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第六章 殺戮 森のとば口にて【scene1】

これまでのあらすじ:

囚われた人びとを救うため、その元凶である魔侯アルタイルを討つため、ついに『勇者の団』はミュルクヴィズの森へ足を踏み入れた。一見、王国に存在する森と変わらないミュルクヴィズの森。この森が普通の森ではないことを、団員たちは間もなく知ることになる……。

1


 「『勇者の団』、全員運河を渡河しました」

 セルネドにある駐留軍司令部で、キーダ中将は部下の報告を聞いていた。中将は静かにうなずいた。実のところ、報告など聞くまでもない。司令部の最上階にあたる司令官室は、塀越しにミュルクヴィズの森が見えるのである。森の入り口から『勇者の団』が入っていくのを、中将は始めから見ていたのだ。

 中将率いるセルネド攻略隊は、ほぼ無傷でセルネドを奪還した。セルネドに残っているのが正規の魔侯軍ではなく、魔侯軍の後ろから甘い汁を吸おうとついてきたはぐれ者の類だったのだ。彼らは魔侯軍が撤退した街を略奪に勤しんでいた。そのため、組織だった抵抗もできず、魔族たちはことごとく王国軍に討たれたのである。

 ポラトリスはすでに将軍の手で解放されている。このセルネドを解放した時点で、王国軍は使命を果たしたのだ。しかし、中将の表情に明るさというものが無い。中将が純粋に喜んでいないのは、そのセルネドを通って、『勇者の団』が魔侯討伐に向かうという話を聞いていたからである。タバルの戦いで勝利し、王国軍は大きな手柄を立てた。しかし、メネアに駐留するハミルトン少佐からの報告により、戦勝気分は吹き飛んでしまった。将軍はリオンに手玉に取られたあげく、一番消耗の激しい戦いをさせられたと知らされたのである。少佐の報告が中将にだけ送られたのは幸いだった。中将はこの報告を握りつぶし、将軍には伝えなかった。もし、この話が将軍の耳に届いたら、将軍が猛り狂うことは間違いないだろう。中将自身、リオンに対して腹を立てているのである。

 一方で、中将はリオンを恐れていた。将軍でさえ操ってしまうほどの男を、自分が処断できるとは思えなかった。しかも、ハミルトン少佐の報告のみで、リオンが奸計を企てた証拠はどこにも無いのである。こんな状況でリオンを裁くことなどできるはずがない。中将はリオンの次の行動を警戒した。

 リオンが魔侯討伐を願い出て、ミュルクヴィズの森へ踏み込むと聞いたとき、中将は聞き間違いかと思った。将軍を出し抜くほどの男が取る行動としては、あまりに得をしないものだからである。中将は、リオンが自分の利益のために行動していると思い込んでいたのだ。そのせいもあって、中将はリオンと直接顔を合わせようとせず、司令部にこもってやり過ごしていたのだ。もし、あからさまに欲深いところを見せてくれれば、中将はむしろ安心したことだろう。リオンと相対して、勇者の化けの皮を剥ぎ取ろうと試みたはずである。しかし、リオンの行動は中将の理解の範疇を超えていた。そのため、中将はリオンを恐れていたのである。

 勇者の団が森の中へ消えていくのを見送ったとき、中将はようやくほっとしたのだ。部下の報告を聞きながらうなずいていたのは、「了解した」の意味ではなく、「安堵した」気持ちの表れだった。ほっとすると、中将の心から恐れの感情が消え、しばらく息を潜めていた侮蔑の感情が戻ってきた。

 「バカな奴らだ。わざわざ、敵の口の中に入るような真似をするとは……」

 中将のつぶやきは部下の耳にも届いていた。部下は顔色を変えた。勇者の団に対して、彼は敬意の情を抱いていたのである。

 「閣下、勇者の団はバカなのでしょうか?」部下は感情を抑えて尋ねた。

 「当たり前だ、バカ者」

 中将は吐き捨てた。

 「『虎の口から宝石を取る』ということわざがある。あえて危険な真似をするという意味だ。奴らのすることはそれ以上のことなのだ。魔侯の腹から民を引っ張り出すつもりなのだからな。いっそ、これを新しいことわざに替えれば良い。存外、言葉として残るやもしれん」

 後日、こんな言葉が世間に広まった。

――勇者は、魔物の腹から赤子を救う。

 『勇者と呼ばれる者は、最大の困難を成し遂げる』、という意味だ。この言葉の出典は、敵地に乗り込む勇者たちを見送ったキーダ中将のつぶやきからとされている。中将が意図したものとはまったく異なる意味の言葉が広まった正確な事情はわからない。中将の言葉に不快感を抱いた部下が意趣返しとして別の言葉を広めたのか、人から人へ伝わるうちに言葉そのものが変容したのか。真相は闇の中である。少なくとも、中将が本当に口にした言葉は、後世に残ることはなかった。


