ゼダンの丘の攻防【scene8】
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勇者の団の参謀であるザバダックは攻略部隊を率い、ゼダンの丘まで数百メルテのところまで迫っていた。街道を挟む森のせいで、道はくねくねと曲がっている。おかげで敵の視界には入らないが、あと少し進めば丘を正面に捉えることになる。そこは遮るものがないから、いくらもやがかっていても、敵に見つかることは間違いない。
「さて、ここらあたりだな」
ザバダックは馬上から片手をあげて進軍を止めた。ザバダックの隣にはチェックが馬に乗っている。リオンの仲間では彼だけがザバダックの護衛についたのだった。
「参謀殿、ここから始めるのですか?」
「これ以上進むと、さすがに見えちまうからな。さて、4番隊の諸君。危険な任務で申し訳ないが、勝敗は君たちにかかっている。頼んだぜ」
ザバダックは後ろを振り返った。
「任せろ、参謀」ザバダックのすぐ後ろをついて歩いていた若い男が胸を張った。4番隊のリーダー、ディレイノ・ハーディーだ。挑むような眼が印象に残る、いかにも好戦的な男である。
「俺たち4番隊にいるのは、どいつも荒っぽい連中ばかりだ。魔法使いなんてお上品なやつがいない分、ガンガン突っ込められるぜ」
「作戦は『突っ込め』だが、突っ込みすぎるなよ。あくまで、ここまで敵をおびき寄せるのが目的だからな」
「わかってるって」ディレイノは手を軽く振った。「だがよ、敵を殲滅できるようなら、引いて誘い込むなんて面倒はやらないぜ。俺たちだけで丘を獲ってやるよ」
「頼もしい話だがな、時間厳守だ。時間までに殲滅できなければ、必ず引くんだ」
ザバダックは念を押した。ディレイノは片眉を吊り上げて「了解」とだけ言った。
「大丈夫ですかね」
ザバダックたちを追い抜いて先へ進む隊列を見ながら、チェックが不安そうな顔を見せた。
「それほど心配は要らんよ」ザバダックは馬から降りながら答えた。「ハーディーは野卑だが、慎重な男だ。これまでも危険な依頼を多くこなしてきた。小隊の仲間を誰ひとり失わずにな。引きどきはわきまえているだろう」
ザバダックは後ろに合図を送ると、魔法使いと射手たちが進み出てきた。
「君たちは俺の両側を挟むように並んでくれ。射手の内、ボーガン組は両側の樹の枝に、大弓隊は俺の後ろについてくれ」
ザバダックの指示に従い、魔法使いたちが配置につく。4番隊が通り過ぎて間もなく、ザバダック側の態勢は整っていた。
「さあて、お仕事の時間だな」ザバダックは左腕にはめた腕輪を撫でながらつぶやいた。
ゼダンの丘は急ごしらえの柵があちこちに据え付けられていた。ゼダンの丘を守っているのはゴブリンを中心とした混成部隊だ。ゴブリンに次いでオーク、オークよりいくぶん少なくホブゴブリンが加わっていた。彼らは柵の陰で座り込んで丘の警備をしていた。
種族が違うせいもあるのだろう。満遍なく混ざっているわけでなく、ゴブリン同士、オーク同士、ホブゴブリン同士というように、種族ごとで小さな固まりになっていた。同じ種同士では会話もあるようだが、ゴブリンとオークとの間に会話する様子は見られない。
王都メリヴェールからゼダンの丘まで続く街道を見張っているのはゴブリンたちだ。彼らは柵にもたれかかったり、上に乗って足をぶらぶらさせながら街道を眺めていた。もやのせいで奥が見えにくいが気にしている様子はない。誰もが眠そうな表情で、中には大きなあくびをしている者もいた。
街道の奥から黒っぽい影が近づいている。それに気づいたのは先ほど大あくびをしていたゴブリンだった。目をこすりながら街道を見ていると、影が動いているのに気がついたのだ。首を伸ばして奥をよく見ようとすると、もやの中からひとりの人間が姿を現わした。黒い鎧を身に着け、自信たっぷりに歩いてくる。その男はディレイノだった。ディレイノに続いて、同じように黒い甲冑を身に着けた男たちが現れる。ディレイノの小隊だ。
「何、寝ぼけた顔で見てるんだ? 目を覚ましてやろうか!」
ディレイノはニタリと笑った顔で言い放つと、ナイフを投げた。ナイフは一直線にゴブリンの額に突き刺さり、ゴブリンはゆっくりと柵から落下した。すぐかたわらで柵にもたれていたもう1匹のゴブリンが騒ぎ出した。
「ぎゃあぎゃあと、それでよく会話できるな」
ディレイノは剣を抜いて駆け出した。
ゴブリンの叫びを聞きつけた1匹のホブゴブリンがディレイノの姿を確認すると、横を向いて隣のオークに何か指示を出した。オークは立ち上がると、大きな赤い旗を持ち上げてぶんぶんと振りまわした。
