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戦いの中心へ【scene19】

19


 「大丈夫。僕は大丈夫……」

 レトの耳に不安に震える男の声が聞こえた。自分と同い年ぐらいの若い声だ。どうも並木のひとつから聞こえるらしい。

 セルネドへ向かう街道は、かなり樹齢の高い樹が立ち並んでいる。『勇者の団』の一行は4列縦隊で整列し、しっかりとした足取りで前進していた。士気の低い者はおらず、誰もが自信に満ち溢れた表情だ。レトはそう感じていたからこそ、一本の樹の陰で弱音らしき声が聞こえたのが気になった。

 「ちょっと離れます」

 レトはかたわらチェンに声をかけると列から離れて、声のした樹へと近づいた。レトが樹の陰をのぞき込むと、ひとりの若者がポーチを両手に持ち、その中に囁きかけるようにしていた。まるでポーチの中に誰かいるみたいだ。

 「え……ええっと。大丈夫、ですか?」

 声をかけられた若者はびくんと飛び上がると、恐る恐る振り返った。レトとそれほど身長の変わらない小柄な若者で、身体に似合わないほど大きなポーチだ。レトはこの若者に見覚えがあった。しかし、名前がすぐに思い出せない。

 「ええっと。あなたは、たしか6番隊の……」

 レトは彼のことを思い出そうとしたが、所属する隊までしか思い出せなかった。

 「あ、僕、デル班のアントニイです。アングリアに向かう途中の道でお会いしたことがありましたね」

 思い出した。ひとり隊列を離れていた若者だ。

 「あなたはあのときの……。ここで何をされていたんです? 身体の調子が良くないのですか?」

 レトはアントニイの全身を見ながら尋ねた。緊張した表情だが、顔色が悪いというわけではなさそうだ。

 「あ……、いえ……。これは、その、儀式みたいなものです。僕自身を奮い立たせるための」

 「奮い立たせる」

 アントニイはうなずいた。「ええ。僕って、あまり強くないので、こういうことをしないと、すぐ逃げ出したくなるんです」

 レトはじっとアントニイの顔を見つめた。アントニイはとても好戦的には見えない。むしろ戦うこととは無縁の優しそうな若者に見える。そんな彼がどうして『勇者の団』に加わっているのだろうか。

 「あなたは……、戦いたいとは思わない……?」

 レトの質問にアントニイはぶんぶんと首を振った。

 「とんでもない! 僕は……、いや、僕の夢はみんなを守る戦士になることです。小さいころからの憧れなのです。辞めたいなんて思ってもいません。ですが……」

 ここでアントニイは口どもった。レトは先を促した。「ですが?」

 「……恥ずかしい話ですが、身体が震えてしょうがないんです。これは武者震いだ。武者震いだと言い聞かせているんですが……、ダメですね。自分の心は騙せない。僕は恐いんです。魔の森に足を踏み入れることが」

 「ミュルクヴィズの森に行くのは初めてですか?」

 アントニイはうなずいた。「ええ。何せ、戦場に出たのは、この『勇者の団』が初めてなんです」

 レトは意外だと思った。「ですが、あなたは入団審査に合格して入団したのでしょう? 実力はあると認められたということです。もっと自信を持っていいのでは?」

 アントニイは苦笑を浮かべた。

 「それは、あなたのことじゃないですか。僕は冒険者デルの仲間なんです。デルは歴戦の猛者ですからね。入団審査も免除でしたよ。覚えていますでしょ? 審査不要で入団が認められた小隊パーティがいくつもあったのを」

 レトはうなずいた。たしかにそんなことがあった。

 「僕はデルのおまけで入団が認められただけです。もし、ひとりだったら、あの入団審査を受けることになっていたら……、僕は入団できなかったでしょうね。それに引き換え、あなたはすごいです。入団審査では自分より大きいのを相手に怯むことなく戦っていました。見ましたよ。勇者と一騎打ちするところも。すごいなって思っていました」

 アントニイの話だと、あのアングリア奪還作戦で出会ったときには、アントニイはレトのことをすでに知っていたようだ。

 「見ていたのなら覚えているでしょう? 僕は勇者の技になす術もなくやられましたよ」

 「周りが言っていました。勇者があの技を使うように追い詰めたあなたはすごいって。僕も、勇者があれを使わざるをえなかったように見えましたから」

 レトは首を振った。「褒めすぎです。僕はその勇者に認めてもらっていません」

――君ごときがハイクラスの相手なんか務まるはずがないだろう!

