魔侯と魔王【scene17】
17
深い森の中に、ごつごつとした岩山が突き出している。ところどころに木が生えているが、山の表面はほとんど岩肌の灰色だった。岩山はそれほど大きいものではないが、その頂上を覆いかぶさるように分厚い城壁に囲まれた城が建っていた。装飾的な美しさは見られず、ただ無骨な印象しかない城は、象徴的な存在などではなく、戦闘の最前線で使われるものだと示していた。
城の奥の間には小さな魔法陣が展開され、ひとりの魔法使いが呪文を唱えていた。その様子をひとりの男が玉座で頬杖をついて眺めている。男は座った姿勢だが、背が高く、足が長いことがうかがわれる。ほっそりとした顔立ちで、非常に若々しく見える。一方で落ち着いた表情と、冷酷ともとれる冷ややかな目つきに年輪を感じさせる。長年の人生経験を積むことでしか得られない老獪な印象も見えるからである。さしずめ、40代後半あたりだろう。
魔法陣が光の円柱を描くと、円柱の中からひとりの人物の姿が浮かび上がった。玉座に向かってひざまずいている。深々と頭を下げているので、顔は見えないが、髪の色は玉座の男と同じ金髪だった。いくぶん透けて見えるので、魔法陣によって描き出された映像のようだ。
「ほう、お前か、ガニメデス」
玉座の男は映像の男に話しかけた。映像の男はそこで顔を上げた。玉座の男と風貌が似ているが、顔つきは完全に若者のものだった。
「父上、ご報告すべき事態が起きました」
映像の若者はそのように申告した。玉座の男は片眉を上げた。「話せ」
「アングリアが落ちました。そして、『黒狼』が討ち取られました」
「ほう」玉座の男は片眉を上げたままだった。最初の表情のままで、あまり驚いていない様子だ。
「父上は驚いていないのですか」
「詳細を知らぬうちは何とも思わんよ。アングリアが落ちた。ヴォーゼルが殺された。私が把握したのは、その二つの事実だけだ。それだけで何か反応を見せないといけないのか?」
「いいえ。ですが、こんな話はどうです? アングリアは敵の攻撃があって、わずか半日で陥落した。それを指揮したのは、かつてバルバトス王を倒した男の子孫だそうです。あっちでは『勇者』と呼んでいるようですが」
「ほう、ラファールの子孫が前線に立ったか。それは、どの大臣の関係者だ?」
「いえ、それが全く無名の家系で、ウィルライト家出身だとか。もっとも、当人は下級市民にまで身分が下がっているので、その本姓を名乗ることを許されていないそうです」
これまで興味なさそうに話を聞いていた男の表情が変わった。「待て。今、『ウィルライト』と言ったか? そいつの名前は何だ?」
父親が反応したことに、ガニメデスは意外そうな表情を浮かべた。しかし、すぐ表情を真顔に戻すと、「ええっと、たしか、『リオン』って名乗っていました」と答えた。
「リオン……。リオンと言ったのか、そいつは!」
玉座の男は片手で顔を覆うと大声で笑い始めた。心の底から愉快なようだ。ガニメデスは父親の変化に、今度は戸惑いの表情を見せた。
「どうかされたのですか、父上?」
玉座の男は残りの手をひらひらと振った。「ハハハ。すまん、すまん。不意を衝かれて思わず笑ってしまった」片手は顔を覆ったままだ。
「どうもバルバトス王を殺した技が使えるようで、『黒狼』もその技で毛のひとつも残さず死んだようなのです。やつらの国では異能の能力みたいですね」
「そうか。覚醒したのか、やつは」
玉座の男は納得したようにうなずいた。
「覚醒……ですか」
「ギデオンフェル王国には、『勇者の伝承』がある。それによれば、バルバトス王を殺したラファールという男は、強力な異能の力に目覚めた覚醒者だそうだ。何かのきっかけで禁術並みに強い異能力を身につけたという話だ。しかし、その能力はやつ一代限りだったようで、息子を始めとして子孫たちに同じような覚醒者はひとりも現れなかった。子孫たちは『この世に本当の危機が訪れたとき、我々の中から覚醒者が現れる。だから、現在まで覚醒者が現れないのだ』などと言い訳していたそうだがな」
玉座の男は皮肉な笑みを浮かべていた。話しながらギデオンフェル王国の、いや、勇者の血統の者たちをからかいたい気持ちのようだ。