「敵襲の合図か。やっぱり防げる位置にはなかったな」
ディレイノは柵から弓を構えたゴブリンを斬りつけた。ゴブリンは血しぶきを上げて柵から姿を消した。
しゅっと風を切る音とともに、ディレイノめがけて矢が飛んでくる。それをディレイノのすぐ後ろを走っていた大男が盾で受け止めた。
「いい仕事だぜ、ブルーノ!」
ディレイノは仲間に声をかけると柵を乗り越えた。
「深入りするなよ、柵で撤退できなくなるぞ!」ブルーノと呼ばれた大男は大声でディレイノに言った。
「わかってる」ディレイノは答えながらも奥へ駆けていく。目指すは旗を振っているオークたちのところだ。
ホブゴブリンは周囲に大声を出して指示を出している。オークやゴブリンたちは手に手に武器を取って、街道の入り口へ駆け出している。
「は、よく訓練されてるじゃねぇか」ディレイノは感心したとも、呆れたとも取れる声を出した。
……俺たちの逃げ口を塞いでから、囲んじまおうって肚か。案外、知恵のある戦い方しやがる。
だからこその特攻だ。指示を出すホブゴブリンと旗振り役のオークを仕留めれば、戦局は大きくこちらに傾くはずだ。
ディレイノの周囲に槍を構えたオークたちが迫る。豚を連想させる頭部で、肥満体型の魔族だ。しかし、見た目と違い、その動きは聞いていたよりも早い。オークは動きが鈍いと言われていたが、体型からそう思われていただけだった。人間の肥満とは異なるのだ。
ディレイノは繰り出された槍に足をかけると、一気にオークの頭に飛び乗った。思いきり後ろへ蹴り飛ばすようにしてオークの背後へ飛び降りる。オークは前のめりで地面に倒れた。
「ディレイノ!」ブルーノが叫んでいる。明らかに突っ込みすぎのディレイノを呼び戻すつもりだ。
「だから、わかってるって!」ディレイノは左右から向かってくる剣や槍をかわしながら走り続けた。丘の斜面があまり急でないから、速度は落ちない。
「ちっ、ここにも柵か」
指示役のホブゴブリンまで10数メルテまでの距離で、これまでとは太さの異なる柵が立ちはだかっていた。柵の上にはずらりとゴブリンがボーガンを構えて、ディレイノを狙っている。ホブゴブリンがさっと腕を挙げた。ディレイノは剣を盾のように構えると地面に伏せた。無数の矢がディレイノに襲いかかってくる。いくつかは剣が防ぎ、1本は背中の甲冑をかすめて飛び去った。残りは地面に突き刺さっている。
「よし!」ディレイノは飛び起きると、柵にずらりと並んだゴブリンたちめがけて剣を横一線に振りぬいた。ゴブリンたちは次々と血しぶきを上げながら倒れていった。
ゴブリンが弓を構えられる高さにしてあるおかげで、柵はディレイノの腰の高さほどだ。ディレイノはそれほど苦労せずに柵を乗り越えると、まずは旗を握ったオークに迫った。オークは旗で自分の身を守ろうと構える。ディレイノは旗の柄ごとオークを斬った。旗の柄はふたつに折れ、オークは地面に倒れた。ホブゴブリンは叫び声をあげて剣を抜いた。
「何言ってるか、わかんねぇよ!」ディレイノはホブゴブリンの剣を弾きながら叫んだ。ディレイノの気迫に押されたのか、ホブゴブリンはよろめきながら後ずさる。
「そこだぁ!」ディレイノは大声とともに剣を前に突き出した。剣の切っ先はホブゴブリンの胸を刺し貫き、ホブゴブリンは地面に倒れた。そこで、ディレイノはほっと息を吐いた。周囲を見渡すと、幾重にもゴブリンやオークが武器を構えて囲んでいる。敵の数は20を下らないだろう。
「さすがに囲まれるか」ディレイノは自分の剣を肩に載せた。この状況の中で、ディレイノの口もとには不敵な笑みが浮かんでいた。
「おい、ディレイノは?」
街道めがけて押し寄せるオークたちを防ぎながら、ディレイノ班のジョスが尋ねた。ディレイノと同じ年齢ぐらいの若者で、顔中そばかすだらけだ。くしゃくしゃの髪を振り乱しながら槍を突き出している。
「あいつ、敵の頭を獲りに突っ込んで行ったぜ。いつもの通りだ」
「ほんと、あいつ慎重だか、無茶野郎だかわからねぇな」
仲間たちが口々に言い合う。
「だが、ディレイノの指示だ。俺たちは敵を引きつけたら下がるぞ!」
そこへ、「うおおおお」という叫び声とともに、敵の背後から黒い塊が突っ込んできた。ブルーノだ。
ブルーノは力任せにゴブリンやオークを吹っ飛ばすと、仲間たちの列に飛び込んだ。
「時間だ! 下がるぞ」ブルーノはそう叫ぶなり、後ろへ走り出す。
「お仕事時間終了。これから残業だ!」
ジョスも叫ぶと後ろへ駆け出した。残りの4番隊の連中も我先にと走り出す。