 「魔の森……なんて呼ばれているから、もっとおどろおどろしい所かと思っていたよ。案外、普通の森だよな」

 ルッチはあたりを見渡しながら言った。森の道は思っていたよりも広く、運搬用の馬車が楽に進められる。頭上を覆うほど樹々は茂っているが、ところどころ差し込んでくる木漏れ日は優しい温かみを感じさせる。この森で食うか食われるかの生存競争が繰り広げられているとは思えない穏やかさだ。

 「そうですね。僕の故郷と変わらない気がします」

 レトはルッチの言葉に深くうなずいた。木の茂り具合といい、故郷のカーペンタル村を思い出させる。

 「油断は禁物よ、ふたりとも」

 ガイナスがふたりの肩に手を置いた。

 「この森は、何者であろうと受け入れる森。言い換えれば、どんな生き物も、いえ、化け物だって受け入れてしまう。だからこそ、ここは過酷な生存競争が存在する。気を抜くと、簡単に命を取られちゃうわよ」

 「驚かすなよ、ガイナス」ルッチは顔をしかめた。いつになく真面目なガイナスの表情に不気味なものを感じたのだ。

 「驚かせるつもりはないわ。あなたがたが、冒険者としてあまりにお粗末な発言をしているので、放って置けなくなって教えてあげているのよ」

 「森の奥はそうかもしれないけど、ここは森の『とば口』もいいところだぜ。こんなところから危険なのか?」

 ルッチの抗議するような声に、ガイナスは呆れたように首を振った。

 「ほんと、あなたってお坊ちゃまよね。いいわ。ひとつ、アタシの得意なものを披露するついでに教えてあげるわ」

 ガイナスは腰に手をやると、1本のナイフを取り出した。

 「ナイフ……?」ルッチは不思議そうにつぶやいた。

 「投げナイフよ。レトちゃん、よく見ていてね。投げナイフはこうやって投げるのよ」

 ガイナスはナイフを持ち替えた瞬間、森の樹々に向けてナイフを投げた。流れるような動作で、ルッチにはどのように投げたのか見極められなかった。

 「お、おい。どうやって投げた? もう一度見せてくれよ」

 「いやよ。アナタはどうせ、ちゃんと見ないから、レトちゃんだけに言ったのよ」

 「おい!」

 ルッチが大きな声を上げようとすると、レトがルッチの口を押えた。

 「ルッチさん、あれ、見てください」

 ルッチがレトの指さす方向に目をやり、そして、硬直した。

 ガイナスが投げたナイフは1本の樹に深々と刺さっていたが、その柄をつかもうと枝が動いている。5つに広がる小枝は、まるで指のようだった。

 枝はそのままナイフをつかむと、何事もないようにナイフを引き抜いた。その様子をルッチだけでなく、周囲の者たちも固唾を飲んで見つめていた。樹はナイフを落とすようにぽとりと投げ捨てると、向きを変えて走り出した。幹の下が二股に分かれ、人間の足のように駆けている。樹はあっという間に森の奥へ消えてしまった。

 「樹が走って逃げた?」

 ルッチはレトの手を押しのけて叫んだ。日頃は冷静なレトも呆気に取られている様子だ。

 「樹人だ。久しぶりに見た……」チェンがつぶやいた。

 「あれが樹人? あんなに近くにいるものなのか?」

 ルッチはチェンに顔を向けた。

 「樹人って、外見で見分けがつけにくいから、どこにどれだけいるって把握できないのよね。出くわすのが少ないから、数が少ないと思われがちだけど、正確にはわからないわね。ただ、あいつらはこうやって普通の樹に混じって獲物を待っている。おそらく、私たちの隊列から離れる者を狙っていたのだわ。用を足そうと、うかつに隊列から離れると、背後から襲われて飲み込まれてしまうところだったのよ、アナタたち」