「でも、リオンという覚醒者が現れました。その話は本当だったわけじゃ……」
ガニメデスは遠慮がちにつぶやいた。玉座の男は首を振った。
「そうではない。覚醒したのは『別』の何かだ。私にはわかっている」
「別の何か?」
「まぁ、お前に説明しても仕方がない」父親の言葉に息子の眉があがった。「仕方がない、ですか」
「気にするな。こっちの話だから仕方がないと言ったまでだ。それより、アングリアが落ちた今、お前はどうするつもりだ? アングリアを再奪取でもしたいと申し出るつもりなのか?」
ガニメデスは不服そうな表情を引っ込めて、素の表情に戻った。「父上はそうお望みでは?」
「私にとって優先順位が低い話だ、それは。それより、早くチリンスの丘を抜けて、次の目的地に向かうことこそが重要だ。パガセの攻略はほぼ終了していると聞いた。そこから兵を回せば、丘の攻略も楽に片付くだろう。3日以内に丘を抜けろ。お前には第1軍を預けたんだぞ」
ガニメデスはさっと頭を下げた。「丘の攻略は必ず成し遂げます。もう少しの猶予を」
「パガセ攻略隊には『緑龍』を差し向けるよう伝える。あいつが加われば、確実性もあがるだろう」
「父上のご配慮に感謝申し上げます」と、ガニメデスは顔を伏せたまま言った。表情は見えないが、心なしか弱々しい声に聞こえた。
玉座の男は「抜かるな、決してな」と念を押すと、魔法陣そばの魔法使いに合図を送った。魔法使いは口の中で何かを唱えると、ガニメデスの姿が消えた。魔法陣そのものからも光の円柱が消えてしまっていた。
「アルタイル様。お話しは以上で良かったので?」
魔法使いは伏し目がちに尋ねた。「アルタイル」と呼ばれた玉座の男は座っている姿勢を少し変えると、魔法使いを見下ろした。
「何か気に障ったか? アルフェッカよ」
「いえ。ただ、ガニメデス様は、この戦いの趣旨をご存知ないようですので……。ですから、さきほどのようなご発言をなさったのです」
「私の意図など、わざわざ知らせる必要などない。あいつはあいつのできることにのみ集中させれば良いのだ。あいつは、私の後継者になるための器が、まだ育っていないからな」
「厳しいお言葉で」
「甘くないのさ、現実はな」
アルタイルは玉座に頭を預けるようにもたれた。
「この私が、今もただの四侯のひとりでしかない、というぐらいにな」
一台の馬車が並木道を疾駆していた。
背の高い樹々は手入れが行き届いて、舗装された道路に余分な枝がはみ出る様子はなかった。だからこそ、この馬車は左右の樹の枝を気にすることなく飛ばしているのである。もし、これがいい加減にしか手入れされていない道であれば、この馬車の屋根はたちまち枝で傷だらけになっていたことだろう。ちょっとしたことだが、それだけでも文化や治安の高さがうかがえる。しかし、ここはギデオンフェル王国ではない。その証拠に、馬車を運転している馭者は人間ではなかった。馭者は頭部がネズミの姿をした、丸々と太った男だったのだ。操縦者は魔族なのである。
ネズミの馭者は慣れた手つきで手綱をさばいて、先を急いでいる。馬車はやがて大きな屋敷の門の前で停まった。門はすぐに開くと、馬車はすばやく門の内側へ入っていく。馬車は大玄関の正面で完全に停止した。馭者はすばやく馭者台から飛び降りると、踏み台を用意して馬車の扉を開いた。
馬車から姿を現わしたのは、これもまた人間ではなかった。頭部がイヌの姿をした男だ。いわゆる獣人と分類される魔族の一種で、狗頭族と呼ばれる種族だ。この種族は個人個人がさまざまなイヌの容姿をしており、この男の場合は鼻から額にかけて白く、目の周りや垂れた耳がまっ黒である。身分が高いらしく、ひと目で高級だとわかる背広を身につけ、品の良い鼻眼鏡を鼻の上に載せていた。紳士然とした態度で、ふさふさしたしっぽを優雅になびかせている。
「ご苦労」
うやうやしく頭を下げているネズミの馭者にねぎらいの言葉をかけると、イヌの紳士は大玄関へと歩いていった。両開きの大扉が待ち構えていたように開いて、彼は屋敷の中へ入った。
「これは軍務大臣殿」この屋敷の家令らしき老人が頭を下げた。こちらは人間の姿をしていた。
「陛下はどちらに?」軍務大臣と呼ばれた狗頭族の男は老人に尋ねた。