目の前で敵が背を見せて逃げ出すのを、ゴブリンやオークたちは一瞬足を止めて見つめていた。1匹のゴブリンが丘を振り返って、丘の様子をうかがう。そのときすでに指示役のホブゴブリンはディレイノによって倒されていた。当然、彼らに指示は出ない。
オークの1匹が槍を振り上げ、大声で叫びながら後を追い始めた。つられるように周りの者も追い始める。指示を確認しようとしたゴブリンも遅れまいと後を追い始めた。
「敵さん、喰いついてきた!」ジョスは後ろを見ながら叫んだ。
「本当に喰われるなよ!」仲間のひとりが、遅れがちなジョスに声をかけた。
4番隊は乱れながら逃げている。ゴブリンたちは、敵が泡を喰って逃げているのだと完全に信じ込んだ。大声をあげて追いかけている。
やがて、4番隊は街道がやや右に曲がり、すぐ左に曲がるところへさしかかった。全速力で走っていた者たちも、さすがに速度を落とさざるを得なかった。
「追いつかれる!」前が詰まり出したことにジョスが焦った声をあげた。
「前、早く走れ!」誰かが怒鳴り声をあげる。当初、演技で逃げていたが、本当に敵に追いつかれそうになって恐慌状態になりかけていた。誰もが懸命になって、曲道を駆け抜けていった。
ホブゴブリンの太い腕が伸びて、今まさにジョスの首筋をつかもうとした瞬間だった。耳を塞ぐほど鋭い風切り音が響き渡った。音はふたつ。天に向かって音が遠ざかっていく。
「合図の鏑矢!」
ジョスは叫ぶと脇の森へ飛び込んだ。ほかの者たちも一斉に森へ飛び込む。街道に取り残され追手たちは、左右を見渡して立ち止まった。どっちへ追うか迷ったのだ。そのとき、1匹のオークが街道の正面に数人の人影を認めた。中央にザバダックが両手を向けて構えている。
「氷柱乱打!」
ザバダックの両手から無数の氷の塊が浮かび上がった。尖った先端が追ってきたゴブリンやオークたちに向いている。ザバダックを最初に見つけたオークは目を剥いた。
氷の塊は轟音とともに追手たちにぶつかっていった。あるものはゴブリンの身体を刺し貫き、あるものはオークの頭部を砕いた。細い矢であれば2・3本受けないと倒れないオークたちが、氷の一撃で次々と街道に横たわっていく。瞬く間に、街道は多くのゴブリンやオークたちの死体で埋め尽くされた。後方にいた者は向きを変えて逃げ出している。
「聖光十字撃ほどの威力じゃないがね」
ザバダックは両手をぱんぱんと叩きながらつぶやいた。
「『魔導士』の肩書は伊達じゃないのだよ」
ディレイノを取り囲んでいる者たちは、じりじりと包囲の輪を縮めている。一気に襲いかからないのは、さきほどのディレイノの戦いぶりを目の当たりにして警戒しているようだ。ゴブリンもオークも、近づいた者から斬られると理解しているのだ。
「まぁ、これだけ取り囲まれたら、逃げられるとは思わないわな」
ディレイノは肩に剣を載せたまま、誰に言うともなく話し始めた。
「お前たち、人間の言葉はわかるか? 俺が何を喋っているか、わかるか?」
あたりを見渡すが、何の反応も返ってこない。
「ま、そういうことだな。勝手に喋らせてもらうけど、俺がこんなところまで死にに来たと思っているか? だとしたら、そいつは間違いだ」
ディレイノは剣を持ち上げた。迫っていたゴブリンたちはびくっと身体を震わせると、1歩後ろへ下がった。
「作戦の成功率を上げるためには、きちんと指示を出す敵の頭は邪魔だ。だから、真っ先に潰させてもらった。そのかいあって、あんたたちの仲間の多くが俺の仲間を追って街道に入り込んだ。今ごろ、手厚い歓迎を受けてるころだぜ。だがな、頭を潰したのにはもうひとつ理由があるんだ。俺の生還に関わる部分だ」
ディレイノは剣を構えた。
「俺は死に急ぐ考えなんてねぇのさ。きっちり生きて帰ってみせる。これが俺の信条だ。つまり……」
矢が風を切る音が聞こえ、何匹かのゴブリンやオークが、首や背中を矢で貫かれて地面に倒れた。ゴブリンやオークたちは矢が飛んできた方角に目を向けた。丘の西側に広がる森から、ボーガンや大弓を構えた人間たちが姿を現わしている。さらに、剣やハンマーを抱えた者たちが丘を目指して駆け上がっていた。丘の西側へ回り込んでいた5番隊だ。
「伏兵に対応されないための布石でもあったのさ!」
ディレイノは近くのオークに斬りつけると、包囲の輪を突破して丘を駆け下り始めた。駆け上がる仲間とすれ違いざまに「さすがに疲れた。後は頼む!」と叫んで森へ駆け込んだ。1本の樹の陰にもたれると、ディレイノは大きく息を吐いた。
「ああ、マジで疲れた。特攻なんて慣れないこと、するもんじゃないな!」