 「……ゆ、油断ならない……」さすがのルッチも緊張で声が震えた。

 「相手が小さい若木だから逃げたのよ。大木にまで育った樹人だったら戦闘は覚悟しなければならなかったわね」

 「あれで若木ですか?」レトが驚いた声をあげる。さっき逃げた樹人は、3メルテはあろうかと思えるほどの大きさだったのだ。

 「10メルテ超えたものが成木って言われるわね」

 ガイナスはこともなげに答えた。レトとルッチは顔を見合わせる。

 「よく気がつきましたね。以前、樹人に出会ったけど、少しも気づきませんでしたよ」

 チェンが感心したように頭を振る。

 「一度見たぐらいじゃ、わからないわよ」

 ガイナスは片目をつむってみせた。「それこそ、この森が庭って言えるぐらいにならないと」

……本当に油断ならない……

 ルッチはガイナスの横顔を見つめながら思った。


 ミュルクヴィズの森が普通の森と違うことを思い知ったのはレトたちだけではない。同じ8番隊の中で、こんな出来事があった。

 「何か、木の根元に妙な草が生えているな」

 ゲーリックが足元を見つめながらつぶやいた。彼は8番隊リーダーのウィル・フリーマンの班に所属しており、眉が太い、かなりいかつい顔つきの若者だった。

 「ゲーリックさんは魔の森は初めてですか?」

 隣で若い男が尋ねた。どことなく子供っぽい顔つきのせいで、ゲーリックより若く見える。もともとウィル・フリーマンと同じ小隊パーティに所属しているレドメインという若者である。実際はゲーリックよりも少し年上であるが、見た目のせいか、ゲーリックに対して敬語で話している。

 「ああ。俺は西部中心で活動していたからな。典型的な魔獣狩りだよ」

 ゲーリックがレドメインに答えていると、遠くから「隊列止まれ! ここで休憩する!」と大声で号令する声が聞こえた。朝に森へ入ってから、昼近い時間になっていた。

 隊列が止まると、ゲーリックが先ほど見かけた植物を指さした。その植物は手のひらほどの大きさだが、全体が赤黒く、表面を細かな繊毛に覆われていた。茎や葉は無く、コケのように木の根元に貼りついている。

 「ところで、こいつは何だ? 知っているのか?」

 「ああ、それね。それは『アリクイゴケ』ですよ」

 「『アリクイゴケ』? 蟻を喰うのか?」ゲーリックは気味悪そうに足元を見つめた。

 ゲーリックの問いに、レドメインはうなずいた。

 「コケの仲間で、食虫の性質があるんです。表面の繊毛からネバネバする液体を出して、その植物の上を通過するアリなどの虫を絡めとって消化するんです。こいつは南方の熱帯地域にいる植物なんですが、どういうわけかこの魔の森にもいるんですよ。この森だって冬の時期が存在するのにね。こいつ、本当は寒さが苦手のはずなんです」

 「魔の森だから生きていられる……?」

 「そうじゃないかと」

 ゲーリックは『アリクイゴケ』に顔を近づけて観察した。レドメインが説明した通り、『アリクイゴケ』の繊毛に小さな虫が絡めとられている。すでに体を溶かされつつあるので、アリだったのかはわからない。この森では大人しいはずの植物ですら獰猛な性質を見せる。しかし、ゲーリックはあることに気がついた。

 「……おい、レドメイン。こいつ、どこかおかしいぞ。一部が腐っているようだ」

 ゲーリックが再び指さすので、レドメインもゲーリックの横に顔を近づけて『アリクイゴケ』を見つめた。

 「なるほど、マグマアリにやられていますね」

 ゲーリックは新たに聞きなれない名前を耳にして顔をしかめた。「『マグマアリ』?」

 「アリって、毒を持っているじゃないですか。いわゆる蟻毒ぎどくってやつ。王国内のアリに強い毒を持つ種類はいませんが、この森に生息する『マグマアリ』は強烈な酸性の毒を持っているんです。そいつを食べた生き物は、アリの体内からあふれ出た酸性毒に口や胃をやられるんです。この『アリクイゴケ』も、『マグマアリ』の毒で一部が溶かされているんですよ」

 「何なんだ、このやられたらやり返すの状態は」

 ゲーリックは呆れたような声をあげた。自然界は過酷な生存競争に満ちている。それは理解しているつもりだが、この魔の森では、ちっぽけなコケとアリとの間でさえ壮絶な死闘が繰り広げられている。森に足を踏み入れてわずかでしかないが、ゲーリックは早くもここがこれまで歩いてきた森とは『別もの』であることを実感し始めていた。コケとアリという、人間にとって小さなもの同士の戦いだが、森の本質を垣間見た気になったのだ。

 「やれやれ、なんだ、この森は。けっこう面倒そうだな」

 ゲーリックは太い木の根元に腰を下ろした。

 「無警戒に腰を下ろしちゃ危ないですよ」

 レドメインは立ったままゲーリックに話しかけた。

 「何がだ? 『アリクイゴケ』は生えていないところだぞ」

 「この森では木ですら生き物を襲って食べるって聞いていないんですか? 樹人に限らず、通りかかる生き物に噛みつく種類の樹だっているんですから」

 「……なるほどな」

 「何が、なるほど、なんです?」

 ゲーリックは苦笑いの表情で額に汗を浮かべていた。「今、それが俺のケツに噛みついている……」

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