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闇からの襲撃【scene9】

9


 王都は夕闇から、夜の闇へと時計の針を進めた。今夜は月明かりがない。もっとも月が出ていたとしても、今日は一日中曇りだったから月夜の明るさは望めない話だった。ただ、街はそんなことにはお構いなく、それぞれの夜を迎えようとしている。

 王都には貴族たちが住まう高級住宅街が存在する。高い塀に囲まれた屋敷が並び、道は樫など常緑樹の並木で美しい外観に保たれている。石畳の石ひとつでさえ、費用を惜しんでいないことがわかる贅沢な造りだ。庶民が暮らす市街地とは明らかに別天地であった。

 ウールリッチ領主、アイリッシュ伯爵の邸宅はその街はずれの近いところにある。豪壮な造りの屋敷の寝室で、ふたりの男女が裸で抱き合って横たわっていた。女性はアイリッシュ伯爵夫人で、男性は……リオンだった。

 「ああ、こんな日を迎えられるなんて……」伯爵夫人はリオンの胸に頭を預けて、恍惚とした表情で甘い吐息を漏らした。伯爵夫人は肌に艶があって若々しく、リオンよりも年下のように見える。鼻筋の通った美しい女性だ。

 「どうしてもあなたにお会いしたかったのです」リオンは伯爵夫人の額にかかる髪をかき上げながら囁いた。「あなたの熱い視線に射すくめられて以来、あなたに焦がれ続けてきました」

 「それはわたくしの気持ちですわ。ずっとお会いしたかった……。お手紙をお送りしたのに返事もいただけませんでしたから、嫌われているものだと……」

 「出陣の日が近づいているのです。軍議や準備に追われ、お手紙に返事することさえできませんでした。ただ、このままではお会いできないままになってしまう。そう思うと居てもおられず、軍議を抜け出して、こうして忍んで参ったのです」

 「ああ、わたくしのためにそんなことを……」伯爵夫人は感激したようだった。両目から涙が溢れ出していた。

 「あなたにお会いできないまま出陣することができなかったのです。ただ、こうして押しかけてしまったこと、改めてお詫びします」

 「いいのです、そんなこと。今、わたくしはあなたを独占できているのですから」

 自分の言ったことに伯爵夫人は顔を赤らめてリオンの胸に顔をうずめた。リオンはその髪を優しく撫でた。伯爵夫人はため息をついた。「このまま、ずっとあなたといられればいいのに……」

 「私はまもなく戦場に向かう身です。この国とあなたを守るために」

 「わたくしはただ守られるだけですの? あなたのために、わたくしができることはございませんの? わたくしにあなたの手助けをさせて欲しいのです。何でもおっしゃってください、どうか!」

 リオンは伯爵夫人の肩をつかむと、ゆっくりと彼女の身体を起こした。伯爵夫人は不安そうな表情を見せる。

 「私のことはいいのです。ですが、もし、お助けいただけるのであれば、私の仲間を助けてはもらえませんでしょうか」

 「あなたの仲間を、ですか?」

 リオンはうなずいた。

 「私の仲間は、私が敵に集中して戦えるよう、今、いろいろと手を尽くしているところです。ですが、資金繰りがうまくいかず、ずっと悩んでいるのです」

 「お金、ですか。しかも、彼らのためにですか? わたくしがお助けしたいのはあなたなのです」

 「いえ、確かに私のためのお金ではありませんが、彼らにとって助けになることが、最終的に私の生還の確率を上げるのです。何せ、彼らは……」

 リオンはそこで一呼吸を置いた。「私の背中を守るために、命を懸けるのですから」

 伯爵夫人はリオンの顔をじっと見つめた。

 「もしかすると、この後、出立までお会いできなくなるかもしれません。でも、私はあなたのことが忘れられない。ですから、あなたの元へ必ず生きて戻って参ります。そのためにも、彼らの力になってもらえませんか?」

 その言葉で伯爵夫人も決心がついたようだった。

 「わかりましたわ。そうね。私にできるのは、そういうことぐらいしかございませんものね。お約束いたしますわ。必ずお金をご用意します」

 リオンは伯爵夫人を抱き寄せた。「彼らに代わって感謝いたします」

 そのとき、寝室からバルコニーへ通じるガラス戸に、こつんと小石のようなものが当たる音がした。伯爵夫人は気づかないようだったが、リオンは視線だけを素早く音のしたほうへ向けた。続いて小石の当たる音が聞こえた。今度はふたつ続けて。