 あのときのリオンの言葉が、レトの胸の奥でこだまする。現実を容赦なく突きつけられた言葉だった。

 「褒めすぎだなんて思いませんよ。あなたは僕がやりたいことを現実にしているひとなんですから」

 「……それは、どういう……」

 レトが尋ねようとすると、背後にひとが近づく足音が聞こえた。

 「おい、アントニイ。用をたすのにいつまで時間かけているんだ?」

 レトが振り返ると、大柄の男がふたりを見下ろしている。

 「ああ、すみません。すぐに戻ります」

 アントニイは手を挙げるとレトのかたわらを通り抜けた。

 「あなたと話せて良かったです。おかげで落ち着きました。感謝します」

 「あ……、いえ……」

 レトは脇によけながらつぶやいた。話が中途半端に終わってしまったが、たしかに、ここでいつまでも立ち話をしている場合ではない。レトはアントニイが仲間とともに隊列に戻るのを見届けると、自分も8番隊の隊列へ戻った。


 「残党の姿もない。順調だな」

 ケインはあたりを見渡しながらつぶやいた。ケインはリオンとともに馬に乗って、隊列の先頭を歩いていた。街道は並木がまばらになり、ところどころで民家が見え始めた。まもなくセルネドに到着する。

 「ひとの姿も見えないけどね」

 リオンは一軒の民家に目をやりながらつぶやいた。その民家は小さな小屋と言ってよいほどだ。戸は大きく開け放たれているうえ、上の蝶つがいが外れている。無理やりこじ開けられたようだ。暗い小屋の中に、ひとの気配はない。踏み荒らされて、家の中の物が床一面に散らばっているのが見えるだけだ。

 街道沿いには、旅行者などを目当てに様々な店が点在していたが、チリンスの丘を抜けてここまで、人間に出会うことは全くなかった。この一帯の人びとは、魔侯軍によって殺されるか拉致されてしまったのだろう。

 「セルネドはもう解放されているんだろ?」

 ケインが急に不安になって尋ねた。もし、その情報が誤りであれば、先行している2番隊と3番隊が危ない。10番隊の悲劇はもう二度とごめんだ。

 「街は解放されたけど、そこに人質にされた人びとはいなかった、ということなんだろう。街を解放した王国軍が駐留しているんだ。先行している者たちは無事だって」

 ケインはため息をついた。「どうも、変な心配性になってしまったようだ」

 リオンは横目で友の顔を見つめた。ケインの顔色は悪くないが、それでも疲労感が滲み出ている。魔侯軍との激突では後方で指揮を執っていたので肉体的な疲労は少ないはずだが、精神的な負担は大きかったようだ。

 「昨夜はよく眠れなかったのかい?」

 「まさか。ぐっすり眠ったさ。……ただ、夢を見ないほどって、身体にいいのか?」

 「ごめん、わからない」

 リオンは苦笑いを浮かべた。ケインと話していると緊張感が和らぐ。深刻に受け止める必要はなさそうだ。

 「セルネドに着けば、あとは運河を渡る手はずが整っているか、だな。ピピンやベイノンが魔の森経験者で良かった」

 「ただ、これだけの規模を渡河させた経験はないって文句言ってたがな。2百人の人員で足りるか不安そうな顔してたぞ」

 「そうなのかい? ベイノンの困り顔って見てみたかったなぁ」リオンは楽しそうに笑った。

 こうして『勇者の団』は、順調に行軍を進め、やがてセルネドの入り口に到着した。セルネドは運河に面した商業都市で、運河の対岸が魔の森が間近に見える平原となっている。魔族の侵入を防ぐべく、街は高い壁に囲まれた城塞都市となっていた。アングリアと似た構造である。ただし、アングリアよりも規模は大きい。正門の構えも、アングリアよりも大きく頑丈なものだ。

 ケインは門をくぐりながら、『なぜ、こうも易々と陥落したのだ?』と不思議に思った。もし、セルネドも攻略しなければならなかったら、アングリアのように一日で奪還できただろうか。