「居間でくつろいでいらっしゃいます」
老人は改めて丁寧にお辞儀をしながら答え、先に立って歩き出した。主人のもとへ案内するのだろう。
軍務大臣が居間に通されると、屋敷の主人は質の良さそうなガウンに身を包み、ソファに身を預けながら酒杯を手にしているところだった。年齢は50歳前後か。きりりとした顔立ちは魔侯アルタイルに似ている。しかし、こちらのほうが顔つきはたくましい印象だ。丁寧に刈り込まれた口ひげも嫌味がなく、年齢に応じた渋みと威厳を感じさせた。
「シリウス陛下」軍務大臣は頭を下げた。「おくつろぎのところ、まことに恐縮でございます」
『シリウス陛下』と呼ばれた男は「気にするな」と、軽く手を振った。マイグラン――ギデオンフェル王国からは『魔国』と呼ばれる魔族たちの国の王、『魔王シリウス』そのひとだった。
「愚弟のことで情報が入れば、昼夜問わず報告するよう命じたのは私だ。たとえ熟睡中でも起こしてもらってかまわん」
「まことに畏れ多い話で」軍務大臣は再び頭を下げた。
「ところで、報告は何だ?」
軍務大臣は一歩踏み出した。
「はっ。実はアルタイル様の目的の一部が判明したのです」
「ほう、あいつがギデオンフェルに攻め込んだ理由か。何だ?」
「はい。アルタイル様が狙っているのは『名もなき陵墓』と呼ばれる遺跡群でございます」
シリウスは「ふん」と鼻から息を吐いた。軍務大臣は首をかしげた。魔王の反応の意味を掴みかねたのだ。今の態度は、魔王が呆れているように感じた。
「お気に召しませぬか」
「まぁな。相変わらず、つまらないことに気づくやつだ。まぁ、あいつは研究熱心だからな。いずれ、『あれ』の正体に気づくこともあるだろうが、兵を挙げてまで『あれ』を狙うなんてな」
「陛下は『名もなき陵墓』が何なのか、ご存知なのですか?」
シリウスは首を振った。「細かいことまでは知らん。ただ、国王の座を手に入れたとき、この国の機密や、他国の情報も継承した。その中に『名もなき陵墓』のことも含まれていたのさ」
「アルタイル様が執着するだけの値打ちはないのですか?」
シリウスは形のいい自分のあごに手を当てた。
「……そうだな……。そうだ、例えば、大臣。君は自分自身の値打ちをどれぐらいと見積もっている?」
今度は軍務大臣が自分のあごに手を当てて考え始めた。
「……そうですな……。今の所領分ほどの値打ちはあるのでしょう」
「ずいぶんと無難な回答だな」シリウスは笑った。
「だが、私の考えは違う。私にとって、君は四侯に匹敵する存在だ」
軍務大臣は驚きで目が大きく見開いた。「何と、お戯れを」
「からかってはおらん。君のように実直な人材は、我が国には貴重なのだ。まぁ、魔族ってのは自分勝手な者が多いからな。そういうのを束ねて、私はこの国を治めている。だが、ひとりで全部できるかって話さ。なかなか手の回らないところを確実に補ってくれる、君は私の宝だよ」
「陛下からそんなお言葉を賜るとは……。身に余る光栄です」
軍務大臣は片手で顔を覆って表情を隠したが、背中から見えているしっぽが激しく揺れているから、そうとう嬉しいのだろうと素人目にもわかる。
「今の例でもわかるように、『値打ち』なんてものはひとそれぞれさ。私には好奇心を満たす程度の存在でも、あいつにとっては、万難を排してでも手に入れたいものなのだろうな。あの陵墓は」
軍務大臣のしっぽの動きが止まった。彼はシリウスに話をはぐらかされたことに気づいたのだ。
「……そういうものですか。ところで、アルタイル様は、占領した街や村から住民をいずこかへ連れ去っているようなのです。この件につきましては、現時点で詳細が明らかになっておりません。連れ去った者たちを殺したのか、どこかに監禁しているのか。そのいずれでもないのか。不明でございます」
「その件は気にしなくともよい。あいつの狙いが『陵墓』であるなら、住民たちをどう扱っているのか、答えもおのずとわかるのでな」
シリウスは杯を口に運びながら言った。軍務大臣は姿勢を正した。
「それで、陛下は今後、どのようになさるおつもりですか? 先日、アルタイル様に実質的な『お墨付き』をお与えになりました。ですが、アルタイル様の行動は陛下の政治戦略とは明らかに相容れないものでございましょう。このまま放置しておけば、後に内乱の火種になりかねません」