 リオンは伯爵夫人から手を離すと身体を起こした。夫人は驚いて毛布で自分の胸を隠した。「どうなさいましたの?」

 リオンはベッドから降り立つと、素早く衣服を身に着け始めた。「そろそろ戻らなければなりません。さきほど申し上げたように、私は軍議を抜け出しているのです。いつまでも戻らなければ、城では大騒ぎになることでしょう」

 リオンの説明に、伯爵夫人は納得したようだった。

 「そうね……、そうよね。無理をして来ていただいたのでしたね。わたくしの我がままでお引止めはできませんよね」

 「まことに申し訳ございません」身支度を終え、リオンは頭を下げた。

 「いいえ。どうぞ、わたくしに構わず、お城へお戻りくださいませ。お金は必ず女中に届けさせますわ」

 「ありがとうございます。それについては、スライスという私の部下あてにお願いできますでしょうか」

 「承知いたしました」伯爵夫人はうなずいた。リオンはさっと伯爵夫人のもとへ駆け寄ると、手を取って甲に口づけした。「それでは、これで」リオンはガラス戸を開けると、バルコニーの闇の中へ姿を消した。

 伯爵夫人の寝室は屋敷の2階にあった。リオンはすっと音もなく飛び降りると、屋敷の門に目を向けた。そこには一台の黒塗りの馬車が玄関めがけてゆっくりと走っているのが見える。アイリッシュ伯爵を乗せた馬車だ。

 リオンはそれを確認すると、馬車からは死角になる塀に向かって走り出した。塀はリオンの2倍は高いものだった。リオンは勢いよく跳躍すると、その2倍はある塀を軽々と飛び越えて舗道に降り立った。同時に、この通りでもっとも幹の太い樫の木からケインが飛び降りた。

 「伯爵のお戻りが思ったより早かった。首尾はどうだ?」ケインはリオンのそばへ寄ると心配顔で尋ねた。リオンはうなずくと舗道を歩き始めた。

 「問題ない。夫人は寄付くださるとお約束された」

 ケインはほっとした表情を見せた。「それは良かった」

 「引き揚げどきを計っていたんだ。お前の合図はちょうど良かった」

 「そっか」ケインは小さく相づちを打った。

 「どうかしたのか?」

 リオンはケインに顔を向けた。

 「……なぁ、お前がこんなことしなくていいんじゃないか? こんな……」

 ケインは途中まで言いかけて口淀んだ。

 「こんな男娼の真似など、か?」リオンはさらりと言った。

 「リオン! 俺は、そんな……」ケインは慌ててリオンのそばへ駆け寄る。

 「いいんだ。俺はこういうことでしか、お前たちと対等にできないんだ」

 「対等って、俺たちはずっと仲間だ。たしかに勇者の力に覚醒したお前は特別だよ。でも、お前がああいう真似をする理由がわからない!」

 リオンは立ち止まった。

 「ケイン。お前だけが、弱いころのままの俺を見せることができる。お前は俺の過去をよく知っているからな。でも、みんなは違う。俺のことを『別』として見ている。俺を勇者の生まれ変わりとして期待している。だが、俺はそんな偉い奴じゃない。みんなと同じなんだ。俺はああすることで、昔、這いつくばって生きてきたことを思い出せる。穢れた自分を思い出すことで、思い上がらない自分でいられるんだ。特別扱いされることに馴れたくないんだ」

 ケインは首を振った。「わからないよ、そう言われても。だって、大臣どもはお前のことを格下か、まがい物扱いしてるんだぜ。全然、特別扱いなんかされていねぇよ」

 「わかってないなぁ」リオンは笑った。「あいつらだって、俺のことを『別』だって思っている。だから、ああやって必死に俺を否定しにかかってるんじゃないか」

 「そう……なのか……」ケインは自信なげにつぶやいた。しかし、リオンはひとを見る目に優れている。相手の本質などを直感的に見抜く才能を持っている。リオンの、大臣たちに対する「見立て」は、おそらく間違いないのだろう。