 正門には王国兵士のほかに、2番隊からキャノンという若者が立っていた。リオンたちを迎えに待っていたのだ。

 「このままセルネドの港までお越しください。そこに運河を渡る準備を整えています」

 「船で渡るのかい?」

 リオンはキャノンに尋ねた。キャノンは微笑みを浮かべながら首を振った。

 「船は船ですが、ただの船ではありません。いかだを用意しました」

 「いかだだって?」ケインは顔をしかめた。それならば船で渡るほうがいいではないか。

 「まぁ、ご覧ください。最高のいかだですから」

 キャノンは自信たっぷりだった。

 港に着くと、ケインは目を見張った。「これが……いかだ、なのか?」

 セルネドの港は運河の一部を引き込んだ堀のようなところだった。出入口には巨大な鉄格子の扉があり、外敵の侵入を防ぐため開閉できるようにしてある。現在、鉄格子の扉は大きく開け放たれていて、堀には一面のいかだが敷き詰められていた。いかだはそのまま運河まで伸びており、対岸までつながっている。つまり、いかだで巨大な橋を渡してあるのだ。

 「街の復興に使う木材を運河に浮かべて運んでいたのです。それらをつないで、運河を渡る橋にしたわけです。船で渡るより、短時間で全員を向こう岸に渡すことができます」

 キャノンは自慢げに解説した。まるで自分の発案であるかのようだ。

 「君の考えなのかい?」ケインはキャノンに尋ねた。

 「いいえ。参謀からの指示です」

 ケインは顔をしかめた。ザバダックは知恵者であることは認めるが、少し子供っぽいところがある。さしずめ、自分たちを驚かせようと、ケインたちに内緒で事を運んだのに違いない。キャノンのしてやったりという顔を見ながらケインは呆れた。

 「立派ないかだだよ、キャノン」

 リオンはそのことを気にする様子も見せず、上機嫌な声をあげた。彼は馬から降りると、馬を引きながらいかだの上に降り立った。大きな木で出来ているとあって、彼や馬が乗ったぐらいでは少しも沈む様子がない。ケインも同様に降りてみたが、まったく問題なかった。

 「2番隊と3番隊はすでに向こう岸に着いて、周囲の警戒にあたっています。どうぞ、そのままお進みください」

 キャノンは堀の上から声をかけた。

 頑丈ないかだとは言え、『勇者の団』すべてが渡河を終えるのには時間がかかった。最後のひとりが渡り終えたころには、あたりはすっかり昼になっていた。

 「森の入り口周辺に敵の姿はありません。魔獣の類も見えません。先行して数班が道に入って確認しましたが、思っていたより悪路ではなく、馬車の進行に障害はない模様です」

 2番隊からの報告を聞いたケインはうなずいた。「わかった。ご苦労」

 ケインはリオンに振り返った。

 「リオン、聞いての通りだ。森に入れるぞ」

 リオンは深くうなずいた。「行こう」

 「よし。『勇者の団』は、これより、魔侯討伐と拉致された人びとの救出に向かう。これまで以上に危険な任務だが、これからが本番だ。みんな必ず成し遂げるぞ!」

 ケインは拳を挙げて高らかに叫んだ。周りからも拳を突き上げ、「おおう!」とときの声をあげた。ケインは力強くうなずいた。俺たちの士気は高い。必ず使命をやり遂げられる!

 リオンを先頭に、『勇者の団』は続々と森に入っていった。レトも緊張の面持ちで森へ足を踏み入れた。

……これからが本当の試練だ。ここから先は味方の支援が得られない、過酷な戦場なんだ……

 レトは汗ばむ手を力いっぱい握りしめた。胸の奥が早鐘のように打っている。これから冒険に向かうような浮き立つ気持ちはかけらもない。自分は生きて帰れるのか。そんな心配さえ頭によぎらないほど、レトの心は前しか向いていなかった。


 リオンを筆頭に、レトも含めて8百85名の『勇者の団』は、魔の森と恐れられるミュルクヴィズの森へと進軍を開始した。支援部隊も含めてちょうど千名ほどである。彼らはこの後に『討伐戦争』と呼ばれる戦いの中心に進むのであった。


第五章 魔の森へ (終)

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