「内乱の火種か。君はさすがに物事が良く見えている」
シリウスはちらりと軍務大臣に目を向けた。
「いいえ。さきほどは、ああは申しましたが、陛下があのまま放置するとは思っておりません。ですが、陛下が何の策を打とうとなさるのか、凡庸な私では量りかねておるのでございます」
「すでに手は打っているよ。最も経費のかからない方法だ。あの『お墨付き』をギデオンフェルの連中にも送ってやったのさ」
「何ですと?」
軍務大臣は目を丸くした。しかし、すぐに険しい表情に戻った。
「陛下。それは、つまり……」
居間へ通じる扉にノックの音が響いたのはそのときだった。扉が開くとひとりの少女が顔をのぞかせた。長い金髪で、青い瞳をしていた。
「あら、お客さん?」少女の目は軍務大臣に向けられていた。
「お邪魔しております、お嬢様」軍務大臣はうやうやしくお辞儀した。
「構わないよ、お入り」
シリウスは優しい声で手招きした。少女はいったん顔を引っ込めると、居間へ入ってきた。足の長い、すらりとした体格の娘だ。年齢は17歳前後に見える。
「軍務大臣さん、お久しぶり」少女は気さくに話しかけていた。軍務大臣はシリウスに顔を向けると、「では、私はこれで」と退出しようとした。
「待って。軍務大臣さんにも聞いてほしい話なの」
立ち去りかけた背中に、少女が呼びかけた。軍務大臣は少女に向き直った。「私にも?」
「ほう」
シリウスも目を細めて少女を見つめた。
「何か大人っぽいことを口にするようになったじゃないか。こないだまで私に抱きついて、『ぱぱ、だぁいすき』ってほっぺにチューしてくれていたのに」
「そんな昔のこと人前で話さないでよ!」
少女は顔を真っ赤にして怒鳴った。軍務大臣は心の内で『してたんだ』とつぶやいた。
「それより、パパ、本当なの? アルタイル叔父様が隣国に攻め入っているなんて話」
シリウスはうなずいた。「そうだ。もう2か月ほど前になるかな」
「そんな前に! どうして教えてくれなかったの? とっても大事な話じゃない!」
「別に。特に教える話でもないと思ったからさ。それに、お前のことだから変に気に病むかもしれないしな。お前はアルタイル叔父さんが好きだったからな」
「……別に、叔父様のことは特に好きってわけじゃないわ。でも、ガニメデスを婚約者に決めたりしたのはパパのほうじゃない。身内のことを内緒にするってどうかと思う。大臣さんもそう思うでしょ?」
急に話を振られて、軍務大臣は目を白黒させた。
「ま、まぁ、内緒ってのはねぇ」
「それに、さっきの婚約の件もそう。私に何のことわりもなく、叔父様の『息子の婚約者に』なんて申し出を勝手に受けたのよ。ひどくない?」
さらに話が飛んで、軍務大臣はたじたじだ。
「ま、まぁ、勝手ってのはねぇ……」
「もう、大臣さんも煮え切らない!」少女はおかんむりの様子だ。
「まぁまぁ、軍務大臣を困らせるな。彼は立場上、お前だけに味方するのはできないからな」
シリウスがなだめるように言った。苦笑いの混じった笑顔だ。
「何か、最近のパパって気に入らないわ。どこか見えないところでコソコソやっているようで。アルタイル叔父様も同じ。ふたりで何を企んでいるの?」
シリウスは大仰に両腕を広げてみせた。
「企んでいるって、パパはそんなことはしないよ。信じてほしいな、パパを」
少女は額に手を当ててため息をついた。
「はぁ……。まぁ、いいわ。大臣さんもパパが変なことしないよう、しっかり見張ってね。大臣さん、鼻が利くんでしょ?」
軍務大臣は苦笑いを浮かべた。「嗅覚が鋭いのは認めますがね……」
言うだけ言って気が済んだらしい。少女は向きを変えると、居間を出ようとした。シリウスは呆れたように娘に呼びかけた。
「言うだけ言って出て行くのかい? やれやれ。お前は考えなしに行動して、周りに迷惑をかけないようにな、アルキオネ」
『アルキオネ』と呼びかけられた少女は顔だけを扉の陰からのぞかせると、ニコッと微笑んだ。さきほどまでとは違う少女らしい笑顔だった。
「わかっているわ、パパ」
第二章 アングリア奪還作戦(終)