 「まぁ、そういうことだ。この話はこれぐらいにして、次へ急ごう。次はバークリー子爵夫人か、チェスタトン男爵のご息女だ」リオンはケインの肩をポンと叩いた。

 「お、おい。これで引き揚げるんじゃないのか?」ケインは驚いた声をあげてリオンの後を追う。いつしか、ふたりはまったくひと気のない裏通りを歩いていた。

 「寄付はたくさんあったほうがいい。そうだろ?」

 「いや、そうかもしれないが……」

 ケインは続けて何かを言おうとしたが口をつぐんだ。

 「ケイン、気づいたか」

 リオンは立ち止まった。ケインも立ち止まると腰の剣に手をかけた。

 「……5人、いや6人だ。すげぇ殺気の塊だ」

 まるでケインのつぶやきが合図かのように、全身黒ずくめの者たちが周囲から現れた。顔も黒い覆面で覆われており、人相がわからない。

 「……こいつら、暗黒処刑人ダーク・アサシンか! こんなところまで魔族が入り込んでやがったか!」ケインは剣を抜いた。

 「こいつらは俺に用があるようだな」リオンは静かにつぶやくと、ケインと同じように剣を抜いた。ふたりは互いを背中合わせにして剣を構えた。

 黒ずくめの者たちは懐からナイフを取り出した。弓なりに曲がったダガーナイフだ。

 「あれは、首を掻き切るには都合良さそうだな」ケインは口の端をゆがませて笑った。

 「だが、俺たちの首に届くかな!」ケインは、ぱっと前へ飛び出した。真上から振り下ろした剣を直角に軌道を曲げ、脇へ避けたひとりの首を刎ね飛ばした。一連の動きに淀みがなく、襲撃者たちは逆に不意をつかれた形になった。

 リオンは剣を下手から振り上げると、ひとりに肩からぶつかっていった。相手が身構えた瞬間、リオンの姿が消えた。リオンの姿を探して左右を見回すと、リオンはかたわらのひとりを斬り捨てたところだった。一瞬で右手へ移動したのだ。近くの者が驚いたように距離を取ろうとする。しかし、リオンは再び一瞬で間合いを詰めると、剣を閃かせて相手の胴を断ち切った。そのまま、ばねではじかれたように向きを変えて、最初の敵めがけて斬りかかる。その者は、リオンの攻撃をかろうじてナイフで受け止めた。

 一方、ケインは姿勢を低くすると、ナイフを突き出した相手の脇の下へ潜り込んだ。そして線を引くように剣を振り上げた。ナイフを持った手が糸を引いて宙を舞い、手を切り飛ばされた者は思わずうずくまった。ケインはがら空きになった首筋に剣を突き立てた。

 リオンの一撃を受け止めた者は、リオンの次の攻撃をかわすことができなかった。大きく振りぬかれた剣に、腕ごと胴を斬られて、襲撃者の身体は三つに分かれて道に崩れ落ちた。ここまで1分も経っていなかった。襲撃者は瞬く間に一人だけになってしまったのだ。その者はふたりに背を向けて逃げ出そうとした。しかし、逃げる先に、リオンの背中があった。

 「君、遅いよ」リオンは剣についた血を振り払った。残った一人はゆっくりとくずおれた。舗道に血だまりが広がっていく。

 「片付いたな」ケインも剣の血を振り払うと、剣を腰に戻した。

 「まったく、驚いたぜ。俺たちの存在を知ったアルタイルが、暗殺者を寄越したってところだな」ケインは両手を腰に当てて、周りを見回した。舗道に転がっている者からは生きている気配は感じられなかった。全員仕留められたようだ。

 リオンは最後にたおした襲撃者の死体にしゃがみ込んでいる。覆面をずらしているようだ。

ケインはその背中に声をかけた。

 「さて、こいつらをどうする? 全員殺しちまったから、尋問はできねぇしな。とりあえず、城へ通報するか」

 「いや」

 リオンはゆっくりと立ち上がった。

 「それはしないほうがいいらしい」

 「どうした? リオン」

 わけがわからず、ケインはリオンに尋ねた。リオンはケインに振り返った。リオンの表情を見て、ケインに緊張が走った。

 「こいつらは暗黒処刑人ダーク・アサシンじゃない。ただの人間だ」

 リオンはかたわらの死体に目をやりながら、険しい表情で答えた。

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