出て行った。彼らも辞退するらしい。
スライスは辞退者が出て行くのを無言で見送っていた。声をかけるでなく、何かを説明するでもなく、ただ、あと何人出て行くのか見定めようとしているようだった。
立ち去ったのは10人に満たない程度だった。スライスはふうとため息をついた。それが辞退者の少ないことによる安堵のものなのか、嘆息なのか、レトにはわからなかった。
「では、引き続いて、あらかじめ選抜された者の名前、または小隊名を発表する。名を呼ばれたものは、この部屋を退出してください。最後まで名前を呼ばれなかったものは、闘技場で選抜審査を受けていただきます」
スライスはそう言うと、かたわらの騎士から書類を受け取った。スライスは書類を広げると、大声で名前を読み始めた。
「ウィル・フリーマン。および、その小隊」
ウィル・フリーマンの名前が出ると、食堂から「おおお」とどよめき声があがった。ウィル・フリーマンの名前は、それだけ有名なのだろう。あいにく、レトはそれがわからないので、反応できなかった。
ウィル・フリーマンは、食堂の中央に座っていた。彼と周囲に座っていた者が立ち上がると、無言で食堂を退出した。彼らがウィル・フリーマンの仲間なのだろう。食堂の出入り口にはレトが立っていたが、ウィルはレトに一べつくれずに立ち去った。もう、レトのことなど覚えていないかのようだった。
それから、有名な小隊の名前が挙がるたびに、食堂は小さくどよめいた。ある隊にチェンが含まれていたらしい。チェンはどこからともなく現れると、レトやルッチに向かって「お先です」と小声で挨拶して食堂を出て行った。ふたりは小さくうなずくだけだった。
やがて、スライスは読み上げていた書類を小さく折りたたみ始めた。もう呼ぶべき名前がないということなのだろう。レトはもちろんのこと、ルッチも名前を呼ばれていなかった。ふたりはずっと並んで立っているだけだった。
「まぁ、当たり前なんだがな」ルッチは小声で囁いた。「俺には実績なんてものは存在しない」
「僕はまだ、魔物退治をしたことがないので、呼ばれるはずがありません」
「つまり、最初っから入団審査を受けるのが決まっていたわけだ」
ルッチの言葉に、レトはうなずいた。「ですから、審査で何をするのか早く知りたいです」
「前向きだねぇ、お前は。少しはへこまないのかね」ルッチは少し呆れたようだった。ルッチも名前を呼ばれないのは確信していたが、それでも名前を呼ばれないことに寂しさや疎外感を抱いていたのだ。レトのように簡単に割り切れる感情を持っていなかった。
レトはスライスをじっと見つめながら口を開いた。
「僕はこれまで何の実績も経歴もありません。ですが、すべてはこれからです。審査を受けられるのであれば、僕はまだ終わっていません。僕はまだ抗うことができるんです。何の問題もありません」
「いいこと言うじゃない」
不意に声が聞こえると、廊下からガイナスが顔を出した。ガイナスは食堂の外で話を聞いていたようだ。
「あんたは外にいたのか」ルッチは驚いて声をあげた。
「どうせ、退屈な話だろうと思って」ガイナスはあごでスライスを指した。
スライスは改めて食堂を見渡した。食堂は半分の人数に減っていた。もともと、食堂は百数十人ほどが入れるほどの大きさなので、全員に通知がされたはずはない。ほかの者は時間をずらして告知されるか、何らかの形で伝えられるのだろう。
「さて、この場に残っている皆さんは、残念ながら、現時点では我々の仲間に選ばれていないことを意味している。皆さんは午後から我が団への入団審査を受けていただきます。方法は闘技場で一対一、あるいは小隊同士の対決で審査いたします。あらかじめご承知いただきたいのは、勝ち負けは評価の対象になりますが、絶対ではない、ということです。実力の高い者同士が当たる場合と、逆に低い者同士が当たる場合が起こりうるでしょう。ですから、審査は総合的な視点で評価いたします。実力の高さを確認できた者は、試合で負けても選抜いたしますし、まったく力量不足であると判断できる場合は勝者であっても不合格にいたします。その点はご了解ください」
スライスは淀みなく説明した。言うべき言葉を完全に頭の中に叩き込んできたようだ。
「内容によっては、この場にいる者全員を不合格にすることもあり得るってことか?」
誰かが質問した。スライスはうなずいた。「そういう場合もあり得る、と考えています」
場は再びざわめいた。しかし、ここまできて、「ふざけるな!」と怒鳴って立ち去るものはいなかった。
「では正午1時より、入団審査を行ないます。審査が始まって不在の者は理由の如何にかかわらず不合格とします。こちらもあらかじめご了解ください」
スライスの言葉は、もう誰も入団させたくないように思えるほど冷たく響いた。